『あるヨギの自叙伝』を読んで(1)――バガバティ・チャラン・ゴーシュ

皆さん、こんにちは。

最近、「無所有」に思いを巡らせているゴーパーラです。

「むっ、無所有?! ついに家や財産を放棄して、出家するのか?!」と思う方もいるかもしれませんが(いないかもしれませんが)、元よりそんな🏠💰は持っていません。

ヨーガにおいて無所有とは、単に物を持っていないことではなく、心に何の思い煩いもない「無執着」の境地を意味しています。

私の今年の目標である真実の自己「アートマン」に目覚めるためには、その実現を阻んでいる心の煩悩や執着を無くさないといけないので、今はそれらの原因に識別・瞑想しています。

そんな中、一週間ほど前から、パラマハンサ・ヨーガーナンダの『あるヨギの自叙伝』を読み返しています。

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聖典に限らず、小説や映画などを改めて見返すと、「あれ、こんなところ、あったっけ?」といった具合に、感じ方や印象が違うといったことはありますよね。
特にそれが良い作品であればあるほどに、まるで初めて触れたかのような新鮮な発見とそれに伴った喜びがありますよね。
私はこの『あるヨギの自叙伝』を読むのは3度目ですが、今回もありました、その新鮮な発見と喜びが!
それも読み始めた4ページ目で!!!

そこには、鉄道会社に勤めていたヨーガーナンダの父バガバティ・チャラン・ゴーシュについて書かれていました。

父は、子供たちが小さかった間は、厳格なしつけを施した。そして自分自身は、文字通り謹厳で質実を旨としていた。例えば、劇場へ行ったことは一度もなく、楽しみといえば、霊的な行か、バガヴァッド・ギーターを読むくらいのものであった。
父の退職後、その鉄道会社にイギリス人の会計検査官がやって来て、検査をして驚いた。「この人は三人分の仕事をしているじゃないか」――
未払いのボーナスが支給されるも、父は大して問題にしていなかったので、忘れて家族にも話さなかった。よほどたってから、私の末の弟ヴィシュヌが、銀行からの通知書にこの多額の預金があるのを見つけ、驚いて父に尋ねると、父は言った。
「物質的な利益に、どうしてそんなに有頂天になれるのだ。心の落ち着きを人生の目標にする者は、自分の持ち物が増えたからといって喜び、減ったからといって悲しんだりするものではない。人間は裸でこの世に生まれ、無一文でこの世を去るのだ」

これぞ、物の有無ではない本当に清々しいまでの無執着の境地、また結果に執らわれず自らの義務を淡々と行なうカルマ・ヨーガのお手本であると、私はとても感銘を受けました‼️
併せて、劇場などの娯楽に一切興味がなかったという心境も、見倣うべきところです。

「さすがはインド人、宗教が生活に根付いている」と一見思ってしまいますが、ヨーガーナンダの父バガバティも最初からそうではなかったそうです。
彼は霊的な修行をする以前は、鉄道員の同僚が遠く離れたグル(霊性の師)に会うために1週間の休暇を願い出た際、「君は狂信者になりたいのかね? 出世しようと思ったら、今の仕事に精を出しなさい」と言っていたほど、霊的なものに偏見がありました。
感覚的には、現代の日本人と何ら変わらないですよね(笑)。

ではなぜ、そんな彼が180度、人生観が変わることになったのでしょうか?

それは師ラヒリ・マハサヤと出会ったからです。(続く)

ゴーパーラ


旬の野菜を使ったヨーガの料理教室 さまらさの台所

2月5日(日)に京都の北区にある北青少年活動センターでさまらさの台所がありました。

今回ご紹介したのは酒粕のリゾット、れんこんチップス、白菜のサラダ
どれも旬の食材を使い、寒い冬にぴったりのメニューでした。
酒粕のリゾット
今回はヨーガ・瞑想クラスに通う方やチラシを見て初めて参加してくださった方など7人の参加があり、アットホームな雰囲気になりました。

段取り
今回ご紹介した3品は30分で作ることができるように、段取りを示したこんな紙を用意しました。イラスト付きでとても分かりやすいと思います。

でも、30分で作ろうと思うと、あれもこれも同時進行で進めるので実はけっこう大変!ポイントは、始まりから終わり(盛りつけ)まで頭の中でシュミレーションし、そこからスタートさせることです。そして焦らずに気持ちを落ち着かせ、目の前のことに集中すること。

調理をするとき、何か気になっていることを考えながらしたり、ぼーっとしながらすることもあると思います。でも気持ちを切り替え、料理だけに集中するように努めていくと、心の切り替えができ、あらゆる生活の場面で目の前のことに集中する訓練ができるようになります。そして、ちゃんと向き合って作ったご飯はとても美味しく、食べる人も作った人も、食材もが歓びを味わえると思います。
私がさまらさの台所で学んだことは、料理を通じて日常の行為の秘訣を学ぶこと!日常生活をよりよくしていくヒントはたくさんあります!

次回の北青少年活動センターの予定は4月23日(日)15時〜を予定しています。ぜひお越し下さい。

 


心と呼吸を変えるヨーガ

ヨーガは、真実に目覚めるための数千年の古代から伝わる霊的な道です。ヨーガを学ぶには、ヨーガを成就したグルが不可欠です。言葉を超えたグルの導きは、道を歩もうとする私たちにとってはかけがえのないものとなります。サットサンガ(真理の集い)とは師を囲んでの神聖な集まりのことであり、師から直接教えを授かる最も大切な学びの場として位置づけられています。

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前回行なわれたサットサンガの内容をお伝えします。
質問者「仕事をするときに緊張してしまうのです。ちゃんと仕事ができた時は気持ちもほぐれるのですが、どうすれば緊張せずに仕事をすることができるでしょうか」
ヨギ「ヨーガの長い歴史の中での大きな発見は心と呼吸の関係が見つけられたことです。心というのは、普通は常に動揺してあれやこれや落ち着きなく動きまわる性質で、日常のさまざまな期待や不安、心配、取り越し苦労などの負荷が加わることで落ち着きなく乱れています。呼吸と心はイコールと考えられますので、心が高ぶって雑念がある時は呼吸も同様に不安定で乱れています。逆に睡眠中の呼吸のようにゆっくりと呼吸している時は、一定のリズムで安定していますので心は動きまわることをしばし休憩して、落ち着いているというのが日常の風景です。
ヨーガで呼吸のリズムを変えることによって心を変えることができます。どちらかを安定させれば両方安定させることができます。心を落ち着かそうと思っても落ち着かせることができないので、目先を変えて呼吸を制御していくと心の不安定さはなくなっていきます。仕事や社会生活の中でも心を保って冷静にいることができるのです。呼吸を変えれば心が変わりますが、その前に身体を変えて呼吸のシステムを変えるのがアーサナの役割です」

それから師は、心と呼吸と身体の関係をH2O、水の要素の表現で教えてくださいました。心は蒸気、呼吸は水、身体は氷というものです。氷はいちばんつかみやすく、水は器でつかむことができます。器である身体を水がつかみやすい器に作り替えることで、呼吸はそれなりに調整ができ、呼吸を制御し続ければ、心の悩みは楽にこなせるようになると教えてくださいました。
それから真理を学んでいけば、いろんな事柄も正しい位置関係で理解し把握することができるようになるので、仕事はその時々にベストをつくし、精一杯のことをしていけばいいと分かりやすく教えてくださいました。

私はヨーガをする前に、もっと思いやりのある愛情深い心になりたいと思っていましたが、なかなかその心を変えることができませんでした。師から、ヨーガを行じれば心を変えることができると聞いて大変驚き、本当に心を変えることができるのであればヨーガをやってみようと思ったのでした。そして確かにヨーガによって心は変化していきました。少しずつ心は静かになり、さまざまなことは以前と変わりなく起こりますが、いつも自分のことばかり見ていた心は冷静に周りのことを思い、察し、行為することができるようになりました。それでももっともっとより良くなりたいと精進する毎日です。
またサットサンガで師から直接教えを授かり、その教えにそって生きることが、この人生を誠実に生きるということなのだということも実感できるようになりました。
みなさん、師から授かるヨーガの偉大なる智慧を身につけ、迷いなく生きていこうではありませんか。

ダルミニー


西宮北口でヨーガ・瞑想を学ぼう!

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阪急西宮北口駅近くの会場で1月よりクラスを始めています。西北には、阪急ガーデンズという大きなショッピングモールがあり、これができたおかげでか、住みたい町No.1になったそうです。

行き方をご紹介しますね。1北改札口北改札口から出て、左手にあるエスカレーターを下りて北西出口に出ます。
目の前には広場があり、右斜め前の道を入って行くのですが・・・

3公園

道しるべはminiminiと関西アーバン銀行。この間の道をまっすぐに進んでください。

4minimini

左手にりそな銀行、右手向こうに三菱UFJが見えてきます。
会場「エビータの森」はこのUFJの前にあります。

5UFJの前

6エビータ

 

では建物の中に入ってみましょう。外観は古いですが、中はきれいにリフォームされています。教室は4階(402)なのでエレベーターで上がります。

6館の中ホール

 

女性としては気になるところのお手洗いもきれいです。8お手洗い2階の洗面所には小さいながらも更衣室があります。9着替え

そして会場は絨毯敷きで、ライトを落としてリラックスできる雰囲気を作っています。10C教室

クラスは毎週月曜日、19時半スタート(90分)。神戸や梅田での仕事後でも通えるような時間帯。内容はアーサナを1時間ほどにし、瞑想とヨーガの智慧を学べる時間を多めにとっています。

ミッションでは珍しく女性限定クラスにしたのは、がんばって働いている、がんばって家庭を守っている世の女性陣、そして今の自分をもっと見つめたい、知りたいと思っている女性たち、ずっと以前の私と重なるのですが、そんな彼女たちと何でも話せるクラスにしたかったからです。

「月曜日はしんどいかな、と思ったけれど、月曜日にクラスに出ると一週間が元気よく過ごせました」と続けて来てくださった方から嬉しいご報告をいただきました。
さてさて、今日もクラスがあります。私も元気よく、西宮北口まで行ってきます!
シャチー


ヨーガの秘訣・東京編・・・身近な真実

現代社会は、仕事や家事、育児、介護など、本当に忙しい毎日をたくさんの人が送っています。そんな忙しい生活の中で、どのようにヨーガを実践していけばいいのか、と誰しも悩みます。毎日アーサナを実践すればいいことはわかるけれど、やりたくても気力が残っていない、瞑想しようと思っても疲れて眠ってしまう・・・多くの方が現実に直面し、共通の悩みを抱えています。

そんな激務の日々を東京で過ごしているサルヴァーニーが、日頃の仕事とヨーガの実践について寄稿してくれました。同じように日々忙しく過ごされている方に、何かヒントになるのではないかと思います。


私は会社員をしています。昨年秋に異動があって、別の部署で働くことになりました。異動先 の部署は仕事量が多く、スピードが早く、新しく覚える仕事も沢山あって、これまでよりも忙しく働いています。 仕事は、得意不得意/出来る出来ない/やりたいやりたくない/など私の状況に関係なく、様々な依頼が来ます。スケジュールが速いのでどこか停滞するとあっという間に別の仕事が遅れる という事態におちいるため、次々と片付けていかなければなりません。中には不得意な分野や、これまで経験したことがなく良く知らないからどう手をつけたらいいのかわからない仕事もあるのですが、皆忙しく、誰も手伝ってはくれません。ここでは来た仕事はなんとかして自力でやらなければいけないのだ、と異動して早々に認識しました。

知らないながらもとにかく手をつけてみると、一つずつ問題をクリアしていけば解決できたり、 調べれば答えが出てきたり、案外どうにかなるのだと思うこともあります。また自力で出来るところまでやれば、それ以上は周りの人が助けてくれることもあります。反対に出来ると思って確認を怠ったためにミスをして反省することもありました。 やりたくないと思うと手は止まり行動が遅くなるし、過信して気が抜けると失敗します。結局やらなければいけないので、やる前から色々思わずに目の前の仕事に取りかかるだけでいいのだ、やる前から色々思わないほうがスムーズに出来ると実感して、最近は何か思う前に行動する、を続けています。ひたすら集中という感じです。

こんな風に昨年末は特に忙しくしていました。その日にこなす仕事を考えながら出勤して、仕事して、明日にやるべき仕事を考えながら帰宅し、明日に備えて体を整えて寝るという生活でした。休み返上で仕事をしたり、休みの日もどこか仕事の段取りを考えていました。

そんなある日の帰り道、突然、なんだか、むなしいーーーーと叫びたい気持ちになりました。

出来なかった仕事が出来るようになることは嬉しいし、仕事の中で達成感を感じることもたまにはあるけれど、仕事は仕事です。本当のもの・真実との交わりがないと、移り変わるものの中で生きているのはむなしいだけだと思いました。仕事は仕事と割り切っているつもりだったけれど、異動してから新しい環境や仕事に慣れてこなすのに必死で、仕事だけになっていた、仕事以外の時間も引きずったり、仕事の疲れで寝て過ごしたりと切り離せていなかった、と立ち止まりました。だけど仕事の忙しさは変わらないどころかますます忙しくなる一方です。どうやったら仕事をしながら真実と交わることができるのだろう、と考えました。忙しいとはいえ、夜に家でくつろぐ時間はあります。それまでも夜に真実に心を向ける時間を持とうとしては来ました。だけど考えることが沢山あって、真実に心を向けようと思っても、 簡単にスイッチが切り替えられずに、上手くいきませんでした。違うところに向かっている心を力づくで真実の方へ向かわせようとしても全然気持ちがついていかず、無理にそうしようとすればするほど空回りです。だんだんと気持ちが向かう時だけそういう時間を持つという自分本位な状態になっていました。だけどこのままを続けていては本当にいけない、と思いました。一日のどこかの時間だけをどうにかしようとするからいけないのだ、もっと根本的に変えなければ、と思いました。日常を真実と結びつけるにはどうしたらいいのだろう、と心の深くで考え続けていました。

ある朝の通勤時間、なんだか疲れてしまって頭を働かせるのを止めて、胸の奥にただ意識をおいてみました。そうするとそこに確かな輝きを感じました。あーここに真実があった、と思いました。無理してどこかへ心を向けることはいらなくて、ただここにあるんだと、思いました。それからは、仕事中のひと息つく時や、トイレに行く時など、ちょっとした一瞬に、胸の奥の真実を確かめるようになりました。いつも確かなものを感じ、いつもここにある、と思いました。考え続けていた日常を真実と結びつけるということがどういうことか、これからも考え続けていきたいと思っていますが、今の私にとっては、いつも真実と共にあることを感じて生活することが、忙しい中で拠り所となっています。

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昨年夏、東京でのクラス後。後列左がサルヴァーニー。

サルヴァーニー
(内山弘子)


ブラヨーヘイ vol.11(最終回)ハン六編

今回のブラヨーヘイは、京都伊勢丹10Fのハンコ店「ハン六」に行ってきました〜😎

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皆さんは普段、ハンコをどのくらいの頻度で使用されていますか?
僕は介護の仕事をしているのですが、仕事の終わりには必ず記録表と実績表というものにハンコを押すこともあって、毎日のように使用しています。
そのため今回、ハン六さんでは、キャップの取り外しのないキャップレスタイプのシャチハタを購入しました😁

個人差はありますが、日常的に使用しているハンコ。
でも、実はすごく重要なものでもありますよね。
一人暮らしを始める時、親からは「絶対に保証人のハンコは押すな」と言われたことを、今でも覚えています。
誰かの保証人になる時や銀行口座の開設、家の購入、婚姻届けなど、ハンコを使用する時というのは人生の大事な場面が多く、サインとはちょっと重みが違います。

ではなぜ、このようにハンコは人生の重要なシーンで使用されるのでしょうか?

以前ヨギさんは、ヨーガの教えるムドラー(印)に関連して、ハンコについて次のようにおっしゃっていました。

「ハタ・ヨーガというタントラの中での中心的な教えは、ムドラーというものがあります。ムドラーというのは印(ルビ:いん)というふうに訳すことがあります。判子の印です。判子というのは中国とか日本なんかでは、その判子そのものがその人を象徴するわけです。だからそれをもっといえば、その人そのものだというふうにいえるわけです。もうそれぐらいにムドラーというのはその本質、あるいは実体と同じものというふうに理解できます。ヨーガにおいては、特にハタ・ヨーガにおいては二十いくつのムドラーが数えられますけれども、それぞれの形は簡単なのです。アーサナよりもむしろもっと簡単。しかし内面におけるプラーナの制御とかそれから心の集中力とか、そういうものをともなっているので、ムドラーが深まれば即サマーディをもたらすと。サマーディをもたらすということは、ヨーガの究極の境地を表すわけですから、その体験に密接な関係をもっているものとして価値が認められているわけです……その他、無数にムドラーがあります。特に日本では密教系の仏像なんかは、みんないろんな手の形をもっています。それらは全部名前が付いているのです。だから仏像の手の仕草というか形は、すべて何らかのムドラーの名前が付けられているはずです。そのように本質を表すものがムドラーだということです」

ムドラー&ハンコ、恐るべし‼️「ムドラーが深まれば即サマーディをもたらす」「判子はその人そのもの」――なぜ、ハンコが人生の重要な場面で使われるのか、理解できました😁

そして最後に、皆様にご報告があります。
今年に入り、師から「ゴパーラ」という法名をいただきました。
ゴパーラとは、主クリシュナの幼少期の名前です。

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師から見たら、僕はこのような感じなのでしょうか😅?

そのため、突然で申し訳ないのですが、ブラヨーヘイは今回で最終回にせさていただくことに決めました。
読者の方々、また撮影に協力してくださった方々、短い間でしたが、ご拝読いただき、本当にありがとうございました。
次の新しい企画が「ブラゴパーラ」になるか、また全く違うものになるかちょっと分かりませんが、楽しいブログになるように検討中です❗️
今後もどうぞよろしくお願い致します🙏

ゴパーラ👶


新しい道のその後

こんにちは ユクティーです。

10カ月ぶりのブログです。前回は病院を辞めて、潰れかけの訪問看護ステーションへ転職!という報告でしたが、残念ながら入職して半年でそこは閉鎖となってしまいました。訪問看護の事業所が潰れるというのは全国的にも珍しいことではありませんが、被災地の医療介護事情はさらに厳しいものがあり、病院から地域に出て自分の肌でそれを感じた半年でした。その後、迷いに迷った結果、私は福島に残ることを決め、12月28日に新しい就職のため、南相馬を出て福島県双葉郡広野町という所に引っ越してきました。就職先は原発から22キロ、現在原発からいちばん近い病院です。働き始めてまだ日は浅いのですが、今日はその病院と院長のことを少し書きたいと思います。

2011年3月、原発事故により避難指示が出され、次々と病院や施設が休止・閉鎖していく中、この病院は唯一休まず入院診療を続けました。今でも双葉郡で入院を受け入れる病院はここだけです。あの時、どこの病院も患者を避難させましたが移動中や移動先での死亡がありました。この病院でも軽症の患者は避難しましたが、重症の患者は移動に耐えられないだろうと院長が判断し、病院を継続させることを決めました。20人ほどの患者が残り、院長は病院に泊まり込み、看護師は数名、夜勤も日勤もなく働き続けたと言います。院長の決断は、本当に勇気と覚悟がいることだったと思います。病院を続けることには以前より批判がありましたが、院長は「医師免許を剥奪されてもいいから」と言って、残ることを決心されました。当時75歳、震災後病院でたった一人の常勤医師として、すごい回数の当直をこなし、ほぼ365日働かれていたようなものだったと聞きます。その院長が去年の年末、自宅の火事で亡くなってしまいました。81歳。病院は管理者が常勤の医師であることと法律で定められているため、このまま院長が見つからないと存続できないことになります。年末からメディアで大きく取り上げられているので、ご存知の方もおられると思います。今は全国からボランティアの先生が来てくださっており、また2月、3月は臨時の院長に就任してくださる先生がいるのですが、その後のことは決まっていません。

今は病院にマスコミの人がいたり、仕事中にカメラが回っていたり、いろんな人が出入りして慌ただしいですが、それでもスタッフは落ち着いて明るく元気に働いています。

私は年末に病院に行った時、一度だけ院長にお会いしたことがあります。病院の廊下の向こうから壁を伝ってヨロヨロと歩いてくる、かなり具合の悪い患者さんだと思っていた高齢男性、それが院長でした。声をかけると注意が逸れて転倒するんじゃないかと思い、挨拶するのを止めました。見てはいけないものを見た気がしました。今は看護師さんから院長が働いていた時の様子を聞くことがありますが、それはもう衝撃的なものです。院長は、生前「どんな時でも自分のできることを粛々と行なう」とよく言われていたそうですが、正直、81歳の医師ができる範囲を超えていたと思います。

院長は精神科医でしたが、もともとは別の仕事をされていて、人間にとても関心があり、精神科医になったそうです。先日、院長が病院を開設した時書かれた「職員心得メモ」が見つかり、
Facebookで公開されていました。有名な哲学者や思想家の言葉が書かれ、文字が多くて途中で読むのを挫折しかけたのですが、何気なく最後の方を見た時、ドキッとしました。「ヴィヴェーカーナンダ」という名前が出てきたからです!

院長のメモには、「印度のビベカーナンダ」とありました。引用されていたのは、ヴィヴェーカーナンダがグルバイに送った手紙の中に書かれていた以下の言葉でした。

「人の欠点を探すことは非常に容易なものだ。しかし聖者の特徴は人の長所を探ろうとするところにある。決してこれを忘れるな」

院長は自分の言葉で続けます。「相手の心に至る第一歩は相手の長所をまず探ろうとすることから始まるのである。このような身近にあることを注意することが、目立たないことであるが、社会につくすことの一つであり、しかも根本的に大事なことであると思うのである」

私は何度も噛みしめるように読み返し、目の前の一人一人を大切にすること、一つ一つの行為を疎かにしないことを心に刻み込みました。私が広野町に引っ越した2日後に院長は他界し、結局あの病院の廊下で会った(見ただけ?)のが最初で最後になってしまいましたが、ヴィヴェーカーナンダによって導かれここにやって来たような気がして、一人で勝手に感動しています。

去年10月に病院と院長のドキュメンタリーがEテレで放送され、すごい反響があったのですが、今日1月21日の23時〜24時に再放送されます。関心がある方はご覧ください。「原発にいちばん近い病院 ある老医師の2000日」
1月28日の午前0時〜1時にも再放送があるようです。

これから病院がどうなるか分かりませんが、今はここで頑張っていきたいと思います。

ユクティー

 


新しいスタジオ スタジオサンゴッホ

新年から、火曜日19時〜、京都ヨーガ・瞑想クラスの場所が烏丸御池のスタジオに変更になっています。場所は烏丸御池からすぐ!とても便利なところです!

烏丸御池の東南交差点すぐに地下鉄東西線3番出口があります。
会場はそこから徒歩2分です。
烏丸御池 地下鉄 烏丸御池駅

東に進んで2本目の通りは東洞院通り
東洞院通り
東洞院通りを右手へ(南へ)ローソンがある角を曲がります。
20mほどで歩くと左手に見えてくるのがスタジオがあるビルです。(白い車の止まっているビル)ビルの横はお寿司屋さんです。
東洞院曲がり角 東洞院を下がる
入り口はこんな感じ。上はマンションになっています。
右手にあるビル 上はマンション

ちなみに、三条通から来られる方は赤煉瓦の美しい中京郵便局を右手に東洞院通りを北上してください。カフェ、Sentidoがスタジオのちょうど向かい側にあります。目印にしてくださいね!
三条通からの曲がり角 正面のカフェ Sentido

建物の前は駐車場になっています。その奥には地下に下りる階段があります。
黄色い扉が目印!右手には駐輪場もあるので、自転車でも来ていただけます。
玄関 地下に下りる階段2

階段を下りて黄色い扉を開けると「スタジオサンゴッホ」です!
玄関すぐ右手には、男性更衣室、左手には女性更衣室、更衣室横は階段があり、お手洗いは階段上になります。シャワー室もあるんですよ。
スタジオサンゴッホ 廊下 階段

シンプルできれいなスタジオです。
スタジオサンゴッホ

忙しい毎日でも、自分自身を見つめる時間をもつことはとても大切なことです。静かな空間でリラックスしてヨーガ・瞑想に取り組んでいただけると思います。ぜひクラスに来てくださいね。クラスでは常に初心者の方もお待ちしています。
スタジオサンゴッホ クラス

 


篠山でのヨーガと瞑想の特別クラス

新春から丹波・篠山での3回シリーズの特別クラスが始まりました!
初回は1月12日(木)、今から100年以上前に、ヨーガをインドから世界へと伝播していかれたスワーミー、ヴィヴェーカーナンダの御聖誕日という、とっても吉祥な日のスタートとなりました。

会場は、昨年2回ほど「さまらさの台所&サットサンガ(ヨーガの集い)」でも伺った篠山市のハートピアセンター。参加者は小さなお子さまのいるママたちが中心で、メンバーの中には京都まで熱心に学びに来られている方もおられます。
今回は託児をお願いしたので、皆さんしばしの時間お子様さまと離れ、非日常の静けさを味わわれたようです。

ヴリクシャ・アーサナ

アーサナ(ポーズ)が始まった瞬間、ピーンと張り詰めるような、凛とした心地よい集中感が生まれ、皆さんがこのひと時にかけておられるような、そんな真剣さが伝わってきました。私もリードで声かけをさせていただきながら、終わった時は一緒にアーサナをしたかのような、全身がプラーナ(気)で満たされた感覚になりました。

瞑想

アーサナをした後は浄化法にもトライし、最後に瞑想に座りました。

アーサナ後

終わったあとの清々しい皆さんの笑顔〜☆

ヨーガを通して「自分を見つめ直し、変わっていきたい」「ぶれない自分を確立したい」「心おだやかにしていきたい」などなど、皆さん、ヨーガをもっと知りたい、深めたいという思いをもって今回参加してくださったそうです。

私自身、ヨーガを始めた頃、クラスという場所は日々の生活に追われる中、自分を見つめることができる、本当に貴重なものであったことを思い返しました。
アーサナをすることが生きることに向き合うきっかけになったこと、師から新鮮な驚きをもって楽しくヨーガを教わってきたこと・・・これまで体感してことをできる限りお伝えしながら、これからも皆さんと一緒に学んでいけたら!と思いました。

篠山道中

この日は快晴でしたが、一昨日からの寒波であたりは雪景色のはず。
次は2月9日(木)。丹波篠山方面の方、はじめての方もぜひご参加ください。


限界を超える

あけましてございます。今年もよろしくお願いいたします。

昨年末から師によるヨーガの真髄伝授のクラスが始まり、毎週土曜日に師から直接アーサナ・瞑想をご指導いただける機会に恵まれています。
そのクラスの初回、不思議な感覚がありました。私には少し緊張があったと思うのですが、師が部屋に入って来られ、クラスを始めますと言われた瞬間、突然嬉しさで胸が震えました。アーサナが始まってもその歓びは続きました。師のリードする声を聞いていると、緊張していたはずの体はいつの間にかリラックスしていました。

体の力みが抜けると何と呼吸のしやすいこと!アーサナ中は息を吐ききることがとても大切ですが、呼吸ってこんなに吐けるんだ〜と思う程に長く吐ききることができました。そして、吐ききった時にはアーサナの形がどんどん深まるのです。
「あれ!?私ってこんなにパシチモッターナ(前屈)前に行ったっけ?しかも痛くない!私の限界ってどこなの?」と本当に不思議でした。

アーサナが終わってから、これまでの自分のアーサナと、その日のアーサナの違いを考えてみました。一番違っていたのは体の力みです。これまで私はアーサナによって限界を超えないといけないと思っていたのです。苦しい形の中で呼吸を吐ききることを繰り返し、もう限界だと思うところからさらに何呼吸かを行なうことで自分自身の限界を超えていけると思っていました。しかし、苦しいと心が言い出す頃には体は力みます。そしてさらに力ずくで限界を超えようとしていたのです。

しかし、師のクラスを受けた時の感触は、私が今まで限界だと思っていた範囲を有に超えていきました。そしてそこには特に苦しみも痛みもありませんでした。ただ呼吸、吐く息によってどんどん超えていったのです。そして吐く息を吐ききるために必要なのは、力ではなく、むしろ反対に力んでいないことが必要だったのです。

これまでも、アーサナに力みは必要ないと頭では分かっていました。しかし、「限界を超える」という言葉に執われるがあまり、無意識に力んでいたのだと思います。

「限界を超える」とは、「ここが限界だ」などと私の心が決めるものではなく、呼吸に集中し、完全に吐ききれていれば、体の力みが取れ、自然と超えいくものだと分かりました。
ここだけの話、ときどきですが、アーサナの後に筋肉痛になることがありました。しかし、師のクラスの後にはまったく筋肉痛にはなりませんでした。筋肉痛の原因もやはり力みだと理解しました。

私はアーサナを始めて10年になります。新しい気付きを頂き、新たな気持ちでこれからも精進していこうと思います。