3月9日(土)、ニューヨークご布教から戻られたばかりにもかかわらず、師シュリー・マハーヨーギーは直伝クラスの最終回とサットサンガを行なってくださいました。

まず、2年4か月にわたり、師自らヨーガの真髄を私たちに伝授してくださったことに、心からの感謝を捧げさせてください。毎回、自分でも驚くほど集中することができました。アーサナ前、師のそばに座っただけで涙が溢れることもありました。師の導きにより心の波を静めることで、思考や理屈を超えて、真実在を体感させていただきました。本当にありがとうございました。この感謝の気持ちは、ヨーガを深めていくことでお返ししていきます。
さて、この日の直伝クラス・サットサンガとも、日本各地から多くの方が師の下に集いました。師に初めて会われる方もたくさんいて、サットサンガで質問が途切れることはありませんでした。

その中で私が最も印象に残ったのは、真理以外のことに思いを巡らせる弟子に対してのお言葉です。
「そんなくだらないことにどうして心は囚われるの?どうでもいいじゃない、そんなことは。それよりももっと大事なことに、心を尽くしなさい。」
それは、日常生活においてこの世のいろいろなことに目を向ける私自身への言葉でもありました。京都から東京に戻った私は、自宅や会社で「これはどうでもいいことではないのか?」と自らに問いかけていることに気付きました。それほどその言葉は、私の心に深く残っています。
師は直伝クラスの最後に、こうおっしゃっています。
「どんな分野であっても、懸命に努力をした人だけが成功します。いわんやヨーガにおいては当然そうです。数え切れない輪廻転生をしてきた苦しみの生涯に終止符を打つという、偉大なる作業なのですから。この生涯において、吉祥なヨーガに縁を持ったということだけでも本当に恵まれた素晴らしいことです。この吉祥な縁をさらに実りあるものとして、この生涯のうちに自由に、悟りを実現してください。」
仕事や日常生活は適切に対処しつつも、常に真実に心を尽くすこと。気付けば神を手放していた…なんてことでは、この偉大なる作業をやり遂げることはできないのです。「真実に心を尽くしているか、これはどうでもいいことではないのか」を常に自らに問い続けていく。4月のサットサンガで師に再びお会いする日まで、必ず続けたいと思います。
ターリカー




チャイタニヤ:私は自分の身体が男性だというところで、愛人のように神を想うマドゥーラの態度が理解できないです。そういう態度を示している弟子を見ていると、ためらいや遠慮とかが無くなっている。私はそういう女性的な態度をとることがきないです。
師:今回、ニューヨークでも似たり寄ったりの弟子たちの心情を聞くことがありました。彼らは一所懸命、聖典を学び、そしてサーダナ(霊的修行)も行ない、ヨーガを深めているようなのですけれど、しかしまだ安らぎには達していない。なんとか本当の幸せ、自由というものを望みます。そんな時、真理の教えがやってきて、本当はこうだよと教えてくれる。例えればそれは彼岸というか、あの向こう岸に達すれば、そういった幸せな世界があるよと教えられるようなものです。そして、みんなは熱心にボートを漕ぎ出す。一所懸命漕いで、一日中漕いでーー翌朝目が覚めれば、まだこの岸の一寸たりとも動いていない。なぜなら、ボートを繋いでいるロープを外していなかった。だからいくら漕いだって進むわけがない。やるべきことは、まずロープを外すことです。船を杭に止めているロープですよね。これがこの世における執着、あるいは煩悩とか無知といわれているものを象徴しているわけです。それが繋がっていたらいくら漕いだって動きもしない。だからまず、それを外しなさい。そうすれば、軽やかに向こう岸に辿り着くことができる。
器官を統御して貪欲という難敵を滅ぼす力が、自分にはないとおまえが考えるならそれは間違いだ。なぜなら肉体より器官、器官より心、心より知識、知識より魂の方が格段にすぐれ、精妙、かつ強力でもあるからだ。 『バガヴァッド・ギーター 三章 四十二』

