すべての聖典が教えるところ〜京都 定例サットサンガ〜

師の教えに耳を傾けていると、自分の小さな心の世界を突破し、無限に広がる真理の大海が広がっていくような感覚になることがあります。

先日行なわれた京都の定例サットサンガ。
和やかながらも真剣な問答が続く中、師が気迫を込めて語られた、印象に残るシーンがありました。

聖典『バガヴァット・ギーター』を読みながらノートをとり、わからない部分をチェックしているという質問者。意志や想念などの心の働きと専心(バクティ)についての問いに、師は明瞭にそれらを解き明かれた上で、些細な言葉に翻弄されず心を神のみに向けるよう、力強く導かれました。

 シュリー・ラーマクリシュナはどう言っているかーー。
『バガヴァット・ギーター』の教えは、すべてを放棄せよ! これだけだよと。
単純じゃないですか。言葉上の詮索なんていうのは学者がすればいいことであって、ヨーギーがするものではない!
ノートなんてとらなくてもいいし、分析なんてしなくてもいい!
それよりも、自分自身の心の安らぎ、もう一方ではどれだけ神の至福を味わえているかーー実質的な果実というものを味わうようにしてください。 

真摯に受け止めた質問者がお礼を述べた後、師は満面の笑顔で軽やかに続けられました。 

すべての聖典が教えるところは、無知煩悩をなくしなさい、放棄しなさい、
そして神、アートマン、ブラフマンという真理だけが真実だと――この二つです。
すべての聖典が詰まるところ言いたいことは、これだけなんです!

師の言葉は、時に落雷のように、私たちの頑ななこだわりや観念、習慣性といった心を一撃します。心はついつい複雑にいろんなことを捉えようとしますが、真理は、神は、単純でシンプル。師がいつも私たちに伝えてくださっていることも、まさにこの二つのことに限るのです! 
余計な心を一切排除し、大胆に、ダイレクトに真理に飛び込んでいけますように!

さまざまな知識や情報が氾濫している現代、古代から続くヨーガの道の入り口を見つけることはとても難しく、たとえ権威ある聖典を手にしたとしても、その内容を正しく理解していくことは困難だと思います。またどれだけ知識を得たとしても、実際のものとはならないでしょう。

あらゆる聖典のエッセンスをご自身で実証し、ヨーガの道をたった独りで開拓してこられた師の存在と生きた教えは、求道者を速やかに真実へと導く、何よりも確かな道しるべであり、稀有なるものだと感じます。

敬愛する師のご聖誕日を前に、師の導きに心から感謝を捧げます。

マードゥリー


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です