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【長岡京クラスより】ヨーガと瞑想 朝のワークショップ開催!

神足ふれあい町家

神足ふれあい町家

まだまだ寒い日も続きますが、今日は節分。明日には立春を迎えると思うと、季節は着実に巡り春に向かっていることを感じます。
長岡京の朝クラスを行なっている神足ふれあい町家は、毎年この時期から1カ月、ひな祭りの展示イベントが行なわれるため、会場をJR長岡京駅に隣接したバンビオへ変更しています。

今年はその期間の中で、2月21日(水)と28日(水)の2日間を「ヨーガと瞑想の朝のワークショップ」と題し、いつものクラスとは少し違った内容で開催します。ヨーガ・アーサナ(ポーズ)のデモンストレーションや瞑想について学べる講座を行なったり、体験談なども交えて、楽しくご参加いただけたらと思っています。

毎週行なっているクラスは、ご近所にお住まいの方が多く参加されています。一年間、ほぼ皆勤賞?!というくらい熱心な方もおられたり、最近は瞑想に関心が出てこられた方も多く、30分近く瞑想しても微動だにせず、「もう少し座っていたかった〜」とおっしゃる方もあったりします。アーサナを続けていくことで、自然と瞑想へと誘われるということを、私自身も実感させていただいています。

神足ふれあい町家

そんなこともあり、この機会に瞑想のことをもう一度基本からお伝えし、さらにヨーガに親しんでいただけたら・・・とワークショップを企画しました。
初めての方もぜひぜひご参加ください。

呼吸を調え、心の静けさを体験してみませんか?

●日時:2024年2月21日・28日 (水)10:30〜12:00
●会場:長岡京市中央生涯学習センター(バンビオ)
21日:3F リハーサルスタジオ1 28日:4F 交流室1
●受講料:2日間 4,400円
*1日のみの参加も可 2,200円

お申し込みはこちらから

長岡京 ヨーガと瞑想のワークショップ

マードゥリー


『マハーヨーギーの真理のことば』第十六章「聖なる存在」

書籍発刊から1年が経ちました。章ごとにレビューを綴ってきたこのシリーズも、ついに最終章となります。
この本の編集に携わらせていただき、実は10年ほどかけて何度も内容に目を通してきたのですが、改めてこの章を開いた時、以前に感じていた以上の大きなものが訴えかけてくるように感じ、正直圧倒されました。

第十六章には、自ら具現された普遍なる真理を、人々に、この世界に分け与えてきたヨーギーや覚者、グルという存在の生き様がありありと語られています。偉大な存在の生涯や使命は、インスピレーションの源であり、それらに触れると強大な熱量のエネルギーが流れ込んでくるように感じます。
中でも多くの内容が編纂されているのがブッダについてです。
私たちの師は十代の頃、瞑想によってブッダの悟りと、ブッダその人そのものに肉薄されたといいます(→瞑想の章でも触れられています)。師の口からこぼれ出たブッダの心境や境地というものは、ただ史実として残されているという範疇を遥かに超えており、それはまるでブッダが語られているかのようでもあり、また、まさに師はそのようであったと、師のあり方そのものであると思えるのです。

ブッダは最後に、私は全てを教えた、これからは自らを拠り所として努め励めと弟子たちを導かれた。また一方で、「この世界は美しい」という言葉も残されたとされています。完全なる自由の境地に留まられていたブッダは、この限りある世界において何を見て、何を思われたのか。師はブッダの心境について次のように語られています。

近いところではシュリー・ラーマクリシュナの例がそうであったように、ブッダの生涯も、ただ人を救うためだけに充てがわれました。人の苦しみを気付かせ、そうして正見という正しい道に導くためには、苦しむ人と同じ立場で手を引かなければなりません。そうして四十五年間ひと時も休むことなく、ブッダは人、そして生きとし生けるもの全てを救い続けてきた。

ブッダとて肉体を持つ身、いつかはこの地上から離れなければならない。肉体の衣を脱ぐにはそれなりの理由が必要です。永遠の存在であったブッダもまた、その肉体は限界を持っています。彼はこの世を去るということを悟った時、もはや最後の教えは自らの死、そのものだったと思われます。それは生前教え続けてきた、人は誰もが死ぬということを改めて教えることです。しかし死ぬのは肉体だけであって、その存在が死ぬわけではありません。この崇高な不二一元の教え、これが最後に彼の口から漏れた「この世は美しい」ということになると思います。もはや苦悩も絶望も、希望も願望も何もない。たとえ時間がこの肉体を朽ち果てさせたとしても何も問題はない。だからこそ、その瞬間において彼はそう呟いたに違いない。それは生きとし生けるもの全てに与えられた、もたらされた祝福でした。

『マハーヨーギーの真理のことば』第十六章

不二一元――アドヴァイタ。ただ、一つのもの、真実のみが在る――。
人々の真の救い、理想となる永遠の真理を、ブッダは最後の最後まで、そのお体から離れることをもっても示された。
二千五百年という時を超えて、師が伝えてくださったかけがえのないメッセージであると、新たな気持ちで受け止めました。

アーシュラマ

第十六章の章扉前の写真(マハーヨーギー・アーシュラマ)

マードゥリー 


春の祝祭2023 ご報告

4/2(日)、春の青空に桜吹雪が美しく舞い踊る中、「サナータナ・ダルマ アヴァターラー メーラー ―神性示現大祭―」が開催されました。
人類の宝である神の化身と呼ばれる方たち、そして彼らがその尊い御身をもって人々に伝えてきた永遠・普遍の真理を祝うこの祭典。今年のテーマは「古より続く永遠の道」とし、近代の偉大な聖者パラマハンサ・ヨーガーナンダの生涯に迫りました。

写真とともに当日の様子をご報告させていただきます。

マーラー

神の化身、大師たちへ捧げられたマーラー。

各地の様子

ニューヨーク、台湾、東京、松山の拠点より。各地からの歓びと感謝のメッセージが届きました。参加者は100名を超えました。

京都グルバイ

京都 司会を務める二人と配信会場などから

神だけを一心に求める純粋な少年が、グルとの出会いを果たし、どのような薫陶を受けて霊的成長を成し遂げたのか。逆光を乗り越えてのアメリカでの布教活動、50カ国以上にも翻訳されている『あるヨギの自叙伝』を世に著した彼の偉業とはいったいどのようなものだったのか。祝辞や映像を通して、私たちはヨーガーナンダの生き様と使命に思いを馳せました。

ヨーガーナンダ年表

ヨーガーナンダの生涯が紹介されたイラスト入りの年表。

ニューヨーク

ニューヨークでは映画を製作、イントロ部分が上映されました。本編は4/8に公開予定。

祝辞者

8名の方が祝辞を捧げました。

仲間たちの熱い想いのこもった言葉からは、ヨーガーナンダの姿を励みにヨーガの道を歩んできたこと、『あるヨギの自叙伝』から心が一変するほどの大きな衝撃や恩寵を与えられてきたことが伝わってきました。そして、ヨーガーナンダが国境、人種を超え全ての人を同胞として愛し、人々を神に目覚めさせるため、普遍的ヨーガを伝導し人生をまっとうされたこと、それらは全て神のご計画の中にあり、ヨーガーナンダを通して始原のグルであるマハーアヴァターラ・ババジが働かれていたことが感じられました。

ヨーガーナンダの布教について紹介した映像は、『あるヨギの自叙伝』の最後の一節で締めくくられていました。
「主よ あなたはこの一介の独身僧に、すばらしい大家族をお恵みくださいました!」

祝祭に大きな祝福を与えてくださった師シュリー・マハーヨーギーは、弟子たちの数々のメッセージを喜ばれ、最後に「一人一人、皆の言葉が真実のものとなりますように」とお言葉をくださいました。

ヨーガーナンダと偉大な大師たちの息吹を存分に感じ、格別な高揚感と歓喜に包まれたこの祝祭。グルと弟子の愛のみで結ばれた関係の尊さを思い起こし、また彼らが明らかにした古から続く永遠の道の上に、私たち自身もまさに今、立っているということを改めて感じ入ることができたと思います。
ヨーガーナンダに倣って、師が示された道を弛まず、逞しく突き進んでいくことができますように!

ジャイ! サナータナ・ダルマ アヴァターラ! 
ジャイ! サットグル・シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ キ ジャイ!!!!

 

*祝辞はMYM会員サイト「Web版パラマハンサ」にて配信する予定です。

御室桜

京都御室界隈では、今は御室桜が満開です。
写真/御室仁和寺

マハーヨーギー・ミッション 


『マハーヨーギーの真理のことば』予約開始!

お知らせ第四弾です!
11/23発刊予定『マハーヨーギーの真理のことば』の事前予約を開始しました〜!!!

«お申し込みはこちらから!

先日、全目次を公開したところ、皆さんから大・大・大反響を頂いています!!!
目次だけでも10ページ、500項目以上あるので、それだけでも読むのにけっこう時間がかかると思うのですが、すご過ぎる!内容とボリュームに、感動+圧倒された方が多かったようです。

 まだご覧になっていない方はぜひぜひ、チェックしてみてくださいね。

«目次はこちら

現在本の進行状況は、まさにNow Printing!
もうすぐ皆さんにお届けできると思うと、本当に嬉しいです。
楽しみにしていてくださいね。

生き方や自分の理想を模索している人、困難な状況や苦悩に直面している人、確かなもの、本当の答えを探している人、瞑想やヨーガを学びたいという人、神を求めている人、真我の探求をしている人・・・一人でも多くの方に、師シュリー・マハーヨーギーが語られた真理の言葉が届きますように。


待望の新刊 11月23日発刊!
マハーヨーギーの真理のことば

師シュリー・マハーヨーギーが語られた全記録から厳選・抜粋されたヨーガの集大成。全16章にわたり、ヨーガの全てが網羅されたボリューム豊かな内容となっています。

サットグル・シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ著
A5版 536ページ
8,800円(税込)

マハーヨーギー・ミッション 


『マハーヨーギーの真理のことば』お知らせ第三弾

11月になりましたね。
今月23日(祝・水)には、師シュリー・マハーヨーギーのご聖誕日を迎えます!!!
今年のご聖誕祭では、『マハーヨーギーの真理のことば』、そしてついに台湾でも出版されることとなった『ヨーガの福音』、この2冊の新刊がお披露目となる予定です!!!
師の存在と導きに心から感謝を捧げる大切な日と、師の教えが形となって多くの方に届けることができるという、とっても喜ばしい嬉しい出来事が重なります!

出版のほうは本当に、いよいよ!という段階に入ってきました。
無事に印刷会社への入稿が終わり、色校正が上がってきて、最終確認&修正・調整をしている最中です。
とってもいい本に仕上がりそうで、ワクワクしています〜。
本の中身はもちろんですが、師が手がけてくださった装丁デザインも、どうぞ楽しみにしていてくださいね。

さて、前回のお知らせでは全16章の章と節立てを紹介させていただきました
こんなに凄いボリュームなの?!と驚かれた方も多いと思います。

今回は・・・・・

ジャジャーン!!! 
各章のすべての見出しを公開しました!

その数なんと500以上になります!

«こちらのページをご覧ください。

あまりに膨大で、ブログでは全部を掲載するのは難しいので、ここでは第一章「生きる秘訣」の見出しのみをご紹介しますね。
生きる上で何を軸としていったらいいのか、仕事や家族に対する捉え方、さまざまな人間関係の問題を解決して他者に優しく誠実に接する秘訣、執らわれのない、ぶれない強い心になることなど……特にこの章は、誰もが日常で感じる苦悩や疑問に対する普遍的な真理が説かれています。
質問者に寄り添い、シンプルに、明快に語られる師の言葉は心に響きます。
ヨーガのことを全く知らない方でも、きっと多くの気付きを得られるのではないでしょうか。

第一章 生きる秘訣

第一節 何のために生きるのか
運命を切り開く
自由と幸福
永遠の幸せ
心のフィルターを透明にする
幸福と不幸は表裏一体
安心できる礎を求める
人生の二つの目的
人生について考える—存在の自覚
何のために生きるのか
自らの生き方に責任を持つ

第二節 仕事の秘訣
仕事の選び方
人は仕事のためにあるのではない
仕事とリアリティ
職場ではなく自分を変える
本質を見つめる
今、目の前のことをより良く
淡々と仕事をする

第三節 人間関係の秘訣
自分の荷物をまず片付ける
人との衝突回避のヒント
他者を傷つけた時
本体だけを見る
カルマに取り合わない
差別なく接する
鉱物に差別感を持たない
他人の評価に執着しない
自分の基準で量らない
善悪の基準
慈悲喜捨の教え
解決法は自分の中にある
子供を持つこと
人として芯となるもの
親と子のあり方
最高の親孝行

第四節 愛のかたち
無償の愛を学ぶ
愛を思わないのが本当の愛
愛を行為する
愛と尊敬
身近な人への奉仕
可愛い子には旅をさせる
愛の本質
愛の真理

第五節 真の自由と強さ
執着を手放す
空っぽになれば楽しめる!
楽しみの秘訣
子供の遊び—自由
卑屈と謙虚
自分を決めつけない
愚痴は心を汚す
病は気から
過去から自由になる
今を大事に生きる
除去すべきは未来の苦
逃げずに立ち向かう
恐怖心の克服
孤独を識別する
孤独感の原因
心を強くする
嘘も方便
素直・勇気・実行
自分を大切に
将来の不安を取り除く
幽霊は心が創り出す
聖人は街に住み、俗人は山に隠れる
天国と地獄

*予約については追ってご案内させていただきます。


11月23日発刊予定!!
マハーヨーギーの真理のことば

サットグル・シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ著
A5版 536ページ
8,800円(税込)

マハーヨーギー・ミッション 


ヨーガ・アーサナの力 その4〜自分の枠を超える

アーサナの実践を続けていくと、呼吸の変化内的なプラーナ(気)の充実とともに、少しずつ自分の限界というものが広がっていくのが感じられます。
始めの頃は身体がきつくてしんどいなと思っていても、いつの間にかその辛さはなくなり、心地よい集中感に変わっていきます。このポーズは苦手だなあと思うものがあっても、逃げずにやり続けていけば、苦手な気持ちはなくなり、不思議と得意なものとの差異がなくなっていったりもします。

アーサナの実践に慣れてきたならば、ポーズを保持して戻す前のもうあと一呼吸か二呼吸、自分の限界を超えていくように行なうことで、さらに深めていくことができるといわれます。
仕事も何事も、自分のできる範囲だけでやっていると、それ以上の進展はありませんが、ここまでしかできない、という限界を少しずつでも超えようとチャレンジすることで、キャパシティが広がっていくのだと思います(注:ただし決して無茶はしないでくださいね。力まずに呼吸を大切にしながら深めるのがポイントです)。

ある時、サマコーナ・アーサナ(開脚の形)を完成に近づけていくコツがあるかという質問に対して、師が「コツは毎日することしかないなぁ」と仰ったことがありました。あまりにシンプルなお答えに、妙に納得した記憶があります。
開脚は、私にとってとても苦手なアーサナでした。かなり内股気味だったこともあり、最初は痛すぎて、立って脚を開こうとしても思うように開かず、バランスを崩しておしりから転倒してしまうほどでした(苦笑)。また力を無理に掛けすぎて怪我をしてしまい、なかなか治らなかったこともありました。もう無理だと避けていましたが、師の言葉を聞いて、少しずつでもまた地道にやっていこうと思えました。
だんだんと刺激はある中でも呼吸が深くなり、背骨へのプラーナの集中を感じるようになっていきました。時間はかかりましたが、10年越しくらいで身体も変わってきたように思います。いつの間にか以前の恐怖心や苦手意識は消えていて、瞑想の坐法に直接繋がるようなアーサナだと感じられるようになりました。

サマーコーナ・アーサナ

神足ふれあい町家にて(長岡京)サマコーナ・アーサナを実践中

普通は、自分にとって嫌なことは避けたくなるし、好ましいものはもっと欲しいと思うものです。自分の中に「好き」「嫌い」といった心の枠があり、それに当てはまる出来事を前に、大きく心は反応し、揺れ動いてしまいます。嫌なことを避けてばかりいると、その時は逃れられたと思っても、また別のかたちで同じようなシチュエーションがやってきて、いつまでも克服できていないことに気付かされたりもします。そして、好ましいものを求めることで欲望は膨らみ、それが思い通り手に入らないと、結果的には苦悩を味わいます。

アーサナの目的は聖典にもあるように、明確です。それは二元性を超えるということです。二元性――つまり肉体が感じる暑い・寒い、空腹・満腹、あるいは様々な感覚器官の動揺、さらには心理的な好き・嫌いであるとか、好・悪も、善・悪も含めた一切合財の二元性を超えること。
(シュリー・マハーヨーギー)

体と心は常にいろいろなことを訴えてきます。しかし、心身の状態がどうであれ、ちくいち感想をはさまずに、コツコツと淡々と続けていくことで、自分の作った囲いを取り払い、様々な状況に振り回されない精神力を養っていくことができるのだと思います。忍耐力もついていきます! 
また、その実践の積み重ねは、あらゆる二元的な状況を超えた、一なる真実に向かっていく大きな熱と力となっていくに違いありません。
そうして、『アーサナ(坐法)は堅固で快適でなければいけない』という言葉の意味が達成される時、見るもの、聞くもの、触れるもの、この世界を取り巻くすべての事柄の影響を受けずに、心を完全に制御下に置くことができるのでしょう。

ふれあい町家

さあ、暑さが過ぎ去って大気のプラーナが中庸といわれるこの時分は、私たちの心身を調えるにはとってもいい季節です! 素晴らしいヨーガの智慧と力をより多くの方に体験していただけることを願って、この「ヨーガ・アーサナの力」のシリーズを終えたいと思います。
そして、古から伝わるヨーガの秘儀を伝授してくださっている師に、心から感謝を捧げます。


マードゥリー 


現実問題に直面した時こそ・・・

夜になると、秋の虫の声が聞こえてきます。夏真っ盛りだった7月20日に配信されたWEB会報誌『パラマハンサ』の中で、暑さも忘れるほどにドキッとする師のお言葉がありました。それについてしばらく考えていました。

瞑想の成果というか心の変化がどのように現れてきたかというのは、現実問題に直面した時にその姿が見えてきます。そこで動揺を来すようならば、いくら瞑想がうまくできたな、気持ち良かったなと思っていても、全然進んでいない。でも自分にとって何か良くないような知らせがやってきても、動揺もしないでそれを淡々と受け止めることができるならば、あぁ、瞑想の効果があったのだなというふうにも言えますしね。結局のところ瞑想を行なうということは、心の不動性とか、心の持っているカルマや執着やしがらみ、様々なそういうお荷物を取り除くということなのです。だから現実問題に直面した時こそが本当の勝負というか、その時に問われることになります。だからこそ、そういう現実のいろんな出来事に対しては、逃げないでそこに直面をして、克服していく。それに堂々と毅然としていられるようにしていくという、またそれも訓練です。実際的な訓練です」 

自分にとって良くないような知らせがやってきた時、動揺せず淡々と受け止められているか? 
一切動揺しなくなったとは言えない。ただ、逃げることは減ったかもしれない、と思えました。動揺を感じた時、その後に一呼吸の間(ま)みたいなものが訪れ、立ち向かっていこうとする気力が湧き起こるからです。
・・・とはいえ師の恩寵によって、そもそもそんなに大きな良くない知らせ自体がやってきてないからだなぁ~と思いました。とにかく、現実問題に直面した時が勝負・・・。

そういうことを気に留めていた頃、これもまた神の思召しか、人の命に関わる良くない知らせがやってきました。急を要する事や未経験の事柄が続き、加えて様々な人たちとの関係もありました。未熟な私には動揺も起こりました。動揺が起こるということは、心を静めるために自分自身を改善する余地があるということ。克服するには、逃げずに直面すること。
動揺した時には師のお姿が浮かびました。師が人々に丁寧に接しておられるお姿、深々と頭をお下げになるお姿、優しく寄り添うように親身にお話を聞かれる眼差し、何かあればすぐさまパッと動かれるスピード感ある師の動かれ方。他者への愛、優しさ、慈悲、一貫したものが貫かれている師のそのお姿を思うと、自分の動揺は無視して周りの人々のことだけを感じて行為していきたいとそこに集中することができました。

自分自身に意識が向けば動揺が起こりそうになります。でも、自分ではなく周りの人々の平安とか笑顔を願うと、動揺の波はそれ以上の力を持ちませんでした。

 「思いやり、優しい気持ち、平安な気持ちを持てるようになりたいですよね
何よりこの師のお言葉がお守りのように導いてくれました。 

師は、人々が少しでも平安な気持ちでいられることを願っておられるはずだと思えました。
ヨーガをしていくことで周りの人に、いい贈り物がもたらされる」と師はおっしゃってくださったことがあります。

現実問題に直面できる強さを、ヨーガが与えてくれていると確信しました。誰もにとっての本当の自分、真の自己は、不動であるといいます。そこに留まっていられるように、実際的な訓練、これからもがんばろう!と思った夏でした。

マリーゴールド

暑さに負けない花!

 

野口美香 


ヨーガ・アーサナの力 その3〜プラーナ(気)の充実

ヨーガ・アーサナに対して、私はとっても大きな信頼を寄せています。それには前回お伝えしたように、呼吸が変化していくことで、動揺しっぱなしだった心の反応が変わってきたと感じられたこともあり、さらには「正しい食事とアーサナの実践によってほとんどの病は回復する」と教わっていますが、そのことを実感した経験があったからです。

*それには正しい師の下で学ぶことが大切であり、また場合にもよるといわれます。私自身は軽度の症状でした。

ヨーガを始めた頃は仕事に忙殺され、不規則な生活が続いていたこともあって、(20代後半でしたが)心身ともにあちこち不調のサインが出ていました。婦人科系の疾患もわかって手術するかどうかの瀬戸際という時、師や先輩からも助言を頂き、これまでの生活習慣を変えて、ヨーガに添わせていこうと思い立ちました。食事も玄米や旬の野菜を中心に、豆類、海藻類などバランスの取れたものにし、途中で寝てしまうことが多かったアーサナも、毎日基本プログラム全てを行なえるように励みました。
実践して約半年後、慢性的に感じていた疲労感はなくなり、再度受診したら、すっかり問題がなくなっていて驚きました。食事もしかり、アーサナが細胞やホルモンといった身体の内部から変革させていく力があることを、その時、身をもって感じました。

アーサナやプラーナーヤーマ(呼吸法、調気法)、瞑想によって、呼吸が変化します。それが体中の隅々の細胞にまで影響を与え、身体と心の安定をもたらします。
これらの修練によってプラーナ(気)が蓄積され、睡眠時間も減るほど身心が癒やされます。それは身体の中に通っている、普段ダメージを受けている七万二千本のナーディー(プラーナが流れる管)が浄化されるためなのです。
(『ヨーガの福音』サットグル・シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ著より)

「気を使う」とよく言いますが、ふだん気=プラーナは仕事や人間関係、様々なことに使われる一方で、ストレス社会といわれる現代では、気疲れも溜まっていき、心身の不調和を感じている人も多いと思います。アーサナは内から浄化を施し、本来の調和のとれた気の状態を取り戻していきます。また、様々な生理機能(呼吸、消化、排泄、生殖など)と関連しているチャクラ(プラーナの集まるセンター、つぼのようなところ)に集中されることによって、自己治癒力が高められるといわれています。
チャクラへの集中は、柔軟性は全く関係がなく、その人ができる範囲で正しい形態をとることで、自動的に集中されます。

ダヌル・アーサナ

ダヌル・アーサナ(弓の形):足先を上に伸ばすことで上半身が起きていく。マニプーラ・チャクラ(臍部)に集中され、消化機能を高める効果がある。また胸を広げることで肺も強化する。(写真:丹波・篠山クラスにて)

師が伝授してくださっているアーサナは、完成ポーズでの力点、視線、またポーズを作る時、戻す時の動作まで、細部にわたって配慮がなされています。それは、師ご自身が体験によって目には見えない微細なプラーナやチャクラというものを実証されているからこそ、考えられたものだと感じます。最初は覚えるのに一所懸命になるかもしれませんが、やがて一連の流れが身体に染み込んでくると、全ての動作は最も自然で、理にかなっていることに気付かされます。

アーサナの実践は、ある意味自分の体を使った実験的なところがあるのではないでしょうか。本当にベストな形が作れているか、例えば手足のこのポジションとこのポジションではどちらがより集中感があるか、この身体の動かし方によってプラーナが逃げないかどうか……。意識して見直してみると、ポイントを押さえてやっていたつもりでも、まだまだ改善の余地があることに気付くこともありました。一見細かな作法もとても重要で、呼吸の深まりと共により内的な集中感、プラーナの充足感へと導かれるものだと感じます。

さて、アーサナを行なった後、食事は2時間くらい空けたほうがよいと推奨されています。それはアーサナによってプラーナが全身に行き渡ってバランスが取られているところが、そこに食べ物が入ると、消化のほうに一気にプラーナが使われてしまうからという理由があります。ずいぶん前のことを打ち明けると、アーサナ後、極力すぐに食事をしてしまったことがあり(しかもガッツリと!)、その時は感覚的に、とっても満ち足りたいい状態だったのが、一気になし崩しになり、乱れてしまったな、もったいないことをしたなというのがよ〜くわかりました(反省)。やっぱりせっかく行なうなら効果を最大限に持続させたいですよね。

広々とした空間での瞑想。皆さん集中されています。

ヨーギーたちは修練によって培った強靭な肉体をもって、プラーナのすべてを瞑想に集中させていったそうです。真実のみを求め、毎日毎日、幾年もかけて―—。
自らの内にしっかりと蓄積させたプラーナは、余計な問題のために浪費したり、欲望的な行為に使うのではなく、瞑想に、内面を磨くために集中させていきたいものですね。そうして、日常の中でいつでも良いプラーナを内側から発散させていけたらと思います。
(つづく)

マードゥリー 


ヨーガ・アーサナの力 その2〜呼吸を変える!

今夜から明日にかけての満月はスーパームーンらしいですね。インドでは7月の満月の日は、グル・プールニマといわれ、師に感謝を捧げる、とても吉祥な日だそうです〜。

さて、前回はアーサナの役割や位置付けについて書かせていただきました(→「アーサナは瞑想のためにある」)。今回のテーマは「呼吸」についてです。

皆さんは普段、ご自分がどのような呼吸をしているかを感じながら過ごしておられるでしょうか? あまり認識していないというのが通常かもしれませんが、もしかしたら意識しているという方もいるかもしれませんね。

呼吸と心がとても密接な関係にあるということは、ヨーガの大きな発見だったそうです。私自身はアーサナを始めて呼吸について学ぶようになって、普段の呼吸も意識するようになりました。すると、焦ったり、イラッとしたり、気持ちが高ぶったりしたような時には、心臓の鼓動とともに呼吸も、あっ、すごく早くなっているな、反対にリラックスしている時は呼吸もゆっくりしてるな〜と、なるほど(!)確かに連動しているということがわかってきました。

現代では医学的にも、深い呼吸<腹式呼吸>によって自律神経の働きである副交感神経が優位になり、心身ともに落ち着く、また浅い呼吸<胸式呼吸>はストレス、緊張、興奮時に働く交感神経が活発になるということもいわれています。
古(いにしえ)から呼吸と心の繋がりを解き明かしてきたヨーギーたちはスゴイなあと思います!

呼吸も心も、乱れてしまった時は落ち着けようと思っても制御困難です。しかし、アーサナの実践によって制御可能になっていきます! 特定の形(ポーズ)を作り、身体を静止させた中で呼吸を調律していくことによって、深く安定した呼吸のリズムへと変化させることができるのです。「アーサナは鋳型に押し込めるようなもの」と師は言われます。日常生活の姿勢ではなかなか難しい呼吸の制御が、一見窮屈な閉じ込められた形態の中でこそ制御できていくという感じでしょうか。
そのように呼吸が変われば、心も平静に保つことができ、日々降りかかってくる、心を刺激する様々な出来事の影響を受けずにいられるようになっていきます。これは本当に、驚くべきアーサナの力だと思います! もちろん、1日、2日ではムリですが、何カ月か続けたら、法則のようにやった分、必ず効果として自分に返ってくる、ヨーガの恩恵だと感じます。

あれっ?! いつもだったらもっと動揺していたのに、巻き込まれずに冷静に対処できているな、あれっ?! 今日は腹立たないな、というふうに心の暴走にブレーキがかかる、反応がすっかり変わる、そんな変化が感じられたら嬉しくなりますよね♪

バンビオクラス会場

長岡京の会場 夜クラスの始まる前
大きな窓から見える開けた空が清々しい。

そういうわけで、アーサナの実践においては呼吸がとっても大切です。基本は「吐く息を長く伸ばして完全に吐き出す」ということ。
クラスに通い始めて間もない頃は、特に苦手なポーズは呼吸がままならず、吐く息を長くするどころか、まるで走っている時の呼吸のようにハアハアしてしまい、早く戻させて〜っと思いながらひたすら耐えていたものです(泣)。そんなスタート時を思えば、劇的に呼吸は変わっていきました。3カ月?ほどした頃に変化を感じ、1年、2年……10年……と実践を重ねていくことでまた違った体感が生まれました。

最初は身体への刺激を強く感じますが、慣れてくると呼吸に意識を向けられるようになっていきます。やがて吐く息がすーーーっと伸びていき、力まずに吐き切れていく感触が掴めてくる。さらには、だんだんと吐き切った後にしばらく呼吸が入ってこない、自然に止まったかのような状態が訪れます。そのように深まっていくと、アーサナ後、瞑想に座った時には呼吸の出入りがより微かになり、心が静まった感覚を得られるようになると思います。

気が動くと心も動く。気が動かなければ心も動かなくなる。
(『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』より)

*「気」とはプラーナの訳語であり、プラーナは生命エネルギー、宇宙エネルギーともいわれる森羅万象を支える力のこと。プラーナの最も大きな現れが呼吸といわれる。

ヨーガの修練には、プラーナーヤーマという呼吸法/調気法もあります。(指で鼻腔を押さえ)呼吸をコントロールし、呼吸すなわちプラーナ<気>の停止によって、心を不動の状態へと導くものです。
有名な映画(『グラン・ブルー』)にもなった素潜りの記録をもつジャック・マイヨールという方は、そのヨーガの呼吸法を学んでいたとか。海中を長時間潜るには、呼吸を制御することはもちろん、心の制御というものも必須だったのでしょう。

インドの伝統では、修行者はアーサナを12年、その後に呼吸法を12年、さらに瞑想を12年と、長い年月(トータル36年も?!)をかけて、真我に目覚めるというゴールへと修練を積み重ねるものだと師から伺ったことがあります。しかし、師ご自身がそれらを10代の頃から徹底的に実践し、マスターされたご経験があるからこそ、アーサナにおいては、ポーズ自体は一見同じようなものが様々あるとしても、その作法は師が発見された、たいへん革新的な内容を開示してくださっています。その一つがアーサナ中の吐く息にフォーカスしていく呼吸の方法であり、それはアーサナを行ないながらもプラーナーヤーマの領域にまで及ぶ内容になっているのです。師が伝授されるアーサナは、まさに瞑想の入り口まで運ばれる力のあるものであり、ヨーガの道のりを速やかに進めていく素晴らしい実践法だと感じます。
(つづく)

アーサナ、呼吸法、瞑想と、それぞれのプログラムで実践している様子

マードゥリー 


ヨーガ・アーサナの力 その1〜アーサナは瞑想のためにある

こんにちは! ヨーガ・瞑想クラスを担当しているマードゥリーです。
今回から、クラスで行なっているヨーガ・アーサナ(ポーズ)について、その実践がもたらす力がどのようなものか、これまで師から教わってきたことや自分自身が感じてきたことをもとに、4回シリーズ(予定)で書いてみたいと思います。皆さまどうぞお付き合いください〜。

ブジャンガ・アーサナ

黄昏時のヨーガ・ヴィハーラのクラス(京都・千本丸太町)

ヨーガ・瞑想クラスは、マハーヨーギー・ミッション(MYM)の各クラスの中でも最もクラス数が多く、開講歴も長いレギュラークラスです。
師が京都にアーシュラマ(道場)を開設されたのが1976年。師の下で学び、ヨーガの素晴らしさに感銘を受けた先輩たちが、一人でも多くの人に提供しようとクラスを始め、それから25年以上が経ちますが、現在に到るまで、クラスはず〜っと同じスタイル(内容・プログラム)で行なわれています。

私自身、MYMのクラスに一受講生として参加したことがヨーガの始まりでした。目まぐるしく日常が過ぎる中、立ち止まって生き方を見つめるきっかけを与えてくれたのがクラスであり、アーサナは自分と向き合うヨーガの第一歩でした。軽い気持ちで足を運んだつもりが、私たちの身体の神秘や呼吸の深まり、さらには心の紐解きなど奥深い内容があることを知り、ヨーガの世界に惹きつけられていきました。

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さて、ここからはアーサナの役割について少し触れてみたいと思います。
全クラスでは、当初から変わることなく、師が厳選された基本アーサナ十数個と瞑想を行なっています。来られる方の体調や進み具合に応じてプログラムは組まれるので、中にはプラーナーヤーマ(呼吸法)や瞑想を中心に行なっている人、より高度なアドヴァンスなアーサナに取り組んでいる人もいます。しかし、どのようなアクロバティックなアーサナであったとしても、アーサナは瞑想のための準備段階として位置付けられています。

『アーサナは堅固で快適でなくてはならない』という格言的な言葉が、聖典『ヨーガ・スートラ』にはあります。本来「アーサナ」とは瞑想の「坐法」のことを意味し、生き物の数ほどたくさんあるともいわれている全てのアーサナ(ポーズ)は、瞑想にしっかりと座るために開発されてきたのだそうです。えっ、座る方が簡単で楽じゃないの?と私も最初に聞いた時は驚きました。しかし、実はシッダ・アーサナ(達人坐)やパドマ・アーサナ(蓮華坐)で両膝が床に付いて安定し、背骨を真っ直ぐにしてどこにも力が入っていない不動の状態で長時間保つことは、とっても難しいのです。坐法の完成は、座ると自然に呼吸が静止し、それによって心も静止することだといわれます。やっぱりそれには相応の修練が必要なんだなと思います。

アーサナは、柔軟性を競うものでも、単に肉体の健康のみを求めるものでもなく、また身体表現の美しさを見せるためのものでもありません。伝統的にも、ヨーガ=「瞑想によって本当の私に目覚める」というゴールに向かっていくための霊的な修練であり、内側から強くてしなやかな身体へと改造し、深く安定した呼吸に変化させることによって心を静寂へと導く、瞑想のための土台を築いてくれるものなのです。

一連のアーサナをやりこんでいくと、プログラム最後には身体と呼吸と心が統一され、坐法がまさに定まったという感覚、研ぎ澄まされた集中感が生まれ、自ずと瞑想へと連れていってくれるのを感じることができます。

 ハタ・ヨーガは高遠なラージャ・ヨーガに登らんとするものにとって、素晴らしい階段に相当する。(『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』より)

*ハタ・ヨーガとは、アーサナや調気法などの修練を中心に行なうヨーガの道。ラージャ・ヨーガとは、瞑想によって真の自己を実現することを意味します。

また、アーサナの実践を続けていくと、毎日の食事が(欲するものがより良質で軽やかなものへ)変わっていったり、環境が調えられていったり(部屋が綺麗になったり?!)もします。不思議に思われるかもしれませんが、それらは心身が調ってきた結果、起こることでもあります。さらには真理を理解する力が養われてくるともいわれます。アーサナによって心が落ち着き、受け入れ態勢ができてくるような感じでしょうか。瞑想するには、まず真理の教えを聞いて、学び、深く考えていくことが基本にあると常々師から教わっていますが、真理の理解を育むことや日常生活を調えることも含めて、瞑想の土台となっていくのだと思います。

ある受講生の方が、クラスに通い始めて3年ほど経った頃、「アーサナをすることが今の自分にはとても大切で、教えが身体を通して入っていく感じがします」と言われたことがありました。アーサナの力は偉大だなと改めて感じました。もちろん、呼吸や心身の変化もあってのことと思いますが、身体を動かして修練を積み重ねることで、ヨーガの教えも頭だけの理解ではなく、自分のものとしてしっかりと身に付いていく、そして着実に瞑想への道筋ができていくのだと思います。
(つづく)

 

マードゥリー