私って何だろう!?

長岡京市でヨーガ・瞑想クラスをしているのですが、今年はラージャ・ヨーガを基礎から学ぶ10回コース(←クリック)をしています。

8月は6回目で日常を変える〟をテーマに、人との関わり方や自分の律し方について、ラージャ・ヨーガのヤマ、ニヤマの教えに学びました。

その中に不盗(アステーヤ)という教えがあります。

他人のものを盗まないという教えなのですが、この教えについて考えているときに、単に他人の物質的な物を盗むだけでなくて、他人の言葉や知識、アイデアや情報を、さも自分のもののように口にすることも、盗んでいることになると思いました。

そう考えていくと、一体何が自分のものなんだろう?と思いました。

この体も心も自分のもののように取り扱っているけれど、よく考えてみたら、体も自分が産み出したわけでもないし、心臓も毎日自分で動かしているわけでもなく、勝手に動いてくれているし、心も物心ついたときから知らないうちにあるし、自分のものとは言えないのではと思いました。

それで、そういうことを講座で話したのですが、クラス終了後、最近来始めた方に講座の感想を聞いてみました。すると、アステーヤのところで、この体も心も自分のものだろうか!?と言われて、「確かにそうかも!」と思ったそうです。そして、「えっ、じゃあ体も心も自分のものではないのなら、自分って一体何なんだろうと思ったんですけど・・・!???」ととても素朴に疑問を口にされました。

そのことを聞いて、何だかとても嬉しくなりました。

なぜなら、ヨーガはそこから始まったからです。「自分って何だろう?」という素朴な問いかけから始まり、それを瞑想で探求し解き明かしていったわけです。

そういう話をそのときしたら、面白そうですね!と言われました。

そういうような素朴な気づきを、少しずつ育んでいかれればいいなと思いました。

「ヤマ、ニヤマ」については、10項目すべてを話す時間がクラスではなかなかないので、この際しっかり学んでみようと思い、テキストを工夫して印象深く作成し、それを一緒に見ながら一つ一つ丁寧に勉強してみました。

少しでも印象に残って、日常で思い起こして実践してもらえれば嬉しいです!

それにしても、不貪(アパリグラハ)に関する質問が多かったですね。贈り物の習慣が割とあるからかもしれませんね。

次回は、9月16日「働きの秘訣」です。

サーナンダ

第6回レジュメ最終

第6回レジュメ最終2


二元性を超える

二元性ってなんでしょう? この言葉、私はヨーガをして初めて聞きました。調べてみると「一つのものが二つの原理によって構成されていること」とあります。これでもなんのこっちゃ?と私は思います。ヨーガでは、二局対立したもの、例えば「好きと嫌い」「暑い寒い」など教えてもらいました。例があるとちょっと分かりやすいですね。
ヨーガはその二元性を超えると言われます。じゃあ超えるってどういうこと、それらがなくなるということでしょうか?

今年の夏は暑かったですね。(まだ続いていますが)今年「ヨーガはやっているけど、私は決して二元性は超えられない……」と思ったのです。この暑さを超えるなんて絶対に無理!!

前回のクラスで、二元性を超えるのに一番効果的なポーズは前屈(パシュチモーッターナ・アーサナ)だと教えてもらいました。前屈のポーズ、知っていますか?
前屈する時は足を前に伸ばして座り、つま先は天井に向け、膝はしっかりと伸ばします。
前屈1
背骨をまっすぐに伸ばしたまま足の親指を持ちます。この時、もう一度しっかり腰を伸ばし、吐く息とともにお腹を太ももに近づけるようにして前屈します。
前屈2
お腹が太ももに近づいて来ると、だんだん体が2つに折れているのでお腹の辺りは圧迫され、呼吸が窮屈になります。お腹の辺りに熱を感じて暑い!顔が足に近づくと吐いた息が顔に跳ね返ってまたまた暑い!ここでゆっくりと呼吸を繰り返すのですが、なんて窮屈なポーズでしょう!?でもこの窮屈さに耐える!?受け入れることで二元性を超えていけるのだと言われたのです。
前屈3
(写真の私、ちょっと力んでますね。そして、足の先見てください、少し逃げています。難しいな〜)

二元性を超えるというのは「暑くない、寒くない」というふうに無感覚や鈍感になるのではなく、感じるけれど心がそれに振り回されないことだと教わりました。

「なーんだ!暑いとは感じてもいいんだ!」と喜んだのもつかの間、それに心が振り回されないと言われ、うーん 🙄 、私の場合は振り回されまくりだな〜と思いました。

写真の前屈の形、なかなかきついですが、それを行うときにはただ呼吸に集中して行います(「痛い!とか、もうやめたい!とか思ってもすぐにストップ! 呼吸、特に吐く息に集中します」)それによって耐える力、ただ耐えるだけでなく、心が不動になる力を養ってくれるということです。日常では、一つの思いが浮かぶと、それに関連して連想ゲームのように思いがつながります。「暑いな→汗だくで気持ちが悪いな→涼しいところにいたいな→仕事に行くのが嫌だな→アイスでも食べようかな……」でもアーサナをしていくことで新しい回路ができると言われました。それは、感じるけれどそれによって余計な思いは出ないという回路です。「今日も暑い!以上!(夏だから当たり前的な?)」こんな感じでしょうか。

もちろん、前屈の形だけでなく、それはアーサナ全体を通してできるようになるのだと思います。今年のような暑いときにも、まったく暑さに翻弄されなくなったとしたら、それはたいしたものだな〜と思います。来年の夏のためにも、がんばってアーサナしておこう !


ステップアップのための特別クラス

毎週火曜日、京都六角スタジオでは、6月から全8回の体験コースをしていました。それは先週で終了、9月1日からは、また新しい体験コース「ヨーガ+瞑想を始めよう!」が始まります。それまでの2回のクラス(8月18日、25日)では、一つずつデモンストレーションを見て基本ポーズの作り方から完成ポーズでの保持、戻し方まで丁寧に学ぶ特別クラスを行っています。昨日は1回目が行われました。
チャクラ図
このチャクラ図を見ながら、自分たちの身体のどの辺りにチャクラがあるかを確認し、そのチャクラに集中することで、どのような効果があるかをおさらいしました。

それを踏まえた上で、デモンストレーションを見て、正しい形を目で確認します。習い初めのころは、デモンストレーションを見ながらアーサナを行いますが、慣れてくると人のアーサナってなかなか見る機会がありません。たまにデモンストレーションをみると、「なるほど!ここを伸ばすから、ここに刺激が行くんだな〜」などと客観的にとらえることができます。そして、自分のアーサナを作る時もそのイメージをもって新たな気持ちですることができます。

慣れてくるとどうしても、自分の癖が出たり、いつの間にか自分のやりやすいように動いていることってあるんですよね。でも自分流だと、せっかくアーサナを行っていても効果って薄いと思うのです。恐らく自分流というのは、無意識の場合が多いと思うのですが、自分の動かしやすいようにポーズの形が変わっていると思うのです、だから刺激が減ると思います。

何年か前に、もう一度ひとつひとつのポーズを一から正しく、言われた通りに作ろうと試みたことがあります。そうしたら、いつもやっているアーサナがとてもキツかった!!!でもその代わり、チャクラに熱を感じたり、背骨全体が熱くなったりしました。それは内的な効果が高まった証拠だと思います。とても良い経験でした。せっかくアーサナをするのなら、効果を逃したくはないですよね。来週8月25日(火)19時〜も特別クラスがあります。ぜひご参加ください!!


サマリアの女

京都は暑そうですね~。私の方はと言うと…夜勤明けで、仕事中は急変もあって疲れ果て、帰宅してシャワーを浴びて夕方から翌朝までひたすら眠っていたのですが、朝方眠い目をこすりながら疲れた体を何とか起こして、どうしても我慢できなかったので、ある物を取りに行ったのです。私が取りに行ったもの、それは、なんと、毛布!!毛布ですよ!京都の皆さん。半袖短パンで寝ていた私は、寒くて我慢できなかったのです。寒い…???今夏ですけど。そうなんです、京都人の私にとって、ここの夏は涼しいんです。周りの人は暑くてヒーヒー言ってるんですけど。だからちょっと涼しくなると、私にとっては寒いんです。だからね、今日の晩御飯はアツアツのお好み焼きでした。美味しそうでしょう?えっ?いらんのっ?
お好み焼き
それでは、暑い京都の夏をお過ごしの皆様のために、今日は涼しいお水の話をしたいと思います。聖書に出てくる有名なお話、「サマリアの女」

イエスはシカルと呼ばれるサマリアの町に到着します。ヤコブ(旧約聖書の創世記に登場するヘブライ人の族長)がその子ヨセフに与えた土地の近くにあって、そこにはヤコブの井戸があります。イエスは長旅で疲れ、その井戸のほとりに座って休んでいました。昼頃のことでした。そこに一人の女が水を汲みに来ます。(普通井戸汲みというのは朝と夕の二回、涼しい時間にするのが習わしであり、真昼の最中、井戸汲みにやってきたというのは、彼女は人目を避けてやってきたということ。彼女は過去において五人も夫を替え、現在も正式に結婚していない男性と同棲していた。そのため、人々は彼女を白い目で見ていた)。

「私に水を飲ませてください」とイエスは女に声をかけます。「なんですって!ユダヤ人であるあなたが、サマリアの女である私に水を飲ませてほしいと頼むのですか?」と女は尋ねます。(サマリア人は、イスラエル人とアッシリアから来た移民との間に生まれた人々とその子孫であり、彼等はユダヤ人にイスラエル人の血を汚した者といわれ迫害を受けていた)。

イエスは答えます。

「もしあなたが神の賜物を知っており、また『水を飲ませてください』と言ったのが誰であるか知っていたなら、あなたの方からその人に頼み、その人はあなたに生きた水を与えるでしょう」

女は言います。「あなたは汲む物をお持ちでないし、井戸は深いのです。どこからその生きた水を手に入れるのですか?あなたは私たちの父ヤコブよりも偉いのですか?ヤコブがこの井戸を私たちに与え、彼自身もその子供や家畜も、この井戸から水を飲んだのです」

するとイエスは言いました。

「この水を飲む者は誰でもまた渇く。しかし私が与える水を飲む者は決して渇かない。私が与える水はその人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が湧き出る」。

女は言います。「主よ、渇くことがないように、またここに汲みに来なくてもいいように、その水を私にください」

これは、師と弟子の出会いの場面です。あるいは、人が弟子となる瞬間を描いたものです。イエスが彼女に「水をください」と言った時、彼女は困惑し拒否します。でも、徐々に彼女の内面は変化していくのです。最後には「その水を私にください」と懇願しています。イエスは言葉によって、眼差しによって、存在すべてによって彼女の中に入り、彼女に祝福を与え、彼女の心を変えてしまわれたのです。彼女はイエスとの出会いによって、イエスが誰で、彼が何を与えるかを悟り、自分が何を必要としていたのかを知ったのです。そして自分から求めたのです。「あなたの愛をください」と。

イエスは弟子たちに言いました。「求めよ」と。そしてこの場面でも言っています。「あなたの方からその人に頼み、その人は与えるでしょう」と。だからまず弟子が求めなければならないということです。そうでないと、神の愛は無駄に流されていくだけなのです。神はそれが耐えられないのです。なぜなら、神は私たちを愛しすぎているからです。この場面はいつも私に問いかけます。

あなたはイエスが待っているその人になりますか?

 

                               ユクティー


さまらさの台所8月

今日は月に一度のさまらさの台所の日でした!今年は日本全国どこでも暑ーーーーい。こんな時は食欲も落ちるかもしれませんが、そんな時期にとっておきの一品をご紹介しました。それは”冷や汁”です!!宮崎県の郷土料理で、農民食だそうです。暑い夏に畑仕事はきっと大変。体力のいるお仕事ですから、簡単に作れて、体の火照りを冷まし、栄養満点な冷や汁が好まれたようです。また、その昔、陣中食としても好まれたようですよ!いざ出陣!ってヨーガ行者は何と戦うのでしょうか?己の心でしょうか……。

冷や汁に戻ります。その土地土地によって使う材料はいろいろのようですが、さまらさ風の冷や汁はごまをたっぷりと使います。

簡単な冷や汁の最大のポイントであり、唯一時間がかかるのがこのごま擦り。
あら?どちらのお坊さん?!と思ったかしら、彼はごまをするのがとっても得意!!ごまを擦っている途中に他の人からごまを擦られていました。(意味分かります?)
ごますり
疲れてきたみんなからバトンタッチ、最後にはスーパー主婦のお二人が、ごまから油が出るまで擦ってくれました。さすがの手際!はやーい!
ごますり2

油が出るまで擦ったごまにお味噌と出汁を加えて。このお味噌もさまらさで作ったお味噌ですよ。
みそ
冷や汁を冷やしている間に、付け合わせのだし巻きを作ります。みんなでわいわい!
だし巻き卵
今回、冷や汁はいりこで出汁を取りましたが、その出し殻をオリーブオイル、お醤油でいただきます!すべてをいただけますね。
出し殻でもう一品
出来上がり〜。冷たくて、薬味が利いていて、体がシャキッとします。とても美味しかった

冷や汁
最後に、サラニーさんがヨーガで教わったお釈迦様のお話を紹介してくれました。

お釈迦様が苦行をされ、長い断食をされたのちに、瞑想で「健康を害しての修行は修行にあらず。健全な肉体に健全な精神が宿る」と悟られ、スジャータという名の娘さんが差し出された乳粥をいただかれた事は有名なお話です。修行をしている道中では、目的と方法が入れ替わってしまい、方法だけに執着してしまう落とし穴があります。修行が何のためなのか、という問いかけをして道を歩くことが大事であり、常に目的をしっかりと見据えていくことの重要性が説かれています。

サラニーさんはこれを聞いて次のように感じたそうです。
「この教えからさまらさの台所をしている中で、食事を学びながらも、自身が何のために食事づくりをしているのかを思い起こすことが大事だときづかされます。私達は、さまらさの台所で、健やかな心身のために日々の食事を調えていくことの大事さを学んでいます。その目的は、本当の自分を悟るために、心と身体を調えていくこと、清浄に近づけていくことです。美味しいお料理を覚えることの、本来の目的を見失わないように、そして身体の滋養となってくれる食事に感謝して歩んでいきたいです」

次回は9月13日(日)「きのこいろいろ」をご紹介します!これは本当におすすめです。きのこの美味しい季節に美味し食べ方をご紹介します。ぜひご参加くださいね。


京の七夕2 2015

昨日も京の七夕に行ってきました。お昼はとても暑かったですが、夕方から夜にかけて、鴨川は風が気持ちよく、とても涼しかったです
今回は松山から来ていたグルバイにもデモンストレーションをしてもらいました〜!
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アーサナの後はキールタン!!久しぶりに鴨川で歌ったな〜

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突然の参加者はオーストラリアから旅行に来ている男性!嬉しいですね。その後ろにいる男の子は恥ずかしそうにしていて、輪の中には入って来なかったけれど、嬉しそうにずっと歌ってくれました。かわいいですね〜。IMG_1983

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京の七夕2015

8月1日から京の七夕というイベントが行われていますが、今年もイベントでにぎわう三条河原でアーサナのデモンストレーションを行ってきました。
河原には竹籠のライト(風鈴灯)が置かれています。毎年そうなんですが、ここでデモンストレーションをすると、その空間にバッチリととけ込み、まるで自分たちのためにセッティングされた舞台であるかのように感じます。通りすがりの人たちもこのデモンストレーションがイベントの一環であると勘違いしている人も多いのです
今回は早速、マハーヨーギーオリジナルTシャツをそろえて着てやりました!
では、ご覧ください。

壮大な夕焼け空をバックにスタート
デモ8月5日1
デモ8月5日2
人だかりができてきました
デモ8月5日3

幻想的ですね〜。
デモ8月5日4
デモ8月5日5
デモ8月5日6

対岸には、天の川をモチーフとしたライトアップ
デモ8月5日7デモ8月5日8

気迫のあるアーサナに吸い寄せられるように人が集まって見ていました。
次回は8日(土)の夕方に行く予定をしています。


瞑想を深める!

瞑想サンガに行ってきました〜!

昨年、サナータナが大阪で瞑想専科クラスをしていましたが、サナータナが東京に移住する際、瞑想専科に通われていた女性二人が、「もう少し瞑想を続けていきたい〜」という熱心な思いをもって、自分たちが幹事を務めて始まったのが瞑想サンガだそうです。瞑想専科に通われていた受講生で構成されているクローズドの自習の会です。
幹事をされているTさんとKさんのお二人のお誘いを受けて行ってきました。前日にサナータナとも話をして快諾を得ました。会場はバクティ・サンガムでもお世話になっているプリヤメーラ(下の写真)です。
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お二人にお会いするのも初めてだったので、どんな方なんだろうかとワクワクしていました。

7人ほどが集まり、瞑想についての問答になりました。
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いやぁ〜本当にたくさんの問答があり、あっという間に90分が過ぎ、終わったのは120分を過ぎた頃でした。濃厚で充実していましたね〜!すごく楽しかったです!
瞑想していくといろんな疑問が出てきますが、本で読んでもなかなか解決しないし、どう進めていけばいいのかわからなくなりますものね。皆さんの本当に熱心なご様子が印象的でした。
特に印象に残った三つの問答がありました。


バクティの対象の決め方について色々話がありました。インドラ神やラクシュミー女神なども登場し、神や神々、そしてカーリー神やシャクティー、クンダリニーの話もして楽しかったです。バクティは、ただ神を好きになって愛するという、恋にセオリーがないように、単純に進めていくのが一番。ぜひ自分のイシュタ(理想神)を見つけて、好きになって近づいていってください!インドの細密画もいいですよ〜。またインスタでアップしますね。

自分らしさの話もありました。自分らしさを追求するのはとてもいいことだと思います。自分らしさって何でしょうね。理想の自分と言い換えてもいいのかもしれません。冷静に考えてみれば、仕事やライフスタイルなど外側の状況が変わることによって自分自身がよくなったり、悪くなったりするのもおかしな話ですし、自分のやりたいことや興味も変わっていきますから、自分らしさも結構曖昧で捉えどころがないようにも感じます。でも私はこの素朴な疑問はとっても大事だと思います。なかなか答えが見つからないかもしれないけれど、適当に誤摩化さずに、瞑想で自分の心をじっと見つめていけば、自分が本当に何を求めているのかが見えてくるかもしれませんね。ぜひ本当の自分らしさ=最高の理想を追求してみてください!そういう時に、ヨーガの教えは頼りになると思います。そして「らしさ」から、さらにダイレクトに本当の自分を追求すればいいと思います。

信じるということは大切なことですね。二つのアプローチがあるかもしれません。まずは教えられたことを素直に信じて実行して体得していくということですね。もう一つは、教えられたことを妄信せず、徹底的に本当かどうかを自分で答えが出るまで考え抜くことです。最終的には同じところに行き着くと思います。いずれにしても、確かで間違いのないものを信じる必要があります。自分の好みというより、誰にとっても、いつの時代でも同じ確かで間違いのないものです。それはきっと自分の中にもある筈だし、自分の中にそれがあるなら誰もの中にあるはずです。その普遍的な真理を信じ、それについて瞑想し、また日常の中で行為していくことで、その真理が心に根付いていくと思います。そのためには、まず自分の言葉や行ないを自分が信じられるものにしていくことから始めたらいいと思います。


会が終わってからTさんにお話ししましたが、最近記憶に残った出来事で、京都でヨーガをやっている男性二人が、1年前くらいから毎週月曜日に2時間瞑想に座っているというお話をしました。自習の会ですが、特に話をするわけでもなく、二人で集まって2時間座って解散する内容です。でもそれを続けていくことによって、二人は見違えるように変わっていったと思います。ちょっと極端ですが、瞑想サンガもそんなふうに育っていけばいいですね!

瞑想を深めていく際のポイントは、会でも話が出ましたが、アーサナ学び理想だと思います。この三つについて具体的にどう実践しているのかなどを瞑想サンガの中で話しながら、瞑想に生かしていけばいいのかもしれませんね。

楽しく有意義なひと時を本当にありがとうございました。o(*⌒─⌒*)o

またお気軽にお誘いください。 (^o^)v

サーナンダ

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素直さ

暑ーーーーい 😯 !!!いったい私はどこにいるんだ……熱帯の国?!と思ってしまうほど暑いですね。みなさん、熱中症などお気をつけください!!
さて、今日は月に一回のシッダ・マールガの日でした。毎回3人の方が憧れる聖者を紹介してくれます。今日は、ヨーガナンダ、マザーテレサ、サーラダーデーヴィーでした。

生きた時代や国は違っても、聖者の本質は同じだと言われます。今日3人の話を聞いていて共通しているなと思ったのは「素直」ということ。真理や神を求める素直さです。

素直と聞くと、ひねくれたところのない、おとなしいいわゆる良い子を想像するかもしれませんが、そういったものとは少し違うと思います。求めるものには命すら差し出すことができる潔さ、人からなんと言われようと、自分もしくは神を信じる強さ、そして信じたことを行動に移す強大な力、そういったものを感じます。

素直さについて、イエスキリストの言葉に
「貧しきものは幸いなり、彼は神を見るだろう」
という言葉があります。この貧しきものというのは、心の中に余計なものが入っていない単純な心のことを言うそうです。

私たちは子供の頃からたくさんの言葉や知識を身につけ、常識と言われることを疑うことなく行ないます。詰め込んだものが多ければ多いほど、単純になることは難しいかもしれません。でもイエスキリストは、単純な心を持つものが神を見るというのです。
素直になるためにはでいつの間にか身に付けてきたことにとらわれず、空っぽにしていくことが大切なんだと思います。
でも元々は、だれもが単純でシンプルなのだから、空っぽでシンプル、素直そのものの聖者を見習っていくことで、きっとキリストの言う貧しきものになる日が来るのだと思います。

ヨーガナンダを紹介するヨーガダンダ

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   ジャイ!グル・プールニマ 7/31

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グルの言葉は何と偉大だろう!

心の不安を取り除き、喜びへと導く。

幾百万人の意見よりも、

グルの一言の方が完全なる安心を心にもたらす!

その言葉は何ということは無いかもしれない。

しかし、

グルとともにあるひと時の中で授けられた言葉は、

息吹となって肉体と心に活きる力を与える!

ヨーギーの命は、

食物によって養われるのではなく、

グルの言葉によって養われるのである!

永きに渡る困苦も、

グルの一言で霧消する!

ジャイ!サットグル!

ジャイ!グル・プールニマ!!!

※毎年7月の満月の日はグル・プールニマと呼ばれ、満月がサットグル(真実の師)の完全円満な悟りの境地を表わしていることから、インドでは満月祭が行なわれるそうです。サットグルの存在を讃え、感謝を捧げる吉祥な日となります。プールは“完全な”、ニマは“月”という意味です。元々は聖者ヴィヤーサの誕生を祝うことから、ヴィヤーサ・プールニマとも呼ばれます。満月が2回ある月は後の満月をブルームーンと呼ぶようですが、今年の7月は満月が2回あり、そのブルームーンの明日7月31日にグル・プールニマが行なわれるようです!

最愛の師の存在に思いを馳せ、心からその御足下に感謝を捧げるとともに、自らのヨーガの成就を誓う日となりますように!

サーナンダ

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