「ブラヨーヘイ」vol.7 北野天満宮編

本日の京都は、台風の影響もあって、雨が降ったりやんだりのお天気です☔️☁️
ここ最近、パッとしないお天気が続いていますが、今回の「ブラヨーヘイ」は、北野天満宮に行ってきました〜😎

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といってもすぐ近所なのですが、ここは学問の神様である菅原道真が祀られている由緒ある神社で、この北野天満宮の前を通ると修学旅行生を見ない日はないくらい、多くの学生が参拝して学業成就を祈願している人気の観光スポットです。

ところで、この北野天満宮にはたくさんの「牛」が奉られているのはご存知でしょうか?
参道から本殿に至るまで、本当に多くの牛を目にします。

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ではなぜ、こんなにも牛が奉られているのでしょうか?
牛が菅原道真を助けたというような逸話もあるようですが、実は今接近中の台風🌀、もう少しいうと暴風雨⚡️と深〜い関係があるというのです👀
師であるヨギさんは、北野天満宮について次のように話されたことがありました。

「あの天満宮の祭神(ルビ:さいじん)、奉られている御本体というのは菅原道真という名前の学者さん、賢く偉い人なんです。彼は千年くらい昔に、この京都の天皇がいて大臣がいてという都の中で出世したのね。でも、別の力のある貴族が嫉妬して彼をおとしめた。それで彼は九州の太宰府という所に流されてしまう。その頃から、この京都の都に雷がたくさん落ちて貴族たちが死んだり、大変な騒ぎになって、その流された菅原道真の魂が怒っているに違いないとみんな畏れて、それでお祀りをしたの。こういう伝説が北野天満宮にあるのです。昔は雷とか暴風雨とか天災、天候の厳しい、そういうものがとっても大きな出来事だった。このあたりも、たぶんその頃は畑とか食べ物を作ったりしていたところがいっぱいだったと思う。
シヴァはインドにおいて、そのルーツはルドラーという名前の神様で、それは雷とか暴風雨の神様だった。インドも農耕社会ですよね。牛は大きな力をもって人の仕事を助けてくれていた。だからその暴風雨や雷の神様のシヴァと牛はとっても仲の良い関係だった。だから北野天満宮も菅原道真の怨霊――怖い恐ろしい魂の怒り、恨み――そういうものをなだめる、鎮める。でも実際は、暴風雨とかそういうものに対する恐れとか、それからできるだけ平和な都であってほしいという祈りが天満宮の本質かな。本来、菅原道真という学者、あるいは政治を行なっていた人と牛は直接的関係はないのだけれど、今言ったような話で、その当時の様子から見ると、やっぱり暴風雨とかそういうものと牛との関係は深いわけ。それが北野天満宮にたくさんの牛が奉られている理由でもあるし、インドにおいてはシヴァとナンディーがいつも一緒にいる理由でもある」

菅原道真が北野天満宮に祀られている理由って、天災の恐れからだったなんて……😳
それでいて、日本の神社の北野天満宮とそこに奉られている牛が、インドのシヴァ神とナンディーの関係性と共通しているなんて、とても驚きですよね😵‼️

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ヨーガ・ヴィハーラに飾られてあるシヴァとナンディー

また北野天満宮では、毎年10月初めに「ずいき祭」というお祭りが行なわれています。
祭神である菅原道真を西ノ京にある御旅所へお迎えして、ずいき御輿を奉り、その年の収穫に感謝を捧げる祭事であります。
それで「ずいき御輿」というのは、芋茎のずいきで御輿の屋根を葺(ふ)き,柱などを米・麦・豆・野菜・花などで飾って作られる珍しいお御輿です。
御輿の四面には歴史や伝承、その年の大河ドラマの1シーンがお野菜などを使って表現されるようです。
やはり、この農作物の収穫祭のずいき祭からも、農耕を助けた牛が北野天満宮に多く奉られている理由が見て取れますよね。

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西ノ京の御旅所に駐輦(ちゅうれん)していたずいき御輿。真田の家紋「六文銭」は、とうもろこしの粒で作られていました🌽でも、源義経の鵯越の1シーンと一緒になっていて、ちょっと混乱しました……😅

最後に、牛に関するヨーガの教えを紹介したいと思います。
インドの聖者スワーミー・ヴィヴェーカーナンダは、尊敬していたパヴハリ・バーバーという聖者の言葉で印象に残っていることの一つに、「グルの家には牛の如く暮らしなさい」という言葉をあげています。
これはどういう意味かというと、牛は重い荷物を持って畑仕事をしても愚痴一つ言わない謙虚さ・従順さを象徴しており、そのような態度でグルの家(心)に仕えなさいということで、このことも師のヨギさんから教えていただきました。
つまり牛の心は、「マウナ(沈黙)」の境地ということですよね。
心はあれやこれやうるさいですが、そんな雑念や心のツイッターにはうんざりですよね、もう🐮(おっと、失礼しました……)
牛のような心になりたいと願う、今日この頃です😑🙏

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飯尾洋平


瞑想を深めよう!3回シリーズ最終回(松山)

少し前になりますが、松山ヨーガ・サークルでの瞑想特別クラスも9月17日(土)、18日(日)に最終回を迎えました。ちょっと長くなりますがレポートします。アーナンディーです。

講座は35名(男性8名、女性27名)の方が参加され、最終回にも関わらずチラシをみた方や口コミで初参加の方が7名も来られました。瞑想への関心の高さが伺えます。
さて、今回の講座は「一点集中を極める!」がテーマです。1回目で理想、志について考えました。2回目で生活を調えるという実践を学び、3回目は足元が調ったら理想に向けて没頭していきます。
心は思っているものになります。苦しい、苦しいと思っていたら心はそうなってしまいます。だから常に理想について思うことがとっても大事です」と講師のサーナンダさんが話されヨーガの一点集中と瞑想の目的について分かりやすく教えてくださいました。

「瞑想は心の中に潜っていくようなものだと言われます。いつもは心は海面でチャプチャプしているようなものですが、どうやって潜っていくかというと、集中によって潜っていくのです。海とか川で初めて潜ったときは必死で無駄な動きも多かったと思います。でも慣れてくれば力を抜いてすっと潜っていける。瞑想も同じで初めはじたばたしているけどコツがわかってくるとスッと集中できるようになっていきます。最初から無念無想になれるわけではなく、真理に集中していくことで思いの一つもない寂静の境地になっていくのです。それがヨーガの目的であり、瞑想の目的です」

さらに散漫な心を理想に向けていくことで心の思いを一つにしていくという一点集中の話があり、そのあとで「直観知」の話があり、「瞑想では心は対象の本質を知る、対象に成るということが起こり、例えば、他人の目を気にしてしまうという悩みに徹底して瞑想していけば、他人の目を気にしない心になって帰ってくる」と瞑想には心を変える力があることを力強く話されました。「その源は集中力、思いの強さです。頭の良い悪いも関係ない。ヨーガの知識があるか、ないか、過去がどうとかも関係がない。集中が大事です!」
「その集中力をつけていくために繰り返し実践していくことで瞑想も面白くなっていくし、手ごたえを感じていける」と熱く話されるサーナンダさんの熱意が参加者の皆さんへと伝わり、皆が鼓舞されました!

松山瞑想
今回は30分の瞑想に挑戦しました。

講座後のアンケートをご紹介します。

  • 一点集中、自分の理想を追い求める、自分との闘いなど、心に響くお話しで前向きなエネルギーをいただくことができました。(初参加の方)
  • 今回の瞑想特別クラスは本当に力強い3回でした。今、この瞬間から闘いに勝つための努力をします。今までは負けることばかり考え続ける癖があったと思います。この癖にも負けません!!毎回、覚悟と勇気をいつも授けてくださって本当にありがとうございました。
  • 「平安になりたい、静寂になりたい」と思いヨーガをしている感じです。しかし最近ふと「苦しみがなくなればヨーガをしなくなるのか」と思う時がありました。「動機背景のない行為」からが本当の勝負というお話を聞き、すごく腑に落ちました。自分の理想に近づけるようにアーサナや瞑想を継続していきます!!

講座を受講された皆さんの心の中に自分の心との闘いに勝って理想や志の方に向かわなければならない!と熱い思いが芽生えていたのが印象に残りました。

さて、2日目のサットサンガは17名(男性3名、女性14名)で3回シリーズを継続して参加された皆さんばかりでした。参加者の皆さんのほぼ全員の方が質問され、その内容も瞑想の実践をしている中で、上手くいかない葛藤があり、どうしたら前進していくことができるのかという具体的な質問が多く、サーナンダさんはとても丁寧に答えてくださいました。誰もに当てはまる心の状態を「何度も同じことを聞いて申し訳ない」と言いながらも勇気を出して質問してくださったDさんは、なかなか心が変わらないしアーサナも瞑想も集中できない、今の状況をなんとかしたいと真摯に質問されました。
サーナンダさんは誠実におっしゃいました。
「皆、そんなものです。Dさんだけでなく、皆じぶんがちっとも変わらないことに気づいて悩みます。その、〝どうしたらいいんだろう〟という苦しみが集中の源になります。頭で考えてなんとかなる問題はそれでいい。頭で考えてなんとかならないから、集中が起こるのです。なぜこの問題が繰り返し起こるのか、なぜ苦しむのか、どうしたらいいのか、心をじっと見つめていくのです。すると自分が掴んでいる思いが見えてくる。今の状況が決して悪いわけではなくて、これから本当の瞑想に進んでいくんです。それでいいです」。
Dさん「問題はどうでもいいことなんですか」
サーナンダさん「執らわれている問題は解決していかないといけない。例えば執着しているならなぜ執着しているのか、みつけないといけない。単純にこれは無知だから、エゴだからではなくその正体を掴んだ時にはじめてこれがエゴなんだと分かる。その時、真理の教えと照らし合わせる。手放したほうがいいか、掴んだままがいいか、心に突きつけることになる。1回や2回でできないです。ずっと見続けることによって、集中を持続することによって、心の奥にある精妙な思いが見えてくるのです。その時に、サーナンダさんは何て言ってたっけ?とレジュメを見てしまったりすると集中が弱まってしまうのです。そうではなくて、自分の心が何に苦しんでいるのか必死になって切実に感じ取っていく。真剣にその問題に向き合っていくことで、その正体が捉えられる」
Dさん「切羽詰まった感がないんですか?」
サーナンダさん「切羽詰まった感はあるけど、答えを導き出そうとあれこれ頭を使ってしまっているような気がします。もう十分教えを学んだのだから、誰かに聞くのではなく自分で見つけ出す覚悟を決めればいいと思います。他人に聞いたらぼやけて粗大なところに戻ってしまう。他人はヒントは与えられても、その答え自体は与えられないから。ずっと考えていたらひらめきがやってくるかもしれない。でも答えが得られるかどうかもわからないんです。だから必死になる。自分で答えを見つけるしかないんです。その葛藤は闘いですよ。でも本当に解決したい問題は真剣に向き合っていけば、原因であるエゴや無知に行き着きます。だから、それに向き合って答えが出るまで持続するのがポイントです」

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毎回、真剣だけど軽やかなサットサンガ。

その後も瞑想について、信仰についての真剣な質疑応答が続きました。
サーナンダさんから明確な答えをいただいて安心した方、識別について具体的に何をするのか理解が深まり、同時にまた強い信仰心を育んでいくことの大切さを痛感したという方もおられました。
そして3回シリーズは終わってしまったけど近いうちに、またサーナンダさんに来ていただけると有り難いという多くの声を聞くことができました。
サーナンダさん本当にありがとうございました。
そして、私たちを導いてくださっている京都の師、ヨギさんに心からの感謝を捧げます。

アーナンディー


Manasa Bhajare

9月27日(火)は、大阪市阿倍野区でクラスを開催しているプレーマヨーガサークルで、「バクティサンガム」がありました!プレーマヨーガサークルで「バクティサンガム」が始まったのは今年の2月からで、今回で3回目になりました。最初は、キールタンに触れるのは初めて!という方も多かったのですが、一度でも参加されると皆ミラバイさんに魅了され、すっかりファンになり、今では毎回ミラバイさんが来てくださるのを、心待ちにしています。
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プレーマヨーガサークルに通ってくださっている方は、スタッフも含めてほとんどが主婦です。仕事をしている人も多いので、一日のほとんどの時間は誰かのペースに合わせて仕事をし、自分のために取れる時間はほんのわずかです。また、特に子供が小さいうちは、瞬時に気持ちを切り替える必要のある場面が多々あり、じっくりと腰を落ち着けて何かを考えるということがほとんどないのが実情です。そんな中で、ヨーガを日々実践していくには、一瞬にして神のもとへと駆けていくことができるキールタンがどうしても必要で、実際私のヨーガの実践はキールタン抜きには考えられません。ですから、皆さんにキールタンを知っていただきたい!ミラバイさんに来ていただきたい!ということは、私たちがプレーマヨーガサークルを始めたときからの強い願いで、それを快く引き受けてくださったミラバイさんには感謝の思いでいっぱいなのです。

さて、そんな3回目の「バクティサンガム」で歌ったキールタンは……♪
「Manasa Bhajare」
「Sri Krishna Govinda」
「Narayana」
「Hare Krishna」
そして歌の間に、シュリークリシュナの幼少期の神話やバクティヨーガについて、また私たちの師であるヨギさんのお話をしてくださいました💖
みんな一心にミラバイさんを見つめ、言葉に聞き入り、泣いて笑って夢中でキールタンを歌いました。
それは、一瞬一瞬がすべてキラキラした特別な時間で、みんなの色々な思いもすべて包み込んで神のもとへ束ねられて一つになっていくようでした。

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Manasa Bhajare Guru Saranam Dustara Bhava Sagara Taranam
心よ信じよ グルの庇護を この超えがたい俗世の大海を渡らせるものを

ヨーガを始める以前は、ミラバイさん自身も〝神なんていない〟と思われていたそうで、そのように、私たちは、本来私たち自身の本質である神を忘れてしまうのだそうです。そして、世の中が神を忘れた人たちでいっぱいになったとき、神は、私たちが思い出せるようご自身が人の姿をとって、私たちの前に顕れてくださると話してくださいました。
ある時、ヨギさんがミラバイさんに言われたそうです(正確な言葉ではないかもしれませんが……)。
私たちがたとえ神を忘れてしまったとしても、神のほうでは決して私たちのことを忘れることがないのだと!!

それを聞いた瞬間私の中で、ヨーガに出会うまでの苦しみとヨギさんにお会いできた喜びが弾けて溢れ出してきました。それは今思えば、まるで真っ暗な海をただ一人泳いでいるような、どこへ向かっていいのかさえわからない心細さでした。何のために泳ぐのか、泳がなければいけないのか、このままわからないとしたら苦しくて息が詰まりそうだと思っていた頃、私はやっとヨギさんにお会いすることができました。それは真っ暗な海に差し込んだまっすぐな光で、そこへ向かいさえすればいいのだと、生まれて初めて感じた完全な安心でした。「Manasa Bhajare」を初めて教えていただいたとき、私が感じたことはこれだったんだ!と感動したことを、そして神を忘れることがどれほど苦しいことなのかということを、まざまざと思い出した瞬間でした。その後、これから私が一瞬でも神を忘れることがありませんように!と祈りながらキールタンを歌いました。
ミラバイさん、今回も本当にありがとうございました!

赤阪充代


「ブラヨーヘイ」vol.6 京都駅編

img_1129今回の「ブラヨーヘイ」は京都駅編――『瞑想専科』のお知らせです〜😎📢
来月の10月20日(木)から京都駅のキャンパスプラザで瞑想専科がスタートします。
昨今、ヨーガといえばいろんなポーズをするアーサナが主流になっていますが、本来は瞑想がメインなんです。

「ふ〜ん、そうなん。でも瞑想って、インドやどこかの山に籠ってせなあかんのちゃうの?」

と思う方もいるかもしれませんが、そんなことはないんです。
どこでも、誰でもできるんです😎☝️

今回、瞑想専科で講師をされるのは、サーナンダさんというヨーガを25年以上されている最古参の先輩グルバイです。
サーナンダさんは、今はお子さんが独り立ちし、企業を早期退職してヨーガの講師をされていますが、以前は大企業に勤めながら20年以上ヨーガを黙々と実践されてきた方です。
この瞑想専科に僕は見倣い&助手として参加させていただくことになり、会場選びから企画まで少しですが携わっていますが、その会場選びの途中、空き時間ができたので、サーナンダさんと京都駅近くの銭湯「白山湯」に行ってきました♨️
入浴後、僕たちは瞑想について話をしたのですが、サーナンダさんは次のように話されました。

「瞑想は人それぞれ、集中しやすい、入りやすい対象がある。それはこの男湯の入り口と女湯の入り口があるようなもの。でも最終的にはみんな服を脱いで裸になる、つまり無になる」

まるで19世紀インドの大覚者シュリー・ラーマクリシュナのように、その場にあるものを巧みに喩えにして分かりやすく瞑想の話をしてくれました。
流石ですね〜✨

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入浴後のサーナンダさん♨️

「どんな人でもどんな環境でも、瞑想はできる」ということをサーナンダさんは身をもって教えてくれています。
サーナンダさんはこの瞑想専科を3年のスパンで計画立てており、少しづつヨーガの歩みを実感できるようにプログラムを考えています。
学生、社会人、主婦、定年退職された方、いろんな方に参加していただきたいと思っています。
瞑想を生活に、そして人生に取り入れていきましょう〜😁👊

日時:10月20日(木)〜毎週木曜日 19:00~20:30(18:45開場)90分クラス
会場:キャンパスプラザ京都2F和室
京都駅烏丸中央口より徒歩5分
※1/12,1/19, 1/26のみ、以下の会場にて行ないます。
ニュー末広ビル7F 京都駅烏丸中央口より徒歩1分

詳細はホームページをご覧いただけたらと思います。

飯尾洋平


ヨーガの醍醐味 ギャーナ・ヨーガ

今月10日に発刊された『パラマハンサ』、みなさんは読まれましたか?久しぶりにヨーガの醍醐味シリーズが再会しましたね。ご存知ない方もおられるかもしれませんが、『パラマハンサ』では2008年〜2009年頃にも連載がありました。私がちょうど『パラマハンサ』を購入し始めたのもこの頃です。
ヨーガには、ラージャ・ヨーガ、ギャーナ・ヨーガ、バクティ・ヨーガ、カルマ・ヨーガと4つの特徴的な道がありますが、それぞれ連載がありました。そのころ私はヨーガの教えの理解が乏しく、4つのヨーガの特徴も理解できておらず、教えがこんがらがっているような所がありました。また、ヨーガの教えを具体的に実践するということがどういうことなのかが分かっていませんでした。
ヨーガの醍醐味を読むと、先輩方の体験とともに、どの教えを元にそれを行ったのかが具体的に書かれてあり、教えを実践するということがとても分かりやすかったのです。自分のヨーガの歩みにとても助けになり、毎回楽しみにしていました。なので、連載がスタートしてとても嬉しいのです〜!!執筆者の方、ハードルが上がったかもしれませんが頑張ってください。楽しみにしています!

さて、今回はギャーナ・ヨーガ(前半)でしたね。ギャーナ・ヨーガと言えば「私は誰か」という問いかけ。私たちが通常「私」だと思っているもの、名前とか、体とか心とか、それを含めた全体とか、そういった常に変化するものは本当の私ではないとヨーガは教えます。そして、永遠不滅の本当の私を探求するのがギャーナ・ヨーガです。でも「私は誰か」って、その質問の意味、分かります?私はまったく分かりませんでした。

でも少し前にとても面白い経験があり、「私は誰か」という問いに対してイメージが変わりました。

あるとき、日常の中で心が動揺していることがあり、その原因を考えていました。いったい何に動揺しているのか、どの点が気になっているのか、何に納得がいっていないのか……。じーっとその時の状況や心の思いに集中し、ただ黙って見ていたのです。すると突然、「このように心を見ているのは誰か!!!!?」という問いが自分の中から突然飛び出してきました!そのとき、漠然と自分が自分と思っているものが自分ではない!!!という直感があり、天と地が逆転するほどビックリし、唖然としました。

自分が何者であるのか分かっていないのに、こんなことをして何になるのか???と思った途端、今まで心に引っかかっていた思いはどうでも良くなり、「私は誰なのか」ということだけに支配されました。

その経験があって初めて「私は誰か」という質問の意味と探求する目的と、ギャーナ・ヨーギーへの憧れを感じました。次回のパラマハンサにはギャーナ・ヨーガ(後半)が掲載されますね。楽しみです!!


「ブラヨーヘイ」vol.5 四条河原町編(3)

今回の「ブラヨーヘイ」四条河原町編(3)は、ROUND1でボウリングです〜😎
最近はボウリングの人気も下火でしょうか、「ニューヨークの大きなボウリング場も潰れていた」と、先日アメリカから帰国された師がおっしゃっていました。

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ボウリングの球の輝きに負けていない、僕の頭…😎✨

ところで皆さん、ボウリングでピンを狙う時、どこをめがけて投げますか? ピンをめがけて投げますか?
僕はピンではなく、手前の「印」をめがけて投げます。

img_1060経験上、遠くのピンを狙うとガーターになることが多く、手前にあるこの印を狙うと、自然と真っ直ぐ投げられるんですね。
ボウリングをした人なら誰でもこのポイントは知っていると思いますが、何かと共通していると思いませんか?
そうです、「神への瞑想」なんです‼️
悟りそのものである神は本来、姿形がない唯一にして絶対の存在ですが、その無形の神が姿形をとった存在がシヴァ神やカーリー神だといわれています。
ボウリングで喩えると、手前ある印がシヴァ神やカーリー神ということになります。
つまりヨーガで教える神への瞑想もボウリングと同じで、いきなりつかみにくい無形の存在を瞑想するよりも、イメージしやすい姿形をもった神に瞑想する方が悟りの境地に至り易いというわけなんですね。

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シヴァ神を踏みつけている聖母カーリー。 イメージしやすいかは人それぞれですが、強烈な印象を心に残します😅

「なるほど〜」と納得されている方もいるかもしれませんが、堅苦しい話はそこそこにしておいて、今からはMr.嶋田とのボウリング対決をレポートしたいと思います‼️
20〜30年振り?!のボウリングというMr.嶋田。

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ボールを置きにいって失敗したMr.嶋田(笑)

結果は……

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どっちがユクテスワで、ヨーガナンダなんでしょうかね〜?
まあMr.嶋田は、「すべて今のままでいい」というお墨付きを師からいただいているだけあって、神にお任せ的なことが上手いなと感じました(笑)。

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僕は後で自分のフォームを写真で見て思いましたが、何か格好悪い……😓
ボウリングもそうですが、どうやら僕は神への瞑想だけではだめなようです。
ちゃんとアーサナや識別、無私の働きを徹底しないと、オール・ストライクという悟りの境地は遠いようです(笑)
でも本当にボウリングを上手くなりたいのなら、フォーム修正や心得を教えてくれるボウリング・マスターに倣うのがいちばん良いように、ヨーガもグルの傍で学ぶことが悟りへのいちばんの近道ですよね😎☝️

飯尾洋平

 


特別サットサンガー大阪編

こんにちは、シャチーです。本日9月17日(土)はヨーガ・ヴィハーラのクラスに行ってきました。
お部屋に入ると彼岸花(別名:曼珠沙華)が一輪、赤くて繊細な花びらを揺らしています。毎年アーシュラマのお庭で咲く彼岸花、シャーンティマイーさんが秋の香りとともに運んできてくださいました。

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さて、ニューヨークより、師であるヨギさんが戻られてまだ1週間と少しですが、大阪では、ヨギさんにお越しいただいて行なわれる特別サットサンガの準備が進められています。初日の5日夜の会には、すでに20数名の方からご予約をいただいており、そのうちの半数以上がヨギさんにお会いするのが初めての方たち。また久しくお会いできていなかった懐かしい顔ぶれもそろいます。
皆さん、ワクワクドキドキ、やっとこの時が来た!と楽しみにされています!
また何度もヨギさんにお教えをいただいている方たちは、いつか大阪に来ていただきたいと願ってはいたけれど、本当に実現するなんて!と感激もひとしおです。

皆さん、通っているクラスはさまざまですが、学び始めて1〜2年という方も多く、真理の話は、分かるけれど、本当には分からない、言葉は理解できるけれど難しい、そんな思いを抱いている方も少なくありません。それでも何とか理解しようと、クラスに毎週参加することを習慣とし、熱心にアーサナを行ない、ヨーガの話になれば真剣にメモを取る、そんなお姿を拝見してきました。だからこそ、今ヨギさんにお会いできるチャンスをいただけたことに感謝です!

ヨーガではグル(師)の存在は欠かせないといわれます。
グルの言葉の意味合いは、闇を照らす光、闇とは心の中に潜んでいる無知や執着のこと。そしてこの無知や煩悩にただ一度も触れたことのない純粋な存在、真のグルこそ、無知に迷う私たちをまっすぐに真実へと導くのです。

ヨギさんに直接お会いすること、直接お言葉をいただくことはとっても大事なことだと思います。私もそうでしたが、その時には分からなくても、心の奥深くに真理の光が届き、きっと何かを感じることができると思うからです。そうして誰もが、今あるところから少しでも前進し、真の目的を見つける事ができたなら、それはそれは素晴らしいことではないでしょうか。ぜひご参加ください!!!!!!!

10月5日(水) 19時〜21時 中央公会堂 2F 第7・8会議室(続き間)
10月25日(火)11時〜13時 プレーマ・ヨーガサークル

*11月6日(日)には14時より京都アーシュラマでも特別サットサンガが開かれます。
詳しくはホームページをご覧ください。


さまらさの台所 9月

先日の日曜日はさまらさの台所でした。今回紹介したのは麻婆豆腐。さまらさの麻婆豆腐はお肉を使わず豆腐となすを使います。秋なすを使って美味しい食べ応えのある麻婆豆腐ができあがりました。麻婆豆腐といえば、豆腐を入れるだけで作れるレトルト!というイメージがあるようです!自分で作ったことがないという方もいましたが、今回のさまらさに出て、意外と簡単なメニューだったんだと驚いておられました。
今回も京都市北青少年活動センターをお借りし、16人の参加者がありました。

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豆腐はしっかり煮ることで、水っぽさがなくなりぷりぷりとした食感になります。
崩さないように丁寧に火を通すのがポイントです。
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食器も中華用のものがありました!まるで中華料理店のよう。
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はじめにも書きましたが、麻婆豆腐といえばレトルト!というイメージがあるようですが、意外と自分で作れるものです。ヨーガにおいて、そういう驚きはとても大切だと思います。私もさまらさを学ぶ中で、こんなに簡単に美味しいものが作れるんだ!と感動したことは何度もあります。そして、それは、料理だけに留まらず、日常の中にあるちょっとしたことにも通じています。「こんなことできない」とか「これは作るものでなく、買うものだ」とか自分で無意識に決めてしまっていることも、もう少し自由にとらえてみたら、「なーんや意外とできるやん!」なんてこともあるのです。自分で勝手に決めているあらゆることを少しずつ「本当かな?」と探っていくことは、自分の固定観念を崩していける一歩になり、自分自身が少しずつ自由になっていくことになると思います。さまらさを通じてそんなことを感じてもらえたらいいな〜と思った一膳でした。


師 ニューヨークより帰国される

ヨーガは、真実に目覚めるための数千年の古代から伝わる霊的な道です。ヨーガを学ぶには、ヨーガを成就したグルが不可欠です。言葉を超えたグルの導きは、道を歩もうとする私たちにとってはかけがえのないものとなります。サットサンガ(真理の集い)とは師を囲んでの神聖な集まりのことであり、師から直接教えを授かる最も大切な学びの場として位置づけられています。

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私たちの師は六月から九月までの三ヶ月間、ニューヨークに滞在され、ヨーガを学ぶ者たちにその教えを説いてこられました。今回はシカゴにも足を伸ばされ、多忙な日々を過されたようです。先日、その滞在を終えられ、日本に帰国後初めてのサットサンガがありました。
同行した弟子たちのニューヨーク滞在の報告の後、師はニューヨークの弟子たちのサンガの意識が深まってきているとご報告になりました。
サンガとは同じ志をもった修行者や仲間たちの集まりのことです。ヨーガにおいては、真実に目覚めるために努力する者たちが、グルの指導のもとお互いに励まし合い、助け合い、修行を深めていく集まりのことになりますが、師はニューヨークのサンガも、理想の人生を共有し、それぞれが積極的な活動を行なっていくことができるようなったと喜ばれました。

今回、何度目かのサットサンガの参加となるMさんは、師の教えに触れ、また先輩グルバイ(弟子)の純粋な眼差しに心を打たれ、ヨーガの道を邁進していこうと決めたとその決意を語ってくれました。これからヨーガを実践するうえで、世の中とどう折り合いを付けていったらいいのかというMさんの質問に対して、師は、真理というのは永遠でリアリティそのものであるが、世の中というのは常に変化して消滅を繰り返すものである。その中に身をおいて暮らしている私たちは、世の中の事は淡々と義務として行ない、それ以上執着をもたないように対処していくことが大切である。ヨーガに身を捧げていくようになると、逆に世の中の方が自分たちについてくるようになるよと、Mさんの決意を後押しされるように、心強いお答えをくださいました。

こうやってまた一人、同じ志をもつ仲間がサンガに加わりました。ニューヨークのサンガのように、個人個人が積極的に行為できるよう、お互いに研鑽し合い、ますます日本のサンガも充実させていきたいと、思いも新たにしたサットサンガでした。

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階段の上に生けられたヤマゴボウの花

ダルミニー


篠山へ行ってきました!

一昨日9/8(木)、初めて篠山(京都府)へ行ってきました〜!
ヨーガ仲間の田原さんが子育て支援をしているグループが篠山や丹波にあるのですが、なんと「さまらさの台所&サットサンガ(ヨーガの学び)」開催の依頼をいただいたんです〜。
どんな方たちとの出会いがあるのかな〜と、とっても楽しみにして向かいました♪

篠山田園風景

田園風景の続く(写真は黒豆畑)とってものどかな道中。

今日のメインメニューはお野菜の南蛮漬け。お家でお野菜を作っているという方がたくさんおられるということで、食材を持ち寄っていただきました。まさにとれたて、プラーナ(生命力)に満ちたなすやピーマンたちが集結☆

お野菜

色鮮やかなお野菜がいーーーっぱい。 お土産もいただいて帰りました。ありがとうございます!

調理から片付けまでとってもスムースに進んでいきました。さすが主婦の方ばかりですもんね。動きが素晴らしい〜。小さなお子様を抱えながらもサッ、サーッと軽やかでした。

今日は常備菜の切り干しのカレー風味もご紹介したので、戻し汁を南蛮酢の昆布だしに加えました(コクと自然の甘みがプラスされました)。ピーマンの種もいただくのにはちょっとした驚きの声が。「捨てるもの、というのは観念だったのですね」とおっしゃっていました。
出来上がった料理はお野菜だけなのにボリュームがあって満足!とみなさん喜んでくださっていましたね。地元の新鮮なお野菜の味わいは格別! 本当に美味しかったです。

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食事のあとはみんなで円になってヨーガの話をしました。その周りでは小さな子供たちがはしゃいで元気に遊び回っていましたが、話が始まった瞬間に、輪の中の空気が変わるのを感じました。
みなさんの真剣な表情に私は惹き付けられました。

サットサンガ

「感情が制御できずだめだと思ってしまう繰り返しをなんとか乗り越えたい」
「心がいつも忙しく落ち着かない、動き回っている心を静めたい」

「人の評価を気にして生きるのではなく、真実を見つけたい」

今の自分をなんとか変えていたい、もっと学びたい、という熱意のこもった声が次々と続きました。子育てを通して日々自分と向き合っておられるからこそ出てくるものだと思いました。
心はなぜざわめくのか、そして思い通りにならない心の方向性を変えるにはどうしたらいいか、どのような自分になりたいかを見つめることなどが話題になりましたが、皆さんが素直に心を開き、積極的に発言されたことで、真剣だけれど楽しく、笑いあり、うるっと涙もあり、あっという間に時間が過ぎました。

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帰宅後、篠山でまとめ役をしてくださった藤原さんから嬉しいメッセ―ジをいただきました。
「今日は本当にありがとうございました。 またかけがえのない出会いと時間を共有させていただけたこと、とてもとても感謝しています。 ヨーガに出会って、教えていただいたこと、感じたこと……また今日改めて再確認できたことも多くありましたし、実践できていなかったことに気づくこともできました。 早速、自宅に帰ってしたことは、今していることに集中すること、そして、心が反応した時、深呼吸することです。 こうして日々続け、積み重ねていこうと思う力をいただきました。 今後このご縁が続きますように……」

市内から離れた自然豊かな小さな町にもヨーガの光が届いていて、素敵な仲間たちがいることに感激しました〜。次回、またみなさんとお会いできるのを楽しみにしています!

シャチー&マードゥリー

シャチー&マードゥリー

*毎月第4日曜日は東大阪の田原さん宅(いるかさん家)でも「さまらさの台所&サットサンガ」を行なっています。どなたでもご参加できます。お子様連れもご相談ください。