謹賀新年

皆様、明けましておめでとうございます🎍🌅
本年もどうぞよろしくお願い致します🙏
2017年最初のブログは、ヨーガ・ヴィハーラの瞑想会の様子をお届けします。
毎週月曜日、ヨーガ・ヴィハーラでは瞑想会が行なわれていますが、昨日の1月2日は月曜日ということで、お正月にもかかわず、ヨーガ・ヴィハーラの住人のヨーガダンダさんのご厚意で瞑想会を開催していただきました。

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私の今年の目標は「自己実現」ですので、私は真実の自己であるアートマンに瞑想しました。
参加者はヨーガダンダさんと私の2人でしたが、お正月ということもあって、普段よりも静かなプラーナが流れ、2時間の瞑想もいつもより早く感じられました。
このように、ヨーガの仲間と集える場所があることに深く感謝し、今年は自己実現という大いなる目標に向かって一日一日、ひいては一瞬一瞬をアートマンに留まれるように努力していきたい所存であります。
そしてその内面の充実が、ブログにも反映されたらと思っています😁
本年もブログ「ヨーガを生きる」をどうぞよろしくお願い致します🐓

飯尾洋平


インドナイト&今年の振り返り!

今年も残すところ1日ですが、皆さん年末はいかがお過ごしでしょうか?
昨日の12月30日、私たちはインドナイトというイベントに出演しました!

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昨年の年末からインド古典音楽の方たちを交えて行なっている『The Eternal Quest』のアーサナ・瞑想のデモンストレーションの再演ですが、「今年も年末にやろう!」ということになり、このイベントが実現しました。
場所は、友人が住むシェアハウス「KNOB」の屋上。
ビニールハウス型になっていて、その屋根の形や照明、見晴らしのいい景色は、インドやネパールの宿を彷彿とさせる不思議な空間!
イベントは、アーサナ・瞑想と『ウパニシャッド』の詩の朗唱、キールタン、インド古典音楽、また当日に急遽参加が決まった前職場の先輩の弾き語りがありました。以下がその時の写真です!

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アップで見ると、集中感が伝わってきますね。森岡さんの視線が凄い!

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志世ちゃんとグルダースさん。神の御名の連呼でまさに、神っていました(笑)!

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グルダースさん夫婦のお子さん真理ちゃんをパシャリ〜😁📷

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インド古典音楽のお三方。流石の演奏でした😇

昨年から再演させていただいている『The Eternal Quest』のアーサナ・瞑想のデモンストレーションですが、私自身、初めの頃はそこで朗誦される『ウパニシャッド』の詩の内容が全く理解できませんでした。
しかし、今年1年間イベントを行なっていく中、その言葉が少しずつですが、心に染み渡っていくような感覚がありました。
その前半部分をご紹介させていただきます。

この宇宙はどこから来たのかーー。
私は誰か?
どこから来て、どこに行くのだろう。
聖者たちは瞑想に没入し、自らの内に永遠なる真の自己、自ら光り輝く唯一の神を見た。
彼は唯一にして第二のものをもたない。彼は宇宙の主であり、一切万物の主である。
真実のところ、あなたは神と一つである。
あなたはこれを知らなければならない。
それ以外に知るべきことは何もない!


話は少し変わりますが、今年1年を振り返ると、本当に多くのことがありました。
新年会でのラップ、NYのグルバイとの交流、御聖誕祭の聖劇など、かなり濃密な1年でした。
ただそんな中でも、いちばんの出来事はやはり、「師の特別サットサンガ」でした。
特に愛媛での3日間の特別サットサンガに参加させていただいたことが、自分の中で大きな転換点だったように感じます。

「真の自己は、この身体でも心でもない、その奥にある永遠の存在」

愛媛の特別サットサンガで師から発せられるお言葉と恩寵によって、この真実が自らの内に芽生えたような感覚がありました。
今年最後の日、この1年を改めて振り返ると、リシ(聖仙)たちによって発せられた『ウパニシャッド』の言葉が感じられるようになったのも、師の存在があったからこそだと実感しました。

私は毎年の年末、師から1年の目標をお聞きしていますが、来年の目標を尋ねると、「そりゃ、自己実現やろ!」ということでした。
そのお言葉をいただいた瞬間、私の内からは歓びが沸き上がりました。
師の導きに心からの感謝を尽くし、来年は「真の自己」を実現できるように、精進していきたい次第であります!

最後になりましたが、ブログ「ヨーガを生きる」をご拝読いただいている皆様、今年1年間お付き合いいただきまして、本当にありがとうございました。
皆様の嬉しい感想やコメントがブログの推進力になっています!

そして今年はラップで1年が始まったので(僕の中ですが…😅)、ラップで締めたいと思います。
では来年もブログ「ヨーガを生きる」を、YO・RO・SHI・KU!!!

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新年会で師に捧げたラップ。成り切っているのか、それともナルシストなのか……ちなみに真ん中はシヴァ神です✋

飯尾洋平


年の瀬

2016年もあと少しとなりました。みなさまにとって今年はどのような年でしたか?
今年も一年、私は理想とする聖者に近づこうと一歩ずつ努力してきました。到底近づいたと言えない程その歩みは遅いのですが、年が変わってもそれを続けていくことに変化はありません。

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新しい年に向けて、もう一度読み直そうと思います。
ナーグマハーシャヤの生涯は取り立てて大きな業績に彩られたものではありません。多くを語らない素朴さと慈悲に溢れた生涯は田舎でひっそりと送られたからです。ただ、彼の真理・神への信仰は徹底され、いくつかの驚愕するエピソードが残されています。(気になる方はぜひ本を読んでみてください)私は彼の純粋さと素直さがとても好きです。そしてとても憧れるのです。

この一年の中でも日常生活の中でおこるさまざまな事柄において、ナーグマハーシャヤならどのようにされるかなと思うことは多々ありました。自分の傲慢さが大きくなったときはナーグマハーシャヤの顔が見れない……(元々写真はないのですが)と恥ずかしくなるときもありました。

彼がどのように一日一日を生きたか、どんなふうに話し、どんなふうに歩き、どのようにグルを愛したのか、彼の息吹を感じるまで、私が彼に近づくまで精進は続きます。

タイトルにある、謙虚さについて、どのように実践していくべきなのか、ヨギさんはこのように教えてくださいます。

「本当に謙虚さをもつことは大事です。それにはすべてのものには優劣はないと、目上だの目下だの、肩書きがどうのこうのと世間ではいろいろあるけれど、何にもそんなものはない、その本質としての尊さにおいては、みんな同じ、一つであるという真理を踏まえることで、謙虚さは身についていきます」

年は変わっても実践することに変わりはありません。一瞬一瞬を大切に来年も実践していこうと思います。


ヨーガアーサナは黙々と実践する!

2016年もあと僅かになってきました。年の瀬ですね。

今月から始まった師シュリー・マハーヨーギーによるヨーガの真髄伝授特別クラス!
ヨギさんヨギさんヨギさんヨギさんヨギさんヨギさん ↑ クリック!

初回12月3日に参加させていただいた時、28年前にたどり着いた師の下で、初めてアーサナを体験した時の師が指導されるプラーナ(気)をまざまざと思い起こす感覚がありました。肌に沁み込んでいるんだとその時感謝しました。細胞の一粒一粒にプラーナが吹き込まれ、蘇っていくようでした。

師はアーサナは老化を止める程の力があると言われます。肉体は生まれ落ちた瞬間から老化が始まる。しかしアーサナはその老化を止め、さらには若返らせる力があるそうです。自然の摂理を超える、いやそれこそが自然の神秘なのかもしれませんね!すごいことです!プラーナ(気=生命力)は老化することはありませんから、活性化すれば、肉体も心も蘇っていくのですね。

そしてアーサナの力は肉体的なことだけでなく、一連のアーサナ実習を終えた時、呼吸は静まり、心は自然に瞑想へと導かれます。アーサナの偉大な力を体感する瞬間です。アーサナの後はプラーナの充満を乱さないように、刺激的なことや食事も控え、その深い静まりを味わうのがよいとされています。

さて、以前師よりアーサナに対する姿勢を教わりました。とても印象深く心に残っていますので、ご紹介させていただきます。

  • アーサナは黙々と実践し、その中で体得していくもの。
  • アーサナはヨーガの礎になるものであり、アーサナによって身体が作られるには、それこそ10年、12年かかる。いつ終わりというものではなく、黙々と実践する中で自ずと終わりがわかるもの。
  • 心地よさを求めるアーサナではなく、正しくアーサナの役割を理解し、アーサナの意味するところのタパス(霊的な熱)を受入れ、実践するのみである。
  • 黙々と実践していけば、身体の周りに結界ができるように、あらゆる外界の刺激を寄せ付けなくなる。そういう状況が伴って初めて強烈な瞑想に耐えうるようになる。
  • 修行というものはそういうふうに黙々と実践していくもの。黙々とと言うとおり、アーサナ中は文字通り一切の雑念なく、黙々と実践することが大事。
  • そうしながらも日常生活においてはヤマ(禁戒)、ニヤマ(勧戒)を実践し、学びを深めていく。行なうべきは、教えに従うことであり、心に従うのではない。
  • 生活上の問題や悩みなどは、教えを学び、個人で解決していくことであり、クラスでは黙々と実践するのみ。

毎日アーサナを黙々と修練していけば、ヨーギー/ヨーギニーの身体になっていく。とはいえ、実践しなければ何も変わらないし、実践していけば必ず変化していくということです。ヨーギーの身体になるとは、健康で強靭な体になるばかりか、カルマの力を寄せ付けないほどの金剛身になっていくということです。

古代から伝わるヨーガの真髄を会得できるかどうか!?自分自身の実践にかかっています!

昨日、12月24日は、20年前にマハーヨーギー・ヨーガ・ミッションが発足した記念すべき日です。この吉祥な日に、改めて本物のヨーギーになるべく、毎日の実践を心したいと思います。

サーナンダ


瞑想専科での2カ月の学び

10月20日に京都駅前に開講した瞑想専科も、スタートしてはや2カ月が経ちました〜😃
12月からは、「自分の心が思い通りにならないのはなぜ!?」「不思議!こだわりを手放せば心は軽くなる!」といったテーマで、心と真理について学んでいます。

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私自身、この瞑想専科に参加させていただいて、大袈裟ではなく、いつも新しい気付きがあります‼️
その一つが、「私は誰か?」という「アートマン・ヴィチャーラ(本当の私の探求)」の瞑想です。

真理において本当の私とは、この身体でも心でもなく、その奥にある永遠で絶対の存在だといわれています。
通常は、自分の身体や心を私だと思っていることがほとんどですが、アートマン・ヴィチャーラの瞑想は、時間や状況とともに変化する相対的な身体や心は「本当の私ではない」というふうに、私だと錯覚している自分を「これではない、これではない」と見極め、最終的に心の奥にある本当の私に目覚めていくプロセスを辿ります。

この「私は誰か?」というアートマン・ヴィチャーラの瞑想を少し難しいと感じる方も多いかもしれませんが、講師のサーナンダさんはご自身の体験から、この瞑想について次のように話されました。

「『私は誰か?』というこの問いかけは、心にとって苦しい状況の時に行なうほど、効果を発揮します。例えば疲れている時に、『疲れている私というのは誰か?』と問いかける。すると、一瞬にして疲れは吹き飛びます」

「そんなん、あり得ない!睡眠や休暇を取らないと疲れはなくならない!」と、普通の感覚なら思ってしまいますよね……😅
僕自身、この10月〜11月は御聖誕祭の聖劇の練習を毎日行なっていましたが、芝居の経験はほとんどなく、しかも人生初の主役ということで慣れないことが多い中、「ちょっと疲れているな……」と心がつぶやくことがありました。
その時、サーナンダさんの言葉を思い出し、「疲れている私というのは誰か?」と心に問いかけました。
すると胸の中央が熱くなり、一瞬にして疲れが吹き飛んでいきました😲‼️
その後も心がつぶやく時、この瞑想をすると一瞬にして疲れがなくなる体験が何度かありました。

瞑想専科でサーナンダさんは、「心の思いは雲のよう」とよくおっしゃいます。

先週の瞑想専科後、ある受講者の方が「苦手だと思っていた人に、嫌だという思いをもたずに接すると、とてもよい会話ができました」と感想を話していました。
それを聞いた他の受講者の方が、「本当によかったですね!実際的な効果ですね!」と喜んでおられて、受講された方々のこの2カ月の深まりが垣間見られ、好き嫌いや苦手意識といった心の思いは、本当は雲のようにあってないようなものだと感じました。

明日は今年最後の瞑想専科です。
今までは10分×2ほどの瞑想実習でしたが、明日は30分以上の瞑想にトライします!
お時間ある方、よろしければご参加ください😇🙏

※1/12,1/19, 1/26のみ、以下の会場にて行ないます。
ニュー末広ビル7F 京都駅烏丸中央口より徒歩1分

詳細はホームページをご覧いただけたらと思います。

飯尾洋平


アーサナと日常のヨーガ

ヨーガは、真実に目覚めるための数千年の古代から伝わる霊的な道です。ヨーガを学ぶには、ヨーガを成就したグルが不可欠です。言葉を超えたグルの導きは、道を歩もうとする私たちにとってはかけがえのないものとなります。サットサンガ(真理の集い)とは師を囲んでの神聖な集まりのことであり、師から直接教えを授かる最も大切な学びの場として位置づけられています。

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12月から―古代から伝わるヨーガの真髄―師の直接指導によるアーサナ・瞑想クラスが始まりました。その後行なわれたサットサンガでは、アーサナの質問が相次ぎ、師から貴重な教えをたくさんいただきました。師は、まずアーサナは毎日行なってください。二つ、三つするだけでもやっていくと違いますよとアドヴァイスをくださいました。

クラスではアーサナを中心に体得していきますが、ヨーガ全体の中でみるとアーサナは限られています。日常の中での心の使い方、身体の使い方、行為というものがカルマとなっていきますので、単純なことですけれど、ヤマ・ニヤマの実践が大切になってきます。

ヤマ(ヨーガ的禁戒)   非暴力 正直 不盗 純潔 不貪  

ニヤマ(ヨーガ的勧戒)  清浄 知足 苦行 聖典の学習 自在神への祈念

例えば、非暴力(アヒンサー)というのは、他の動物、すべてのものに対して、何ものも傷つけないということ、また正直(サティヤー)というのは、誠実であるということ、こういうことを行なっていくことが、全体の行為を良くしてくれることになります。日常も心して行為してほしいと思います。アーサナはより良い行為をしていくための力となり、身体と心の浄化を施してくれます。日常の行為とアーサナによって全体にヨーガが深まっていくはずです。

 そして師は、ヨーガを深めていくことでヨーガ行者の身体になっていくとも教えてくださいました。

 この世界はあらゆることが二元性をもっています。快・不快、好き・嫌い、暑い・寒い、ヨーガを行じていくとそういうものがどちらもがなくなっていき、二元性を超えていくことになります。身体に関してもあってないかのような状態になります。病気になれば身体は痛みを訴えてきますが、直ったら訴えはなくなります。また心が何かを訴えるということは心に病気があるに違いない、それらを癒すために真理の教えがあります。真実がその病を癒すのです。心を本来の無垢なないかのような状態にしてくれます。簡単な話でしょう?

 師は、私たちの心と身体について、心も身体もあってないかのような状態が本来の状態なのだと、分かりやすく教えてくださいました。ヨーガによって、私たちは心や身体が抱え込んでいる重い荷物をどんどん捨て去っていくことができるだと思いました。

そして師は

必要なのは熱意です

と教えてくださっています。私たちはなんのためにアーサナをしているのでしょうか。自分はどうなりたいのか、自分のなりたい理想とする姿を具体的に思い描き、しっかりと意識し、その実現を目指すことが、熱意となって私たちをさらに進ませてくれるのだと思いました。

ダルミニー 


さまらさの台所 12月

今月のさまらさの台所は年末にふさわしい「ねぎのかき揚げ年越しそばといなり寿司」でした。
まずはいなり寿司、さまらさの台所で紹介しているいなり寿司は、フライパンに少量の醤油と黒砂糖と水を入れ、お揚げを並べて炒り付けるだけ、あっという間に出来上がります。作ってすぐに食べても美味しいですが、少し置いて味を落ち着かせてから食べるとさらに美味しいです!
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次は年越しそばのおだし作り!
昆布だしは前日から用意します(お水に昆布を浸けたるだけ)そこに花かつおを入れて合わせだしを作ります。漉すときにペーパータオルをひいてみてください、美しい黄金色に仕上がります。だしがしっかり利いていると調味料は少なくてすみます。じっくりと時間をかけることで本当に美味しいおだしが出来上がりました。
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ねぎは冷えた身体を温め、疲労回復に効果があります。年中食べられますが、今がまさに旬!そばに合う具材と言えば!ねぎ、のり、天かす それらを一つにしたものがねぎのかき揚げになります。おそばに合うはずです。
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みんなで美味しくいただきました。
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食事の後には「食生活において気をつけていること、改善したいことや悩み」についてみんなで意見交換しました。「時短で食事が作りたい」「メニューがマンネリ化してしまう」「盛りつけが上手くなりたい」など共通したお悩みが多かったです。みんなそれぞれの工夫やアイディアがあり、なるほど!と思うことがたくさんありました。たくさんあった中でひとつ、私が気に入ったものをご紹介します。

仕事から帰ったとき、お腹がぺこぺこのあまり何か適当なものを食べ、食欲に一気に火がついてしまい止まらなくなるということはありませんか?そんなときは、温かいお茶を一杯飲むというのがお薦めのようですよ。お茶が空腹の足しになるということもありますが、そのような時には気持ちが前のめり、「早く何か食べたい!!!」と焦っていると思います。温かいものを飲むことで、まずは気持ちを調えるという効果があると言われていました。お茶だと空腹の足しにならないと思う方には牛乳という手もあるようです。温かい牛乳というのが妥当かもしれません。みなさんいろいろ考えていますね。

さてみなさま、今年もさまらさの台所にご参加くださいまして、ありがとうございました。
来年もさまらさを通じて一緒にヨーガを深めていけますように、どうぞよろしくお願いいたします。


聖者の生き方に倣う

京都と大阪で春から行なってきたバクティ・サンガム。今シリーズは毎回一人の聖者を取り上げ、その生涯やエピソードを紹介しながら、彼らにまつわるキールタンを歌ってきました。そして、先週の金曜日に行なった会はそのシリーズの最後の会となりました。取り上げた聖者は、中世に実在した神人、シュリー・チャイタニヤ。そう、キールタンを始めた方だといわれています。

小さな頃から聡明で、大人になってからは論理学者になり、学識のある者を見つけては論破することばかり繰り返していたようですが、ある日突然、神への愛に目覚めてしまいます。それ以降、学問には全く興味をもつことができず、「クリシュナ」という神の御名だけに魅了されてしまいました。やがて、神の御名を歌として町を練り歩くようになり、多くの方がそれに付き従ったといわれています。
——シュリー・チャイタニヤはいったい何に触れたのでしょうか。彼はなぜその歓びの中に一人留まらず、人々を導いたのでしょうか。どんな約束が彼とクリシュナとの間で交わされたのでしょうか。そして彼が見ていた世界はどのようなものだったのでしょうか。

会の中では、シュリー・チャイタニヤが残した詩の一部をご紹介しました。私自身これまで何度も読んで知っていたはずなのに、この日、突然とっても心打たれました。

「神の御名を唱えなさい
神の御名を唱えることで 誰もが神に近づくことができる
おお 心よ
一枚の草の葉よりも謙虚で 木のように忍耐強く 逆風に耐えるものであれ
人から名誉を受けることを拒み
すべての人を 心から敬うものであれ」

朗々と、堂々と大勢の人々に囲まれながら主の御名を唱えるその一方で、内面は、神に、真実に、人に、あらゆるものに常にこうべを垂れ続けた彼の謙虚さと姿勢が私の中に突然飛び込んでくるような感触がしました。そして同時に、まさにその境地を生き、私たちに人としてあるべき理想の生き方を示されている最愛の師のお姿が私の胸の中に蘇りました。

今年は、シュリー・チャイタニヤだけでなく、聖女ミーラー・バーイー、シュリー・ラーマクリシュナなど、さまざまな聖者、覚者をご紹介してきました。私たちも今一度聖者たちの残した言葉や生きざまに触れ、それを拠り所にしながら、また自らがその境地を生きていけるよう、見倣っていきたいと思います。

また来年のバクティ・サンガムも春頃から開催したいと思います。決まりましたらウェブでご案内致しますね。どうぞお楽しみに!


言葉の力

仕事から帰ると、つい「あー疲れた」と言ってしまいます。あるとき一緒に住んでいるグルバイに「それはあなたのマントラか(笑)」と皮肉を言われてしまいました……。言われてみてハッとしたということは無意識のうちに習慣になっていたのでしょう。よく考えてみると、そんなに疲れていない時も、本当に疲れている時も、あまり区別せずに言葉にしていました。

以前ヨギさんは言葉の力についてこう言われています。

「……悲しいとか苦しいとか、あるいは弱いとかいう言葉を発することによって、それらの状況もまたより存在感を増す。いずれにしても、心がつくり出す思いを具体化させる力をもっている……ネガティブな思いや言葉は、自らをより引き下げる力にこそ働け、一向に良くならない。だから愚痴は言ってはいけない」

 
ということは、「疲れた」と言えば、疲れたという感覚がより強くなるだけで、疲れが取れることはないということです。そして愚痴について、ヨギさんは絶対に言ってはいけないと言われます。

 

「愚痴を言うことでストレス発散できていると思っているのは大きな錯覚ですよ。そうじゃない。そういう習慣を付けることで心はそれに染められてしまっているわけ。だからそれが癖付けられたら、しょっちゅう愚痴を言おうと心が思ってしまう。心そのものが愚痴で汚れてしまう……」

 
無意識に言葉にしていること、言葉にしていなくても心の中で独り言を言っていることってありますね。でも癖になると大変なことになるので、気がついたらストップ!!!言わない、思わないという新しい癖を付ける方が良いと思います。

もうすぐ申年は終わってしまいますが、悪いことは「見ざる、言わざる、聞かざる」を実践してみてはいかがでしょうか。


台湾グルバイの滞在記

前回のブラヨーヘイで、3人の台湾グルバイ(仲間)について紹介しました。
彼女たちは京都を訪れる時には隆君と僕が住んでいるシャーンティ・クティーラという庵(いおり)に宿泊します。

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ヨギさんがデザインされ、作ってくださったシャーンティ・クティーラの表札。

今回は2泊3日と短い滞在でしたが、その時の彼女たちの様子を少しお伝えしたいと思います。

庵ではまず、早朝に30分ほど瞑想を行ないます。

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次に掃除をします。

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続いて朝食をとりながら、ヨーガ・トークスをします。
瞑想と掃除をした後は心がすっきりしていて、静かに落ち着いて話せます。
1日目の朝、その話題は「瞑想」についてでした。
台湾で映画の脚本家や小説の作家をされているエセーさんは、シヴァ神に瞑想しているとのことで、「アーサナの後、シヴァ神に瞑想すると、とても集中しやすい」と話していました。
この話を聞いた時僕は、「シヴァ神はヨーガ行者の守護者」とヨギさんがおっしゃっていたことを思い出しました。
台湾でヨーガのクラスをしているリンは、「私は誰か?」という「アートマン・ヴィチャーラ(本当の自分の探求)」の瞑想を行なっていて、その瞑想の中で、過去の経験によってつくられた自分や、変化する世界やそこで味わう幸福は本当のものではないと感じるようになり、それによって心がとても楽になったと目に涙を浮かべながら話していました。
ただ、本当の自分であるアートマンにどのようにアプローチしたらいいか分からないとも話していました。

今回の短い滞在の中、ヨギさんは彼女たちの要望に応えてプライベート・サットサンガを開かれました。
そのサットサンガの中でアートマンについて質問したリンに、ヨギさんは以下のようにお答えになられました。

ヨギ「アートマンの別の呼び名はサット・チット・アーナンダ。サットは存在、チットは意識。なぜならサットを知っている者は自ら自身だから。そしてアーナンダというのは至福と訳される。このサット・チット・アーナンダというのは絶対にして永遠の存在。この肉体は両親から生まれてきて何十年か経ったらなくなります。心もその人生の中でいろんな経験をしながら変化をしてやまないもの。だから身体も心も永遠のものではない。エゴ意識というのは心の一部分なのでこれも永遠ではないから、心を知っている、あるいは心を見ているという純粋な意識が誰もの本質にある。これが本当の自己」
リン「例えば瞑想する時、いろんな思いに気付きましたが、その思いを気付くのは心ですか、アートマンですか」
ヨギ「それはアートマンの意識によって心がそれらを認識している。そのシーンでは心の思いもいつも変化しているし、対象に応じて変化するけれど、アートマンは変わらない、いつも同じ。だから心がいろんなことを経験します――楽しかったり、悲しかったり、嬉しかったり、苦しんだり――でもそれらは常に変化をしているこの宇宙、この世界の晴れの日、曇りの日、雨の日みたいなもの。でもその五官で感じる世界より奥にある本質は、変わらないアートマンだけがある。その真理を学ぶこと、覚者の言葉を学ぶこと。そしてそれに真剣に心の耳を傾けて、そして本当のものを求める気持ちが高まってきたら、それはアートマンに近づいていっていることになる。昨日のジャヤンティーで最初にメッセージを読んだ女性は、保育園でクッキングをしている時に隣の部屋の子供たちの声や様子が感じられて、その子供たちがみんなアートマンだということを直感的に感じたという話だった。そんなふうにアートマン、アートマンと集中している時はなかなかそれをつかむことはできないかもしれないけれど、だけど普段そうやって集中しておくことによって仕事をしている時とか、あるいは何でもない風景の中にそういうものを直感的に感じることが起こります。そして何よりそのアートマンは本当の自分自身だから、それをありありと体験することができる。必ずできる。それには普段から心を軽く、空に、空っぽにしておくことね。アートマンを体験することは目覚めることと例えられる。だから目覚めるタイミングを早くするためには、心に何もないようにしておくこと。もちろんアートマンは神という別名もあります」

――普段からアートマンに集中し、心の思いに執らわれず、常に心を軽くしておくことがアートマンの目覚めにつながるーー
リンは、年に1度か2度しかヨギさんにお会いできない状況にもかかわらず、この世の楽しみへの感心が薄れて本当のものを求める気持ちがますます強くなり、アートマンに近づいているのが感じられ、僕はとても感化させられました。

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下鴨のアーサナ・瞑想クラスにて。左からエセー、ルー、リン。

彼女たちの純粋で直向きな姿は、本当に美しいです。
僕ももっとアートマンへの思いが高まるように精進していきたいと感じた今回の彼女たちの滞在でした。
またお互いに成長して会いましょう、再见(ザイジェン)!!!

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瞑想専科後に撮影。この日はヴィヴィ(薄紫のコートの女性)もいました〜😃

飯尾洋平