秋の特別クラスin京都 ご案内

みなさん こんにちは

朝、夕はずいぶん涼しくなりましたね、いかがお過ごしですか?
毎日のアーサナで体調管理は、ばっちりのはずですよね。

さて、火曜日の六角クラスと日曜日の下鴨クラスでは、九月から十一月までの三ヶ月間、通常クラスの最終週のみに、ヨーガの学びをメインとした特別クラスを設けました。

火曜日の六角クラスは、確かなものを見つける と題して、人生って何だろう、またどんな自分が理想的かということを見つめていきながら、リアルな生き方とは何かを学んでいきます。

日曜日の下鴨クラスは、瞑想したいけど、どうすればいいのか分からない、瞑想って何だろうと思っている方に向けて、この秋 瞑想にすわる と題して瞑想の基本を学ぶコースとなっています。

この秋、ひと味違った自分に変身したいあなた、ぜひご参加ください。待っています。

 六角スタジオ 特別クラス

日時:9/27,10/25, 11/29
火曜日 19:00〜20:30 (18:45開場)
内容:ヨーガ・アーサナ 30分/瞑想 10分〜/ヨーガ・トークス Q&A 30分〜
料金:2,160円/回

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下鴨 特別瞑想クラス

日時:9/25,10/30, 11/27
日曜日 10:00〜11:30 (9:45開場)
内容:ヨーガ・アーサナ   30分〜/ヨーガ・トークス   Q&A 30分〜/瞑想 15分〜
料金:2,160円/回

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「ブラヨーヘイ」vol.4 四条河原町編(2)

「ブラヨーヘイ」四条河原町編(2)は、タワーレコードです😎🎧タワレコ①
最近はiTunesなどネットでダウンロードして音楽を聴く時代になってきていますが、僕はアナログCD世代なもので、ダウンロードはしたことがありません😣
ただ、レコードやCD、ダウンロード配信にと、時代によって音楽を聴くツールはさまざまですが、それらは「音楽が記憶されたメディア(媒体)」と括ることができると思います。そこで今回は「記憶」についてちょっと取り上げてみたいと思います。

人間が記憶という力をもっていることは、誰もが実感していることだと思います。ただその力、つまり記憶力は人それぞれで、程度の差がありますよね。
僕は以前、ヨーガの先輩弟子である京都大学卒のサナータナさんとハワイ大学教授のヴィショーカさんと記憶力について話す機会がありました。サナータナさんは何かを覚えるときは「記憶の引き出し」のようなものを使っているそうで、その力は生まれながらに備わっていて「自分でもズルいと思う」と話していました。ヴィショーカさんは「記憶力というのは筋力のようなもので、トレーニングしたら身に付く」と述べていました。二人は共感するように記憶力について話していましたが、詰め込むだけの勉強しかしてこなかった僕とは次元が違うなと思いました(一応、龍谷大学卒&修士課程修了)😓
この記憶力があるのとないのとでは学歴や職種などにも少なからず影響し、その人の人生が変わるほどの力だと思ってしまいますよね〜😑

虚空蔵菩薩

虚空蔵菩薩坐像 石徹白大師講 平安時代後期(12世紀)頃の作

歴史上においては、日本で高僧といわれている弘法大師空海が20代前半の頃、記憶力を増長させる修行法を行なっていました。それは「虚空蔵求聞持法」という修行法で、智慧の象徴である虚空蔵菩薩の真言を百万遍唱えたら経典の教えをすべて記憶できるというものでした。空海はこの修行に勤しんだ結果、土佐の室戸岬の洞窟で「谷響きを惜しまず、明星来影す」という神秘体験をします。記憶力増長のために行なっていた修行でしたが、この体験後に空海は、この世の儚さと厭離を感じ、慈悲心が生じるようになったと自らの著書『三教指帰』で語っています。この虚空蔵求聞持法は空海にとって記憶力以上の霊的な変化をもたらしたものだったようですが、天才と呼ばれる空海も記憶力を欲していたことが見て取れるエピソードです。

僕自身、ヨーガをして記憶力が格段に良くなったということはありません。なんせ龍谷大学出身ですから😓ただ何年か前、記憶に関係する瞑想体験がありました。ヴィヴェーカーナンダという聖者に瞑想していると、光のようなものに吸い込まれていき、その途中、何かが見えたので引き返すと、そこには「巨大な壁」がそびえ立っていました。そしてよく見ると、その壁一面には「無数の小箱」が整然と埋まっていました。瞑想から醒めた時、これは「心の記憶構造」ではないかと感じました。つまり、膨大な量の記憶をカテゴライズして所有するという記憶の仕組みではないかと感じたのです。そしてその後、タワーレコードの店内――膨大な量のCDがジャンル別にカテゴリー分けされ、簡単に見つけられる仕組みーーが心に浮かび、タワーレコードが心の記憶構造と類似していると思ったのです👀💡
タワレコ②

約2年前に僕は介護福祉士の国家試験を受けました。その時の勉強法は、以前のようにただやみくもに詰め込むのではなく、ざっくりとですがカテゴリー分けを行ないながら整理して勉強を進めるタワーレコード式勉強法を取り入れてみました。そうすることで勉強がしやすくなり、結果的に試験にも通りました😎✌️といっても、合格率60%の試験でしたが……😅

最後になりますが、師であるヨギさんは記憶について次のように話していました。
「空海は若い頃に虚空蔵求聞持法をしていたということで苦労人だったということが分かる……私は中学生の頃、記憶力が良すぎて何でも覚えてしまうのが嫌だった。それで記憶することをやめようと思った。そう思った瞬間、記憶することをやめれた」
あり得ないような話ですよね……物だけでなく記憶やその力の放棄、また思いと行為の完全なる一致を物語る驚愕のエピソードだといえます……😲‼️

飯尾洋平


アーナンダのさとり

みなさん、こんにちは

今日もまた本願寺出版社の「ブッダ」をお伝えしたいと思います。

悟りを啓かれてから四十年以上もの間、真実のみを語り、人々に教えを説いてこられたブッダでしたが、ヴァイシャーリーで自らの死期を悟り、アーナンダを伴って最後の旅に出たのでした。

小康状態を保っていた病状はクシナガラで一気に悪化した。「アーナンダよ、私のために床を用意してくれ」アーナンダは言いつけられた通りに沙羅双樹のもとに床を設えた。ブッダは頭を北に向け、右脇を下にして横になった。

その頃、クシナガラに住む遍歴行者のスバドラは声を聞いた。

「今夜、修行者ガウタマが亡くなるだろう」急がなければ、とスバドラは思った。「今、この時を逃せば、私はもう二度と真実の教えを聞くことはできないだろう。修行者ガウタマこそ、私に道を説くことができる唯一の修行完成者にちがいないのだから」こうしてブッダのもとに赴いたスバドラは、ブッダから真実の教えを授かり、最後の直弟子となった。

ブッダは力尽きたようにぐったりと横になっていた。すでに大勢の修行僧が噂を聞きつけて、ブッダの周囲に集まり始めていた。未熟な修行僧たちは嘆きや悲しみを声に出し、体で表していたが、熟達した修行僧は感情を抑えて、無常の真理をかみしめながらブッダを見守っていた。アーナンダはブッダとの別れが辛く、悲しく、声を殺して泣いた。

「やめなさい、アーナンダ。悲しむな、嘆くな。お前にはもう話したはずだ。愛しいもの、好きなものとも別れ、離れ、生存の場所を異にしなければならない。およそ生じたもの、作られたもの、存在するものは壊れ去る。その理から逃れるものはない」

そのあとでブッダはそっとアーナンダに耳打ちをした。

「お前は特に婦人に人気がある。よく気を付けて、慎みなさい」

アーナンダはブッダの言葉をしっかりと脳裏に刻み込んだ。長年の修行の間に聞いたブッダの言葉は、ひとつとして逃がすことなく記憶に残っていた。その言葉のどれもが金色の清浄な輝きを放っている。

ブッダ (26) 

しばらくの沈黙のあと、ブッダは集まった修行僧たちに最後の言葉を告げ、完全なる涅槃に入っていった。

修行僧たちよ、すべての営みはうつろい、過ぎ去っていく。ひとときも怠らず、修行に励みなさい。

 

ブッダの葬儀後、長老たちが集まり、今後の教団運営について話し合った。長老として長らく教団を率いてきたシャーリプトラとマウドガリヤーヤナの二人はすでに亡く、マハーカーシャパが長老のまとめ役となっていた。

「ブッダの教えと戒律がどのようなものであったのか、確認しておかなければならない。無用な混乱を避けるためにも」

教えについては、二十五年間ブッダの側にいたアーナンダにその大役が任ぜられた。悟りを啓いていないアーナンダは、その日までに悟りを啓くよう、マハーカーシャパから言い渡されたのだった。

早く悟りを啓かなければ、大事な役目を充分に果たせない。アーナンダは心を静めてブッダの言葉を思い起こす作業に没頭した。しかし結集前夜になってもアーナンダは悟りを得ることができなかった。自分は至らなかった。けれど、明日は自分ができる精一杯のことをしよう、私には力はなくとも、ブッダの言葉には力があるとアーナンダは思った。

床に就こうと目を閉じた瞬間、ブッダの声が聞こえた。

「アーナンダよ、お前は善いことをしてくれた」

心に染みこんでくる懐かしい声だ。ブッダよ、アーナンダはこみ上げてくる涙を抑えてつぶやいた。ブッダは常に暖かく見守ってくださった。自分の至らなさで迷惑をかけたし、心を煩わせるばかりだった。けれど、ブッダは大いなる慈悲で包み込んでくださった。

「お前は善いことをしてくれた」

自分は善いことなどひとつもできていない。それでもなおブッダは、お前は善いことをしてくれたと声をかけてくださるのだ。私はもう迷うのはやめよう。ふっと全身から力が抜け、こわばりが取れた。自由な、軽やかな心持ちになった。翌日、アーナンダは大いなる慈悲に包み込まれている喜びを感じながら、清々しい気分で結集の場に立った。

「私はこのように聞きました。ある時、ブッダは……」

スバドラの逸話からは、本当に最後の最後まで、人々の苦を滅するためだけのために、真実を説いておられるブッダの姿が胸に迫ります。さまざまなカーストの弟子たちを平等に見て導いてこられたブッダ、雨の日も風の日も動じることなく托鉢に出られるブッダ、人々の話を真摯に聞き、誠実に教えを説かれるブッダ、いつも穏やかでにこやかに微笑まれるブッダ、二十五年間、ブッダの側にいたアーナンダでしたが、苦しむ人々のため真実を説かれ続けた、血の通った人間ブッダのお姿、いつも愛深く見守ってくださっていた師のお姿そのものが、アーナンダの心の目をひらかせ、悟りへと向かわせたのだと思いました。ブッダは偉大なヨーギーであったと私たちの師は教えてくださっています。時空を超え、ブッダは今も私たちの側にいて、優しく見守り、助けてくださっている、そんな安心感を胸に覚え、私はこの本を読み終えたのでした。

ダルミニー

 


「ブラヨーヘイ」vol.3 四条河原町編(1)

皆さん、こんにちは。
夏の高校野球も終わり、8月も残りわずかとなりましたが、まだまだ暑い日が続きますね。
そんな残暑の厳しい中ですが、「ブラヨーヘイ」は今回から3回にわたって四条河原町編をお届けしたいと思います。
現代のヨーガ行者は森や山奥ではなく、都会の街がフィールドなんです〜
古代の聖典『ウパニシャッド』では鳥や火などの自然が真理を教える物語がありますが、街もいろんな気付きを与えてくれます🐣🔥

今回の四条河原町編(1)は、京都で一番の中心地、高島屋やOPAが立ち並ぶ四条河原町のスクランブル交差点です。
僕はヨーガを始めて4年が経つ頃、何をしても中途半端な感じで不甲斐ない気持ちでいました。そんな時、久しぶりに四条河原町へ出掛けました。それこそブラッと……四条通りと河原町通りが交わるそのスクランブル交差点で信号を待っていた時、僕はある変化に気付きました。それは、以前とは明らかに見える景色が違っていることでした。大学の頃、毎週遊びに行って見慣れたはずの景色なのに、「あんなところに時計? あんな看板が、あんな店が……」というふうに今まで目にしなかったものが視界に入ってきました。それはこの4年で街の様相が変わったということではなく、自分の視線が上がって👀⤴️、目に映るものが変わっているということでした。つまり、アーサナによって姿勢がよくなり、自然と視線が上がっていたのでした。
アーサナの威力、恐るべし😤&どれだけ今まで猫背🐈で歩いていたのかということに気付かされましたが、この視界の変化は新しい世界が開けたような、驚きにも似た新鮮な感覚でした。
そして僕の下向きだった気持ちも、ヨーガを続けていてよかったと前向きになれたのでした。

四条河原町(1)

Photo by Mr.嶋田

飯尾洋平


「ブラヨーヘイ」vol.2 松山編

お盆も明けましたが、皆さんはどのように過ごされましたか?
僕は実家の愛媛松山に帰省していました🏃
ということで、今回の『ブラヨーヘイ』は愛媛の松山編です〜😎

道後温泉

松山といえば道後温泉が有名ですが、実は「野球王国」といわれるほど、野球が盛んな地域です⚾️
特に松山商業高校は、甲子園で春夏通じて7度の全国制覇をしている名門で、決勝の舞台では高校野球史に残る伝説の試合をしています。
その一つは、1969年夏の大会での三沢戦。延長18回0ー0の末、高校野球史上初の決勝引き分け再試合になり、翌日の試合で松山商業が優勝をしました。
show_img.phpもう一つは、記憶に新しい1996年夏の大会での熊本工業戦。同点の10回裏、松山商業はワンアウト満塁の絶体絶命のピンチで、ライトに飛距離十分の犠牲フライが飛び、誰もが熊本工業のサヨナラ勝ちを確信した瞬間、代わったばかりのライト矢野選手が「これしかない」というバックホームをしてタッチアウト。そして次の延長11回に松山商業が勝ち越して優勝を決めました。この試合は今でも「奇跡のバックホーム」として語り継がれています。

僕は最近、高校野球好きのA君と、ライト矢野選手が当時を振り返ったインタヴュー映像をYouTubeで見る機会がありました。そのインタビューで矢野選手は、「自分でも考えたらゾッとするような、もう2度とできないプレー」と謙虚に話していましたが、あのバックホームの影にあった「毎日の練習」についても語っていました。その練習とは内野、レフト、センターの守備、そして最後にライトの矢野選手のバックホームが決まったら練習が終了するというものでした。矢野選手は自分のバックホームが決まらないと練習が終わらないので、いつも仲間からのプレッシャーを感じながら練習に取り組んでいたそうです。

夢に見た甲子園の決勝の大舞台、矢野選手は試合に出たくてしょうがなかったそうですが、10回裏ワンアウト満塁の時、沢田監督はライトに矢野選手を投入、その代わった途端の一球目、矢野選手のところに犠牲フライが飛び、バックホームでタッチアウト。そして次の回、先頭打者の矢野選手は初球をヒットし、それがチームの優勝へとつながりました。
たった一球で試合の流れを大きく変えた矢野選手のプレーですが、矢野選手自身は「私がしたプレーではあるんですけれど、みんなと共に練習してきた成果が、あの場面で最高のプレーとなって出たのかなと思います」と当時を振り返っていました。                    松山商業高校のグラウンドのベンチには、「千日の鍛錬 一瞬の業」という言葉が記されています。あの「奇跡のバックホーム」は本当に奇跡的ではあったけれど、チームメイトとの三年間の努力の日々があったからこそのプレーだと知り、感動しました😭

矢野選手

バックホームを決め、大喜びでベンチに戻る矢野選手。

※A君と見た動画とは違うものですが、「奇跡のバックホーム」についての特集番組。44分と長いですが、興味がある人は見てください。⇒https://www.youtube.com/watch?v=jCn2Y-2PtZs

正岡子規

道後温泉近くにある正岡子規の銅像

また、A君と見たこのYouTubeには、1969年の対三沢戦の松山商業のスコアラー大野さんのインタヴューもありました。大野さんは野球の歴史などを勉強するにつれ、「正岡子規さんが愛媛県へいち早く野球をもって帰ってくれたことで、愛媛の野球が進歩したのでは――その伝統の強さで優勝できたと今になって思う」と語っていました。実はこの松山、「野球王国」であるとともに「俳句王国」でもあります。その影響には松山出身の正岡子規の存在があります。正岡子規は明治時代に活躍した俳人で、夏目漱石とも親交の深かった人物。この正岡子規は、当時日本に入ってきて間もない野球をこよなく愛し、「打者」「走者」「四球」「直球」「飛球」など今も使われている野球用語は正岡子規が訳したものだそうです😵

ヨーガも四、五千年の伝統をもっているといわれています。聖典『ヨーガ・スートラ』には、「それ、本当なの!?」というヨーガ行者たちが体験した奇跡の数々が記されているのですが、最終境地に至るには「修習」という繰り返しの実践が必須であると教えられています。ヨーガの目的は「心の働きの止滅」――ニルヴィカルパ・サマーディという悟りの境地に至ることです。ヨーガ行者はその「一瞬の業」にすべてを懸け、千日、一万日、一生と修行を重ねます。悟りと聞くとどこか遠く、夢物語のようで奇跡的な感じもしますが、奇跡のバックホームの背景を知って、その成就には毎日の地道な努力が本当に大切であると改めて思いました。

河野さん

最後になりましたが今回、カメラマンとして同行してくださったのは、愛媛のグルバイ(仲間)の河野さんです。河野さんとは松山の特別瞑想クラスやサットサンガなどで何度かお目にかかっていましたが、お話ししたのは初めてでした。河野さんは大学生の頃からキリスト教の教会に通っていたそうで、ある時から足が遠のき、そのような頃に松山ヨーガ・サークルのヨーガに出会ったそうです。河野さんはクラスに行くと毎回、「心が落ち着き、すべてから解放される」とおっしゃっていました。そして何より印象に残ったのは、松山ヨーガ・サークルのグルバイについて話しをするその表情がとても輝いていたことで、ヨーガの仲間のことが本当に好きなんだなと感じました😁

このお盆の帰省は、ヨーガのチームメイトがいる歓びを改めて実感した有意義なものでした〜😇

◎オマケのコーナー◎
お盆休みで帰省していましたが、ヨーガ行者に休みはありません。アーサナ・瞑想後、母とのやり取りで気付いたことを俳句にしてみました✒️

「『煩(うるさ)いね』 言われて気付く 蝉の声」

どうですか、ヨーガの深まりが感じられる一句ではないでしょうか(笑)?

飯尾洋平


愛の苦悩!

世界の主よ! 帰ってきて!
肉体は極度の疲労にあります
どうかこの渇きを癒してください
一晩中叫び続けながら過ごしています
空腹は消滅し、睡眠も訪れなくなった
でもこの罪深き命に死は訪れてくれない
あなたのヴィジョンを与えてください!
そしてこの不幸な人間を幸福にしてください!
ミーラーは別離の激痛の中にいます!
どうか遅れないで!
今すぐ!

ミーラー・バーイー

Valley21

バクティ・ヨーガには、分かたれた愛の十態という、最愛の主と別離にあるバクタに現れる10の状態を表すものがあります。段階的に深まっていくバクティの様子がよくわかります。

愛の始まりは、愛する人に会いたいという切望から始まり、その次はどうやって会えるか、会って愛を勝ち取るかと心を悩ます状態がやってきます。そしてますます愛の感情が高まり、すべての仕事は忘れ去られ、愛する人だけが心にある状態になり、常に愛人の姿や仕草などの特徴を思い起こしては愛の渇望が高まる状態がやってきます。しかし、逢えない状態が続くと、心は揺れ動き、非常な苦痛を味わうようになり、うわ言を言い出すようにもなります。そして、愛人への思いに夢中になり、涙を流して狂乱したかのような状態がやってきて、ついには体は病み心の激痛は最大限になってしまいます。この細密画はちょうどそのような状態を表しているのです。やがて、すべての意識が失われて昏睡状態に陥り、最期には、別離が続きおよそいかなる方法でも合一がもたらされない時、愛の充満の中に死が訪れるのです!

ラージャ・ヨーガでは識別を通して心を空っぽにしていきますが、バクティ・ヨーガはただただ、愛によって進み、愛の中に溶け去り、純粋な愛だけが残されるのです!ミーラー・バーイーはまさにその体現者だったのですね!

サーナンダ


アシタ仙人の予言

残暑お見舞い申し上げます。

みなさん、こんにちは、暑い日が続きますが、いかがお過ごしでしょうか。

今回もまたまた本願寺出版社の「ブッダ」をお届けいたします。だんだんブッダが大好きになってきました。今日はブッダ誕生の秘話、登場していただくのはアシタ仙人さんです。

ブッダ (20)

シッダールタがシャカ族の王子として生まれた時、大地は激しく揺れ動き、強い風が吹いて、雲一つない空からは大粒の雨が舞い落ちた。王宮内の庭からは清水が湧き出し、雨がやんだ空では太陽が輝きを増し、風は芳しく、夜になって灯した火はいつになく大きな炎を揺らめかせた。鳥は囀りを、獣は咆哮をやめ、すべての川は静かに流れた。数々の異変に王は困惑し、森に住む吉凶を占うバラモンを呼び寄せた。

「お悦びなさい。王子はご一族の光明です。王子の身に備わったもろもろのしるし、黄金の彩り、光明の輝きからすると、この方は聖者の道を歩まれるなら、大いなる悟りを啓かれるでしょう。世俗に生きられるなら、王の王たる転輪聖王となられるでしょう」

「王子は立派な転輪聖王となる」バラモンの言葉を聞いて、ようやくシュッドーダナ王の心から困惑が消えた。

それはヴァイシャーカ月の満月の夜、プシュヤ星(蟹座)に月が宿る頃、マーヤー王妃が六牙の白象が胎内に宿る夢を見てから十ヶ月後のことだった。

 

 

「どうされたのですか? こんな遅くに」扉の前に立っていたのは聖者として名高いアシタ仙人だった。

「今日は素晴らしい出来事があった」

「それはよろしゅうございました」笑顔で言いながら、聖者の甥はいぶかしく思った。アシタ仙人の顔は歓びに輝いてはいない。憂いに満ちた表情をしていた。

「今日はシャカ族の王、シュッドーダナの宮殿を尋ねたのだ。神々がそこに一人の子が生まれたと騒ぎ立てていたからだ。私はそこでついにブッダ(覚者)となるべき方にお会いした」

「赤子が覚者なのですか」

「将来、覚者になられるのだ。世の生きとし生けるものの苦を滅し、流転の生に終止符を打つ、偉大な法(ダルマ)に目覚め、説かれるであろう」大きなため息をつき、アシタ仙人は急にまた表情を曇らせた。悲しみの影が差し、今にも目から大粒の涙がこぼれそうだった。

「どうなさったのですか?どうして、そんなに悲しそうな顔をされるのですか」

「………私はもう長くは生きられない。あのお方が覚者となり、苦を滅する法を説かれても私は聞くことができない。それが残念でならないのだ。苦行に励み、一生をかけても私には得られなかった法がどんなものなのか」

アシタ仙人はうつむき、両手で顔を覆った。甥はかすかに震える仙人の肉の薄い背中をただ見守っていた。

「お前はまだ若い。お前はまだ間に合う。あのお方が覚者となられた時、しっかりと法を聞き、身につけるのだ。よいか、これは私の遺言だ」

「承知しました。ところで覚者となられる方のお名前は」

「お名前は……ガウタマ・シッダールタ」

虚空を見つめ仙人の甥ナーラカは、記憶に刻み込むようにその名を繰り返した。

ゴウタマ・シッダールタと

 ブッダの本を読んでいると、その当時の人たちが覚者の出現を待ち望んでいたような、そんな感じを受けます。それほどその当時のインドは混沌としてもいたのでしょうが、インドの精神性の高さも同時にうかがい知ることができます。そんな中にあって同じ時代に生き、縁をもって出会い、教えを授かるということがどんなに希有なことであったのかということを思わずにはいられません。師は、ブッダは偉大なヨーギーであった、ブッダの教えとラージャ・ヨーガはとてもよく似ていると教えてくださっています。ヨーガに出会うまではブッダのことを何も知りませんでしたが、アシタ仙人の甥ナーラカが遺言通り、ブッダからその教えを授かることができたということを知り、本当にめでたいことであったと心から思いました。私たちもまた時空を超えて正しいブッダの教えと巡りあい、それを行為することができる、これは本当に吉祥な縁なのだと身にしみて思うのでした。

ダルミニー


ブログ新企画『ブラヨーヘイ』                              vol.1 「京都みなみ会館」編

皆さん、連日暑い日が続いていますが、夏バテなど体調は大丈夫ですか?
僕はうなぎを食べたためか、とても元気です😁

そんな猛暑の真っ只中ですが、今回からブログ新企画『ブラヨーヘイ』のスタートです。
僕、ヨーヘイがブラッと街に出て、そこで見たことや感じたことをお伝えするユル〜い企画です。
ただ、某番組『ブラタ×リ』のようなヌル〜い感じではなく、ユルさの中にもヨーガ行者の鋭い視点が感じられる内容を目指しています〜😎

『ブラヨーヘイ』記念すべき1回目は、東寺にある映画館「京都みなみ会館」に行ってきました🏃

京都みなみ会館前

鑑賞したのは『永遠のヨギー』という、インドの聖者パラマハンサ・ヨーガナンダの軌跡を辿ったドキュメンタリー映画です。

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この映画は、17歳での師スリ・ユクテスワとの出会いや、瞑想中にアメリカ行きのヴィジョンが啓示され渡米し、SRF(セルフ・リアリゼーション・フェローシップ)を設立したこと、15年間のアメリカでの活動の後、インドに帰国し、師との再会と死別を経て、再びアメリカへ渡り、その後1952年にマハー・サマーディ(ヨーギーの肉体離脱)に入るまで弟子の育成や、自らの生涯を記した『あるヨギの自叙伝』の執筆に尽力したことなど、ヨーガナンダの生涯を写真や映像を散りばめながらダイジェスト的に紹介している内容です。
そのほとんどが『あるヨギの自叙伝』に記されているものでしたが、この映画では本に載っていない事柄――マハトマ・ガンジーを「第二のキリスト」と発言したため、アメリカ政府に迫害的扱いを受け、さらに親友の裏切りがあったりするなど、アメリカでの苦難と葛藤、またそれを乗り越えるヨーガナンダの精神的強さと神の大いなる導きが垣間見れる内容となっています。
また、スリ・ユクテスワやヨーガナンダのマハー・サマーディ、ヨーガナンダがアーサナを指導している貴重な映像も見ることができます。

それとこの映画は、ヨーガナンダの信奉者が数多く出演し、ヨーガナンダから多大なる影響を受けたことについて語っています。
ジョージ・ハリスンをはじめとする欧米の著名人や有識者がそのほとんどでしたが、その中でもひときわ輝いていたのがヨーガナンダの直弟子であるスリ・ダヤマタでした。
彼女はヨーガナンダのアメリカでの活動の初期からのメンバーで、後にSRFの3代目会長になった人物です。
正確な言葉ではありませんが、以下が印象に残ったスリ・ダヤマタが回顧していたヨーガナンダとのエピソードです。

「ヨーガナンダは師スリ・ユクテスワの死後から、『瞑想に没入する私を見たら、オームを唱えてくれ』と言うほど、いつでもサマーディに入ることができる霊的な状態でした。私は今までのように気軽に彼に話しかけることができなくなりました」
「ヨーガナンダは『あるヨギの自叙伝』の執筆を急いでおり、私たちは1日何時間もタイプライターに向かいました。それは弟子の成長のためでもあるようにも感じました。私は彼と共に何時間作業しても疲れなかったのです」

彼の霊性やその変化を肌で感じていたスリ・ダヤマタの回想からはヨーガナンダの息吹が感じられ、何よりヨーガナンダへの愛が溢れ出ていました。

そしてスリ・ダヤマタともう一人、異彩を放っていたのが、名前も肩書きも忘れてしまったのですが、ミュージシャン風の信者でした。
彼はかなりパンチの効いた風貌でしたが、生前のヨーガナンダとのやり取りを次のように語っていました。

「私はヨーガナンダにお酒をやめないといけないかと尋ねた。彼は『いいえ』と答えた。続いてタバコはやめた方がいいかと尋ねると、『いいえ』と答えた。すると彼の方から『異性と交際はしているか?』と聞かれ、『しているならそれもやめなくていい』と言われた。そしてヨーガナンダは次のように言った。『でも、ここ(SRF)に来続けていたら、それらのことに興味がなくなるかもしれない。新しい習慣は新しい回路をつくる。それはレコードの針が落ちる溝のように――そして、その人間の人生を変える』」

このエピソードは、ヨーガナンダの寛大な導きが感じられるものですよね。
今回、カメラマンとして同行してくださったMr.嶋田は、この信者が「自分と重なる」との感想を言っていました。
Mr.嶋田も最愛の師ヨギさんから、「何もやめなくていい。今のままでいい」とお墨付きをいただいたそうです(笑)。

Mr.嶋田

上映前のMr.嶋田。阿部寛ではありません。

※『永遠のヨギー』は京都みなみ会館では8月19日まで、松山のシネマルナティックでは8月14日まで上映されています😃

飯尾洋平


ヨーガ・ヴィハーラの瞑想会 曜日と時間について

今年の夏は去年よりはマシかな〜なんて思っていたら……そんなことはないですね。毎日めっちゃ暑いです!

さて、ヨーガ・ヴィハーラの瞑想会の日程について、変更があるのでお伝えします。

月曜日:毎週 18:30〜20:30まで (開場18:15)

土曜日:奇数週(第1、3、5)19:00〜21:00まで (開場18:45)
第5土曜日の開催が追加されました。

・どちらも2時間の瞑想になりますが、座るために軽くアーサナをしてもらっても良いです。(アーサナをメインにするのはご遠慮ください)
・途中でシャヴァ・アーサナをしてもらっても大丈夫。自分のペースで瞑想していただけます。
・途中参加もできます。(瞑想していますので静かに2Fに上がってきてください)
・ドネーション制で行っているので、良ければ階段横にかけてあるオレンジの入れ物に入れてください(値段は決まっていません)

最後にスワミ・ブラフマーナンダの言葉をご紹介します。瞑想には興味があるけれど、2時間なんてとてもじゃないと思っておられる方もいると思いますが、地道な努力によって必ず良い経験をするようですよ。今日から参加できますので、良かったらぜひお越し下さい!!

「最初、瞑想の実践は無味乾燥に思われるものだ。苦い薬を飲むのに似ている。無理矢理にでも神の思いを心に注ぎ込まなければいけない。続けているうちにやがて、心が歓びでいっぱいになるのだ。試験をパスするためには、学生はどんなに苦しい試練を経なければならないことだろう。神を悟るのはそれよりもずっと容易なことなのだよ!静かな心で真剣に彼に呼びかけたまえ」

 

 


松山の瞑想特別クラス+サットサンガの3回シリーズ2回目!

この暑さに負けることなくヨーガへの情熱を燃やしたいと願う松山のアーナンディーです。
(なんだか暑苦しい登場ですみません!)
7月30日(土)、7月31日(日)に松山で行われたサーナンダさんの2回目の瞑想特別クラスとサットサンガをレポートします。(またまた長くなってしまってすみません!)

1日目は33名(男性6名、女性27名)の方が参加されました。1回目の6月の講座やサットサンガがよかったと口コミで聞いて新しく参加された方もおられました。6月の講座では「生きる目的」について瞑想しましたが、今回は生活を変える瞑想の力!がテーマでした。
7月講座1さあ、これから15分瞑想していきますよ~。

印象に残ったのは、昨年の4月からずっと熱心に参加してくださっているSさんが、時間は自分で作ることについて、ご自身の日常の瞑想を楽しそうに生き生きと話されたことでした。

Sさん「この瞑想特別クラスに来始めて瞑想が変わりました。前は瞑想しようとしても眠かったんですが講座を受けて自分の瞑想が間違っていたのがわかり、姿勢が良くなって瞑想が一気にできるようになりました。また食事も簡単に切り替えたんです。前は食事の支度に45分くらいかかっていたけど、今は作る時間は5分~10分にし、それでも美味しいと言って皆が食べてくれます。私も体力的にその方が助かるし、そうやって時間をつくっていきました。睡眠時間も聞くところによると3時間寝たらいいらしいので、眠れなくても瞑想でもしようかなという気になって座るようにしています。特に家族が寝静まった夜の11時くらいから瞑想すると50分くらい瞑想に入り込めるようになりました。今日のサーナンダさんの話しを聞いて、そんなに食べなくてもいいとか寝なくていいというのがすごくよく分かるんです!」

私は講座の後、改めてSさんとお話しをしたのですが、親の介護をしていて一緒に寝ている母親がお手洗いに起きたらSさんは寝られなくなるそうです。でも「今置かれた状況の中で瞑想の時間を作っていく他ないしね!でもね、昼間は横になることもあるんよ」と明るく笑うSさんの言葉を聞いて正しく学んで実践してこられたからこその信念と力強さを感じました。

瞑想22回目の瞑想は30分間!心地よい静寂に包まれながら。

講座後の感想は前向きな声を多くいただきました。

  • 瞑想と行為の両輪でやっていく大切さがわかりました。実践します。
  • とにかく実践してみようと思った。できなくても諦めないでいようと思った。
  • 少しずつ日常の中でできることを取り入れてきたつもりだったけど、まだまだ変えられることがたくさんあるということ、また自分自身に甘いなということに気付きました。楽しみながら日常の中で実践につなげていきたい。

さて、2日目のサットサンガは19名(男性4名、女性15名)の方が参加されました。皆さんの質問が途切れず50分延長の約3時間に及ぶ熱意に満ちた時間となりました。

今回はバクティとグルの導き、信仰についてのお話しが印象的でした。
最近、アーサナのおかげで心が静かになってきたという女性Iさんに対して、サーナンダさんがバクティとグルの導きについてお話しされました(要約)。
「ラージャ・ヨーガ的にはそれでいいのですが、もう一つバクティ・ヨーガというのがあります。バクティにはグル(神)の導きと恩寵があります。グルの導きは計り知れないものです。グルが与えてくれる力こそが最も頼りになります。どんなに苦しんでいてもグルが一瞬にして活力を与えてくれるのです。自分の力って知れています。グルの教えをどれだけ信仰しているのか、教えを信頼して力にしていけるのかです。ヨーガをやっていくと、まだ目標に達していないけれど世間のことに興味がないという宙ぶらりんの状態になることがあります。その時バクティがあれば楽に進むことができます」
Iさん「バクティ・ヨーガは難しいと思ってしまう。(昨年の講座で教わった)対象に恋愛の気持ちを持つというのがよく分からない」
サーナンダさん「親が子供を思う気持ちもそうだし、子どもが親を愛する気持ちもそうです。その愛の感情を神あるいは聖者に向ければいいのです。バクティ・ヨーガは本当に力があります。理屈ではなくて、聖者のハートに瞑想していけば衝動のように自分の中に既にあるバクティが目覚めるのです。喜びに溢れるのです。聖者のハートに瞑想していく醍醐味はそこにあります」

7月サットサンガ2日目のサットサンガ。質問者Tさんの素朴な本音に思わず笑いが起こります。

また、別の女性Oさんの質問で「自分が苦しむ原因を考えた時、周りの状況に依存していることに気付いた。自分の足で立っていかないと問題が変わっても苦は続く。自立したいと思った。強くなりたい。目の前の人に優しくなりたいと、そういうものが自分の中にある!強さ、優しさはヨギさんと同じものがあると思って瞑想している。日常は昨日の講座で教えていただいたものをやっていきたい。自立できるようになるためにはどうしたらいいですか?」
サーナンダさん「信仰、ヨギさんへの信仰を育んでいかれればいいと思います。心は何かに寄りかからないと自立できません。常に何かを思わないといけない。変化するものに寄りかかると動揺しますが、変化しないものに寄りかかれば動揺しなくなります。信仰を拠りどころにすればいいと思うのです。それに寄りかかっていきたいという思いは発心です。最初は弱いかもしれない。信じている時もあれば弱くなる時もある。でも続けていくことで確かな基盤ができていきます。教えは生きた聖者の口からから発せられたのですから、その存在にこそ心を寄せていけばいいと思います。心を寄せ、いつも思う。そうしていくのがバクティの基本です。聖なる存在に対する信頼、憧れ、素朴な好きという感情を大事にされたらいいです」(要約)

サーナンダさんの言葉がその場にいる皆の心に深く浸透していくのを感じました。講座もサットサンガもサーナンダさんの言葉や揺るぎない実践の一つひとつにヨギさんの溢れる恩寵を感じ、感謝で胸がいっぱいになる2日間でした。
「松山瞑想特別クラス 瞑想を深める」3回シリーズの最後は9月17日(土)「一点集中を極める!」です。翌日、9月18日(日)はサットサンガです。松山の皆さんとお互い助け合って励まし合って、でも軽やかに毎日、実践を繰り返していきたいと思います!

サーナンダさん、濃密な2日間をありがとうございます。
ヨギさん、いつも私たちを導いてくださってありがとうございます。
NYのヨギさんに感謝が届きますように!!!

アーナンディー