えほん picnic 2015

大阪、靭公園で行なわれた「えほんpicnic2015」に行ってきました〜。

えほんを通じて親子がふれあい、街の人たちが知り合いになれるようにという、人と人のつながりを大切にされているイベントで5年ほど前から毎年開催されています。

家族で来られている方が多く、みさなん芝生に座ってえほんを読み、一日をのんびり過ごされていました。お天気も良く、心地よい風が吹いていて最高のイベント日和でした。

さて、さまらさはそのイベントのマルシェのコーナーにプリヤメーラさんPriyamela(ヨーガの仲間がやっている大阪のインド雑貨店)と一緒に出店しました!実はこんな風にさまらさで出店したのは初めて。前年は千人の来場者があったのと聞いていたので、私たちは2種類のメニューで100食を用意、朝の5時起きで食事を用意し、出発しました〜!
5時起きなのにこんなに元気!?行きの車の中で。
2015年絵本ピクニック 出発

大阪に着いてからは靭公園のすぐそばに住んでいるヨーガの仲間の家でラッピングです。
メニューは、おにぎりセットとメキシカンサンド。
2015年絵本ピク マードゥリーとサラニー

メキシカンサンドはチリビーンズを手作りのトルティーヤに包んでいます。
絵本ピクニック マードゥリー のコピー

ラッピングをしている間に、他のメンバーはお店のテントを組み立てて、ディスプレイをしてくれていました。開始は10時、子供連れの方がどんどん来られます。まだ朝だけど、みなさんすでにお腹が減っているのでしょうか?売れ行きは上々、順調な滑り出しでした。

左端に写っているのはプリヤメーラさんの店主、ランジャニーさんです。商売になれているからか、大阪人だからなのかは分かりませんが、お客さんを引きつけるトークは本当にすばらしい〜!勉強になりました!
絵本ピク店

おにぎりセットはおいなりさん、黒豆ご飯のおにぎり、お漬け物ののり巻きと小カブの漬けもの。
40食作ったのですが、かなりのスピードで完売しました!お子さん連れの方にはお腹もふくれ、安心して食べられるものだったのかもしれませんね。
2015年絵本ピク おにぎりセット

こちらはメキシカンサンド、スパイシーだけど辛くなく、野菜と豆がいっぱいです。
10月12日(月祝)には大阪でこのチリビーンズを作るさまらさの台所を開催予定です。
若い方や男性に人気があったように思います。もちろん本「さまらさの台所」も販売しました。
2015年絵本ピク チリビーンズ

2015年絵本ピク 店 シャチーとサラニー

16時までのイベントでしたが、100食完売しましたーーーー!あっという間の一日でした。

同じ会場で、アーサナのデモンストレーションとキールタンもしました。
夕方に始まったキールタンは、とてもリラックスした雰囲気の中、多くの方が自然と集まって聞いてくださいました。小さい子供を連れた若いお父さんやお母さん、そして子供たちはとっても無邪気!「何やってるの?」「あの楽器は何?」とミラバイさんに近づき、釘付けで見ていました。
2015年絵本ピク キールタン5

2015年絵本ピク キールタン3

2015年絵本ピク キールタン4

 

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九州でのクラス

今回は、福岡県出身のヨーガダンダが月に一度地元九州で行なっている活動について紹介したいと思います。九州の雰囲気が伝わるよう、博多弁を交えて書いてくれました。
縁あって、2年半ほど前から月1回、京都から福岡に行ってクラスばさせてもらっとります。金曜日は北九州市小倉北区でのクラス。
新幹線の窓から
新幹線の窓から八幡製鉄所の煙突が見えると、「ああ、小倉に来たばい!」っちいう気になります。
 
国友父
毎回クラスの荷物ば車で運んでくれる国友さん。クラスの開始時間まで波止場で一休み。クラスの名物男ですたい!
 
クラス風景
参加者は助産師さん、弓道ばされよる方が多いです。皆さん仕事や家事で忙しい中、月に1回ちゃんと忘れずに来てくれよります。この日も夜勤明けの方が二人。でもそげんかこつも感じさせんくらいに、集中されとりました。
この日、参加者の方におもしろか話ば聞かせてもらいました。ヨーガば始めてから、自然と付き合うグループが変わってきたっちいうこつです。
愚痴ば言うたり、自己主張ばっかりしよった時は、そげんか人ばっかりが自分の周りにおったけど、愚痴とか言わんごつなったら、穏やかで優しか人が集まってきたごたるとです。自分の心が行動ば決めてから、それがまた周りの状況ば決めるけん、心ば変えれば状況も変わるっちいうこつですたいね!
やっぱりヨーガはよかですばいね!
また、ヨーガばする前は、呼吸ば意識することはなかったっちゃけど、普段から呼吸ば意識してコントロールできるようになってきたっちいう話もありました。特に吐ききった後の止まった状態は集中力ば高めてくれて、弓を放つ時(弓道家)、注射針を打つ時(助産師)に効果絶大っちいうこつでした。
 
集合写真
アーサナを終えて、すっきりした笑顔の皆さん
 
翌日は実家の小郡市でのクラス。こちらは私の中学時代の同級生や、ダンスばやっとった時の後輩とかが集まっとります。この日はクラス後に福岡市天神にて、ダンサーの後輩たちと合流。
 
ダンサーの後輩たちと
一人でも多くのヨーガ行者が生まれますように!
また今月も行きますばい!

東京での再会、そして横浜ドヤ街での瞑想

先日、日帰りで横浜の勉強会に参加する予定だったが、ある人に会うために急遽前日から東京へ行くことにした。その人は、南相馬で知り合ったシスターで、時々会っては宗教的なことを教えてもらっていた。でも、今年の春に10万人に1人という難病を発症し、治療のために東京の病院に入院、その後は東京の修道院に移られた。南相馬の修道院には彼女の代わりに、アフリカに30年いたというパワフルな新しいシスターが来られた。

シスターは、目白のキリスト教系の病院の入口で私を待ってくださっていた。この病院は修道院の近くにあり、治療が終わってリハビリのために一時期シスターも入院していたそうだ。私の姿を見るなり笑顔で右手を出して近づいて来られた。「遠くからよく来てくださいました。まさか来てくださるとは思っていなかったから、とても嬉しい。どうぞ、病院の最上階にとても眺めの良い食堂があるから、そこでお話しましょう」と言われた。せっかくだからと病棟と院内の聖堂にも案内してくださった。キリスト教系の病院らしく、病棟に祈りの部屋というのがあった。入口にはマリア様の像、中庭にはフランチェスコの像もあった。

マリア様

「マリア様」

フランチェスコ

「フランチェスコ」

食堂ではシスターと二人きりで、色んな話ができた。「病気になってどんな風に祈ったか」、「シスターになる時に神からの呼びかけはあったのか」など結構踏み込んだことを聞いてしまったけれど、シスターはどの質問に対しても快く丁寧に答えてくれた。

シスターの南相馬での仕事はやむなく終わったけれど、それは決して志が挫かれたわけではない。神に仕える者にとっては、忠実に神に仕えることこそが志であって、仕事が何に変わっても落ちこんだり悲しんだりすることはないのだ。だから、シスターは前と同じようにとても落ち着いていてイキイキしていた。神に仕える、神のために生涯を捧げる、それがどういう意味なのか、もう一度考えさせられた再会だった。

その後、私は横浜に向かった。宿泊先は石川町という駅が最寄りで、個室で一泊素泊まり2800円。勉強会のある場所から一駅で、寝るだけだからいいと思ってたし、土地勘もなかったのでどんな所か深く考えなかった。日本には、東京の山谷、大阪のあいりん地区、横浜の寿町という三大スラムと呼ばれる日雇い労働者の街がある。しかし今はどこも高齢化が進み、日雇い労働者の街から生活保護者の多い福祉の街に変わってきたそうだ。こういう町をドヤ街と呼ぶのは、安宿街の略で、ヤドをひっくり返して言っただけらしい。横浜の寿町の最寄り駅が石川町であり、私が泊まる宿がそのドヤ街の一角にあることを、横浜に行く道中で知った。駅を降りて地図を見ながら進むと、酔っ払いのオジサンたちがたむろしているし、路中に座っている。歩き方もなんだかおかしい。でも、以前大阪のあいりん地区を知人に案内してもらったことがあるけど、大阪よりきれい(??)だし悪臭も少なく(?)こじんまりしてるように思えた。○○会館、○○荘、といった安宿が並んでいるのを見ると、ああ、どこのドヤ街も同じなんだなと思った。あいりん地区は普通の世界と隔絶されているような印象があったが、ここは世間と共存してる、溶け込んでいる、という感じがした。横浜の人にとってはそうでもないのかな。
中華街㈮
中華街もごく近くにあって、私は夕食のために中華街をブラブラした。飛び交う中国語に興奮して店員さんに中国語で話しかけ、会話を楽しんだ。懐かしい…。久しぶりに別世界に飛び込んだような感覚だった。

「ここが私の泊まった宿」

「ここが私の泊まった宿」

「廊下はこんな感じでアジアの宿泊所っぽい」

「廊下はこんな感じでアジアの宿泊所っぽい」

「部屋は2畳?3畳くらいかな」

「部屋は2畳?3畳くらいかな」

近年この辺は、ドヤ街のイメージを払拭するために、バックパッカー向けに安宿を改造するなどの試みをしているそうだ。だから、改築してやや綺麗めの宿もあり(注:個人の価値観による)、時代と共に旅行者の町に変わりつつあるようだ。ここで眠れるか心配したけど、夜中に自分の寝言で一度起きた以外熟睡した。インドなどの安宿に比べたら比べ物にならないくらいきれいだし、南京虫もいなかった。

今日はこの小さな空間からから出られないんだな、そう思ったら特にやることもなくて8時過ぎに寝た。そして一度夜中に起きた時、なんとなく瞑想してみた。誰も来ないしやることもない。いらないことを考えないせいか、ずっと求めていた問題に対しインスピレーションがあった!!「ああ、ありがとう!」と今日の日に感謝した。

もしかしたら余計なものがないドヤ街って、瞑想にいいのかもしれない。(注:女性一人はあまりお勧めしません)

ユクティー


さまらさのチラシ制作

さまらさチラシ

これは今までに制作したさまらさのチラシです。2012年から作っています!さまらさのチラシは料理の写真とチラシのデザインが大切になります。「美味しそう〜」「食べてみたい!」「作ってみたい」と思ってもらえるようにいつも工夫をしています。先日、10月12日(月祝)に大阪で行うさまらさの台所のチラシ撮影をしました。その様子がこちらです!

さまらさチラシ撮影

実は撮影場所はスタジオなんです〜!と言いたいところですが、いつも私の部屋なんです。
何とも地味な、普通の6畳間です。カメラ担当はシャチーさん。照明担当(ただ持っているだけ)がサティヤーです。この日は雨が降っていたのでライトを使いました。

チラシの撮影は最近は2人で行っています。チラシをどんなイメージにしたいか、使う食器やスタイリングについて、あらかじめで話しておき、あとは写真を撮りながらすすめています。カメラとパソコンがつながっているので、撮ってすぐに画面で写真を確認できます。
それを見ながら「もっと角度を下げようか〜」「ちょっとライトを消してみようか」などいいながらしています。

シャチーさんは元々お料理本を作る仕事をされていたので、実はプロ(カメラマンではないけれど)。だからこんな風に美しいチラシができるのです。2〜3時間程度で撮影は終了し、撮影用に作ったお料理をいただいています。お料理は撮影用ではありますが、いつもと同じように作っています。

撮影の後はこれまたシャチーさんがデザインをして1枚のチラシになります。
できたチラシがこちらです。メキシカンらしさ、出てますか〜!
chiribeans

今年の5月に出版された本「さまらさの台所」も実は同じようにここで撮影しました。
もう少し撮影隊の人数は多く、料理、カメラ、スタイリング、盛りつけなど担当を分け、1回の撮影で6〜9品ほど撮影をしていました。
それもほとんどの写真は、窓から入る自然光だけで撮影しているので、光からより季節を感じることができると思いますよ。

「いつもチラシが素敵ですね〜」という嬉しい声をいただいたので、少し撮影現場を紹介しました!

 


あなたはそれです

ああ

この世界を正しく理解することが必要です。つまりこの世界は絶えず変化するものだということを正しく理解するということです。

わたしもあなたも、そして様々な動物、植物も生まれては消え、また生まれては消えていきます。それは永遠の繰り返しです。

その背後に決して変わることのない唯一の意識があります。

あなたはそれです!

あなたは本当にそれなのです!!!

サットグル・シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ

 

これを言われたときの師の眼差しと恩寵を忘れることができません。

まるですべてのヴェールが師の光り輝く恩寵によって取り除かれたかのように、歓喜が溢れ出し、私のハートははち切れんばかりに喜びに満たされました。その〝それ〟というものが理性を超えてありありと感じられるような気がしました。その喜びの奥に〝それ〟があるっていう感じでした。

それ以来、私は自分自身が〝それ〟であることを疑うことができなくなりました。師とともにいることの恩恵とは、まさにこのようなことだと思います! 師と弟子
古代インドの師と弟子のサットサンガの様子 

しかし、疑うことはできなくなったとしても、まだ私自身がそれであることに目覚めたわけではないから、これだけでは不十分でした。師が教えられるように、この世界を正しく理解していくことが必要だったのです。最初はその必要性がよくわかりませんでした。〝それ〟を悟ることが大事なのに、なぜ〝それ〟を覆い隠す世界を理解していかなければならないんだろうと思ったのです。でも、師と共にいる時には追い払われたかのように見えたヴェールも、日常に帰ればまるで月にかかる雲のように絶えず現れました。

世界を理解する――諸行無常やカルマの法則の理を正しく理解していくことが、ヴェールを取り除き、光り輝く自らの本性に目覚めていくことにつながるということを実感していったのは、ずいぶん経ってからでした。心はあらゆる変化するものに執らわれ、その思いに翻弄され、世界を正しく見られていないことに少しずつ気付いていきました。

今この瞬間と次の瞬間の世界は違っています。自分の心も絶えず異なる思いや感情がやってきては去っていきます。この世界には変わらない確かなものは何一つありません。あらゆるものがそれぞれのやり方で瞬間瞬間変化していきます。観察してみれば、自分の心も他者の心も、恋人や友人や家族や同僚との関係も、仕事の状況や家族の状況、社会や世界の状況も、大自然も大宇宙も刻々と因果律に従って変化していっているということに気付かされます。

でも、心は連続性をもって世界を見るからそれを「変化」と捉えますが、今この瞬間しか存在しないのであれば、過ぎ去った一秒前の世界は消滅しているのですから、瞬間瞬間新たな世界が生まれているようなものかもしれません。心は世界の中に幸福を見つけようとしますが、すべてが変わっていくこの世界の中で、変わらない幸福を求めること自体が矛盾しています。手に入れた瞬間からその幸福は消滅していくのですから。にも関わらず心は、幻のような幸福を世界に追い求めます。

そんなふうに識別しながら、自らの心と経験を通して丹念に世界に向き合っていった結果、ヨーガの「何事にも執らわれない」という教えは、実に理にかなった教えだと思うに当たりました。人は常に何かに執らわれ、妄執し、苦しみを生み出して世界は狂っているというけれど、執らわれを離れ、この世界を正しくありのままに見ることができれば、世界と見ていたものはそのまま、喜びに満ちた〝それ〟であることを悟るのかもしれないと思うに至りました。

心が世界に幸福を求めれば苦しみを生み出すけれど、心が世界に幸福を求めなければ至福を実現する。実に不思議です!

一つ一つ丁寧に自分の執らわれをなくしていく作業は根気のいる作業かも知れないけれど、覆いが一枚一枚取り外されていくたびに、真実の世界が現れ、喜びが内から放たれるのはおかしなことです。

師によって最初に押された歓喜の刻印は、私のハートに消えることのない印象をもたらしました。その聖なる印象の力によって、私は根気のいる作業を続けていけるのです。傍らから見れば地味な面白みのない作業に見えるかも知れないけれど、本人から見ればそれは栄光に満ちた輝かしい仕事であり、まさにあの時師によって垣間見させていただいた、歓喜の源に回帰する歩を進めているのだと実感するのです。

サーナンダ

 

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ひと夏の経験

今年の夏は本当に暑かったですねっと何度もブログに書いたような……。そのぐらい私にとって今年の夏は暑さとの戦いでした。

私は介護の仕事をしています。障害のある方の家に訪問し、一日を一緒に過ごします。一日のスケジュールは相手の方が決めるので、行ってみないと分からないことが多く、一日中外出することもあれば、大掃除をする日があれば、何もせず、ずっと一緒にテレビを見ていることもあります。

私がよく訪問する家は今年のような夏でもクーラーをつけずに過ごすという方針の家だったので、まさに熱中症との戦いでした。平屋のお家は、日中ものすごい温度になります。暑くなる12時から14時頃に外出し、歩いて20分ほどにある小さなスーパーに避難します。ただ、スーパーなのでじっとしているわけにもいかず、1〜2時間スーパーの中を歩き、もうさすがにいれないだろうという空気が漂ってきたら炎天下の中を歩いて家に帰ります。帰ると恐ろしい熱気が充満した部屋に入り、もちろんクーラーもつけずに夜まで過ごします。

何度か熱中症気味?になり、気が遠くなることがありました。大げさかもしれませんが、初めて自分の生命の危機を感じました。

でも当然ですが、介護者として入っているので自分の気が遠くなっている場合ではないのです。それに体調を崩してしまった場合、常に人員不足の現場で穴をあける訳にはいきません。私が休めば、その分誰かがあの過酷な現場で2倍働くのかと思うだけで「それだけは阻止したい」と思いました。

それで今年の夏、私はとにかく「生きる」ことだけに専念しようと決めたのです。とにかく生きると言っても、ただ息をしていればいいという訳ではなく、自分に課せられていることが行えるように常に自分を調えておくこと、それだけに専念するということです。

まず、自分の生命の危機(大げさかもしれませんが)を感じたので、仕事に行く恐怖感がありました。それをぬぐい去るためにあらゆる暑さ対策をしました。肌を出さない、目から入る紫外線をカットする、首を冷やす、梅干しと塩あめをもつなど。それらを調えることで、仕事中に倒れるかもしれないという恐怖感からは開放されましたが、あとは休息です。

「仕事から帰ったら、必要最低限のやるべきことを素早く済ませ、速やかに寝る。起きたら仕事に行く、休みの日は休む」

と字にしたら何のことはない当たりませのことなのですが、約一ヶ月間はそれしかしなかったのです。

秋の虫の声が聞こえるようになった頃、それを聞きながらふと思ったのです。「なんて穏やかなんだろう」と。よくヨーガでは淡々と仕事をするというように、「淡々と」という言葉が出てきます。それは、目の前のことを行うという時には、そのことだけに集中し、必要以上に心が動かない状態を現す言葉だと思うのですが、この夏の生き方はこの「淡々」だったのではないかと思いました。

そんな生き方の何が楽しいんだと言われるかもしれませんが、今思うととても静かな毎日でした。夜は何の思いも残さず幕が下り、朝とともに新しい一日が始まる。一日一日がまるでこんな感じ、持ち越すような思いは何もなかった。

言葉にするとさらに、「だからそれの何が良いのですか?」と言われそうなのですが、外側だけでなく、内側も静かな毎日ってちょっと想像して見てください。かなり楽!!!とてもシンプルでした。

暑さによって一時期はどうなることかと思った夏ですが、そのおかげでとても良い体験をしました。生きるということだけに焦点を当てたことで、その焦点に合わない行動や思いは自動的に選別され、無意識にですが、落とされていったのでしょう。余裕があると、ついつい余計なことをしたり、考えたり、それが発端になって、さらなる行動を生んだり、思い悩んだり……。ほとんどはそういう状態だと思います。まぁ、それだけ私は切迫していたのでしょうね。

夏の経験を通して、これからもちょっと肩の力を抜いて淡々と生活していこうと思いました。終わってみれば、猛暑の夏に感謝です。

秋の夕暮れは燃えるような赤でした。
秋の空

 

 

 


たくさんヨーガができるようになります

..

10年前の過去も、1秒前の過去も、同じ過去であり、

くよくよと思い煩ったり、気にしたりする価値はありません。

常に今、善くあれ、善くせよ。

サットグル・シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ

 

本当に心って過ぎ去った出来事をクヨクヨと思い悩んだり、さらに発展して妄想の世界に行ってしまったりしませんか〜えっ、一日の大半をそうしている!?過去のことばっかり考えているとそれが習慣化してしまって、ついには性格にまでなってしまうそうです。

この教えを初めて聞いたとき、本当にその通りだと思い、目から鱗が落ちた気分でした。そして何だか心が軽やかになって、ただ今に生きればいいんだと思ってやってみました。ところが、できないんです。一枚や二枚目から鱗(ウロコ)が落ちても、まだ何枚もついているみたいです。ふと気がついたら心は昨日の出来事を気にしたりしています。

たった三行の短い教えですが、真実の言葉は奥が深いと思います。ちょっとばかし気分がよくなっても、まだまだ教えの真意までたどり着けていません。

私はわりと七面倒くさい性格のところもあって、いちいち言葉の意味を考えたりします。

  • 過去って何なんだろう
  • なんで思い煩ったり、気にしたりするんだろう
  • 価値はないってどういう意味なんだろう
  • 価値があることってなんだろう
  • 今って何なんだろう
  • 善いとはどういうことなんだろう

結構人間って、言葉の意味を曖昧に捉えているように思います。だから、真実の言葉に触れても、すごく表面的に、感覚的にしか理解できていないことに気付かされます。だから私は、言葉の深意を確かめようとじっくり考えることがあります。そうしていくと不思議なことに、例えば、過去というものを自分はどう捉えているのか、感じているのかがわかってくるし、それとともに、ヨーガの教えはどういっているのかをあてがうことで、自分の捉え方が真実に沿っているのかどうか、どのように捉えるのが正しいのかが、単なる知識ではなく具体的にわかってくると思います。

ポイントは、単に自分の感覚や経験だけで進めるのではなく、ヨーガの教えをあてがって具体的に自分がどう感じているのかを確認しながら進めていくことです。その時に、どうしてもわからないことや確認が必要なことが出てくるはずです。私は「今」を考えていった時に、どうしても「今」を捉えることができなくて、「心は今この瞬間を捉えることが果たしてできるのだろうか?」ということがわかりませんでした。考えてもわからなかったら、師に質問すればいいと思います。

そうしていけば教えが少しずつ心に浸透し、根を張っていくようになります。

次に大事なことは日常での実践です。ちょっとやそっと教えの理解が育まれても、上司に叱られたら一瞬で吹き飛んでしまいます。悶々と失敗を気にして思い煩い、ほとほと疲れ切るまで続くわけです。その時こそ最大のチャンスです。自分が熟考してきた教えを実践してみるのです。そうすれば、まだ自分が出来ない原因が見えてきます。

悶々と思い煩う方が心はむしろ楽なのですが、そこで思考ループを断ち切って、もう一度日頃理解を深めてきた真実の教えをその状況にあてがって、原因を突き止めていくわけです。それほどのしんどい状況なんだけれど、だからこそ集中感が生まれ、成功するのだと思います。でも日頃やっていないとその力は生まれません。

今はネットで何でも手軽に情報が手に入りますが、ヨーガの教えは、自分自身でしっかりと考え、実行していかない限り、ちっとも心は変わりません。でもやっていけばいつの間にか心は過去を彷徨い歩かなくなっているんだろうなと思います。

もし心が過去を彷徨い歩かなくなると、どれだけ楽になるのだろうと思いませんか。多分心はすることがなくなって、すごく時間が余ってくると思います。そしたら、たくさんヨーガができるようになって、ヨーギーになれると思います。

ヨーギニー
ヨーガに没頭するヨーギニー。1660年頃。何か凄みを感じる。

サーナンダ


アーサナ in 大阪中之島

昨日!大阪の中之島でアーサナのデモンストレーションを行ってきました〜。
水都大阪のシンボル的存在、ラバー・ダックがお出迎えしてくれます。

ラバー・ダック

まずはクラスがある中央公会堂の前で。カメラを持った方がたくさんいたので、連写する音が鳴り響いていました。
アーサナでも大阪2015.9.19.2

続いては、もう少しラバーズ・ダックの近く、バラ園のそばで
アーサナデモ大阪2015.9.19
アーサナでも大阪2015.9.19.3
少しだけ臨場感を味わってください、クリックしたら再生をします。IMG_1325-2

アーサナデモンストレーションの後はキールタンです!キールタン 大阪2015.9.19.1

 

発売されたばかりのお揃いのTシャツで!色のバリエーションもたくさんありますよ。

tシャツ2015.9.19.

そして、かわいいお手伝いさんたち。
お手伝いさん 大阪

 


水都大阪 中之島グリーンマーケット

明日、19日(土)大阪で開催されている中之島グリーンマーケット周辺で、アーサナのデモンストレーションとキールタンを行います。14時半頃〜16時半頃を予定しています。

http://www.suito-osaka.jp/enjoy/machiasobi_gm/

お近くに起こしの際はぜひ遊びに来てください〜!


愛の詩 雨の夕暮れ

..

雨雲が見える

黒い雲 黄色い雲 すべてが混ざり合い 雨が降り出す

水! 水! 私がどこに行こうとも 至る所に水がある!

乾いた大地は緑におおわれている

愛しいお方は遠く離れた土地に住む

私は独り 雨の中にびしょ濡れになる

あぁ 雨雲色の肌をした 永遠なる主よ

わが愛を満たしてください

ミーラー・バーイー

imageある日の琵琶湖の雨の夕暮れ。いろんな色の雲が混ざり合い雨が降る。日没時、その雲々は太陽に照らされ、鮮やかな彩りの見事な様相を顕す。

..

詩は、バクタのハートから零れ落ちた愛の言葉です。人それぞれで感じ取ればいいと思うのですが、この詩を読むと、いつも私のハートは甘美な愛に酔いしれ、思考と呼吸は停止し、偉大なバクタ、ミーラー・バーイのハートに浸るのです。

サーナンダ

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