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世界でいちばん心に響く歌

私はとても理性的だと思います。音楽を聞いたり、ピアノを弾いたりして、美しい音楽を鑑賞することも好きですが、アイドルや音楽家を好きになったことは一度もありませんでした。そして、私は無神論者でした。多くの友人に誘われて様々な宗教の集まりに参加し、自分なりにオープンな態度で神の存在を検証しましたが、どの宗教にも納得できるものはありませんでした。

初めてキールタンに参加したのは、ミラバイさんが台湾で行なわれた特別バクティ・サンガム(2015)です。とても印象深かったです。クラスの間、きれいな歌声に浸りつつも、頭の中には一つの声が浮かび上がってきました――無神論者なのに、神の名前を繰り返し歌う日がくるなんて……。でもその後、突然涙が止まらなくなりました。それは、神の慈悲を突如として感じたからです。以前神は、何人もの使者(友人)を通して私を宗教の集まりに招待されましたが、私の高慢と無知のため、目に見えないものは何も信じませんでした。それでも、神は諦めず様々な方法で私を導いてくれました。それで、キールタンを歌っていたまさにこの時、神の御名が無知を覆しました。私は初めて神の存在を感じたのです!

しかしその後、あまり一人ではキールタンを歌っていませんでした。私にとってキールタンは演奏会で聞く交響曲のようなもので、その場では感動しますが、家で一人で歌うと虚しさしかありませんでした。

最近オンラインで台湾バクティ・サンガムの一回目のオンラインクラスを受けました。ミラバイさんは家でも歌うよう勧めてくれて、期間限定の映像の配信もありました。私は一度やってみようと決めました――同じ曲だとしても、ずっと聞いてずっと歌えば、何か違いがあるのかどうかを知りたかったのです。それで、毎日通勤時間に映像を流して、繰り返し歌いました。

ある日、出張帰りの道のりが長く、車を運転しなから映像のどこから聞き始めるか調整できなかったため、(一回目のテーマであった)聖者シュリー・チャイタニアの物語をもう一度聞きました。

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シュリー・チャイタニアはとても聡明で論弁に秀でた、インドの方です。彼は賢くて常に鋭い言葉を用いて相手を論破してきました。論争においては誰も彼をうち負かすことはできません。しかしある日、彼はあるヨーガ行者に出会い、そのヨーガ行者は、チャイタニアが本当の意味で真理を知らないことを指摘しました。そして真理の根源であるクリシュナ神の御名を伝えました。それまでの探求と努力の方向が間違っていたことに気付いたチャイタニアは、知性を手放して、神に全てを開け放すことと、優しく人に接することを学びます。その後彼が教壇に上がる度に、クリシュナの美しいお姿が現れ、もう二度と世間の知識を追求することができなくなり、ただクリシュナだけを愛しました。

               画:サルヴァーニー
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彼の物語を聞いた後、家に着き、その映像を止めて、夕食の買い物に行くつもりでしたが、二曲目のキールタンが始まったので、私は米を研ぎながら歌っていましたが、気付くと止まらなくなってしまいました。外出をやめて、冷蔵庫から食材を出して作り始めました。料理の途中でもお玉を置いてしまって、キッチンで一人で回転しながら大声で歌っていました。音楽が終わったらもう一回、またもう一回聞く。聞きながら、言葉にできない喜びを感じたのです。その時、私は本当に幸せだと思いました。
一人でキールタンを歌って、このように恋に落ちたような熱い気持ちになったのは初めての経験です。そしてその恋の相手は、この美しい世界です。

食事の後、もう一度映像を見てしまいました。先輩たちの歌声にはハーモニーが加えられたのに気付きました。ハーモニーの音程をよく聞き取れるように、集中して聞きました。そのうちに、歌声に吸い込まれたようになって、先輩たちがお互いを見て楽しく歌っている姿を見ながら、すごく感動しました。その感動はまるでお湯のようにブクブク沸騰して、私の目から溢れ、止まらなくなりました。

以前の私なら、すぐ自分に「なぜ泣いているの」と問い掛けたかもしれませんが、もうどうでもいいやと思いました。理性や限りある言葉を手放して、今、この瞬間をただ楽しみたいのだ。

今まで、どんな歌にもこれほどの幸せを感じたことはありませんでした。もし今誰かがここにいたら、私は狂っていると思われるかもしれません。でもこの世界には、芸術のために寝ることも食べることも忘れる人もいる、お金のために、何を食べても味を感じられないくらい没頭する人もいる、愛のために自分を失う人もいる、そして憎しみのために理性を失う人もいます。そして多くの人は、決して未来に持ち越すことのできないもののために、自分の生涯をかけています。そのような行為も、狂人ではないでしょうか。

ヨーガに感謝したいです。たとえ私が狂っても、本当の幸せに狂っているのですから!

(文章:MYM台湾ブログより引用)

MYM台湾:シンユンMYM Taiwan


スワーミー・アベダーナンダ

シュリー・ラーマクリシュナの弟子、スワーミー・アベダーナンダは1866年10月2日カルカッタに生まれ、カーリープラサードと名付けられました。

カーリーは幼い頃から良い成績で、18歳の時には数々の難解な書物を読破し、インドの有名な詩人たちの偉大な作品も読み終えるような知性の持ち主でした。また、その知的関心は学問に留まらず、すべての宗教に対しても向きました。ある時ヒンドゥ哲学者のインド六派哲学に関する講演に感銘を受け、ヨーガを実践したいという強い願望を持ちました。そしてヨーガの師を求めていたところ、友人の一人がシュリー・ラーマクリシュナのことを教えて会いに行くように勧めました。

21歳の時、やっとダックシネシュワルにシュリー・ラーマクリシュナを訪ねることができました。師にお会いすると少しもためらわずに、サマーディの最高境地に到達できるよう、師からヨーガを学びたい、という自らの願望を述べました。師はひと目で若者の魂の深さを見抜かれ、彼の内に潜む広大な霊的可能性にお気づきになって、たいそう喜ばれました。この日以降、カーリーは師の愛情のこもった導きのもと、真剣に霊性向上のための修行を始め、師の恩寵によってさまざまな霊的体験に恵まれました。

師の没後、出家してスワーミー・アベダーナンダの僧名でサンニャーシンとなり、出家道の正統派の伝統にしたがって放浪の生活を送るという傾向に逆らえなくなり、裸足で各地を遍歴し、あらゆる種類の欠乏と困難に耐え、あらゆる苦行を行いました。彼は一般的なヒンドゥの理念に沿って、できるだけ世俗を超越しつつ、厳しい修行と瞑想によって自らの解脱と至高のアートマンの悟りに至るために力を尽くすことを理想としていました。しかし、その頃アメリカにいたスワーミー・ヴィヴェーカーナンダは書簡を送り、彼の人生の使命は、他者に奉仕し、人に生命を与える師の思想を全世界に広めるために、喜んで一生を捧げる僧たちの新しい教団をインドに設立することである、という事実を兄弟僧たちに痛切に感じさせます。ヴィヴェーカーナンダの言葉は師の言葉であると確信して、アベダーナンダは他の兄弟僧たちとともに、彼の信念を受け入れました。

1896年、ロンドンでヴェーダーンタを説いていたヴィヴェーカーナンダの招きに応じて、かの地に赴きます。ヴィヴェーカーナンダは、「インドから到着したばかりの学識ある兄弟僧が、ロンドンのキリスト教神智学協会の次の集まりで、アドヴァイタ・ヴェーダーンタに関する講演を行う」と発表しました。しかし、そのことについてアベダーナンダは事前に相談を受けていなかったので、非常に驚き、ひどく当惑し、極端に神経質になりました。彼はそれまで、英語でもインドのどの言語でも、演壇に立って演説したことはなかったのです。彼はこの件について強く抗議しましたが、ヴィヴェーカーナンダは「私の人生のあらゆる苦難の時に、いつも強さと勇気をお与え下さった、あのお方にお任せしたまえ」と勇気をふるい起こさせる言葉で彼を励ましました。この言葉は彼を安心させ、師の限りない恩寵に頼り、講演を行い、素晴らしい成功をおさめました。このことをヴィヴェーカーナンダは手放しで喜びました。

その後、アベダーナンダはアメリカ、アラスカ、メキシコ、日本、中国、フィリピン、シンガポール、マレーシアなど各地で、師の教えを広めました。彼の魂は休むことを知らず、エネルギーの最後の一滴まで、彼と接することになった人々に霊的恩恵をもたらすために使いました。

ロンドンで一度も経験のない講演を急に行うことになった際の苦難は計り知れません。しかし師の限りない恩寵に頼り講演を成功されました。師にすべてを任せる、ゆるぎない信仰を感じさせて頂けるエピソードです。その信仰はどのようにして育むことができるでしょうか。アベダーナンダの教えを紹介します。

主に対して確固たる、ゆるぎない信仰と強い信仰心を持つことを望むのであれば、あなたはタパッスヤーつまり厳しい苦行も習慣にすべきだ。タパッスヤーとは、当てもなくあちこちをさまよい歩くことではない。その言葉が実際に意味しているのは、規則正しく変わることなくジャパや瞑想を実践し、自制心を養うことである。

強い信仰心と信念を得るために、切なる思いで主に祈れば、神はその祈りを叶えられる。だから次のように祈ることだ。「おお、主よ、喜んで私に不動の強い信仰心とゆるぎない信仰をお授けください。願わくば、私の心とハート(感じる心)は永遠にあなたの蓮華の御足に引きつけられたままでありますように、願わくば、そこから他の方角に迷い出ることのありませんように」と。

『真実の愛と勇気』P244

絵:ロンドンで講演を行うアベダーナンダとそれを見守るヴィヴェーカーナンダを想像して描きました。

サルヴァーニー


今やるべきこと

人は歳を重ねるにつれて、それまで普通にできていたことができなくなっていきます。
関節が動き辛くなったり、筋力や視力が低下したり、記憶力が落ちたり、老化現象として少しずつ現れることもあれば、病気を発症して、一気に大きな変化が起きることもあります。
また、認知症など脳に関する病気の場合、別人格になってしまったのではと思うほど、言動に変化が起きる場合もあります。

私の鍼灸院に来ている患者さんにも変化の時を迎えている人や、そのような状態の家族を介護している人がいます。
自らに起きている変化を受け入れられず、なんでこうなってしまうのだろうと落ち込む人。
病気によって自分が知っている家族がいなくなっていくような感じがして戸惑う人。

肉体が変化し、なくなったとしても、その人の中にある真実の存在は永遠に変わらず存在し続ける。
私はヨーガに出会い、それこそが真実だと思えるようになりました。

しかしそれを知らない人にとっては、そう聞かされても、そうですか、とすぐに納得することは難しいと思います。
そう考えると、落ち込んだり戸惑っている人に対して言うべき言葉が見つからないことがあります。

このような時、具体的な実践の手掛かりを掴むために、マザー・テレサが残した言葉を読み返します。
先日読み返したときは、この言葉が特に印象に残りました。

私たちの言葉などはどうでもいいのです。大切なのは、私たちを通して神が魂に語りかけられることだけなのです”

この言葉を私自身に当てはめると、神は師であるヨギさん、魂は誰もの中にある真実の存在、となります。
1人でも多くの人に、私を通してヨギさんに語りかけて頂けるよう、私自身が誰もの中にある真実を揺るぎなく信じ、ヨギさんへの想いでいっぱいに満たしておくこと。

それが今やるべきことなのだと、この言葉を読んで確信しました。

この写真のマザー・テレサの表情が大好きです。

 

   ハルシャニー  


スワーミー・プレーマーナンダの強さ

スワーミー・プレーマーナンダ(1861〜1918)という聖者をご存知でしょうか?

師であるシュリー・ラーマクリシュナに「骨の髄まで浄らかで、不純な思いが心身を横切ることがない」と言われるほど、生まれながらにして純粋な魂であり、兄弟弟子のヴィヴェーカーナンダと共にラーマクリシュナ・ミッションの礎を築いた聖者の一人です。
その生涯はヴィヴェーカーナンダのように表舞台に出ることはありませんでしたが、僧院の管理者としての責務を担い、信者を神と見てその奉仕に身を捧げました。

そんなプレーマーナンダの生涯に触れると、特に二つの打撃を乗り越えて、元来の純粋さに加えて「強さ」が備わっていったことが感じられました。
一つは師シュリー・ラーマクリシュナとの別れ、もう一つはヴィヴェーカーナンダとの別れでした。
その時、プレーマーナンダは考えました、自らの為すべきことをーー

一つ目の打撃の時、プレーマーナンダは「師の導きに従うこと、神を見ること、真理の実現」を覚悟し、二つ目の打撃の時は「ヴィヴェーカーナンダの仕事を力の限りを尽くして続けていくこと」を覚悟し、それらを誠実に徹底してやり通したのでした。

これらの詳しい内容は、『真実の愛と勇気』(日本ヴェーダーンタ協会)、Web版『パラマハンサ』(マハーヨーギー・ミッション)に載っています。

人は打撃を受けた時、どうすればいいのか?
今、何を為すべきか?
プレーマーナンダの生き様に、そのヒントがあると思います。

最後に、私が感銘を受けたプレーマーナンダの力強い教えを紹介させていただきます。

信仰を呼び覚ませーーグルの言葉への信仰、聖人の教えへの信仰、聖典への信仰である。それで初めて結果が得られるのだ。単なる感傷的な態度は何の役にも立たないだろう。あなたはこのような力強い決意を持つべきであるーー「私は、この人生において何としても成功を収めなくてはならない。執着を離れ、まさにこの肉体から自由にならなくてはならない。私に不可能なことがあるはずがない」と。あらゆる恐れと不安を投げ捨てよ。「私たちは神の子である」と考えよ。そうすれば、弱さはつけ込むすきを見出せないであろう。

ーーー『真実の愛と勇気』p132

 

ゴーパーラ


師からのことば

試練を乗り越える
「努力です。あと必要なものは純粋さというものでしょうね。それがあれば必ず道は開けますよ、必ず」
「努力と言ったのは勇気と実行のことです。どんなに重そうな大きいドアでも、叩けば開きますよ、必ず」

『マハーヨーギーの真理のことば』より

 

2年ほど前から『ラーマクリシュナの福音』を毎日読み、その日、気になった教えをノートに書き留めてきました。(その記事はこちら→『ラーマクリシュナとの約束』、『ラーマクリシュナとの交換日記』)

毎日続けていくと、それはラーマクリシュナと私だけの約束事のように思えて、なくてはならない掛け替えのない時間となっていました。そんな素晴らしい時間だったので『マハーヨーギーの真理のことば』が発刊された際には、待ってましたー!とばかりに『ラーマクリシュナの福音』を読む日課の中に、『マハーヨーギーの真理のことば』も毎日読み、その教えを書き留めることを加えました。

歓びの中で喜々と始めた日課。しかしそれは予想外に変化していきました。『マハーヨーギーの真理のことば』を読み進めるにつれ、内容の深さ、重みに衝撃を受け、少し怖く感じていきました。師は本当にこれからもサットサンガ(真理の集い)をしてくださるおつもりなんだろうか・・・。それほど、すべてがここに記されていると思える内容だったからです。

さらに正直に告白すれば、コロナ禍以降サットサンガ休止はやむを得ないとは思ってきたけれど、毎日、本を読み、師のことばに触れることによって師の存在がより大きくなってきて、師に会えないのがやっぱり切ない、早くサットサンガで師の生の声を聞きたい・・・と思いが募り、余計に悶々と涙する日々でした。

そんな折、師は御入滅されました。アーサナ、瞑想、聖典の学習は、たった一日でも怠ると師との約束を破る気がしました。師のご容態のことを聞いた日も、そして御入滅された日も、ご葬儀の日も、それだけは止めたらいけないと、祈る思いで淡々とサーダナ(修練)を続けました。

日が経つごとに本を開くその時間が、師のご不在を実感することに繋がり読むのが辛くなっていきました。表紙を見ると、じっと止まってしまい、なかなか開けない・・・。しかし、一番辛い時、やっぱり自分には師の教え、ヨーガを実践することしかないと最後はそこに戻ります。それに、師はじゃあ何のためにこの聖典を私たちに遺してくださったか? そう思うと、どんな精神状態であっても・・・と本を開きます。

聖典と向き合う事自体が辛いという複雑な心境でしたが、その辛さを取り除き祝福を与えてくださるのもまた聖典の背後にあるものでした。そのようにして現実から逃げないように師が導いてくださっていました。胸の中で師へ思いを吐露したり感情的になったりしながらも、師と強烈に繋がっている絆を感じ、教えを実地で生きるようにと仕向けられていて、実は辛さによって私はドアを強く叩き、大きなドアが開かれるよう導かれていることに最近気付いてきました。

『マハーヨーギーの真理のことば』の教えを書き綴ってきたノートを読み返してみると、何度も師の同じ教えを自分が繰り返し書いていました。
生きていると、日々いろんなことに直面しますが「・・・どうしたらいいか分かりません」毎日、私は師に問いかけ求めていました。夜、パラっと開いたページを読みます。聖典を通していただく答えは、師から届く手紙のようです。


逃げずに立ち向かう

「忍耐、そして直面して努力すること。その時うまくいくかいかないかの結果は別として、どちらであったとしても一つの克服は達成できる。逃げるのは駄目だよ。
本当に私たちの心というのは、結果の良し悪しに凄く惑わされてしまっているけれど、実際はどちらでも同じことなの。どちらでもいいの、そんなのはね。その物事に真面目に向き合って、そして行為するというだけでいい。やがてそれが心を強くする、つまり克服するという偉大な結果を招くことに気が付く」

「変えなければいけないもの、そして変わることのできるものは自分自身、自分次第だということです。それに徹底すれば、たとえどんな自分の至らない面が出てこようと、その原因は自分自身の中にあるということを認めざるを得ません。全ての混乱の解決法は、やっぱり自分の中にしかありません」

「自分の能力は百パーセントかもしれない、しかし信仰によって、またこのヨーガの力によって、プラス九百パーセントがやってくる。するとそれが千パーセントになって発揮されていく、そういうふうに形容される。だから存分に百パーセントの注意を注いで対応すればいいと思う。でもその前に、やはり心を神に、または理想の真理に開け放しておくということで、その九百パーセントの通路が開かれると思います」

「本当の自分というのは、他でもないあなた自身の中に在るあなた自身です。また、神はいったいどこに在るのか。あなた自身の中に在るのです。真理はどこに―あなた自身の中に。これは明白なことです。ですから、神への瞑想が最も実用的です。そうして心が静まれば、神は独りでに顕れます。神への瞑想を続けてください、どこでも、いつでも」

『マハーヨーギーの真理のことば』『ラーマクリシュナの福音』の二冊の聖典。それぞれを書き留めるノート二冊。

本とそれぞれのノート

そう、どこでも、いつでも、心が静まれば、神はきっと顕れる。ですよね、ヨギさん!

 

ナリニー


ナーグ・マハーシャヤの信仰

シュリー・ラーマクリシュナの家住者の高弟ナーグ・マハーシャヤは、1846年8月21日東ベンガルに生まれました。
初めてシュリー・ラーマクリシュナに会ったとき、彼はインドの習慣を遵守して御前に伏して師の御足の塵を取ろうとしましたが、師は足を引き、触れることをお許しになりませんでした。彼は自責の念にかられ、聖人の神聖な御足に触れるのにふさわしい人間ではないのだ、と自らを納得させました。
その後、師に寺院の境内を案内されて、師の寺院での生き生きとした信仰と素晴らしい振る舞いを見て、彼は師の素晴らしい純粋さ、神聖さ、そして献身に魅了されました。
帰る道すがら、彼は師について考え続けました。この日の経験は、彼の心に消えることのない印象を残し、神を認識したいという、燃えるような願望を訪れさせました。睡眠や食事を取ることも無頓着になり、人と話をするのもやめて、一緒に寺院に行った友人相手に、師についてだけ話をしました。
翌週、友人と師を再訪すると、気が狂ったようなムードの彼を見て、師はとてもお喜びになります。ですが彼の心には喜びと悲しみの入り混じった感情がありました。なぜなら師に仕える喜びと同時に、最初の会見でのことを思い出したからです。
後日、彼は一人で師を訪問しました。師は医者である彼に「私の足を診察してもらえないか」と言います。彼は師の足に触れてよく調べましたが、特に問題はないと答えました。師は再びもっと慎重に調べるように頼みます。そして彼はさらなる熱意をもって師の御足に触れました。
そのとき、彼はグルがいかにして弟子の要求を満たし、困難を取り去るのかを実感しました。グルの思いやりから生まれるささやかな行為が、誠実な弟子にとっては、自分への愛に満ちた行為として実感されます。ましてや彼にとっては、それは言葉に尽くせぬ感激でした。最初の訪問のときに、師の御足に触れることを許されなかった彼の深い悲しみは慰められました。そして師の御足に触れるという恩恵を与えられた今、自分が恩寵にあずかったことを知り、涙が頬を伝わりました。彼はその瞬間、師が人の姿をした神であることを確信しました。
後に、どうして師を神と知ることができたのか、と尋ねられた彼は次のように答えています。

「(略)誰も、師の祝福なしで、師を理解することはできません。たとえ一千年にわたる厳格な苦行を行っても、師が慈悲をお示しにならなければ、師を悟ることは不可能でしょう」

ナーグ・マハーシャヤのシュリー・ラーマクリシュナへの信仰を決定づけた、この出来事を想像して絵に描きました。

サルヴァーニー


ニルヴァーナ(涅槃寂静)

暑中お見舞い申し上げます。
厳しい暑さが続いていますが、お変わりなくお過ごしでしょうか。酷暑の折から、くれぐれもご自愛のほどお祈り申し上げます。

さて、夏の暑い日、ブッダを思うのは私だけでしょうか?
燃え盛る煩悩の火、欲望の渇きが消えたブッダーー私はブッダを思うと心静まり、涼を得ます。

「修行僧よ、この舟から水を汲み出せ。汝が水を汲み出したならば、舟は軽やかにやすやすと進むであろう。貪りと怒りとを断ったならば、汝は安らぎ(ニルヴァーナ)におもむくであろう」

ーーー『ダンマパダ』369

猛暑が続きますが、少しずつでもニルヴァーナ(涅槃寂静)を目指して前進していきましょう!!

 

ゴーパーラ


ブッダから届いた宝物

木曜日と土曜日に、京都、大阪で開講されている瞑想入門のクラスでは、講師のゴーパーラさんならではのヨーガ行者としての鋭い視点で、瞑想やこの世界の理、心のしくみについての興味深いお話が聞けて参加者たちの質問も活発です。先日は、ブッダってどういう人だと思う?という投げかけからそれぞれのイメージを共有し合い、ブッダを身近に感じてよりブッダが好きになってしまいました♡ 「入門」というだけに素朴な質問がしやすい雰囲気があり、質疑応答を通じたみんなでの交流も楽しく、また、瞑想の時間はピタッとした静けさと集中があり、メリハリがあります。

そんな瞑想入門クラスに熱心に通われているNさんは、「自分はまだまだ真理やヨーガを信じられていない」と包み隠さず話されます。ある日のクラスで、「真理があるか、ないかを確かめたい」と真剣に言われました。ゴーパーラさんは、ブッダの教えにもある「たとえ古い聖典が出てきてもそれを盲目的に信じる必要はない」という言葉を紹介され、師も同じように仰っていることを話されました。

師は「まずヨーガを進めていくには、それまで経験で培った観念とか概念とかいう心の秤を無視するところから始める、あるいは疑うところから始める。またその聖典とか真理の言葉といわれるものも、鵜呑みにする必要はない。ただし、その両方についてよくよく考え、そして瞑想して、間違いのない答えが出てくるまでそれを探求しなければいけない」と説かれています。

まさに師のこの教えの通り、探求の真っ只中のNさんと私たち。ゴーパーラさんは、瞑想を山登りに例えられ、学生時代に行ったチベットの高度5000メートルの山で、高山病になったことを紹介されたことがありました。どんな山を目指すかは人それぞれ。目指している山が違ってもいいけれど、でもどんな山を目指すにしても頂上に辿り着くためには、やらないといけないことがある。それは土台作り。基礎体力が必要! その基礎作りが瞑想入門のクラスなのです。基礎は何度も繰り返し学び実践することで強固になるなぁと私は感じています。

とっても為になる実践的な瞑想入門クラスなのですが、実は参加人数が少なくて(涙)クラス宣伝のため、チラシ蒔きを兼ねて数人でインドカレーのお店に行く機会がありました。私はそこでNさんと初めてゆっくり話しました。Nさんは、すっごく正直で、真っすぐで、ある意味、師の教えの言葉を地で行く(!)絶対に何も鵜呑みにしない人(笑)なんだなということを感じ、何てヨーガ向きな人なんだ?!と思いました。真理も神ももちろん全く鵜呑みにはせず(笑)、自分自身で確かめながら、着実に道を歩んでこられたんだと分かりました。Nさんは師のサットサンガでも師に、疑心暗鬼になるんです、神という存在についても信じられないです、どうやって信仰する神を選ぶのですか?というような正直な質問をたくさんされていました。私はNさんに対して、疑心暗鬼だと言われながらも、でもこんなにも熱心にサットサンガやクラスに参加し、これだけヨーガを続けられるその理由は何なんだろう??凄いなと密かに思っていました。お話してその謎が解けました、Nさんは師の存在にただただ惹かれている! 好きになってしまっている♡

さて、そんなNさんからあるエピソードを聞きました。Nさんが書いてくださったそのエピソードをここでご紹介したいと思います。(ナリニー)

* * *

 

「まあ、なんてかわいらしい仏様!」
2019年12月8日、この絵はわたしのもとに届きました。
その1週間前、師の特別サットサンガの日、瞑想の対象を決められずにいたわたしは

師に「神様に来てくださいとお願いしてもいいですか」と尋ねました。
師は「お願いしてもいい。その中で親しみのもてた神を信仰すればいい」と
仰ってくださいました。

それから数日後、知人から「Kさんが、渡したい絵があると言われている」というお電話がありました。Kさんは長年マザーテレサの下で奉仕活動をされている方だったので、わたしは「もしかしたら、キリスト様かマリア様が家に来られるのかなぁ」と思っていました。

そして、12月8日、ブッダが悟りをひらかれたその日、この絵はわたしのもとへ。
以来、ずっと見守ってくださっています。

師のはからいによってもたらされた宝物です。

 

ブッダの版画
N 

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『あるヨギの自叙伝』〜ヨーガーナンダとスリ・ユクテスワの出会い〜

パラマハンサ・ヨーガーナンダの『あるヨギの自叙伝』を初めて読んだときに一番印象に残った章が、第十章のヨーガーナンダが師であるスリ・ユクテスワにめぐり会う場面です。以下、要約してご紹介させていただきます。

高等学校の課程を修了したヨーガーナンダは、霊的訓練を受けるためにベレナスの僧院で生活していました。僧院と合わず苦悩に打ちひしがれていた頃、偶然出かけた市場の狭い小路の外れに、黄褐色の僧衣をまとったキリストのような男が立っているのを見かけました。その顔は一目見ただけで昔からよく知っている顔のように思われましたが、誰かと間違っていると疑い、通り過ぎて離れました。すると10分ほど行くと足が重たくなり動けなくなり、戻ると足は軽くなり、再び離れようとするとまた足は重くなりました。先ほどの聖者が磁力で自分を引き寄せているのだ!と考えて、飛ぶように小路に引き返しました。その人影はまだそこに静かに立ったまま、じっと自分の方を見つめていました。急いで駆け寄り、その足もとにひざまずきました。「グルデーヴァ(尊い先生)!」その神々しい顔は、これまで何百回となく幻に見た顔でした。「おお、わが子よ、とうとう来たか!」師は、この言葉をベンガル語で何度もくり返しました。その声は喜びに震えていました。「何と長い年月、お前の来るのを待ったことだろう!」あとはもう言葉の必要はありませんでした。沈黙のうちに、二人の心は溶け合ったのでした。

なんという運命的な出会い!文章から情景が思い浮かび、師と弟子が出会い喜び合う姿に理由もなく惹かれました。いつでも本を開いてこの場面を読むと、感動して胸が高鳴り震えます。この大好きな場面を、想像して絵に描きました。

サルヴァーニー


“至福に浸る聖女” アーナンダマイー・マー

『あるヨギの自叙伝』で、ベンガルの“至福に浸る聖女”として紹介されているアーナンダマイー・マーは、1896年4月30日に、東ベンガルで生まれました。

「私は、このかりそめの肉体を自分として意識したことは一度もございません。この地上に生まれる前も同じでした。子供のころも、私は同じでした。成長して女になっても、私は同じでした。(中略)今後、神様のおつくりになったいろいろなものが永遠の舞台の上で、私の周囲を踊りながらどんなに移り変わって行っても、私はやはり同じでございましょう」

『あるヨギの自叙伝』P472

グルは一人もおらず、聖典なども全く知らなかったにもかかわらず、『あるヨギの自叙伝』に載っているこの言葉に表されるように、アーナンダマイー・マーの生涯は一貫して本質と一つでした。36歳頃からは、家を持たず、旅を続けていて、一カ所にわずか二、三日、多くても二、三週間留まるのみという生活をされました。いっさいの執着を棄てて、心のすべての思いを神に捧げました。個人的な好き嫌い、熱望や反感、努力や葛藤、恐れや怒りが全く無く、自我意識と見なされるようなものを表わさず、神の意思・意図と解釈されるケヤーラと呼ぶものに従って行動されました。

至福に浸ると形容されるアーナンダマイー・マーですが、私はその生涯に触れて印象に残ったのは、放棄です。生活面や物質的な放棄はさることながら、心の放棄が完成されていました。常に神の意思・意図に従って行動され、通常の原因と結果の過程に左右されない完全に自由な状態だったからこそ、その目は片時も神から離れなかったのだと思います。

アーナンダマイー・マーの心の放棄を見倣うためにはどうしたらいいでしょうか。その質問の答えが残されています。

「失われることのない彼を思いなさい。彼だけを瞑想しなさい。彼、すなわち美徳の源泉である者を。彼に祈り、彼に頼りなさい。ジャパと瞑想に、もっと時間を割くようにしなさい。彼の御足の下に、あなたの心を明け渡しなさい。ジャパと瞑想を、途切れることなく持続させるよう努めなさい」

『シュリ・アーナンダマイー・マーの生涯と教え』P154

 

絵:アーナンダマイー・マーとヒマラヤ山

1927年アーナンダマイー・マーと側近たちは、ヒマラヤのリシケシとハルドワールにある神聖な巡礼の地を訪れました。その後も北インド全体を常に歩き回り、宗教的な祝祭、キールタンとサットサンガが行われたそうです。

サルヴァーニー