ヨーガの1日 ~春分の日🌸~

春の嵐がやってきた2024年3月20日、春分の日のこと。京都の一角に佇む150年以上前に建てられた趣のある京町家でたくさんの人が「ヨーガの1日」を過ごした。そこは、聖者の庵、マハーヨーギー・アーシュラマと呼ばれている。

春分の日、当日のアーシュラマ

 

75年前の11月23日に、可愛らしい男の子が誕生し、天真爛漫にすくすくと育ち、8歳の頃に真我を悟られた。人々のために真実を生き続けられ、誰もが分かるやさしい言葉でそれを伝えられた。周りの人は彼のことを敬愛を込めて「ヨギさん」と呼んだ。

時は経ち、ヨギさんは、お姿を隠された。弟子たちは、ヨギさんの息吹いっぱいのこの大切な場所で、自分たちがヨギさんにそうしてきてもらったように、他の人にもヨーガの素晴らしさを感じてほしいなと思った。ヨギさんの優しさが溢れるこの場所に、自分たちだけじゃなくて、他のみんなと一緒に集い歓びを分かち合いたいと思った。ヨギさんだったらきっとそうすることを喜んでくださるよね、と。

ヨギさんは、お姿を隠されたけれど、たくさんの道しるべとなる教えの言葉を置いていってくださった。『マハーヨーギーの真理のことば』の本の中にも輝くその真実ーーヨギさんから教わったアーサナ、瞑想、さまらさ、キールタン、真理の言葉、それらをもっといろんな人に体験してもらおう〜!そんな思いからの特別な日が「ヨーガの1日」だった。

その日、一階では真理の教えに触れるワークショップしおり作りが、二階ではクラス体験が行なわれた。楚々としたアーシュラマの空間に、一人、二人、三人・・・と人が増えるごとに、静かな歓びの輪が波紋のように、じわじわと空間とハートに広がっていった。

時折、外には雪が舞い、極寒となった京都だったけれど、アーシュラマの室内は凛とした空気と人々の活気と歓びで瑞々しい気配に満ちていた。ガタガタと強い風の音が聞こえてきたり、伝統的な京町家だから隙間風も入ってくる。ヨギさんは、寒い季節もいつもここで簡素な格好で、来る人々を柔和な笑顔であたたかく迎い入れてくださっていた。

集った人たちは玄関で受付を済ませると順番に、自然と譲り合いながら、ゆっくりアーシュラマの趣ある階段を上っていく。

さぁ「ヨーガの1日」の始まり!朝は、アーサナクラスから始まった。

マハーヨーギー・アーシュラマでのアーサナ体験クラス

それぞれが集中し、真剣に取り組む。

マハーヨーギー・アーシュラマでのアーサナ体験クラス

 

続いて瞑想クラス。深く瞑想に入れたという声もあった。

マハーヨーギー・アーシュラマでの瞑想体験クラスマハーヨーギー・アーシュラマでの瞑想体験クラス

 

お昼には、さまらさの台所。

さまらさのお弁当と桜の花のワカメのおすまし

さまらさのお弁当と桜の花びらがふんわりと浮かぶおすまし。

マハーヨーギー・アーシュラマでのさまらさの体験クラス

 

午後からはキールタンクラス。一階にもみんなの朗らかな歌が響いていた。

マハーヨーギー・アーシュラマでのキールタン体験クラスキールタンを歌う二人

* * *

二階に参加者が上がってくると、心地良い緊張感の中にも、わぁ・・・と何かが綻ぶような笑顔があった。寒い中、春に向けて新芽が顔を出すかのようなそんな爽やかな表情。
二階の間には、簡素で優美な空間が広がり、真正面の窓からは裏庭の真っ白な木蓮と濃いピンクの桃の花が絵画のように美しく見えている。階段の上の壁には、まもなく咲きそうな一輪の木蓮がそっと上品に生けられ、重厚な存在感を放つ黒光りした祭壇には、偉大なるヨーガ行者のお姿のババジ像が見守ってくださっている。サットサンガ(真理の集い)が行なわれていた時と同じように蝋燭が灯され芳しいお香が漂う。お部屋には、ヨギさんが手掛けられたサハスラーラ・チャクラの旗と、息を呑む麗しさの白ターラーの絵画が飾られていた。

どの体験クラスも10名以上の満員御礼!参加者の真剣な熱によってヨーガ体験が進められていった。クラスを終えた人は、また階段を下りてくる。上がっていく時とは何かが違う。さらに清々しくなった笑顔で「場の空気がすごかった・・・」という感嘆の声も聞こえてきた。これは、きっと実際に体感した人にしか分からないこと、何か言葉では言い表せないものを感じられたのだろう・・・。

一輪の木蓮

初めてアーシュラマの玄関の戸を開け、ちょっと緊張しながら一歩中に入り、そして奥の階段をゆっくりと上がる。その初めての瞬間は誰もにとって一度だけ。今回参加される人にとっての、その大切な時。朝から夕方までずーっとヨギさんが、来る人、来る人を柔らかいあの笑顔で、もてなしてくださっているようだった。なぜなら、こんなふうに初めてアーシュラマを訪れるみんなが安心して集えるのは、ヨギさんの息吹に包まれているからで、ここはヨギさんが最初にヨーガを人々に伝えてくださった原点の場所、そして覚醒された場所、毎日、朝起きて、夜お休みになった場所、どこをどう切り取ってもヨギさんの呼吸、眼差し、手のひらの中だったから。これからヨーガに出会う人たちの、この日のためにヨギさんがすべてを整えて万全に準備してくださっていたのかもしれない・・・
1日は、あっという間に突風のように過ぎ去り、参加者たちは楽しそうに真理の言葉を葉っぱ形のしおりに書き留めて、胸に持ち帰った。

しおり作り

いつもヨギさんにお会いすると、自分の求めているものや答えを頂く。知らないうちに真理の言葉を胸に持ち帰っていた。今、ヨギさんが直接お言葉を発せられなくても、これからも同じようにそれを受け取ることができる。聖者の口から溢れた真実の言葉は永遠だから。生命の根源である一つの真実が、いろんなヨーガの体験を通して、みんなに届けられた日、参加者だけではなく関わったすべての人が、それぞれのヨーガの1日を過ごした。

階段の上を見ると、朝は、まだつぼみに近かった木蓮が、嬉しそうに花開いていた。これから、たくさんのさまざまな花が開いていく。
ヨギさんの真理の言葉が、これからもどんどん広がっていきますように。

 

当日の夜に流れたMYM Instagramストーリーズより。

ナリニー


ホーリー・マザーからの贈り物③

毎日ホーリー・マザーを思うことを始めてから、3ヶ月ほど経ちました。

聖典を読むことでそのお人柄に触れ、1つでも教えを実践するよう努めることで、ホーリー・マザーはたくさんの贈り物を与え続けてくださっています。

日常生活の中で、今しようとしている行為が教えの通りになっているかを確認するようになったこと。
仕事で重要な選択をしなければならない時に、ホーリー・マザーが見守ってくださっているという安心感から、穏やかな気持ちで判断できたこと。
そして、意識している時も意識していない時も、確かにホーリー・マザーは傍にいてくださっているのだと感じてからは、心にピタッとホーリー・マザーのお姿が張り付いたようになったこと。

そうした贈り物は、ホーリー・マザーに近づこうとする人みんなに等しく与えられているのだと思います。


部屋にあるホーリー・マザーのお写真

 

毎月1回開催されている東京の瞑想会では、この3ヶ月、ホーリー・マザーの教えに触れて印象に残ったことや、そこから感じたことを話し合っていました。
ホーリー・マザーにほとんど触れたことがなかった人も、少しずつ聖典を読むことで、親しみを感じるようになった様子が伺えました。

計り知れない内面的な強さを感じた。
人々がどのように信仰を持とうとしていたかを知ることができた。
遠い存在ではなく、私たちと同じ存在なのだと感じた。

様々な感想を聴く中で、特に印象残ったのは、Kさんのお話でした。
『ホーリー・マザーの生涯』を読み、家住者として信仰を求める者として、勇気をもらえた、と話してくれました。本の中に書かれている数々の利他的な行為から感じるものがあり、それは師の教えとも重なり、Kさんにとって大切な気付きへと繋がったそうです。
家族に対して、自分の思いやこだわりをなくして、家族が喜ぶことを行為したい。時にそれが難しいこともあるけれど、誰もの中に神がいると教えてくださっている、それこそが真実だと信じて。
そう話されるKさんの姿に胸を打たれました。きっと、Kさんもホーリー・マザーからの贈り物を受け取られたのだと思いました。


瞑想する前にみんなでホーリー・マザーを讃える歌を歌いました。

聖典から聖者の生き様や教えを学びつつ、こうして志を同じくする仲間と語り合うことで、1人では得られない気付きや学びがあります。

以前先輩グルバイから、神を想い、神に近づいていくほどに、神もこちらに近付いてきてくださるのだと聞きました。
今私たちがホーリー・マザーに少しずつでも近づこうとすることで、ホーリー・マザーはもっともっと私たちへと歩み寄ってくださっている。そのことを瞑想会でのみんなの話を聞いて確信しています。

ハルシャニー  


『Paramahamsa』表紙絵シリーズ ⑧

今回は、『Paramahamsa』No.80の表紙絵とこの絵を描いた時の時のことを紹介させていただきます。

2010年初夏、私たちはヨーガ・ヴィハーラに毎週集い、キールタンを歌っていました。一つの歌を何度も繰り返し、その歌の本質に迫っていくのです。

そして「ジャイ・マー」を歌う時、私はいつもシュリー・ラーマクリシュナが愛した「カーリー・マー(女神)」に思いを捧げていました。繰り返し歌い、心の奥におられるカーリーに近づくほどに感じるのは、ヨギさんと同じ眼差しをもつ慈悲深き御方ということでした。その瞳はまさに愛そのもの。カーリーは姿こそ違うけれど、私にとってはヨギさんでした。

通常カーリーはドクロの首飾りを付けて生首を持ち、腰には人の手を切り取ったものを巻いている姿で表されることが多く、血を飲み込んだ真っ赤な口から舌をぺろりと出しています。彼女はなぜ舌を出しているのでしょうか。
おびただしい血が流される殺戮、私たちにとっては恐怖そのものですが、その苦しみを感じているのは、私たちの心にすぎません。それは煩悩や無知の象徴なのかもしれません。でもカーリーはそんなことは全くおかまいなし。 彼女にとってはあらゆることが遊びなのだと感じたのです。
そう感じてから、私の中のカーリーはとてもおちゃめな存在に変わっていきました。
シャクティのメンバーがマーだけに気持ちを集中して献歌できた時、カーリーはいとも楽しげに笑い、踊りだすのでした。

シャチー


アートマンが愛おしい

聖典の真実の言葉から、心に留めてほしいものが一つあるのです。それはある覚者が語ったもので、「夫が大切だから夫が愛おしいのではなく、アートマンが大切だから夫が愛おしい。妻が大切だから妻が愛おしいのではなくて、アートマンが大切だから妻が愛おしい。子供が大切だから子供が愛おしいのではなくて、アートマンが大切だから子供が愛おしい。僧侶が偉大だから尊敬すべきなのではなくて、アートマンが尊いから僧侶が尊い」。

『マハーヨーギーの真理のことば』P87

この世界には自然と愛情が湧いてくる相手もいれば、そうでない相手もいるように見えてしまいます。でも、師であるヨギさんはそんなことには頓着せず、いつも目の前の相手の本質だけを見て接してくださっていました。それは弟子に対してだけではなく、全ての人や物に対しても同じでした。そしてヨギさんの見ておられた世界を言い表したものが上記の美しい言葉なのだと思います。

対人関係で毎日色んな出来事が起こり、時には相手に対して複雑な感情を抱いて心が混乱してしまうこともあります。それでもヨギさんのまっすぐなまなざしを思い出すと、本当はヨギさんが見ておられた世界が真実なのだと認めざる得ない気持ちになって、自分の心のあり方を正していきたいと強く思います。ヨギさんはご自身の生き様を通して、私達に真実を見せてくださいました。

でもその心さえも超えて、その奥にある本質を見つめることができれば、そこには何の違いも見つけられません。区別のない、差別のない、無差別な一つの実体が在るだけです。そして、私たち自身がそれであるということです。私もそれならあなたもそれである、万物がそれである、それだけが在る。

『マハーヨーギーの真理のことば』P87

いつかヨギさんと同じ世界が見れるように、全力でヨーガに励んでいきたいと思います。

船勢洋子


送別会での出来事

春は卒業や入学の季節ですね。私も1月末に5年程務めた仕事を退職いたしまして、最終日に送別会を開いて頂きました。その時の出来事です。

職場の皆さんと話していると、島本さんが掃除をしたり、花を飾ったりして職場の雰囲気をよくしてくれて助かった、と数名の方から言って頂きました。
そのように思っていてくれた方がいたのかと、素直にうれしく思いました。それと同時に、以前私はそういうタイプの人間ではなく、ヨーガを学び進めるうちに徐々に性格が変わっていたことに気付きました。少し苦手なことでも進んで行なうことができたり、美しいものに素直に感動するようになったのかもしれません。大変有り難いことだなと思いました。これまで丁寧にヨーガを教えて下さった、師や兄弟弟子のお姿が思い浮かびました。

また送別会の中で、職場の皆さんから花束や花瓶やコーヒー豆などの贈り物を頂きました。私はコーヒーが好きで、職場でもよく豆を挽いてコーヒーを作っていました。コーヒーを作るようになったのは、2020年にCave(ニューヨーク・ミッションの拠点)に滞在した時に師から教えて頂き、美味しいと思ったからです。そして、花の美しさを教えて下さったのも師でした。このことに気付いた時、私は師への感謝の気持ちで胸が一杯になりました。

師は、家の中でアーサナや瞑想をしているのは心を制御する練習をしているようなものであり、外に出てからが真剣勝負だと仰っていました。人との交わりの中で、心を制御し続けることはとても難しいことだと思います。ふらふらと飛び回る心を注意深く観察し、真理に留めておかねばなりません。自分の殻に閉じこもることなく、周りの人達と調和し、そして役に立てるよう、これからもヨーガの修行をこつこつ続けていきたいと思います。

職場の皆さんから頂いた花束。

島本廉


New!! ヨーガ・瞑想クラス【45分/京都・大阪】

3/26(火)〜5/28(火)までの期間、京都・大阪で新クラスが開講します。

New!! ヨーガ・瞑想クラス【45分/京都・大阪】
↑ 詳しい内容はこちらからご確認ください。

まだまだ寒い日が続きますが、日差しの中に春の輝きを感じる今日この頃、春を迎える清々しい気持ちと、コロナ禍も明けて始動開始!そろそろ新しいことに挑戦するよい時候ではないでしょうか!?

そんなとき、瞑想を始めてみるのはいかがでしょうか?瞑想と聞くと良いイメージがある方が多いと思いますが、実際にはどう良いの?何をしているの?方法は?など意外と分からないことも多いと思います。このクラスでは、そんな疑問点にもお答えしながら、まずは静かに座るということに慣れていただきたいと思っています。またアーサナ(ヨーガのポーズ)をすることで呼吸が落ち着き、瞑想がしやすくなるということも実感していただけるでしょう。瞑想することによって日常で良い変化を感じていただけると思います。

45分という短いクラスとなりますので、ヨーガや瞑想を一度体験してみたい方、忙しいけれど少しの時間でも瞑想する時間を持ちたい方、もちろんすでにヨーガのクラスに通っているけれど、改めて瞑想に取り組みたい方も大歓迎です!気軽な気持ちで来ていただけると嬉しいです。
お得な4回カードもありますので、この期間に瞑想の習慣を身に付けませんか!

サティヤー


春分の日🌸『ヨーガの1日』のご案内

3月20日(水・祝)春分の日に、ヨーガの体験クラスを開催します🌸
一般的にヨーガといえばポーズのことを思い浮かべる方が多いかもしれませんが、ヨーガはポーズだけではありません。呼吸や食事、歌や瞑想によって、ヨーガを実践し深めることができます。そんないろいろなヨーガを体験して頂ける1日です。
開催する場所は、私たちの師がお生まれになりヨーガを教えてこられたマハーヨーギー・アーシュラマです。そこに居るだけで心が落ち着くような美しい場所です。その空気を味わい、肌で感じながらクラスを受講して頂けます。
また体験クラス以外にも、しおり作りを開催します。(体験クラスを受講された方にはもれなくしおり作りが1枚付属します。)心に響くヨーガの教えを選んでしおりに書いて持ち帰って頂けます。ヨーガの教えは日常の中で頼りになり、生活や人生をより良く導く道しるべとなってくれると思います。
ぜひこの機会に、ヨーガの体験にいらしてください😇

※詳細はこちらをご覧ください💁‍♀️ 春分の日企画『ヨーガの1日』

サルヴァーニー


聖典を通して聖者に近づく

私は本を読むのが得意ではありません。ほとんどの場合、文字を追うだけですぐに眠たくなってしまいます。それだから、聖典を読むことにも苦労していました。聖典の学習は通常の読書とは異なり、聖者の息吹を感じるように読むと教わっていましたが、長年の苦手意識の根は深く、本を開くことすらハードルが高かったのです。

しかし、私には心惹かれる聖者がいました。ホーリー・マザーことサーラダー・デーヴィーです。マザーのことを知りたい、近づきたい! そのためには聖典が大きな助けになります。そこで私は、聖典を声に出して読むことにしました。マザーに関する聖典を音読、録音し、それを聞きます。音読は在宅時に限らず、出勤前の車内(職場近くの海岸に停車させて)など、隙間時間を見つけては行ないました。そして、録音できたものは移動や家事の時間に繰り返し聞く、ということを続けました。

音読するときには、聖典に触れ、真理の言葉を目で見て口に出し、それが耳に届きます。五感のうちの四つが聖なるもので満たされます。眠い朝でも、音読をすると心なしか頭や体がスッキリし、軽やかな気持ちで出勤できました。そして何度も録音を聞くうちに、まるで自分がマザーと同じ空間にいるように感じ始めました。
常にマザーが直接語りかけてくれているようで、気が付くとその教えはもちろん、在り方そのものが浸透していくのを感じていました。そして音読に慣れてきた頃には、彼女の言葉をなりきって読んでいる自分がいたのです。慈しみ深い彼女が相手を想う気持ちを言葉に乗せて読み、その後に出勤すると、せわしない仕事中もその話し方の余韻が残って穏やかに話せたことがしばしばありました。

もうひとつ日常生活での変化があります。家の掃除をする時に録音を聞くようになってから掃除が各段に楽になったのです。それまでは、「今日は掃除の日か。しんどいなぁ」と思ったり、すぐに取り掛かれなかったりしていましたし、掃除の時間がやたらと長く感じてぐったりと疲れていました。ところが、聖典と一緒に掃除をするようになってからあっという間に終わるではありませんか! しかも、ずっと心と体が軽やかなんです。何度もそれを経験するうちに、掃除に対する重たい気持ちが無くなり、むしろ「今日は家をきれいにできる日だ」とさえ感じるようになっていきました。聖典を聞きながらすることで真理が心に沁みわたり、余計な思いを浄化してもらったように思っています。

このような日常でのちょっとした変化はもちろん、想像の及ばないところできっと、聖典の恩寵を受け取っているんだろうなと思います。これからもこの実践を続け、マザーのハートと私のハートがひとつになるまで、心や感覚を聖なるもので満たしていきます。もし私と同じように本を読むのが苦手だったり、聖典の学習の実践が難しいと感じたりしている人がいたら、この機会に一度試してみませんか?

大森みさと


天国と地獄

ある男が死んで黄泉の国に行きました。そこで二つの館を目にします。

一つ目の館では、大勢の人間たちが食卓を囲み、食事をするところでした。彼らの片腕は椅子のひじ掛けに結わえ付けられていて、もう一方の手には長い柄のスプーンがくくり付けられている。彼らは目の前のご馳走を食べようとするのだが、口に運べず、頭に被るやら床に落とすやらで、いら立ち怒りだし、とうとう喧嘩を始めた。彼は、これは地獄だと思って次の館に入ります。

ここでも多くの人間たちが同じように片手を椅子に、片手に長いスプーンをくくり付けられて食事をするところだった。すると彼らは長いスプーンで相手の口に食べ物を運んでいる。もらったものはお返しをする、という具合で皆満足気に喜んでいる。彼は、ここは天国だと思った。

天国と地獄は人の心の中にあります。一つ目の館では、人は「私」と「私のもの」を固持し、自分のことだけを考えて行動する結果、誰も幸せになっていません。二つ目の館では「あなた」と「あなたのもの」に自らを捧げることによって、他者が幸せになり、その場に調和がもたらされ、自らも幸せになりました。

・  ・  ・  ・  ・

自分の欲望よりも、他者の喜びになることを行為することが、その場の調和や円満さを作り、結果的に自分も幸せになる、ということがイメージを通して直感的に理解できる教えです。
イラストに目を戻すと、二つ目の館の人はみんな他者のことを見ています。
イラストを描いてみて、他者のことをよく見ること、それが他者へ自分を捧げる行為への第一歩だと思いました。

(『ヨーガの福音』 愛の真理 より抜粋)

サルヴァーニー


MYM48周年記念 書籍・物販セール開催!!

マハーヨーギー・ミッション48周年を記念して、
書籍、Tシャツ、ポスターなどを特別限定価格にて販売いたします!! 

しかも期間中は3,000円以上送料無料という、マハーヨーギー・ミッション始まって以来??のとてもお得なキャンペーンになっています! 

2024年2月20日(火)~4月20日(土)まで。

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少しヨーガの本を読んでみたかったけど、なかなか手が伸びなかった方、素敵なオリジナルポスターをお部屋に飾ってみたい方、さりげなく光り輝くアートマンTシャツを着たい方、この機会にぜひぜひお試しくださいませ!!

MYM京都