聖者と教え」カテゴリーアーカイブ

もうすぐジャヤンティー!

見上げれば天高い青空に真っ赤に染まった葉や眩しいほどの黄色い葉。真っ黒な土からは常緑の艶やかな緑が。朝降ったばかりの透明な雨の雫。外の世界を織り成す色彩が一斉にカラフルな光を放ち、秋の空気の中でしっとり調和し静けさを醸し出す特別なこの季節。自然の背後にある大いなる存在を感じてため息が出ます。

いろんな色の葉

いろんな色の葉

『ラーマクリシュナの福音』の中で、ラーマクリシュナがこんなことを仰っていました、
神はさまざまの形を持ち、さまざまのやり方でお遊びになる。
彼はイーシュワラ(人格神)として、デーヴァ(神)として、人として、そして宇宙としてお遊びになる。
あらゆる時代に、彼は人びとに愛と信仰とを教えるために、人の姿をとって化身として地上に下りていらっしゃる」。

これを読んで思うのは・・・やっぱり師のこと・・・。
もうすぐ!最愛の師が御聖誕された11月23日、サットグル・ジャヤンティーがやってきます!!!大切な師がこの世に御誕生された日です。
そしてその日、ついに師の教えの新しい書籍『マハーヨーギーの真理のことば』が出版されるということなのです。さらにまた、長く親しまれてきた書籍『ヨーガの福音』が台湾でも出版されるということ。一刻も早く読みたい!!という自分の思いは抑えつつ……冷静に考えると、師のお言葉が本になるということは、本物の真のヨーガの普遍的な教えが多くの方に届けられるということ。師と弟子の一対一の間で交わされた霊的な問答のその中身がその場にいなかった人々にも公開されるということ。私はこのホームページで紹介された本の目次を読んだ時、師は師の一切すべてを出し惜しみなく、これほどまでにここで出し尽くされるのか・・・と驚愕しました。こんなにも師は、この本という形をも通してご自身を捧げられたのだと呆然としました。人々への愛の本だと思いました。真剣に生きることと向き合っている人に必ず届いてほしいです。

私はある時、先輩から師であるヨギさんについて「ヨギさんは弟子を導くために存在されている」とはっきりと言われました。「弟子」とは、今、師に直接お会いできた者たちだけではないと私は思います。師は、ブッダの教えにある「私の肉身を見る者が弟子ではなく、私の教えを知る者が私の弟子である」と仰られているからです。
だからもし、今あなたがこのページを真摯に読まれているのなら、あなたも弟子なのだと思います。また未来に師の教えの書籍を読まれてヨーガの教えを生きようとする人も弟子なのだと思います。ヨーガという道を知り、真剣に自分のこの人生を歩もうとする者は、みんな同じ一つの根源から繋がる弟子だと私は思います。

真理はまず聞いて、考えて、そして瞑想して」と師は仰っています。まず聞く、それがなければ次の「考える」に進めないので、今すぐ師にお会いできない場合のためにも教えが記されている書籍、聖典が必要です。
聖典について、過去の『パラマハンサ』(会報誌)のある記事にこう書かれていました、「インドにおいて聖典とは、書かれた書物ではなく、口伝されてきた聖者の言葉、すなわち真実の悟りを啓いた人の言葉である」。
ということは・・・『マハーヨーギーの真理のことば』は聖典中の聖典。師の口から語られたその時その瞬間のお言葉が記録されてきて、それが脚色なくそのまま活字となった本だからです。真実の悟りを啓かれた聖者は、他者のためだけに言葉を発してくださっています。そんな言葉がこの地球上にあるのかなと思います。純度100パーセントの清らかなそんな言葉が。

『ラーマクリシュナの福音』の中でラーマクリシュナがこのようにも仰っていました。
イーシュワラ・コーティ(この世に特別の使命を持って生まれてくるすでに完成された魂)以外の者は、誰一人、サマーディに達したあとに相対意識の段階に戻って来ることはできない。普通の人々の若干は、霊性の修行によってサマーディに到達するが、彼らはそこから戻ってはこない。しかし神みずからが人として、一個の化身として、他者の解脱の鍵を握って生まれてこられる場合には、人類の福祉のために、その化身はサマーディからこの世の意識に戻って来るのだ

かのラーマクリシュナがこう仰っているということは、本当に他者のためだけにこの世にお生まれになり、肉体を保ち、留まってくださり、人々に愛と信仰を教えてくださる慈悲深き御方、神の化身がおられるということ。

・・・ジャヤンティーまで、あと三日。出席される方も出席されない方も、それぞれのところから最大の感謝を最愛の師にお捧げすることができますように!!!

*参考『ラーマクリシュナの福音』

一(ひとつ)の存在

一(ひとつ)の存在

 

野口美香 


カーリーをもっと近くに!

初めてカーリー・マーのお姿を目にしたとき、「これが神様なの?しかも母なの?」と心の隅で思ったように記憶しています。それほど強烈なヴィジュアルの持ち主ですが、彼女を慕うようになって数年経った今感じているのは、私にとって彼女は、大きくて穏やかで、慈しみと愛情に満ちた、まさに母そのものだということです。

『あるヨギの自叙伝』の中に、パラマハンサ・ヨーガーナンダとマスター・マハサヤとのエピソードが出てきます。その章ではマスター・マハサヤが聖母様と絶えず交流されている様子が描かれています。聖母様がカーリーであるとは書かれていないのですが、そこに記された宇宙の母についての一節がとても好きで、その描写を読むと私は、カーリーのことを思い浮かべずにはいられなくなります。そして彼女の底知れぬ愛を感じて、何とも言えない安心感とあたたかい気持ちに包まれます。

「天の母に子供のような心で近づいて行った歴代の信仰者たちは、彼女が常に自分と遊んでくれていることを証言している。マスター・マハサヤの生涯においても、聖母様が、事の大小に関係なく彼と戯れておられる情景がしばしば見られた。神の目には、大事も小事もないのである。もし神が、原子をあのように精巧に造られなかったならば、大空もあの壮大な天体の構成を誇ることはできなかったであろう。神は、この宇宙が一本のねじくぎの緩みのためにくずれ去るようなことのないように、どんなささいな事にも等しく心を注いでおられるのである。」

『あるヨギの自叙伝』P84より引用

私がどんな存在であるかは全く関係なく、彼女に無条件に愛されてここに存在しているということを知りました。カーリーが常にすべての存在に対して愛情を注いでおられるから、今のこの瞬間も宇宙が保たれています。どんな存在も、等しく彼女が世話をしている子供です。母親に見守られて無邪気に遊ぶ子供のように、カーリーが展開し、維持しているこの世界で私も、生まれてきた歓び・生きる歓びを存分に味わいたいと思っています。

そして、かつての聖者たちが彼女と交流してきたように、私も彼女と本当に話してみたいと思っています。それが叶った時には、何を話そう、どんなことを聞いてみよう、どんなお声で答えてくださるのかな?なんてことを想像してはワクワクしています。最も近しい母なのだから、実現できないはずがない!と思っています。

もっともっと彼女に親しんで近づきたいと思い、あるものを作りました。それは粘土で作ったマスコットです。かなりデフォルメしているし、お見せできるほどの出来栄えでもないのですが(と言いつつ堂々と写真を載せています…!)、私にとってはかわいいカーリーです。

デリケートな素材だったため、ニスを塗って持ち歩けるようにしました。

なぜマスコットなのかというと、幼いころの自分を思い出したからです。よく、お気に入りのキーホルダーや小さな人形を肌身離さず持ち歩き、それが本当に命のある友達のように思って、心の中で話しかけたり一緒に遊んだり、いろんな経験を共有したりしていました。その時と同じように、神様とも親しみを込めてふれあい、常に一緒にいることを忘れずにいたいなぁと思い、自作してみました。

これから、この小さなカーリーがいつもそばにいてくれると思うだけで、私の心は喜びでいっぱいになります。彼女とどんな時間を過ごせるのか、とても楽しみです!

大森みさと


アベダーナンダからのメッセージ

主に対して確固たる、ゆるぎない信仰と強い信仰心を持つことを望むのであれば、あなたはタパッスヤーつまり厳しい苦行も習慣にすべきだ。タパッスヤーとは、当てもなくあちこちをさまよい歩くことではない。その言葉が実際に意味しているのは、規則正しく変わることなくジャパや瞑想を実践し、自制心を養うことである

10月2日は、シュリー・ラーマクリシュナの直弟子スワーミー・アベダ―ナンダの御聖誕された日です。私はアベダ―ナンダのことをほぼ何も知らない時に彼の単刀直入なその言葉に出会い衝撃を受けました。彼の口を通して届けられたその真理のメッセージに耳を澄ませました・・・

Abhedananda

彼の出家前の名前はカーリープラサード。知性に恵まれ宗教的で哲学的思索に優れていた彼は、真理を求める中で「哲学者になりたい」と思っていました。ギーターを熟読し、霊的な叡智を渇望し、ヨーガを実践したいと切望しますが、友人から適切な指導者なしにヨーガ・スートラを実践してはならないと言われ、真に悟りへ導いてくれる師を求めます。その時ラーマクリシュナとの出会いがありました。
師の没後は僧院の一部屋が「カーリー・タパスウィの部屋」と呼ばれたほど一日中その部屋で厳格な霊性修行とヴェーダーンタ(究極的真理)の研究に没頭し、後には遍歴の旅に出て厳しい修行生活を約10年間送ります・・・しかし転機が訪れます。

リーダーであるヴィヴェーカーナンダは、自分たちは個人の解脱を望むのではなく、他者に奉仕し、師の教え、永遠の真理を世界に広めるために喜んで一生を捧げることが使命だと考え、兄弟弟子たちへ痛切にそれを感じさせました。ヴィヴェーカーナンダがアメリカそしてロンドンへ渡った頃、彼はアベダーナンダに共に加わって師の思想を一緒に広めるようにと頼みます。ヴィヴェーカーナンダの言葉は師の言葉だと確信していたアベダーナンダはロンドンへ行きます。ヴィヴェーカーナンダは事前にロンドン市民へ「インドから到着したばかりの学識ある兄弟僧が、アドヴァイタ・ヴェーダーンタ(不二一元論)に関する講演を行なう」と先に発表し、それは新聞でも速報されました。演説など全くしたことがなかったアベダーナンダは、それを知ってひどく困惑してヴィヴェーカーナンダの無分別なやり方に強く抗議します。しかし、ヴィヴェーカーナンダは言いました「私の人生のあらゆる苦難の時に、いつも強さと勇気をお与えくださった、あの御方にお任せしたまえ」。
・・・アベダーナンダは師の限りない恩寵に頼り、当日、姿を現します。ホールは超満員、彼の講演は素晴らしい成功をおさめました。ヴィヴェーカーナンダのイギリス人の弟子によると「ヴィヴェーカーナンダは『仮に私がこの次元で死んだとしても、私のメッセージはこの愛すべき者たちの口を通して伝えられ、そして世界はそれに耳を傾けるだろう』と考えておられたようだった」。
ヴィヴェーカーナンダは、アベダーナンダに仕事を引き継ぎインドへ戻ります。ロンドン、ニューヨークと、アベダーナンダは、さらに師の教えを伝えるため多種多様な活動を続けました。その間には数々の困難や、彼の成功を嫉妬したある宗教者たちからの陰口を受けることもありましたが、アベダーナンダはいつもの活力と落ち着きを決して失わず仕事を続け、多くの人々が彼のメッセージに耳を傾けました。異なる文化の重要な国々に、彼は師の教えを広め続けました。25年間も。

彼がほとんどの講演で話されたことは、思いの清らかさと、身分や宗教や国籍に関係なくすべての人を愛する精神を養う、ということ。
神を信じるか信じないかに関係なく、自制心、集中力、正直さ、すべての人に対する無私の愛があれば、我々は霊的完成への途上にあるのです」。その四つが欠けているなら、その人の信仰は言葉だけのものだということ。彼自身はそのすべてを体現されていたからこそ、様々な困難があっても25年間もの間、異国の地に留まって人々のために師の教えを伝え届けるという真の宗教者の仕事に喜んで一生を捧げ、その使命を果たされたのだと思います。

Vivekananda Avhedarnanda

ヴィヴェーカーナンダと、二度目のヴィヴェーカーナンダの渡米に同行したトゥリヤーナンダと、ニューヨークのヴェーダーンタ協会を任されていたアベダ―ナンダ。彼らは共に師の教えを人々に伝えた。
ニューヨークにて、左からヴィヴェーカーナンダ、トゥリヤーナンダ、アベダ―ナンダ。

また、博識多才だった彼は多作な書き手でもあり、著作は非常に分かりやすい文体で豊かな情報と深い哲学を含んでいたことから、彼の語った言葉を直接聞けなくとも様々な国のもっと広い範囲の人々へ、その活字となった思想が影響を与えました。57歳の頃にインドへ戻った彼は、人々に霊的恩恵をもたらすため休むことなくエネルギーの最後の一滴まで使いました。

私はアベダーナンダの言葉から、困難な状況があっても状況のせいにしたり、また状況そのものを変えようとする必要はないことを学びました。神から与えられたその状況に留まって、そこで自分の内面を変えることによって、好ましくない状況を自分にとっての好ましい状況として受け入れることができると。それは毎日の規則正しいヨーガの実践によって。
良くするも悪くするも、何事も自分次第!」と師であるヨギさんから教わったことと一致します。アベダーナンダからのメッセージに耳を傾けると、自分にとってはマイナスだと感じている状況さえもがヨーガを生きるための不可欠な材料である!と私たちを鼓舞してくださっているように感じます。
聖者からの言葉は特別であり、それが活字であっても翻訳された言語であっても、時空を超えて直接届くのだと思います。その聖なる振動は消えません・・・

「内面の安らぎと充足感がなければ、人はどこへ行っても落ち着きのなさと苦痛を感じるだろう。あなたの識別能力を使って自分の心の周りに壁を張り巡らすことだ。外部の事情という邪魔ものがあなたの心に入り込むのを許さないように。これがサーダナ―(霊的修行)であることを知ることだ。あなたは俗世に心にかなう場所を見つけられない。好ましくない状況を好ましい状況に変えることを学ぶように。自分の心を耳から引き離すと、馬車のゴロゴロという音が聞こえなくなる。自分の持ち場を守り、主に祈るように。神は我々の助け手、そして大黒柱であられる

当面のあなたの務めは、神の御心に完全に服従することである。あなたの取るに足らない願望は実現されない以上、それはきっぱり諦め、完全に神の御意志にお任せして漂うが良い

世間の束縛を感じていて、平安を見い出していないという状況自体、精神世界においては向上の手段である。
あなたが着手した仕事は礼拝することであると自覚しつつ、あなたは神に仕えているという考えを肝に銘じて、労働の成果を神に捧げよ

アベダーナンダ!この世に生まれてきてくださって、師の教えを多くの人々に届けてくださって、本当にありがとうございます!!!今もこうして私たちに伝わっています!!!

*参考・引用・抜粋『真実の愛と勇気 ラーマクリシュナの弟子たちの足跡

野口美香 


ラーマクリシュナとの交換日記

鱗雲

辺り一面、青の世界・・・

夜になる直前の時間。海の底みたいなインディゴブルーの空に、宝石のような秋の鱗雲が広がっていました。

9月23日は秋分の日でしたね。この日を境に、日の出は遅く、日の入りは早くなっていくとか。そんな秋の夜長には、じっくりと読書もできそうな気がします。師の教えの新刊が待ち遠しいです。

昨年秋のバクティ瞑想専科のクラスをきっかけに『ラーマクリシュナの福音』を毎日読みだし、もうすぐ一年。私は文字を読むのが割と好きなため読む時は没頭して一気に読み終えることが多いですが、聖典、特に聖者の生涯になるとそうはいきません。なんというか・・・終わってほしくないのです。
だから『ラーマクリシュナの福音』も後半ぐらいから、できるだけ終わりに近づかないように、ゆっくりゆっくりとスピードを落として読みました。それでもやっぱり終わりはくるもので、遂に最後の行を読み終えてしまい、寂しい感情に襲われる前にすぐさま1ページ目に戻り、何事もなかったかのように最初から読み始めて事なきを得ました。今は、最初の段階からゆっくりと読むことを学習したので超スローペースで読んでいます(笑)

バクティ瞑想専科で「『ラーマクリシュナの福音』には当時の日付も記録されているから、例えばその日付ごとに気になるところをノートに書き留めたりするのもいいよ」と教えていただきました。受講していた時はそれを出来ていませんでしたが、クラス終了後にすぐきっかけがあり毎日ノートに書き留めるようになりました。 一カ月ほどたった頃、ふとノートを読み返しました。そこには自分にとっての特別な言葉だけが宝石のように散りばめられていました。どこを読んでもラーマクリシュナから直接いただいているかのような、とっておきのお言葉ばかり。その日記はだんだんとラーマクリシュナと私だけの特別な交換日記のようになっていきました。

毎日、本を読むことが、私の中ではラーマクリシュナとの約束ごとになっていたので、いつも待ってくださっているように感じていましたが、さらにお言葉を書き留めていくと、それはもっともっと特別な意味合いを持っていきました。 時にはその時間がなかなか取れずに日をまたいで0時を過ぎてしまって焦ることもありましたが、一日の終わりにようやく落ち着いて一対一で向き合えるひとときは貴重な瞬間でした。 
繰り返す中で感じたのは、私はこのことに間違いなく支えられているということ。よりそれを感じたのは、仕事や用事などで目まぐるしい日がしばらく続いた時。アーサナや瞑想、聖典を読む時間をどこで取るかに苦労し、でもどんなに時間がなくても自分にとっては大切なことだから忙しいからといってその時間を雑な感じにしたくないなと思っていました。そしてそういう忙しい時こそ、それが拠り所にもなっていました。深夜、静かになった部屋でラーマクリシュナのお言葉と向き合う、その時間だけは日常から切り離されてぽっかり浮かんでいるような断絶感があり、ある一定の変わらない何かがありました。修行とか実践とかそういう類いでもなくて、ただただ神のお言葉を聞く、それだけ、それだけがある、という感じでした。

そんな日々が淡々と過ぎていった時、ああ、私には師の恩寵によってこの時間が与えられ、だから毎日こうして元気に生かしてもらってるんだなと思えました。日記に書き留めたお言葉は、読み返してみると無意識に何度も同じような意味合いのお言葉を選んでいることに気付きます。ラーマクリシュナが、それだけ何度も何度も愛をもって同じ一つのことを繰り返し伝えてくださっているからだと思いました。私たちの師ヨギさんのように。 

一つの理想を忠実に守りなさい。それで初めて神を悟ることができるのだ」 

お前たちは一つの理想を固く守らなければいけない。深く潜りなさい。そうしなければ大海の底にある宝石を手に入れることはできない。表面に浮かんでいるだけでは、宝石を拾い上げることはできないよ

 「深く潜れ、おお、心よ、神の美の大海に。もしお前が底の底までおりるなら、そこに愛の宝石を見いだすだろう……」 

*参考・引用 『ラーマクリシュナの福音』

野口美香 


『ヨーガ・スートラ』写経

『ヨーガ・スートラ』ーーその名が示す通りヨーガの経典です。
私はこの夏、その写経をしました👳‍♀️📝

4章195節から成る『ヨーガ・スートラ』ですが、この写経をしてすぐに感じたのは「学びの一つは書く」ということです。私自身、最近はパソコンで文字を打つことがほとんどでしたが、久しぶりにじっくり書くという行為をしてみると、眠っていた「書いて学ぶ」という感覚が身体の中から蘇ってきて、学びの基本に立ち返ったように感じられました。

また、解説や注釈なしに一節一節を抜き出して書き、それを始めから終わりまで何度も読み返すことで、『ヨーガ・スートラ』の全体像や要の教えが見えてくるような感覚がありました。当然のことなのですが、『ヨーガ・スートラ』は「心の作用の止滅」、これが主題なのだと。つまり、心に執らわれや煩いが一切ない「無執着」、その心の無一物になるにはどうすればいいかについて説かれていると感じました。

「それら(心の作用)の制御は、実践(修行)と無執着とによっておこなわれる」 『ヨーガ・スートラ』1−12 

「見えたり聴こえたりする対象への渇望を棄てた人々のところにやってくる、そして、対象を支配しようと決意する、その結果は、無執着である」 『ヨーガ・スートラ』1−15 

 ーー『ラージャ・ヨーガ』P112、115より引用

私はこれらの『ヨーガ・スートラ』の教えに触れていると、ある覚者の存在が心に浮かびました。それは「ブッダ」です。ブッダは次のような教えを説いています。

「すべての束縛を断ち切り、怖れることなく、執着を超越して、とらわれることのない人、ーーかれをわたくしは〈バラモン〉と呼ぶ」 『スッタニパータ』620−621

「熱心な修行と清らかな行いと感官の制御と自制と、ーーこれによって〈バラモン〉となる。これが最上のバラモンの境地である」 『スッタニパータ』654−655

ーー『ブッダの人と思想』P13、15より引用

バラモンとはブラーフマナのことで「清浄無垢な真人」であります(『ヨーガの福音』P44)。清らかで純粋な心の持ち主、まさしく真のブラーフマナであるブッダの説いた無執着や熱心な修行・制御が『ヨーガ・スートラ』の要旨と一致しており、ブッダとヨーギーの同一性が感じられます。

今回の写経を通して私自身、ブッダ・ヨーギーの無執着の心境を目指していこうと気持ちを新たにしています。
写経はやってみると単純に楽しいですし、読むこととはまた違った味わいで経典・聖典に触れることができると思います。大袈裟かもしれませんが、心にブッダやヨーギーの無執着が写されるように感じます。
まだ写経をやっていない方、本当にお勧めします👳📝

ゴーパーラ


ナーグ・マハーシャヤ

松山でのこと、ヨギさんはある方の質問に対しておっしゃいました、「謙虚さがなければ、ヨーガは進めていくことができません」。

8月21日は、その謙虚な心で知られた、シュリー・ラーマクリシュナの弟子であるナーグ・マハーシャヤ(1846−99年)が誕生された日です。彼の生涯は『謙虚な心』という比較的小さな書籍に記されています。私たちはその本から、ナーグ・マハーシャヤという尊き家住者が、燃え上がるような情熱を持って心の中に謙虚さを築き上げていった、その生涯を知ることができます。 

「謙虚さ」とはどのようなものなのでしょうか。初めてこの本を手にした頃、私は「謙虚さ」という言葉に、静かで穏やかなイメージを持っていました。ですので、この本を読み始めて、驚愕してしまいました。ナーグ・マハーシャヤは、自分の心の中に良くない感情を見つけると、石などで自分の頭を打って血だらけになってしまうのです。そればかりか、自分のために炎天下で働く人々を見ていることができず、屋根修理の職人に対して仕事を止めるように泣き叫んで懇願し、自らを打ち始めます。いったい、これは何なのでしょう、頭を打つのが謙虚さなのでしょうか。それが最初の感想でした。

けれども、少しずつヨーガを学んでいくにつれて、常軌を逸しているように見えるこれらの行為の意味が少しだけ分かってくるようになります。本の中では、ナーグ・マハーシャヤと親交深いギリシュ・バーブがこのように言っています。

「常に打ち続けることで、ナーグ・マハーシャヤは、自我の頭を粉々に砕いた。何を持ってしても、彼の自我の仮面を蘇らせることはできなかった」

つまり、ナーグ・マハーシャヤはあらゆる方法を使って、自分の心から「私」と「私のもの」を破壊し続けていたのです。謙虚な心とは、静かで穏やかな状態なのかもしれません。けれども、その状態に至るためには、こんなにも激しく「私」を打ち砕いていかなければならないのでしょうか。

頭を打つだけではなく、ナーグ・マハーシャヤは積極的に他者に奉仕することによって、心から「私」と「私のもの」を追放します。その奉仕も尋常なものではなく、自分が飢えたり、借金することになってしまっても、当然のように、困っている人々にお金や食べ物を与えました。雨季、雨漏りのないたった一つの部屋に来訪者を泊まらせ、彼と彼の妻は、玄関で瞑想と祈りに一晩を過ごしたといいます。あるいは、やはり雨季に、彼を慕ってやってきたずぶぬれの信者のために、食事の準備に必要な燃料として自宅の棟木を切ってしまうのです。家を破壊する白アリにも愛情を注ぎ、追い出すことなく保護します。いったいどうして、ここまでして彼は、「私」と「私のもの」を破壊し、あるいは謙虚な心を持つことを選んだのでしょう。 

実は、ナーグ・マハーシャヤの献身的な性質は、シュリー・ラーマクリシュナと出会う以前から顕著だったようです。彼は、いつでも困っている人を喜んで助けたといわれています。ただ、それでも彼には大きな悩みがのしかかっていました。神に会いたい! 彼は信仰深い一生を送りたいと願っているのに、妻もいて、仕事もしています。そうした足枷から自由になり、神に会うためだけに生きたい。彼はそう悩んでいたようです。

ですから、ナーグ・マハーシャヤが初めてシュリー・ラーマクリシュナと出会ったときは、もうどんなにか感激して、興奮したことでしょう! 最初の出会いが「彼の興奮した心に献身の炎を燃え上がらせた」と、本には書かれています。そして、そのように燃え上がる心を抱えて、翌週再びシュリー・ラーマクリシュナに会いに出かけたのです! そのとき師は彼に「あなたの霊的な進歩については何一つ恐れることはない。あなたはすでに、非常に高い状態に到達している」とおっしゃいました。その後、彼の放棄の姿勢は、先に書きましたような、通常の人々には理解し難く、常軌を逸していると思われるほど強烈なものとなっていったのです。

「私」と「私のもの」を心から放逐してきたナーグ・マハーシャヤの心には、他者あるいは「あなた」しか残らないのでしょう。そして、シュリー・ラーマクリシュナとの出会いによって、そのあなたは神であり師に他ならないことを知り、そうして万物の中に神を見て、神の召使いとして生きることになったのでしょう。実際に彼は「もし彼が、『なぜ手を合わせているのか』と、尋ねられると、『あらゆる所、そしてすべての存在の中に、イシュタを認めるからです』と答えた」そうです。そのような心のあり様こそ、本当の意味で謙虚さなのだろうと思います。

 

「神はまさに願望成就の木なのです。神は、我々が望んだものは何であれ、与えます。しかし我々は、生死の輪廻へ再び引きずり込むような願望を、欲するままに求めてはなりません。人は、神の神聖な御足に対する揺るがぬ信仰と、神御自身の真の知識をお与え下さい、と主に祈願しなくてはなりません。ただそうすることによってのみ、人は世界の汚らしい枷を逃れ、神の恩寵を通して自由を獲得するのです。世俗的な目的を欲すれば、それに付随する害悪も引き受けなくてはなりません。神の瞑想と、神の信者たちとの霊的な交わりに、ときを捧げる者だけが、災難と惨めさに満ちたこの世界を越えることができるのです」

『謙虚な心――シュリー・ラーマクリシュナの弟子ナーグ・マハーシャヤの生涯』より抜粋

「私」と「私のもの」を放棄し、神だけを求めながら、真理の教えを誠実に守って慎ましく、謙虚に生きていくことができますように。そして、そのために必要な、狂わんばかりの情熱を持つことができますように。

笹沼朋子


タパスによって無知をなくす

以前陶芸をしていた頃、作品を乾燥させる過程でひび割れたり、成形に納得がいかなかったりすると、乾き切っていない作品を水に浸してこねて、作り直したことが何度もあります。失敗してもまた作り直せれることが嬉しくて、今度こそイメージ通りのものを作ろうと取り組んでいました。

そんな経験があったからか、ある日、コタムリトのこの一説に惹きつけられました。

乾いたツボが壊れたのは、職人は皆捨ててしまう。だが、湿り気のあるツボが壊れても、捨てないでまた小屋の中に持っていってもう少し水をくれてこね直す。そして新しくツボをつくる。捨てないんだよ。だから——と、ケーシャブに言ったんだよ。水気のあるうちは解放されないとね。つまり、智識を完全に体得したか、神に対面したか、そうしない間は何度でも新しくツボに作り直される。くり返し、くり返し、この物質世界に戻ってこなくてはならない。これはもう逃れようのないことなんだ。あの御方をつかめば、自由解脱してツボ焼き職人に捨てられて、二度とマーヤーの創造に巻き込まれなくともよくなるんだ。

『コタムリト』第4巻より引用

 

 陶芸においては水気があることで作り直せるのを嬉しく感じていたけれど、この世においては少しの水気でも残っていたら何度でも死と再生を繰り返しマーヤー(幻影)の世界から抜けられなくなる…これは全く嬉しくありません。
この水気というのはエゴや無知など、純粋ではないもののことを指しているのだと思います。
一切の水気がなくなるというのは、エゴや無知が一切なくなること。

水気をなくすためには熱が必要です。
その熱(タパス)は、その問題に真剣に向き合い実践することによって生じ、私たちの心を浄化してくれます。

まずは自分のこと、心 と向き合うこと、そして、悩みや苦しみは真理ではないと気付くことから始まるかもしれませんが、気付けて良かった、と安心していては何も変わりません。真理でないものを完全に放棄しない限り、水気はなくならず、また新しいツボに作り直されてしまいます。
それにはとにかく識別が必要です。識別はエゴや無知との戦いです。かなり手強い相手に立ち向かうので、時に大きな苦しみも生じますが、その過程も全てタパスとなります。失敗しても挑み続けることは決して無謀なことではないし、無駄なことにもなりません。見つけた問題点に対し、常に真理を突き合わせて識別していく。真剣であればあるほどタパスは大きくなり、その熱もさらに高まっていきます。
タパスによって生じた熱で焼かれると、水気は完全に蒸発してなくなり、二度と作り直されることのないツボとして完成する。

タパスという熱でエゴと無知をカラカラに乾かし切り、真理だけを掴んでいきたいです。

多摩川上流の橋の上からの眺め。
戻り梅雨の後の、久しぶりの晴天。湿っていた地面が一気に乾いていくような日差しを感じました。

ハルシャニー 


ブッダの共生観

祇園精舎や竹林精舎を寄進されたブッダは、それらを拠点に民衆へ布教し、またサンガ(修行者の集まり・共同体)を形成して弟子の育成を行ないました。インドの雨季や過酷な暑さにおいてその精舎の存在は、弟子や信者にとっても師や仲間と共に修行に精進できる大いなる避難所であったと想像できます。


さて、今回のブログはブッダの説いた「修行」「サンガ」「共生」についての内容です。
修行というのは、ブッダが「犀(さい)の角(つの)のようにただ独り歩め」と説いているように、内面の強烈な集中力でもって独り黙々と行なっていくことが基本にあります。ただ、ブッダはそのような単独で行なう修行だけではなく、新たにサンガを形成し、仲間と共に切磋琢磨するスタイルを確立します。
そのサンガに関連するのが、「自然万物は共に支えあって生きている」というブッダの説いた共生観です。以前、私は師に「ブッダが説いた共生観というのは新しい考えだったのでしょうか?」と質問したことがあり、師は次のようにおっしゃられました。

「ブッダが説く共生観というのも新しい観念というか・・・
それまでのインドの風潮としてはこの世界は苦に満ちているから、そこから解脱しなきゃいけない。そのためには山林独居して苦行であれ何であれ、一人一人がそれを達成しようという単独修行という、言ってみれば世捨人のライフスタイルを推奨していたわけ。特にブッダの時代はそれがいちばん激しく言われていたかもしれない。だから共生する必要がないわけやね、他者とのね。そういうことにも目も触れずに、ただ自らの悟りというところだけを目指しなさいというような至上命令として与えられていて、行なっていたわけ。
でもブッダの弟子たち、修行者に対する教えは山林独居ではなく、村と山林の狭間に暮らせよと。そうして自らには悟りを求めて精進しなさい。もう一方では村の世俗の人たちから喜捨を受けて、食べ物なり何なりそれで食い繋ぎ、またお返しというわけではないけれど、自らの修行が深まるにつれてこの世俗の人と接するということが祝福になり、歓びをもたらすに違いないからという教えもまたそこで直接の弟子ではない人に対しても与えることができて、少しでも苦しみを癒すことができるだろうと。それは共生という、立地的な修行環境、これも変革があったんやね。
サンガという修行者の集まり、これも一種の共生やね。それまでは単独の山林独居、独居、そういうものからグループの修行者集団というサンガの形成によってお互いが励まし合い、修行を進めていけるようにと、そこで学ぶことも多い。優しさであったり、エゴをなくすことであったり・・・そういう未完成な修行者といえどもいろんなエゴや煩悩があるかもしれないけれど、そういうのを共生することによって、毛羽立って見えてくるし、そしたらそれを無くしていこう、へりくだっていこう、いかないといけないとか、謙虚であらねばならないとか、優しくあらねばならないとか、そういう思いになっていく。
そういう意味ではブッダの新機軸というか新たに始めた、それまでの様子は一変したところは見受けられる」

この師のお言葉から、ブッダは共生という新機軸でもって、有効的かつ最善を尽くして、修行者のみならず民衆を苦しみから解き放って心の平安へと導いていたことが感じられます。ブッダの再来といわれるヴィヴェーカーナンダも「彼(ブッダ)は宣教を修行の中にとり入れた、世界で最初の人」(『シカゴ講演集』p 55)と述べているほど、そのブッダの存在や行動はダイナミックであり革新そのものだったと分かります。

ブッダが説き、実行した共生ーーその時代から2500年経った現代、私自身が修行を続けることができているのは「ブッダ(目覚めた存在)・ダルマ(真理の教え)・サンガ(修行者の仲間)」、この三宝が在るからだと心底実感しています。改めて、この三宝に帰依し、ブッダの「共生」を胸に修行を実践していきたいと思っています。そして、すべての人が平安であることを心より願っています。

ゴーパーラ


スワーミー・ヴィラジャーナンダ

私がヨーガを始めたばかりの頃、熱心に読み込んだ本の一冊が『最高をめざして』です。
353の短い教えが書かれているため、パッと開いたところから読め、ちょっとした空き時間に手に取ることができました。また、著者の厳しさの中に愛が溢れる快活な教えは受け入れやすく、私の落ち込んでいた心がたった数行の言葉に鼓舞され、読後に別人のように晴れやかになることがあり、本当に驚きました。それもそのはずです! 19世紀インドの大覚者シュリー・ラーマクリシュナの最高の叡知を受け継いだスワーミー・ヴィヴェーカーナンダ(以下スワーミジー)の直弟子がこの本の著者、スワーミー・ヴィラジャーナンダだからです!

スワーミジーが西洋諸国を大胆に駆け巡り、シュリー・ラーマクリシュナの尊い教えを広めた偉業はインド中に知れ渡り、民衆は歓喜に湧き立ちました。スワーミジーご帰国の数年前から、僧院ですでにシュリー・ラーマクリシュナの直弟子たちと修行に励んでいたヴィラジャーナンダはスワーミジーに会うことをどれほど待ち焦がれていたでしょう! スワーミジーは国外にいる時から兄弟弟子や僧院の若者たちに何度も手紙を書き、個人的な幸福を追求するのではなく他者のために生き、シュリー・ラーマクリシュナの教えを人々に伝え広めるよう鼓舞し続けていたのです。そして、帰国後のスワーミジーからヴィラジャーナンダという名前をいただいた彼は、師の教えを心の底から敬い、師を喜ばせ満足させようとひたむきに奉仕を続けました。

本日、6月10日はヴィラジャーナンダ(1873~1951)がお生まれになった日です。彼の生涯はまさにスワーミジーの次の言葉を真剣に受け止め実践したものでした。

「自分自身の救済を求めれば、地獄に堕ちるであろう。至高の境地に達したいのであれば、他人の救済を追求しなさい」

ヴィラジャーナンダの働きは多方面にわたり、災難に苦しむ人々の救済活動、『スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ全集』(全集の大部分は彼の講演における筆記録、その他は彼による文書、手紙、会話の記録など)第一巻~第五巻までと、東西の弟子たちによる『スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ伝』全四巻の資料収集、編集、および出版に尽力しました。
またヴィラジャーナンダは、彼の大勢の弟子たちのために霊性の問題に関する彼の考えや経験を心に浮かぶままに書き留めていました。弟子たちにせがまれ、それらをまとめてベンガル語で出版し、さらにベンガル人以外の弟子たちの要望によってヴィラジャーナンダ自身が英訳し出版、彼が76歳の頃です。その日本語訳が『最高をめざして』です。

最後にグル(師)について今も最も心打たれる教えを本書より引用し、この通りに歩むことでグルのお導きに感謝を示していきたいです。

「人は霊性の世界で、グルへの心からの帰依と信仰がなければ進歩することはできない。決してグルの言葉を疑ってはいけない。それはヴェーダまたは諸経典の言葉と同じように神聖なものであると知れ。もしあなたが真理を悟りたいと思うなら、グルの助言に完全に従うよう努力せよ。今生にも来世にも、あなたのグルほどにあなたのことを思ってくださる人はないのだ、ということを知れ」

スワーミー・ヴィラジャーナンダの御写真。ベルルマトから許可をいただき、そのホームページよりお借りしたものを掲載しております。

アーナンディー


「私を愛している?」

黄緑色だった若葉も濃い緑に変わり初夏の陽気を感じます。生い茂る木の下を通ると、葉と葉の間から届く満ち足りた光や空気に、気持ちがスーッと静まります。
以前よく一緒に歩いた目の不自由なおばあさんが、建物の陰と木の陰とでは心地良さが全然違うから見えなくても木の陰に入ったらすぐに分かるわ~とよく仰っていました。それまで私は木の陰よりも建物の陰の方がしっかりした陰で涼しいのでは?と思っていたのですが、意識して感じてみると本当に仰る通りで、なるほど!と一緒に喜んだものでした。また、おばあさんは整備された歩きやすいアスファルトの道よりも不安定で危なそうな河原や砂利道などを好まれる方で「土とか石のデコボコ道の方がしっかりと踏み込んで気ぃ張って歩ける。天然の足裏マッサージみたいで気持ちいい~」とも言われていました。私の固定観念を次々と壊していただき(笑)自然を感じて豊かに生きる、ということを実地で教わった方でした。自然に抗わずその時々を楽しまれ、また暮らしぶりや持ち物が驚くほどシンプル身軽で、闊達な方で憧れでした。今も木陰に入ると、あのおばあさんのクシャっとした笑顔が浮かび嬉しくなります。

大きな木陰

包み込まれるような大きな木陰

ところで、まだ福祉的な仕事とは無縁だった頃、目の不自由な方に拙い道案内をしたことがありました。その時、お相手がとても素朴であたたかい感謝を示されたため、その御恩をお返ししたくて、しばらく気持ちがずっと落ち着きませんでした。どうすればいいのかが分からなかったからです。でもその時、以前に『パラマハンサ』(機関紙)の紙面で読んだ『ホーリー・マザーの生涯』からの大好きなお話に導かれるように私はある方法を見つけられました。これからは道で出会った目の不自由な方へ、みんなへ同じようにしていこうと。
時には、さまざまな事情から会いたくても会えない人や状況があるかもしれません。人とは本当に一期一会だなと感じます。そのお相手には直接出来ないことを別の方へ、他のみんなへ、同じようにする、ということを意識するようになりました。

きっかけとなったホーリー・マザー(ラーマクリシュナの御伴侶であられたサーラダー・デーヴィー)のお話はこんなお話です。


たいへん手のかかる家庭の厄介者だったという女の子が、お母さんと一緒にホーリー・マザーをよく訪ねていました。女の子はホーリー・マザーが大好きでしたが、ある日ホーリー・マザーが別の場所へ発たれる日が来て、少女へおっしゃいます。

いい子ね、私のところに来るようになって、もう随分になりますね。私を愛している?

「はい、とっても。大好きです」

どれくらい?

女の子は思いっきり両腕を伸ばして言います。「これくらいよ」

・・・遠くなってしまっても、それでも愛してくれる?

「はい、同じように愛します。忘れることはありません」

どうしたらそれが分かるかしら

「マザーに分かってもらうには、どうしたらいいかしら」

もしあなたがお家の人をみんな愛することができれば、私を愛してくれていることもきっと分かるわ

「分かったわ。家族のみんな愛します。わがままはもうやめにします」

それはとっても良いことですよ。でもあなたが分け隔てなくみんなを平等に愛するってことが、どうしたら私に分かるかしら

「みんなを等しく愛するにはどうすればいいの」

平等に愛するには、愛する人々から何も求めないことですよ。もし求めれば、もっとたくさん与えてくれる人とそうではない人ができるでしょう。そうなれば、もっとくれる人たちを好んで、少なくしかくれない人たちは愛さないということになってしまうわ。そしてあなたのみんなへの愛は平等ではなくなってしまうでしょう。偏りなく皆を愛せなくなってしまうわ

少女は何の見返りを求めることもなく、みんなを愛することを約束したそうです。

*参考・引用:『ホーリー・マザーの生涯』


2020年にコロナが蔓延し始めサットサンガ(真理の教えを問答形式で学ぶ場)もお休みになり、マスク生活で息を潜めるように過ごした3月、コロナ禍で初めての『パラマハンサ』が郵便で届きました。サットサンガの記事に、いちばん聞きたかった師のお言葉がありました。

質問者「ヨギさんのことはとても好きですが、自分のことをもっと愛していることに気付きました。このような自分は嫌です。どうしたらいいでしょうか」

師「そうして気付いたことは良かったです。これからはそれを改めていけばいい。そして本当に私を愛しているのならば、あなたの周りにいる人たちを愛して、奉仕してください

師のお言葉は、ホーリー・マザーのあのお言葉と全く同じものに感じ、以来、大切な指針となっています。ホーリー・マザーが少女に仰った「私を愛している?」。その問いかけは、その時々の目の前の人、一(いち)なる「あなた」からの声なのかもしれません。

長岡京の花

クラスへ行く道すがらの一期一会

 

 野口美香