アーサナでニュートラルな状態を作る

MYMのヨーガ・瞑想クラスでは、1つアーサナ(形)を行うと、シャヴァ・アーサナ(屍体の形)を行います。 
シャヴァ・アーサナは仰向けに寝るだけのシンプルなアーサナです。 

シャヴァ・アーサナ以外のアーサナは、程よい緊張感と集中感を持って行います。 シャヴァ・アーサナは緊張感も集中感もなく、全身の力を抜いてリラックスした状態で行います。 

 アーサナを始めたばかりだったり、疲れが溜まっていたりすると、どのアーサナをするにもきついと感じますが、シャヴァ・アーサナで一旦体を休めることで、次のアーサナに集中しやすくなります。またアーサナで良い緊張感が生まれれば、シャヴァ・アーサナの時に力が抜けるようになります。疲れた体は癒され、心は穏やかで落ち着いた状態になっていきます。 

 シャヴァ・アーサナを行う上で大切なのは、背骨を中心に左右対称に手足を置くこと。 
手は体から少し離して、手のひらを上向きにしておきます。足は肩幅前後に開きます。仰向けに寝たら、一度顔を起こして確認するといいでしょう。 
デスクワークなどで肩や首にこりがある方は、軽く顎を引くことでより力が抜けやすくなります。 
形ができたら、目を閉じて、口を閉じる力を抜きます。呼吸は他のアーサナ同様鼻で行ってもいいし、口で行ってもかまいません。 

今週の国分寺クラスの様子。皆さんしっかり集中してハラ・アーサナを行なった後、  全身の力を抜いてシャヴァ・アーサナ。ゆったりとした呼吸で休まれていました。

一つ注意したいのは、眠りに陥らないようにすること。 
その理由について、師はこう答えられています。 

 ——シャヴァ・アーサナ(屍体の形)の時に眠ってしまうことがよくあります。眠らない方がいいのは、眠ってしまうことによって心がまた活動してしまうからですか。 

そうです。心の活動の状態というのは覚醒と夢見と熱眠の間を行き来するわけだけれども、アーサナにおいてはその三つの状態から離れた、よく宙吊り状態というけれど、ニュートラルな状態が作られる。だから眠りに落ちてしまうと、瞬間にでも夢を見るかもしれないし、熟眼するかもしれない。そういう心の活動領域に巻き込まれてしまうから、眠らないようにということなのです。 
そしてニュートラルな宙吊り状態が作られると、それを知っているという純粋な意識だけが取り残されてしまうので、それ以上の心の活動が休止した状態になるはずです。これは「ヨーガ・スートラ」の中に煩悩というものを取り上げて、それは弱まったり休息したり、眠ったり——煩悩が眠るという状態もあると説かれている——ちょうどそういった一時的な状態が、アーサナという中において成立している。実際に煩悩を除去する、なくしていくには、やはり識別という瞑想を加えないといけないのは当然です。 

 『マハーヨーギーの真理のことば 第6章アーサナの実践 ニュートラルな状態を作る』 

 
私はアーサナを始めてからしばらくの間、シャヴァ・アーサナで眠ってしまうことが度々ありました。特に苦手なアーサナが終わった後は心身ともに解放されたような感じになり、ふっと意識が薄れて寝落ちしてしまうのです。自宅で寝る前に行っていたら、気付けば朝だったこともありました。せっかくアーサナしているのに、その効果を感じるどころか体が冷えて調子を崩したこともありました。 
当時は、仕事と学業の両立で心身ともに余裕がない中、毎日アーサナしなければと必死でした。それが力みとなり、形を保持している間は緊張し過ぎた状態、横たわるとその反動で心身が緩み過ぎて眠りに陥ってしまい、覚醒・夢見・熟眠という心の活動に巻き込まれていたのだと思います。心身ともに調えたくてアーサナしているのに、本末転倒なことをしていました。 
その後は少しずつ自分に合った働き方に変えたり、食生活を調えたりすることで、気付けばシャヴァ・アーサナで眠らなくなりました。今では自分にとってどういう生活をするのが良いのかを考える、とても良い機会だったと思います。 

初めてクラスに来た方や、ご自宅での実践を続けるのがなかなか難しい方に、「シャヴァ・アーサナもアーサナなので自宅でやってみてくださいね」とお伝えすると、みなさん、それならできそう、と笑顔で頷いてくれます。 
思いついたらすぐにでも行える形ではありますが、他のアーサナも並行して行うことで、力みなく完全にリラックスした、どこにも寄りかかることなく宙吊りのような状態に導かれていきます。 
心の活動に巻き込まれなくなったら、喜怒哀楽の感情を失って日々生きていても楽しくないのでは?と思う方もおられるかもしれません。 (私はヨーガに出会った頃、そう思っていました) 
でもそうではありません。 

何にも寄りかからず、心に巻き込まれることもないニュートラルな状態においてのみ、純粋な意識=本当の自分が確かにあることを実感できるのです。何が起きても揺らぐことなく、常に平安で喜びに満たされた日々を生きることができるのです。 

 少しでも興味が湧いてきた方は、ぜひMYMのヨーガ・瞑想クラスで体験してみてくださいね。

ハルシャニー  

 


『マハーヨーギーの真理のことば』~心が唯一頼るべきもの  

11月23日は、私たちが敬愛してやまない師サットグル・シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサの御聖誕日です。私たち弟子にとって、師へ心からの感謝を捧げるとともにヨーガの成就に向かい心新たに誓願を立てる日でもあります。

15年ほど前、私は長年実践してきたヨーガに疑問を抱き、進むべき道を見失ってしまったことがありました。そして、心の奥底から真のグル(師)を求めました。
その数ヶ月後、まさに「求めよ、さらば与えられん。尋ねよ、さらば見出さん。門を叩け、さらば開かれん」という聖句の通り、ヨーガのご縁によってその願いは現実のものとなりました。
皆が親しみを込めて「ヨギさん」と呼ぶその方は私が求めていた“真のヨーガの師”であり、私はシュリー・マハーヨーギーのもとでヨーガの道を歩むことを決心しました。

非常に残念なことですが、最愛の師は2023年5月に肉体を離れられ、直接お姿を拝することは叶わなくなってしまいました。深い悲しみに沈みながらも、「今こそ師から学んだ教えを実践する時だ」と自分を奮い立たせていたある日、『マハーヨーギーの真理のことば』の中にまるで師からの励ましのような教えが目に飛び込んできました。

「心が唯一頼るべきもの」

グルの真実は姿形ではなく、その本質にあります。それは形と言葉を超えている、存在そのもののことです。真実です。それはあなたの中の、あなたの真実と同じものです。
唯一、心が頼るべきは、グルとその真実の言葉です。

――『マハーヨーギーの真理のことば』第十六章「聖なる存在」/第三節「グル」より

私はハッとしました。
師の教えはこの御本の中にあり、師の言葉は師の本質であり存在そのもの。師の存在は失われたのではなく、言葉を超えた「真実」として今も常に私の中にある――と。

私が師に巡り会えたように、これからも一人でも多くの人がこの『マハーヨーギーの真理のことば』の中に師の存在を見出し、シュリー・マハーヨーギーのもとに導かれることを心から願っています。
私もまた心を新たに、師が教えて下さった「私の中の真実」を実現するために精進を重ねていきたいと思います!

シャルミニー


リーラー・ヨーガ・スタジオ 新キャンペーン🌾

秋の空は澄んでいて、清々しいですね🍁
京都のリーラー・ヨーガ・スタジオは開設してもうすぐ半年を迎えます。


そして11月から新キャンペーンとして新規の方¥500オフをスタートします‼️
11月1日〜12月31日の期間、どのクラスでも¥500オフになります


有難いことにスタジオを開設してから40名以上の新規の方にご参加いただいています。
特に多いご感想は「ポーズ一つ一つを丁寧に教えてもらい、よかった」というお声です。
初参加の方にはアーサナ(ヨーガのポーズ)をする前に見本を見たり、一緒に形を作ったりしながら、安心して取り組んでいただいています。
もちろん柔軟性は関係がなく、性別や年齢など問わず、20〜70代くらいまでの方にご参加いただいています。


お得な4回カードを購入して通われる方も多く、さらにはマンスリーパスという1ヶ月通い放題のチケットを利用されている方もおられます。
先日、マンスリーパスで通っている方がクラスに来られた時、後光が差しているかのように明るく輝いていて、その変化にとても驚きました😲✨

ヨーガの効果は本当に多岐に渡りますが、その大きなものとして呼吸が挙げられます。
ヨーガによって呼吸が調い、それに伴って心も落ち着いていきます。
そして、心が波立たなくなると、人が本来もっている尊いものが輝き出し、周囲にも調和や明るさがもたらされます。

秋の季節は大気も穏やかで、いろんなことを味わったり感じたりするには本当に良いですし、ヨーガはアーサナや瞑想だけではなく、精進料理インドの歌、さまざまな道があり、スタジオではたくさんのクラスを展開しています。
少しでもヨーガにご興味がある方、この機会にぜひスタジオにお越しください☺️🙏

読書の秋・芸術の秋でもありますし、ヨーガの本や瞑想カードもぜひ手にとってご覧になってください📖

クラスのお申し込み・詳細はこちらをご覧ください🪷リーラー・ヨーガ・スタジオ

ゴーパーラ


『ヴィヴェーカーナンダの生涯』イラストシリーズ⑤

宗教会議で一躍有名になったヴィヴェーカーナンダは、アメリカの東部や中西部の大都市を駆け巡り、週に12回から14回の講演を行ないました。何百何千という人々が押し寄せましたが、そこには教養豊かな人たちや真理探究者に混じって、人を欺く人や興味本位の人やならず者もいて、どこででも厚遇されたわけではありませんでした。

ヴィヴェーカーナンダの目的は、永遠の真理を説いて誠実な人々の霊的生活が深まるように手助けすることでしたが、無知、迷信、宗教一般、特にヒンドゥー教についての誤解を取り除くという仕事は大変に困難なものでした。

あらゆる類の障害や反対や脅しに対してのヴィヴェーカーナンダの答えはただ一言でした。

「私は真理のために闘います。真理が偽りと手を結ぶことは絶対にありません。たとえ全世界を敵に回そうとも、真理は最後には勝利するに違いありません」  

(『ヴィヴェーカーナンダの生涯』より)

次第に裕福な特権階級の人々を離れて、霊性の生活に熱心な学生の訓練に専念し、静かに個人の人格形成をすることに熱意を抱くようになりました。ニューヨーク滞在中にブルックリンで定期クラスが開かれることになったのをきっかけにして、貧しくも熱心な数人の学生がニューヨーク市内の貧困地域に部屋をいくつか借りました。ヴィヴェーカーナンダはその一部屋に暮らし、貸家の二階にある普通の部屋で講義と授業を行ないました。講義中のヴィヴェーカーナンダは床に座りましたが、数多い受講者はタンスやソファの肘掛けや部屋の隅にある洗面台までも利用して座りました。扉は開け放たれたままで、あふれた人々は廊下や階段をも埋め尽くしました。真理に関する理解を深めるために、数人の選ばれた弟子にギャーナ・ヨーガを教え始め、自己制御、集中、瞑想の科学を教えるためにラージャ・ヨーガも指導し始めました。

ヴィヴェーカーナンダは西洋で働いていた間も、インドのことを忘れることはありませんでした。講演で稼いだ金銭を、宗教、教育その他慈善活動のために送り、彼の熱烈な手紙がインドの兄弟弟子たちを奮い立たせました。「自分の足で立つのだ!」と繰り返して、自立するように励ましました。

ヴィヴェーカーナンダは、どれだけ想像しても及ばないほど、全てを注ぎ込んで働かれたのだろうと思います。それはひとえに人々を真実へと導くためでした。

ヴィヴェーカーナンダが西洋に真理を伝えてくださったことで、現代の日本でもその教えを知ることができます。ヴィヴェーカーナンダが残した言葉は私にも届き、励まし、奮い立たせます。真理が真理であるからその真理のために闘うという、ただそれだけが在るということを突きつけられ、心に光が差して、それだけを求めて歩もうと背中を押されるのです。

サルヴァーニー


東京・中野クラス新規開講!!

中野で新クラスが始まりました!

会場の「Cafe&Studio Tiny Garden 」は、駅近でありながらとっても静かな空間。
Tiny Gardenという名前の通り、アカシアなどいろいろな種類の植物が植えられた小さなお庭があります。

初回10月14日のクラスには6名の方が参加、初めての方もお久しぶりの方も、リラックスした雰囲気でアーサナ・瞑想されていました。

 

参加された方の感想です↓
・何度も中野に来ているけれど、クラス会場はなんだか不思議な感じがして、帰りながら自分はどこに行っていたのだろう?と、いつもと違うのんびりした感覚になりました。
・ポーズの説明が分かりやすくてリラックスできました。心の迷いが少し減ったので、参加して良かったです。
・以前クラスに通っている頃より呼吸が浅くなっていることに気付きました。少しきつかったけれど、終わった後はスッキリ軽くなりました。

ヨーガのポーズを続けていくと、自己治癒力が高まり、体は生命力に満ちてきます。また、ストレスなどで乱れがちな呼吸が落ち着いてくることで、心も動揺することがなくなり、軽やかで平穏な状態が訪れます。

ヨーガや瞑想の効果は実践している時よりも、家庭や仕事など、日常のさまざまな場面で感じられるようになります。
柔軟性はまったく関係ありません。 年齢や性別問わず、未経験の方も安心して基礎から学んでいくことができますので、どうぞお気軽にご参加くださいね!

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⚫︎場所:Cafe&Studio Tiny Garden    中野区中野5-47-9 2階 
⚫︎日時:毎月第2,4火曜日 18:45〜20:15   ※開場は18:30
⚫︎料金:1回2,200円/4回回数券7,700円
※有効期限は中野クラスのみの場合4ヶ月、国分寺クラスと併用の場合は2ヶ月

⭐︎空腹状態が望ましいです。食事は2時間ほど前、水分は1時間ほど前からお控えください。 

お申し込み・お問い合わせはDMもしくはメールでお願いします。
mym-tokyo@mahayogi.org

担当:ハルシャニー

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ハルシャニー  

 

 

 


ヨーガとインド神話~シヴァ神

インドの神様といえば、「シヴァ神」を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか?

8月にこのブログで、聖典『デーヴィー・マハートミャ(女神の素晴らしさ)』に登場する女神ドゥルガー(カーリー)をご紹介しましたが、その夫がシヴァ神です。
シヴァは破壊と再生を司る神であり、ヒンドゥー教の三大神の一柱として、ヒンドゥー教の国々で現在でもとても人気があるそうです。

瞑想をするシヴァ神

シヴァ神はとても古い神で、そのルーツは暴風雨の神「ルドラ神」まで遡り、数千年の歴史の中でさまざまな地域の土着神や信仰が融合して、今日の「シヴァ神」として伝わっているようです。

実はヨーガの実践者にとっても、シヴァ神は非常に重要な存在です。
なぜなら、シヴァはヨーガを最初に人間に伝えた“ヨーガの祖”であることが、いくつかの聖典に記されているからです。
確かに、シヴァ神の絵には修行者の姿で坐し、半眼で瞑想している様子がよく描かれています。

パシュパティの印章(PashupaiSeal)。ヨーガ行者の姿をした人物を刻んだインダス文明の印章。シヴァにパシュパティという別名があることから、シヴァの原型と関連付けられることも…。

そのような古い歴史をもつシヴァ神には、体系化されていない数多くの神話が各地域に伝えられていて、その中にはシヴァから人間にヨーガが伝わった経緯に関する伝承もあるようです。
例えば、ある日、川のほとりでシヴァが妻パールヴァティーに深遠なヨーガの奥義を語っていたところ、一匹の魚が熱心にその教えを聴き取り、奥義を理解して人間の姿に変わり、最初の弟子マッチェーンドラナートとなってヨーガを広めたというお話や、シヴァがヨーガの奥義をまとめた聖典を作ったが、普通の人間には危険だと考えてそれを川に投げ捨てたところ、一匹の魚がその聖典を呑み込み、漁師がその魚を捕らえて魚の中から聖典を発見し、その聖典を学んでマッチェーンドラナートになったというお話など。これ以外にも諸説あるようです。面白いですね。
ヨーガのアーサナ(ポーズ)の中に「マッチェーンドラ・アーサナ(ねじるポーズ)」や「マッチャ・アーサナ(魚のポーズ)」があるのも、興味深いことだと思います。

左/マッチェーンドラ・アーサナ(東京・国分寺クラス) 右/マッチャ・アーサナ(東京・中野クラス)

私自身のシヴァの体験は、以前バクティ・サンガムでシヴァ神のキールタンを繰り返し歌った後、無性にシヴァに瞑想したくなり、そのまま瞑想に入りました。
そのとき感じたのは、山のように雄大などっしりとした不動の存在感。いつも瞑想していたクリシュナ神とはまったく異なる感触で、とても驚いたのを覚えています。

このブログ「ヨーガを生きる」でも、シヴァ神について何度も取り上げられています。ヨーガとシヴァ神の関わりが詳しく書かれていて、とても面白いので、ご興味のある方はぜひご覧ください。

シャルミニー


上映会と弟子たちのサットサンガ(真理の集い)

朝夕の涼しさも増し、秋の深まりを感じられる季節になりました。久しぶりに東京や松山、そして台湾からも弟子たちが集まり、9月27日(土)にリーラー・ヨーガ・スタジオで上映会と弟子のサットサンガ(真理の集い)が開催されました。

今回は2019年5月18日に開催された松山でのサットサンガの映像です。久しぶりの再会に喜び合い、スタジオはとてもにぎやかな雰囲気でしたが、上映会が始まると一転、師のお姿に皆の集中感は高まり、あっという間に映像の中に引き込まれていきました。そして静かな緊張感ある雰囲気へと変わっていきました。


サットサンガからは、質問者が師からお答えを頂くと、「ありがとうございます!」「あー! 分かりました!」と言って、表情や声がぱっと明るくなって安堵されている様子が伝わってきました。質問の内容は様々ですが、師は優しく丁寧に教えてくださいます。

そんな中、ある男性が「昨年、師から人から良く見られたいというこだわりの取り除き方を教わったものの、教えられたことができずに苦しい毎日が続いている」と、吐露されました。「どうすれば本当に自分自身が真剣に向き合っていくことができるのか知りたい。また、愚痴や言い訳をやめていく意義を教えてほしい」と続けて質問されました。
師は、その方へのお答えで少し口調を強められ、

「埒が明かないのであれば、最も核心的な問題ですけれども、自分自身に自分は誰かを問いなさい」

さらに力強く、

「これは、最も自分自身に対する問いかけです。だから誰もがこの問題に真剣に取り組んでほしい。本当の自分を知ること。あらゆる悩みや苦しみというのは、偽りの自分と心が作り出したものなのです」

と仰いました。師の真剣な眼差しと気迫の込もった言葉は、私たちの苦しみや悩みを一掃する力を与えてくださいます。上映会に参加した弟子たちにも深い感動を与えてくださり、スタジオは歓喜に包まれました。

そして、師の口から語られた真実の言葉ーー

「本当の自分を知ること」
「それだけがある。それを知り、それを実現し、それを生きる自分はそれなんだから」

この言葉が耳に入ってきた時、「聞きたかったことを聞くことができた!」と、とても嬉しい気持ちになりました。

上映会を通して、師から直接、教えを聞くことができることは、どんなに有難いことかを感じていました。真実の存在からの言葉は真実そのものです。師から語られる言葉はどれも力強く純粋で、私たちの心の内奥に染み渡っていきます。誰もの本質は尊くそれだけで満ち足りているものだと思い出されます。そして弟子として、それを実現していこうという決意が一層固くなっていくのです。

後半の弟子のサットサンガでは、活動報告と50周年に向けて予定している企画についてのお話がありました。いよいよ来月の師のご聖誕日からMYM50周年yearが始まります。50周年を祝うことができることに感謝をし、ますます精進していきたいです。

桜井晃己桜井みき


台湾グルバイの滞在報告🇹🇼

9月23日〜10月1日の8日間、3人の台湾グルバイ(仲間)が来日していました🪷

今回は私の自宅であるシャーンティ庵に滞在し、毎日朝は瞑想し、その後はヨーガクラスの参加や日本の弟子と交流するなどして、まさにヨーガ三昧の日々でした。 彼らが日本に来たのは、先輩弟子からマハーヨーギー・ミッションの活動やワークスを学ぶという目的があり、そこには大いなる真剣さがありました。

毎朝6:15〜7:15に瞑想。忙しい滞在だったにもかかわらず、不思議と眠くならなかったそうです😲

プレーマ・アーシュラマでアートワークを学びました🖼

月曜日のアーサナクラス。3人並んでのブリッジ。

土曜日のアーサナクラス。3人並んでの逆立ち。

土曜日の朝の瞑想クラス。松山のグルバイやちょうど台湾留学生シヨさんも参加されました。

早いもので、台湾のグルバイと交流が始まって11年が経ちましたが、いつも接していて思うのがハートの「純粋さ」です。
台湾の方たちは本当に素直で明るく、心温まる純朴さがあります。
私は今回、師シュリー・マハーヨーギーがおっしゃった「品(ひん)」についての言葉を思い出しました。

「品とは純粋さ。それはお金で買えないもの」

今回来られたエミリーさんマークさん夫妻、プリヤーさんはまさに「品」がありました。
エミリーさんは何気ない気遣いをよくしてくださり、慣れない台所で美味しい手料理を振る舞ってくださいました。いつも凛としていて、芯のある品やかな女性だと感じました。
夫のマークさんは、今回の滞在で「生きる目的」が明確になりました。瞑想クラスに参加して、「どう生きていきたいのか?」という問いに瞑想した時、「ヴィヴェーカーナンダのように大きなことはできないけれど、自分を世界に捧げたい」という思いが胸の奥から湧き、その時に彼は涙を流しながらその思いを語り、その場の参加者たちは彼の純粋さに胸を打たれました。
そして11年前の留学生時代から親交のあるプリヤーさんは、通訳中によく涙を流し、人の歓びを自分の歓びとして感じる素晴らしいハートの持ち主です。日本のお笑いやアニメ好きということもあり、普段の会話もとっても面白いです。

左からマークさん、エミリーさん、プリヤーさん、シャーンティマイーさん。マハーヨーギー・アーシュラマでは連日美味しい食事をいただいたそうです🍱

台湾のグルバイとは年々、友好関係が深まっていて、本当の兄弟姉妹のように感じています。
ヨーガの語源はユジュという「繋ぐ」ですが、ヨーガを通して、そしてヨーガを教えてくださるグルを通して、私たちは繋がっています。
主クリシュナはこのようにおっしゃっています。

「私は、すべての真珠を貫く糸である」

神を通して、たくさんの真珠と出会い、繋がっていくことは歓びです。
私ももっとヨーガを深め、純粋になっていきたいと感じた台湾グルバイとの交流でした😇🙏

バクティ・サンガム後に記念撮影。皆さん、良い表情です✨

※台湾のグルバイたちが日本に来始めた時の懐かしいブログを見つけました💡
マールラーさん(当時はエセーさん)が日本に来て感じられた内容が書かれています。
翻訳はプリヤーさん(当時はルーさん)です。
よろしければ、読んでみてください💁『MYMとの出会い』

ゴーパーラ


リーラー・ヨーガ・スタジオ 10月からのスケジュール

リーラー・ヨーガ・スタジオは開設して4ヶ月が経ちました。今年の夏は猛暑でしたが、暑さに負けずみなさんクラスに通ってくださいました。通っておられる方からは、「夏バテしなかった」「暑くてもヨーガをしたら身体がスッキリする」など嬉しい言葉をいただいています。


10月からはスタジオのスケジュールが少し変更になります。クラス数が増えますのでぜひご都合に合わせて受講してください。

・水曜日の夜のクラスと木曜日の朝のクラスが追加されました。
・月曜日の昼クラスは、隔週でヨーガ哲学を学びます。
・金曜日の夜のクラスは、スタート時間を15分遅く、19時15分からとなります。

スタジオではマンスリーパス(購入日から31日間通い放題のパス)を用意しています。スタジオは毎日クラスがあります。時間に余裕がある方はマンスリーパスを使ってヨーガを深めるのはいかがでしょうか?クラスに参加する回数が多いほどポーズに慣れるのも早く、変化も感じやすくなります。

またスタジオではクラス以外の時間を使ってプライベートレッスンを受け付けています。
お一人でクラスを受講したい方、お友達や家族と一緒にクラスを受けたい方、曜日や時間の合うクラスが無い方などはプライベートレッスンをご利用ください。
https://mahayogi.org/classes/other-classes

スタジオはとても静かで落ち着く空間です。クラスでは日常から離れた特別な時間を過ごしていただけると思います。
初回は見本を見てもらいながらポーズを行いますので、安心して受講していただけると思います。どなたでもご参加いただけますので、お気軽にお問い合わせください。

サティヤー

 


『マハーヨーギーの真理のことば』~瞑想─基本編

ひと昔前に比べて、瞑想に興味を持つ方が増えてきたように感じます。瞑想に関する情報も多くなりましたが、その一方で、「瞑想をしてみたいけれど、どんな方法がいいのか分からない」といった声を、私の周りでも耳にすることがあります。

私自身も、師に出会うまでは、瞑想を基礎から学んだことがなく、ほんの少し習った知識で見よう見まねで行なっていました。確かに、心が落ち着いたり、何かひらめいたような感覚を得ることもありましたが、どこか茫洋としていて、「これでいいのかな…」と何度も考えることがありました。

シュリー・マハーヨーギーの下で、瞑想を一から教えていただくようになり、私はそれまでかかっていた心の靄(もや)がサーッと晴れていくように感じました。

『マハーヨーギーの真理のことば』第十三章「瞑想─基本編」には、これから瞑想を始める方や、始めて間もない方でも共感できる問答が数多く載っています。
例えば――

─良い瞑想とはどういう状態ですか。
─瞑想の効果がいちばん現れる時間というのはあるのでしょうか。
─アーサナの後に瞑想すると、直ぐ眠くなってしまうのですが、何か良いアドヴァイスがあれば教えて下さい。
─集中がすごく難しくて、いつも雑念ばかりになってしまいます。どういうふうにしたら集中しやすいのかを教えていただけますか。

ここで、特に大切な「瞑想の対象」についての問答を一つご紹介します!

─考えたいことがある時に瞑想しようとするのですが、一点に集中というよりは、考えてしまうのです。まだ瞑想がどういうものなのか全然分かっていないのですが、瞑想の具体的な対象について教えていただけますか。

瞑想の内容は大きく分けて三つある。一つは私は誰か、アートマンという本当の自己を探求する、それだけに集中する。これは私という言葉と概念がその入り口になります。もう一つは、神もしくは神的存在、理想の神の姿を思い浮かべる。そしてもう一つは、真理という抽象的なものについての集中。何か他の様々な考えはこの三番目のものに該当する。どういう考えが起こっていようと、それが真理かどうか、真実かどうかということを瞑想で悟っていく。
だから、この三つの柱のどれかには纏めないといけない、どれかにしないといけないということね。これが混乱していると集中感がなかなか掴めないと思う。

─その三つのうちから自分でどれかを選ぶということですか。

そうです。

─自分には何がしやすいかということでしょうか。

何を求めているかです。しやすさの問題ではなくて、何を本気で真剣に求めているかということ。それによってこの三つのどれがいちばん身近に感じるかというのが自然に繋がってくると思う。

─行き着くところは全部一緒なのですか。

そうです。
真実の幾つかの面というか現れとして、その違いがあるわけです。自己を探求するのがギャーナ・ヨーガ、神的存在に瞑想するのがバクティ、そして真理、真実を確かめていくのはラージャ・ヨーガ。そういうふうにその集中対象と内容に応じて呼び名は違いますけれど、行き着くところは同じだし、またギャーナ・ヨーガでもバクティ・ヨーガでも純度を高めるためには識別を必要とします。識別というのは心の中にまだ残っているかもしれない煩悩性のものを取り除く作業です。これは真実と突き合わすことによって放棄されていく。だからそれらをしっかり覚えておいて、そして最も切実に求める対象を選ぶ。

─対象は一つだけにするものなのですか。

いえ、そういうわけではないです。その三つを、一時にではないけれども、一人の修行者が行なっていくことは普通です。
( 『マハーヨーギーの真理のことば』第十三章「瞑想─基本編」第一節 瞑想の基礎/瞑想の対象を選ぶ)

私は、バクティ・ヨーガの瞑想を何年も続けていましたが、今はアートマンへの瞑想に変わりました。
それは、神を求めなくなったからではなく、むしろ神を求めて瞑想を続けるうちに自然とアートマンという真我への瞑想に繋がっていったという感覚です。
瞑想の進み方やその様相は一人一人それぞれに違うものだと思いますが、行き着くところは同じ一なる真実。私の中にあるその真実を実現するまで、これからも真剣に瞑想を続けていこうと思います。

シャルミニー