台湾グルバイとの交流!

御聖誕祭の後、各庵ではグルバイ(兄弟姉妹弟子)たちとの交流会が行なわれました。
その時の様子は前回のブログに掲載させていただきましたが、翌日と翌々日もシャーンティ庵では台湾グルバイとの交流会がありました。
真剣さあり、笑いあり、涙ありの内容の濃い交流会になり、連日深夜までヨーガの話が繰り広げられました。

シャーンティ庵での交流会

また台湾グルバイたちは、アーサナ・瞑想クラスやバクティ・サンガムにも参加し、多くの日本の弟子たちと交流しました。

長岡京のヨーガ・瞑想クラス

私自身は今回、11名の台湾グルバイの方々と交流して感じたこと、学んだたことは、「台湾サンガの成長」と「他者への感謝の気持ち」でした。
御聖誕祭で祝辞を述べたパンパンは、「祝辞中はヨーギーさんの存在だけがあって、他の人はドット(点)のようだった」という驚きの体験を話してくれましたが、「祝辞ができたことは日本の先輩からアドヴァイスをいただき、通訳をしてくれるプリヤー、また台湾のみんなの思いがあったからだと感じました。ヨーギーさんとすべての方に心より感謝します」と言っていました。
初参加のシンユンは、「日本の先輩から学ぶことが多いと台湾の先輩から聞いていましたが、今回台湾の先輩と日本に滞在して、実は身近に見倣うべき先輩がいたのだと感じました」と述べていました。
黒一点のソウさんは、「今回の御聖誕祭でいちばん印象に残ったことは何か?」と尋ねられると、「台湾の二人の先輩がすごく泣いていたことかな」と言い、「それがいちばんの感想?!」と女性陣に総突っ込みを受けていましたが(笑)、何だか朗らかでよい光景でした😄

そして最後に、プリヤーが日本の弟子と交流したことの感想を寄せてくれましたので、ご紹介させていただきます。

今回の滞在は短かったのですが、先輩と交流させていただく機会が多くありました。
時間に限りがあり、台湾のみんなは積極的に実践に出会った困難を質問して、先輩たちの経験やアドヴァイスも真剣に聞いていました。全体的に話の流れは去年よりスムーズになったと感じました。それは自然に起こったことだと思いますが、そこには理由があると感じました。
一つは、日本の先輩たちはとても優しくいろいろと気配りしてくれたからです。先輩の安定とブレない態度のおかげで、みんなはより心を開いて素直に話せて聞けるようになりました。
もう一つの理由は、この一年間みんなは修行を怠らず、クラスや読書会などで真理を学んで生活の中で実践をし、ヨーガの話ができる基礎を少しずつ作り上げたからだと思いました。
表面的なところに留まらず、交流はいっそう深くなり、先輩の話にも共鳴できるようになりました。その場にいるみんなは、国籍や文化や血縁などの外見を超えて、親密に心の奥の思いや感情を分かち合いました。その時、私たちは一つ一つの孤独な海の波ではなく、歓びの大海に溶けて一体になりました。ヨーギーさんがここに在るからこそ、それが成り得ると感じました。
これからの一年も精進し続けます!そうすると先輩と会う時、もっと話に花を咲かせて、より大きな歓びを味わえるでしょう。
先輩たちに、ヨギさんに、心から深く感謝いたします。(by プリヤー)

いつも素直で明るい皆さんに、私たちは元気をいただいています‼️台湾グルバイの皆さん、次にお会いできるのを楽しみにしています‼️今回の滞在も、まことにありがとうございました😊🙏

ゴーパーラ


プラサード(神のお下がり)

11月23日は、私たちの師の御聖誕祭でした。
その時の様子は前回のブログに紹介されていますが、歓喜に包まれた本当に素晴らしいひとときでした‼️
御聖誕祭の後は、各庵に分かれて交流会が行なわれました。
実は、この交流会も御聖誕祭の醍醐味の一つ☝️
日本のみならず台湾からも兄弟姉妹弟子が集い、御聖誕祭での歓びを語り、味わい、その余韻に浸ることのできる本当に素晴らしいひとときです。

シャーンティ庵での交流会!

そして、その時にいただく「プラサード」のなんとも美味しいこと!!!
今年は、丹波に移住して農業を始めた兄弟子クリパールさんによって丹精込めて作られたお米が初献上され、それをマハーヨーギー・ミッションの料理班さまらさの台所の方々を中心に調理していただきました。

「すべては神から与えられた神聖な祝福に満ちたもの。プラサードとは、神前に捧げられた食事などのお下がりを恩寵とともにいただくという意味合いがあります」

——シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ

今年は地震や台風、水害などに見舞われた年でしたが、クリパールさんをはじめ農家の方々の尽力のおかげで無事に初収穫を迎えた貴重なお米——
師は、そのお米を「さまらさ米」と命名されました。
お世辞ではなく、こんなに美味しいと感じたお米は初めてでした😊🙏

蓮根は、石川県の弟子から献上されました。こちらも最高の味わいでした。

※「さまらさ」とは、ヨーガの言葉で「等味」、「至福の味わい」ともいわれます。いただく食材の命も私たちの命も、ともに等しく愛で、作る人も食する人も、ともに歓びを味わえる……そんな意味が込められています。

 

ゴーパーラ


歓喜のジャヤンティー2018!!!

形の無い永遠の真理が、形をとって顕現された日――師が御聖誕された11月23日は、私たち弟子にとってはこの上なく吉祥な日です。永遠の真理を具体的に目で見ることができるということは、どれほど希有で祝福に満ちたことでしょうか!! 師の時空を超えた導きへ感謝を捧げると共に、師と共に永遠の命を生きることを誓うべく、この日大勢の弟子たちが全国各地より集いました。はるばる台湾からも11名が参加し、またニューヨークの弟子たちにもライブ中継されました。数々の祝辞、キールタンや聖劇は、主の存在によって息吹が与えられ、甘美な祝宴が繰り広げられました。

※ジャヤンティの詳細は機関誌『パラマハンサ』1月号で紹介する予定ですので、ここでは写真を中心にお伝えいたします。

 プージャーにより、歓喜のジャヤンティは幕を開けました。

精一杯の感謝を込めて、祝辞やメッセージが捧げられました。

 

東京のサンガによるキールタン。
歌い手の熱い思いが伝播して、自然と参加者たちも一緒に歌い出し、歓喜の輪が広がります。

勝利を歌え! マハーヨーギーの栄光を讃えよ! 歓喜の中で
勝利を歌え! 聖なるパラマハンサの栄光を讃えよ! 歓喜の中で
勝利を歌え! 甘美なるグルデーヴァの栄光を讃えよ! 歓喜の中で
至福とともに 主よ 歓喜の中で

今年の聖劇は、ジャヤンティにちなんでクリシュナ御聖誕の物語を奉納させていただきました。人々が、神々が、すべての生きとし生けるものが、主の誕生を願い、行為したことで、全能なる主は人間の姿をとって顕現されます。役者たちの迫真の演技に観客も引き込まれていきました。

 主クリシュナが誕生するとき、世界が漆黒の闇に包まれる真夜中、東の空に顕れる満月のように、その御姿を顕されたそうです。
偶然か、必然か、このジャヤンティ当日の夜も満月でした!

クリシュナが無事ヤショーダーの元に誕生し、歓喜のフィナーレを迎えます。

閉会後も、参加者たちは弟子たちが住まう庵に集い、プラサードをいただきながら歓喜の余韻に浸りました。

シュリー・マハーヨーギー、永遠の真理に巡り会うことのできた、この尊い生の一瞬一瞬を大切に生きていきたいと思います。
あなたの存在と、量り知れない御導きに感謝いたします!!
ジャイ! サットグル・ジャヤンティ!!

ヨーガダンダ拝


もうすぐ師の御聖誕日!!!

最近ふとした時、親への感謝の気持ちが湧いてきました。
自分がこうして生きているのも親が一所懸命に育ててくれたからだと感じました。
それと同時に、次の師の言葉が蘇りました。

「最大の親孝行は、悟ることです」

言葉上では知っていた教えでしたが、本当はどういう意味なのか疑問に思い、師に尋ねてみました。
師は、次のようにおっしゃられました。

「それはブッダの生涯が物語っている。
ブッダは出家し、のちにブッダの親子は彼の弟子になっている。
親は誰もが子供の幸せを願っている。
親は親で人生の幸不幸を経験する中、悟りを実現したブッダに本当の幸せを感じたのだと思う」

私はこの言葉を聞いた瞬間、まるで師がブッダの生涯のすべてを見たかのようなリアリティを感じ、驚きました。
諸行無常や涅槃という仏教用語を使わずとも、聖なる存在として生きたブッダの息吹に触れたかのようでした。

師は知らないことや知りたいことは何でも教えてくれます。
私にとっては父のようであり、兄のようであり、また光り輝くスターのような憧れの存在です。
師と少しでも会ったり話したりするだけで、私の心は踊り、歓びに満たされます。

その師の御聖誕日がもうすぐです!!!

私は親から生まれ、親に育ててもらい、成長することができました。
大人になった今、師と出会い、師に身も心も改めて育てていただき、生かされていると感じます。
11月23日、私たちを本当の幸せに導いてくださる師の存在とその御聖誕に、最大の感謝を捧げたい。

ゴーパーラ


サットサンガより どうすれば恩寵を得られるか?

ヨーガは、真実に目覚めるための数千年の古代から伝わる霊的な道です。ヨーガを学ぶには、ヨーガを成就したグルが不可欠です。言葉を超えたグルの導きは、道を歩もうとする私たちにとってはかけがえのないものとなります。サットサンガ(真理の集い)とは師を囲んでの神聖な集まりのことであり、師から直接教えを授かる最も大切な学びの場として位置づけられています。

神の恩寵と聞くと、みなさんはどういうことを連想しますか? 病気治癒や良縁に恵まれるなどのご利益的なものでしょうか? また、神への信仰をもっている人は、良き出来事に遭遇したり状況が改善されると、神の恩寵だと感じることがあるかもしれません。

神は恩寵を与えるのでしょうか?  それはどのように与えられるのでしょうか?  先日行なわれたサットサンガで私は師に質問しました。

チャイタニヤ:純粋意識である真我(アートマン)は、ただ見ているだけの存在で何かを語りかけたり、働きかけたりしないと教わっています。では、真我とイコールの神が恩寵を与える意味とは何なのでしょう? またどういう時でしょう?

師:神なるアートマンは常に恩寵を与えています。しかしエゴや煩悩に穢されている心はそれを知らないし、また受け取ることができない。恩寵を受け取る、あるいは感じるときは切羽詰まっているときであったり、限界のとき、そしてヨーガによって心の浄化が施されていった中で恩寵を感じることができる、そういうものです。恩寵は常に、まるで太陽の光のように与えられている。

チャイタニヤ:自分にとって好ましいことや都合の良いことを恩寵と考えると、現世利益的な神の崇拝に繋がっていきませんか?

師:それは厳密には恩寵とは呼ばない。恩寵とはもっと神聖で穢れなき祝福、あるいは霊感というものです。

神は太陽のように常に恩寵を与えている。心はその真実を知らないだけで、大事なことは、エゴや煩悩という心の雲を取り払えるかどうか。つまり「識別」できるかどうか――

10月のサットサンガで、師は心の浄化に不可欠な識別について説いておられました。

師:やるべきことというのは、自らの心を観察して、そうして自分にとって心にとって、どんなこの世に対する執着や、あるいは未練があるのだろうか、それをもう徹底的に行なうということです。これは識別です。本当はこれをまずやらなきゃいけない。でもその大原因が無知ということなので、なかなか目に見えない相手だから、完全にこれをなくしてしまうのは難しいようにも見えるかもしれない。しかし一方でサーダナ、つまり修行を深めること、怠らずに行なうことをやっていけば、それらが浄化の力となって、また聖典や真実の言葉を聞きながら、その識別力も高まってくるに違いない。目に見える物質的な執着というのは、簡単に識別もできていくかもしれない。でも根本は無知といわれているエゴを真我だと錯覚していることであったり、この複合的な世界があたかも永遠であるかのように思っていたり、その中で幸福を見つけようとどこかに思っていたり、そのような漠然としているけれども、しかし心の奥底に根付いてしまっているような間違った思い、これを完全になくしてしまうことが放棄ということになります。だからこの識別的瞑想というのは、力強く積極的にやっていかないといけないものです。そうすればおよそ思いつくさまざまな事柄について、もう未練がない、執着がないとしっかり言えるような時がやってくる。

穢れなき恩寵を受け取るには、穢れなき心をつくり出す徹底した識別あるのみです!!!

チャイタニヤ

 


笑顔になりますように!

師がヨーガを教えてくださるようになって40年以上が経ち、その間、真理にそって生きていきたいと真剣に求める弟子が年々少しずつ増えてきました。住んでいる国、性別、年齢、職業とさまざまな弟子がいる中で、師に会いに京都に来るのが難しい弟子も大勢いますが、皆、それぞれの形でヨーガを深めています。
その中の一人、現在東京で暮らしている佐野さん。数年前までは大阪に住み、中央公会堂のクラスには毎週通い、クラスのムードメーカー的存在でもありました。

最近の佐野さんの近況をお聞きすることがあったので、ここに紹介させていただきます。

(東京に移ってから、仕事もお忙しく以前ほどクラスに通えていないとのことですが)
Q「佐野さんにとってヨーガとは何ですか?」
佐野さん「軸。何においても、はっきり正しいと言えるもの」

Q「何を拠り所としていますか?」
佐野さん「愛です。大阪クラスで『ヨーガを深めていくと、すべては愛につながる』と聞いてから、心の中で愛を連呼しています。

今でも、皆の前でヨーガの取り組みについてお話をさせてもらった際に、『ミッションのクラスは、ヨーガを通して愛を教えるクラス』と表現したことを思い出します。雑巾がけされた会議室に行くと、笑顔でシャチーさん、マーダヴィーさんが迎えてくれる。人知れず相手のためを思って行なうその行為こそが、あのクラスで学ぶべきものであったことを痛感しています。
今、私も会社に早朝に行き、皆が仕事がしやすくなるような環境づくりを行なうようにしています。それが私のヨーガです」

佐野さんは今までのご自分の失敗を学びに変え、自分にとっても周りの方にとってもより良くなるようにとヨーガを実践していることを話してくれました。

佐野さんが常に意識しているというマザーテレサの言葉を紹介します。

想いに気をつけなさい。
それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい。
それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい。
それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい。
それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい。
それはいつか運命になるから。

2カ月ほど前だったか、大阪の朝クラスに佐野さんの元同僚が来られました。彼女は、ヨーガを始めてから佐野さんが本当に変わったことが印象的だったそうで、何年も前のことなのにミッションの名前を覚えていて参加してくださったということでした。
佐野さんはその報告を聞いてとても嬉しかったそうです。そして自分の何が変わったのか考えてみたということでした。
「あの当時は、自分の主張が先にあったと思います。今は『(相手が)笑顔になりますように』が先になっていると思います。それによって、私も嬉しくなり、幸せを感じます」

私と佐野さんとは、クラス終了後の駅までの道のりを、よくご一緒し、ヨーガについて語り合ったものです。ヨーガの効果は日常に現れるといわれますが、佐野さんのヨーガは着実に彼の日常に浸透していることを感じ、私もとても嬉しかったです。


*大阪在住だった頃の佐野さん(白シャツ)。佐野さんのキールタン好きは私たちの間では有名で、今でも東京バクティ・サンガムでキールタンを熱唱しているとか・・・。

シャチー

 


京都マムフェスにてヨーガ・瞑想ワークショップ

今現在、師であるヨギさんが台湾をご訪問されています。ミラバイさんの速報記事から、ヨギさんの愛でハートいっぱいに満たされた台湾の方々が目に浮かびます!

さてさて、11月3日(土)京都では子育て中のママを応援するお祭り、マムフェスにてヨーガ・瞑想ワークショップをしてきました〜。

会場は平安神宮の参道です。広々していて、しかも清々しいほどの秋晴れに恵まれ、とっても気持ちの良い日でした。赤ちゃん連れのお母さんや、もうすぐ臨月に入る妊婦さんと旦那さん、ママに限らずいろんな方が会場の前を通り、ワークショップに興味を持って参加してくださいました。

ヨーガのアーサナは呼吸からアプローチして、心を穏やかに、身体を健康にしていくという話をさせて頂いたのですが、どの方もそのことについて興味深そうに聞いてくださっていました。会場の隣ではヴィーガンフェスが開催されており、そこから流れてくる人たちもちらほら。「他のヨーガに通ってるんです」と言われる方も何人かおられましたが、その方たちも呼吸の話は初めてだったようで、「へ〜!なるほど〜!」ととても感心されていたのが印象的でした。

ワークショップの後は「気持ち良かった〜!」と来たときよりも顔が緩んだ様子で帰っていかれる方がたくさんいました。師から学んだヨーガを、少しの時間でしたが体験して頂く機会をもてたことが、とても嬉しかったです。参加された方の中には京都クラスがどの場所にあるか聞いてくださる方もいて、今後もヨーガのご縁が繋がっていくといいな〜と思っています。

さて、話は変わりますが、京都金曜午前クラスは今月から第1,3金曜日のみのクラスに変更となり、それに伴い新しい企画を始めています。アーサナのあと、ヨーガのお話を月ごとにテーマを決めてお伝えする内容となっています。https://www.mahayogi.org/classes/kurashi-yoga
ちなみに11月のテーマは『呼吸と心の関係を知る』、体験談を交えてお話しさせて頂きます。お子さん連れ、身体の硬い方、シニアの方、大歓迎です!ぜひお越しください!朝ヨガ気持ち良いですよ〜

amara


秋の日は釣瓶(つるべ)落とし

私の職場は嵐山です。
仕事の合間に渡月橋のベンチで休憩していると、青い空と秋雲、流れる川と山、西に沈みゆく太陽がとても美しく、ダイナミックに展開していました。

この景色を眺めていると、太古のリシ(聖仙)の言葉が内から湧いてきました——

「この宇宙はどこから来たのか? どこへ行くのか? 私は誰か?」

スマホやテレビがなかった昔の人はこういう風景をずっと眺め、その宇宙万物の力や生命の神秘に思いを馳せたことは、とても自然なことだと感じました。

それから30分も経たないうちに、景色は一変、空は茜色に染まっていきました。

職場に戻ってスタッフにこの感動を話すと、次のことを教えてもらいました。

「秋の日が急に暮れることを、井戸の中に釣瓶(つるべ)が落ちていく早さに例えて、『秋の日は釣瓶落とし』って言うんだよ」

 

皆さんは、この宇宙万物のダイナミックな力はどこから来ていると思いますか?

リシはその思索を極め、それは「宇宙の主ブラフマン(梵)」から来ている、

そしてそれが「本当の私(我)」——

「梵我一如」であると悟ったようです。

 

ゴーパーラ


ラーマクリシュナのうたわれたキールタン 

『ラーマクリシュナの福音』の中で、シュリー・ラーマクリシュナは、たくさんのキールタンを歌っておられます。そのキールタンは、私たちが普段うたっている神の御名を繰り返すという単純なものではなく、歌詞があるものです。メロディーは分かりませんが、歌詞の内容はとても美しく、私もうたってみたいなぁ・・・と思うものがたくさんあります。今回は、その中の一つを紹介します。

これはゴーピー(牧女)たちが、クリシュナ神への愛をうたった歌で、『ラーマクリシュナの福音』の中で何度か出てくるものです。

「私のクリシュナはまだ見つからない。おお、友よ
彼のいないわが家のなんと寂しいこと。
ああ、もしクリシュナが、
私の頭の髪でさえあったなら、

私は念入りにそれを編み、バクルの花で飾るのに。

私のクリシュナ髪のお下げを、
入念にととのえるでしょう。

クリシュナは黒く、私の髪も黒い、
黒と黒は一つになる。

ああ、もしクリシュナが、
私の鼻の飾り輪でさえあったなら、

彼はつねに私の鼻に下がり、
私の唇は彼にふれたでしょう。

    だが、そんなことはあり得ない。
ああ、なぜ私は、こんな愚かな夢を見る。

クリシュナが、私の鼻の飾り輪などになるものか。

ああ、もしクリシュナが、
私の腕の腕輪でさえあったなら、

彼はいつも私の手首にくっつき、
私は誇らしげに歩くでしょう。

腕輪をゆすって音をさせ、
これ見よがしに腕を振り、

クリシュナ腕輪を身につけて、
王様の道を歩くでしょう。」

恋をしたことがある人なら、誰でもわかると思いますが、愛する人とは片時も離れていたくなく、一緒にいたいものです。「ああ、彼が(彼女が)ここにこうしていてくれたなら…」という想像(妄想?)は誰でもするものです。そして「そんなことはあり得ない、なぜこんな愚かな夢を見る…」と言いながらも、また想像を始めてしまうところが、この歌の中でとてもリアルで、素朴で、なんとも言えない可愛さがあります。

これは、一見すると単なる人間の恋愛の様子がうたわれているようですが、本当は魂と神との関係を象徴的にうたったものです。魂(牧女)は神(クリシュナ神)に恋い焦がれ、一心に神を求め、常に一つになりたいと望んでいるのです。バクティの感情を表現する時には、日常の中の誰もが経験するような状況を、バクタの心境になぞらえてあるのものがたくさんあります。キールタンは、神への魂の叫びであり、神と魂を結ぶ愛の歌なのですね。


アイドルと神の追っかけ

もう10月も終盤ですね。この1年を振り返るにはちょっと早いですが、私にとって2018年は仕事でもヨーガでも「追っかけ」ということを感じている年であります。

私は介護の仕事をしているのですが、車椅子の利用者さんが今年に入ってから急に女性アイドルグループにはまり、毎日その音楽を聴いたり動画を見るようになって、コンサートにまで行くようになりました。介助の付き添いでコンサートに行くと、そこには「追っかけ」のような熱狂的なファンの人がいっぱいいて、会場内は「超絶カワイイ〜ちゃん!」などの叫び声が聞こえ、その興奮と熱気で独特の雰囲気が醸し出されていました。

で、ヨーガの方はいうと、今年に入って私はバクティ・サンガムによく参加するようになりました。今までバクティ(神への愛)やキールタン(神の讃歌)には抵抗があったのですが、ちょっと行きたくなって参加してみたら、なんとはまってしまいました(笑)。それからというもの、京都にとどまらず大阪、松山、この前の神戸のインディア・メーラーにと、バクティ・サンガムがあるところ、「追っかけ」のようにどこでも行くようになりました。

そして先日も大阪のバクティ・サンガムに参加してきました。会場には大阪や兵庫、京都、また松山から来た熱狂的バクタ(神の信愛者)たちがいて、不思議と歌う前から瞑想的な独特のムードに心が支配されました。今月からテーマ曲は『Govinda Hare Gopala』。自分の名前が連呼されるという嬉しいような恥ずかしいような曲……歌の始めはリードと追っかけの掛け合いですが、後半からはみんなで神の御名を歌っていきます。今回、繰り返し繰り返し神の御名を歌っていくうちに、太鼓、鈴、ハルモニウム、コーラス、そしてリードも追っかけもすべてが一つに溶け合うような一体感があり、それは初めて味わう感覚でした。

10/28(日)京都のコイズミ楽器さんでバクティ・サンガムがあります。
どうですか、神の御名の「追っかけ」、一緒にしませんか?

ゴーパーラ