特別サットサンガ 京都・御室にて

台湾、松山に続き、京都でも先日、特別サットサンガが行なわれました。
新緑に囲まれる御室、プレーマ・アーシュラマでの初開催!
もちろん、それはとっても!!素晴らしい内容でした。

みんなが期待に胸を膨らませる中、清々しい風とともに、シュリー・マハーヨーギーは「こんにちは〜」と爽やかに、軽やかに会場へ入ってこられました。

冒頭の問答、ヨギさんはまずもってヨーガの意味するところは、真実を実現することであり、真実とは万物の本質が尊い存在であることだと核心たる教えを説かれました。参加者はヨーガの世界へとぐっと引き込まれていきました。

約2時間、途切れることなく質問は続きました。瞑想やアーサナなどの実践を深めるにはどうしたらいいか、家族との人間関係の問題、中学生の女の子の素朴な疑問、芸術とヨーガについてなどなど……。ヨギさんは柔和な笑顔と、絶妙な関西弁を交えたユーモアで私たちの心を解きほぐしながら、内なる真実を喚起するよう、力強く真理を語られました。
そして、不安を抱いている人には「ヨーガを実践していったら100%変わる! 断言します!」と心の靄を晴らすように何度も希望を与えられ、またヨーガの歩み方に確信をもてない人には「間違いなく本当の幸せに向かっていっていることだけは、私が保証します!」と深い安堵を与えられました。

窓から差し込む初夏の光と、ヨギさんから注がれる真理の光を浴びて、みんなの表情も輝いていました。

それでは、この日のサットサンガからハイライトをご紹介します。

ヨーガと出会ってから良い変化を感じる一方、変わっていない部分も根強くあり、自分のつかもうとしているものはヨーガ的には間違っているのかもしれないけれど、あきらめられないと胸の内を明かす女性。
ヨギさんはご自身が十代の頃、何がこの世の本当の幸せかということを瞑想したことがあると切り出されました。

「誰もが望みや欲望というものをもっています。その欲望が成就、達成されたらそれがいちばんの幸せなのか。では、その欲望、望みの理想の大きさとはどんなものなのだろう。
歴史上の狂人たちは世界を征服することがそうであったかもしれません、チャップリンの映画のように。今はそれが宇宙規模に拡大はしているけれど、ただスペースが大きくなっているだけのものでしょう。でも果たしてそれが本当に幸せの最大限のものなのか——。
そう考えた時に、もう一切のことが儚く消えていきます。そう思っている自分がまず消えるわけだから。いつかは、というかすぐにでもね。そうしたら同時に、その思いも、執着も欲望も、すべてが跡形もなく消えてしまう。
いったい何が本当の幸せなのか——。
なくならないもの、永遠の存在というもの、それだけしかないのです!!! それは理屈で理解できるものでもなければ、どこかで手に入るものでもない。それこそが本当に、誰もの胸の奥に秘められている宝のようにある存在なのです!」

ヨギさんは口調を強め、その存在こそが誰もの自分自身であり、それを体感することが大事だと続けられました。そしてさらに、
「それは体感できます!!!
中途半端な欲望や執着は、もっともっとエスカレートさせて、もう切りのないところまで膨らませていけばいい! そうすればその正体もわかってくる」

ヨギさんの息遣いが伝わってくる熱のこもったお言葉は、その場にいた誰もの胸に響いたことでしょう! 何も恐れることなく、大胆に進めと、大きな力が全身に流れ込んできたように感じました。

参加された方からは、嬉しかった! 楽しかった!という無邪気な歓びの声とともに、どんな人にも、どんな質問にも完璧にお答えになるヨギさんの姿に感動したという声、そして、教わったこと、気付きが起こったことを、自分が目指すものに向かって実践していきたいという意欲的な声が多く聞かれました。

真実を体現された方を目の当たりにし、その方の口からこぼれ出る言葉を聞き、直に学べることは、人生においてどれほど劇的な出来事なのでしょうか!! ヨギさんに心から敬愛と感謝の気持ちを捧げます。めいっぱいのインスパイアを本当にありがとうござました!

そして、この日の二日後、ヨギさんは青空の下ニューヨークへとご出発されました。
海の彼方でも、日本でも、一人でも多くの方がかけがえのない真実に触れられますように。

マードゥリー

 

プレーマ・アーシュラマ二階から見えるもみじの若葉


特別サットサンガ in 松山(後編)

松山特別サットサンガの2日目の朝、ヨギさんたちとホテルの一階のバイキングで朝食をとっていると、松山グルバイ(仲間)のアーナンディーが昨日のサットサンガのアンケートをもってやって来ました。
それを読むと素晴らしい感想ばかりで、胸がいっぱいになりました。
ただ、ある方の感想にはこうありました。

「考えが深いから、悩み苦しむのだと思った。気軽に生きたら、楽しく生きれると思った」

私はこの感想に、はっとさせられました。
20代前半くらいの若い方のものでありました。
1日目のサットサンガでは家族や職場関係での質問も多く、若い人から見たら、「なぜ大人たちはこんなに考え、悩んでいるのだろうか?」と感じたのだと思いました。
毎日を楽しく生きていくことができれば、それがいちばんいいに決まっています。
でも大人になるにつれて、なぜかそれができなくなる……
大人は仕事や子育ての義務があるから?
大人になっても、子供のように楽しんで生きることはできないのか?

「楽しむとは何か? また、遊びとは何か?」

2日目の松山特別サットサンガは、そんな問答が展開されました。

質問者「『ヨーガの福音』ーー子供の遊びーーには、子供は結果にこだわらないということで、子供は遊ぶために遊ぶからというふうに書いているのですけれど、子供のようになるには,どんなふうにしたらいいのでしょうか」
ヨギ「子供を表現する時に使われる言葉でよく、無邪気とか無垢といいます。まさにそのようになるということです。それはどういうことかというと、心に計らいがないこと、あれやこれや思わないこと。単純にその目の前の行為に集中して行ない、済んだら忘れるという単純なこと。これに徹していくことができれば、遊びの達人になります」

子供は無邪気、つまり「あれやこれや思わないこと」――
今回の松山特別サットサンガでヨギさんは一貫して、「嫌なことがあったり失敗しても引きずらない、今をより良く生きること」と言われていましたが、それは子供の状態ということだったのです。
そしてサットサンガの後半、「ヨギさん、楽しむことについて教えてください」とシンプルな問いがあり、ヨギさんは次のようにお答えになられました。

ヨギ「有名な古代の聖典の冒頭にこうあります。『かつてアートマンはひとりであった』――アートマンというのは真実の存在のことです。これは形もないけれども実在として確実にこれだけがあるというものであり、みんなの本質でもあるところのもの。しばしばこれを真我というふうに訳しています。本当の自己、本当の自分という意味です――このアートマンだけがあった。しかし彼は、まあこれは彼女でもいいですが、『彼女は一人では楽しめなかったので、自らを二つに分けた。そこに男と女が生まれ、子が生まれ、そして彼女は異なる動物の姿になり、彼もまたその後を追い、その動物の姿となりというふうに、次から次へとさまざまな動物が生まれていき、現在私たちが見るようなこの世界、万物が形成された』という、宇宙の始まりはこうであったというお話でもあります。この原点に、楽しむという言葉が使われているのです。これは別名インドの言葉ではアーナンダといい、楽しみとか楽、あるいは至福、このような意味合いの言葉です。だから、本質が本来至福である、そしてそれを味わうという楽しみは、他者とともに味わうという、万物とともに味わうのが本来であると。なぜなら、すべてのものがアートマンなのだから。そのことを知って、いつもどこでも誰とでも楽しんでください。いつもどこでも誰もが至福でありますように」

ヨギさんから何度も聞いていたこのウパニシャッドの教えでしたが、この冒頭の言葉を聞いた瞬間、不思議と私は歓びに包まれました。
昨年の愛媛の特別サットサンガで私は、胸の奥から熱い思いが湧き、その衝動は真実の自己アートマンからくるものであり、それに近づき、実現したいという思いに駆られました。
それからというもの、瞑想の中で「私はアートマンである」と何度も繰り返していました。
でも、このヨギさんのお言葉を聞いた瞬間、私の思っていたアートマンは本当にちっぽけなものであると気付かされました。
「アートマンともっと楽しみたい、もっと多くのアートマンと楽しみたい、遊びたい!!!」
自然とそのような思いが溢れてきました。

この松山での滞在中、ヨギさんは本当に計らいがありませんでした。
車に乗っている時、食事をしている時、ホテルでくつろいでいる時など、語弊を恐れずに言うとサットサンガがどうなるかなどの心配や不安なんて全く感じられませんでした。
本当に無邪気な子供のように、その時その時を楽しんでおられました。
でも、いつも準備万端!!
サットサンガの時は常に精一杯、真剣に問答をされ、どこでもどんな時でも、かかわる人すべてを至福の渦に巻き込んでいました。
まさに「遊びの達人」ヨギさんを目の当たりにし、ただただ圧倒された今回の師の松山特別サットサンガでした。

一緒に遊んでいただいこと、そして至福の歓びを味わわせていただいたこと、私にとって本当に格別のひとときでした。
ヨギさん、まことにありがとうございました!!!

最後になりましたが、松山の方々、今年も本当にありがとうございました。
昨年同様、今年も皆様の献身の働きにのっかっただけでした。。
でも正直に言います、また遊びたいです!!!

ゴパーラ


特別サットサンガ in 松山(前編)

山々や木々の緑が眩しく光る新緑の季節――
今年もやってきました!
昨年に引き続き5月20日、21日に愛媛の松山で師ヨギさんの特別サットサンガが開かれました!!!
2日間とも年に数度あるかないかの「超」快晴!
前日も雲一つない青空が広がり、マハーヨーギー・ミッションの共用車シトロエンを走らせ、いざ京都を出発。
さすが晴れ男のヨギさんと感じた私は車中で、「ヨギさん、最高のお天気ですね〜!ヨギさんは遠足や修学旅行などの時、雨が降ったことはあるんですか?」と尋ねるとヨギさんは一言、

「ないね!」

松山での特別サットサンガは1日目、2日目ともに本当に多くの参加者が集い、13名の方がヨギさんと初めてお会いしました。
愛媛の方々がどれほどこの日を待ち望んでいたことか!
両日とも問答と問答の間が約「3秒」!
正確に計ったわけではないですが😅、質問が終わったらすぐ次の質問という展開で、それほどに愛媛の方たちがこの日のサットサンガのために質問を携えて集中していたかが感じられました。
そして今回のサットサンガは、昨年のサットサンガからの愛媛の方たちの1年間の実践や繋がりが感じられる問答が数多くありました。
このブログ(全2回を予定)では、その様子についてご紹介したいと思います。

昨年のサットサンガで、目の前に真理という宝物があるのに母への嫌悪やお金に執着するのは「もったいない」とヨギさんからお言葉をいただいたDさん。
そのDさんは、「あの席では本当に自分の中ですっきりしたと思っていましたが、この一年、堂々巡りをしていました。つい先日も身体に痛みがあるように感じていたのですが、この痛みは心がつくっているという気付きがあり、それは『もったいない』と気付いた時と同じ気持ちでした」と話し、「母は91歳という高齢になり、その母に対して愛をどういうふうにもっていったらいいかをお教えいただきたいのと、今までの人生を人のせいにして生きてきたとやっと気付きました。その背中を娘や孫たちに見せてきたので、その影響があると思うのですけれど、これから娘たちにどのように言っていけばよいでしょうか」と質問する。

ヨギ「色んな気付きが起こって良かったと思います。私たちがこの今世に生まれてきて、この真理というものをもし知らなければ、一体どうだったろうというふうに考えると、それは前世――前世いくつかあったか分からないけれども、過去世から過去世によってつくられたカルマという原因によって、今回の生涯を送るべく決定付けられているというふうにみなすことができます。これを改めていくということはそんなに簡単なものではないかもしれない。だから、少しずつ学びを深めていき、そして気付き、より良くしていくということの繰り返しになります。それでも本当に正しい教えと真実に出会えば、この一つの生涯の中において、その完成は可能です。その時間的長さは何によるかといえば、すべて情熱という思いの強さによって、時間はいくらでも短くなります。だから気付いたけれど、また失敗したと思っても、そこはそれ以上引きずらないで、さらにより良くしていくということを繰り返していくほかありません。そうしていくことで、より良くなっていくわけですから。それで、お嬢さんとかお孫さんとかへどのようにすればいいかということは、彼女たちもまたあなたと同じ条件の下に生まれてきた一人の人間であるということ、親子とか孫とかいうような関係は確かにあったでしょうけれど、それ以上に一人一人の人間であるということです。言い換えれば、それぞれがそれぞれのカルマの中でこの生涯を送らざるを得ない、そこで苦しみを無くし、喜びの生涯を送ろうと思うならば、このヨーガを積極的に実践していくということが何よりですし、その姿をまた見せるというか、それがいちばんの彼女たちへの贈り物になるでしょう。折に触れ、いろんな相談やお話などがある時には、少しまたそういった教えを共有して、ヒントとして教えてあげればいいと思います」
Dさん「つい焦ってしまうというか、大事な子育ての時期をそういうふうに教えることができなかったのですけれど、それは自分が一所懸命していけば、子供たちも学べるということでいいですか」
ヨギ「そうです。そして自分の責任といったらおかしいけど、自分の過去の行為をあまり誇大に思う必要はありません。子供は子供なりに反面教師として受け止めて(皆笑)。そこは子供だからというんじゃなくて一人の人間、人として平等の尊敬をもって接していけば、それでいいと思います」
Dさん(表情が和み)「分かりました。母はどうでしょうか?」
ヨギ「お母さんには愛とかそんな言葉はもう忘れて、ただ奉仕すること。もうそれだけでいい。お母さんの喜ぶことを献身的に積極的に行為してください。それが何よりです」

Dさんだけではなく、今回のサットサンガでは、日常でヨーガを実践する中での家族や職場関係の悩み、また瞑想の行き詰まりについての質問が多くありました。
去年のサットサンガから1年間大好きなお酒を断って職場付き合いを最低限にしてヨーガを実践していた方、ヨギさんがお父さんのような存在で誰にも話さなかったことを涙ながらに打ち明けた方、職場のストレスに負けない強い心になりたいと話された方、さまざまな質問に、ヨギさんは終始一貫し、明快にお応えになられました。
それは言葉は違えど、「嫌なことがあったり失敗しても引きずらない、今をより良く生きること。ヨーガの実践を繰り返し、癖付ける」というものでした。
次なる一歩を進んでいける前向きなヨギさんのお言葉に、愛媛の方たちは真剣に聞き入り、魅了されていました。

   

雲一つない快晴と眩しく光る新緑の木々たち――この皐月の時節と呼応するように、そこには太陽のようなヨギさんの存在と、照らされ眩しく光る愛媛の方々がありました。(続く)

ゴパーラ


台湾特別サットサンガより 〜歓びの声〜

先日、シュリー・マハーヨーギーが初訪台された時のサットサンガの様子を、台湾のグルバイ、プリヤーが素晴らしい筆致で寄稿してくださいました。(詳細はこちら

今回は引き続き、その台湾特別サットサンガに参加した方から寄せられた感想の一部をご紹介したいと思います。いただいた感想はここに書ききれないくらい、本当に本当に本当〜に!!!たくさんあり、そのほとんどが歓びと感動と感謝の声で埋め尽くされていました。

 

「覚者に会えて感動しました」

「ヨギさんは何でも答えられます。すごい! Cool!」

「時間が経つのが早すぎて、足りない〜」

「いつか、ヨギさんのように柔らかく温かく平安な顔をもてるようになりたいです」

「ヨギさんはニコニコして可愛くて慈悲深いです。どんなに難しい質問や苦悩に対しても、ヨギさんはまるでみんなの傍に来てくれるかのようにお答えを与えられます。その力は揺るぎなく強いですが、同時にすごく優しいです」

「ヨーガの理解はずっとアーサナだけに留まっていました。でも今日いただいた教えを通じて、ヨーガの意味と今後の目標をもっと理解できるようになりました」

「心の迷いや疑いが、突然消えました」

「今日はまるで深い深い闇の中で、光が見えるように感じました」

「とても感動しました。シュリー・マハーヨーギーの優しさ、不動と愛を感じました」

「ヨギさんはとても慈悲深く、落ち着いていて、仕草が愛に満ちています。真理を愛する人たちが一緒に集まって、素晴らしいです」

「貴方の悟りに感謝します。マスターの丁寧な答えはみんなの心に浸透していきました」

「どうしてグルが必要なのか、自分は理解できませんでした。でもヨギさんに会って、二回のサットサンガの後で、このような疑いは消えました。もちろんグルが必要だと信じられるようになりました。もしグルがいなければ、私の山ほどの疑問や悩みの答えは誰からいただくことができるでしょうか! もちろんヨギさんです! やっと会えました。私の力は有限です。ヨギさんのような存在が私の周りの人を助けてくれて、本当に感謝しています」

「ヨギさんはたくさんの物語や例えをご存知で、優れた智慧をおもちです。それで、自分の小ささと無知に気付きました。これまでの二十年間、仕事の専門知識をもっと吸収して上に上がればきっと人生のピークに達せられると思い込んでいました。そしてそれらに満足していました。でも今考えると、他の人より収入があったり貯金があること以外、実は、私は真実をほどんと分かってないし、性格にもたくさん欠点があることに気付きました。もっと頑張って勉強して変わらなければならないと思います」

「シュリー・マハーヨーギーに感謝しています。恥ずかしいので、直接言葉にして感謝を言うことができません。三回のサットサンガに参加し、私はヨーガへ、真実へ、信仰へもっと自信がもてるようになりました。同時に、愛の具体なあり方が見えました」

「近いうちにまた台湾に来てくださいませんか? 祝福を与えてくださいませんか? そうすれば、私たちの瞑想はもっと進歩できるでしょう。お父さんに飴が欲しいとねだる子供のようかもしれませんが、もしヨギさんにお会いできれば、その時間が短くても歓びが続き、私たちをずっと励ましてくれることと思います」

「真理への学びや真実の神を信じることはやや非現実的だと思っていましたが、ヨギさんに実際に会って、まるで真理は実在しているように感じました。台湾に来てくださってありがとうございます」

「今日とても感動しました。真理を求める人々の流した涙は幸せであり、感動です」

「最初プラサーディニーからヨギさんの教えを聞いて、それこそが自分が求めているものだと思いました。そして、『悟り』を読んでさらにそう思いました。ヨギさんに会って、ヨギさんのお言葉を聞いて、全く疑いはなく、確信しています」

「シュリー・マハーヨーギーの開示と解答にとても感謝します。貴方の言葉と行動から、智者の慈悲と叡智を深く感じました。貴方のおかげで、真理への探求の大切さをとても感じました。本当にありがとうございます。先生のシンプルで、直接で、深いお話が好きです」

その他、「ヨギさんの下でもっと学んでいきたい」「インスパイアを受けた」「もっとサットサンガを行なってほしい」「歓びと平安を感じました」などなど、数多くの素晴らしい感想が届けられました。

 

 

私は幸運にも、師の初訪台に同行させていただきました。ヨギさんがご訪問されるこの日をずっと待ち望んできた、プラサーディニーら台湾の仲間たち。そしてヨギさんの教えを学びながら、いまだヨギさんに会えず、そして今回初めてお会いできることを夢見てきた、台湾の多くの魂たち。

サットサンガが始まる際、ヨギさんがご入場されるそのお姿を見るや否や、涙を流す台湾の方の姿を見ました。ヨギさんがお言葉を発せられる前からです。そして多くの方がヨギさんの存在にぐんぐん引き込まれていきました。

サットサンガが始まり、ヨギさんはヨーガそのものを一直線に、またダイナミックに説かれていきました。ヨギさんの存在そのものに、そしてヨギさんから溢れ出る真理の言葉と叡智に、またいまだかつて誰も経験したことのない圧倒的な悟りのプラーナに、参加者たちは酔いしれ、夢中になり、熱狂していました。台湾に真実そのものが降り立った歴史的瞬間!! ヨギさんはすべてを優しく受け止められ、そしてすべてを注ぎ込まれていました。途切れることなく真剣な問答が続き、多くの方が生きる悩みを打ち明け、そして癒やされ、また笑い、涙し、励まされ、安堵し、そして歓びに輝いていました。

私はこれまで二年間ほど台湾でクラスやキールタンをする機会をいただいてきました。参加者の中には、二年前から知っている顔触れも多々あります。彼らが初めてヨギさんに出会った瞬間、またこの四回のサットサンガを通じて、どれほど変化したことか!! 心の闇が取り払われ、そして生きる歓びを見いだし、まさに新たな命が吹き込まれていく瞬間がそこにあったのです。

——これがヨーガ、これこそが、ヨーガ!!

それは、人をその本質に目覚めさせるという、人知では決して計り知ることのできない大仕事でした。

サットサンガに参加された方からは、今なおその時の感動が続いているという声も届けられています。きっとこれから、ますます多くの方がヨギさんの聖光の下、ヨーガを志し、その道を歩んでいくことでしょう! ヨーガの仲間が増えていくことは、本当に喜ばしいことです!!

ヨギさんのご訪問に際しての準備から、また滞在中も常に献身的な働きで尽力してくれた台湾スタッフの皆さま、本当にありがとうございました!! そして最愛なる私たちの師、ヨギさんに心から感謝致します!!!

そして最後に・・・、台湾の皆さま、またヨギさんを台北にお呼びしましょうね〜!!!

ミラバイ

 

 

 

 


シュリー・マハーヨーギー初訪台!!!

先週シュリー・マハーヨーギーは、これまで台湾で師の教えを広めようと活動を続けてきたプラサーディニーら弟子たちの熱望に応えられ、初めて台湾をご訪問されました! 台湾では本当に数多くの方がシュリー・マハーヨーギーに出会い、素晴らしく充実したサットサンガが連日行なわれました!! 日本語と中国語の通訳というたいへんな役割を見事な集中力でこなしてくれたプリヤーが感想を寄稿してくださいましたので、皆様にご紹介したいと思います!!

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2017年5月10日から5月16日まで、初めてヨギさんを台北にご招待しました。滞在期間は一週間だけでしたが、4日間連続して4回のサットサンガが行なわれ、100名以上の方がヨギさんにお会いしました。

いずれのサットサンガも、参加者たちは奮って質問して、真剣にヨギさんの答えを聞きました。でももっと詳しく言えば、毎回のサットサンガの雰囲気は異なり、もしすべての会に参加した方に感想を聞いたら、きっと誰もが同じコメントを言うでしょう:いずれもすべて素晴らしかったです!

今記事を読んでいるみなさん、この四回のサットサンガが一体どういう内容なのかが気になってきましたか? 今から簡単な記録を述べさせていただきます。

 

一回目のサットサンガは多くの方が集まりました。56名も参加して、会場はパンパンになりました。初めてヨギさんにお会いするため、みんなはすごく興味津々で、レジェンドの覚者に会えるのをとても楽しみにしていました。サットサンガが始まると、クイズ番組のように問答が盛り上がって、ヨギさんのお答えが終わるや否や、すぐ二、三人が同時に手をあげました。話題は宇宙の起源やビッグバンから、ヨギさんが八歳の時サマーディに入ったことや人間のカルマのこと、どのようにしたら自分の怠け癖を退治できるかなどの日常的な質問まで、いろんなクエスチョンが出てきました。どんな質問に対しても、ヨギさんは分かりやすい言葉で軽快に答えられました。みんなはヨギさんの叡智溢れる言葉に引き込まれて、また時々ヨギさんのユーモアによって大笑いの渦が湧き起こりました。後に聞いたみんなの話やアンケートからは、「ヨギさんはとても親しみやすかった!」「ヨギさんの笑顔がかわいい!」などの声がとても多かったです。(それまで多くの方は、覚者というのはとても厳かで親しみにくいというイメージをもっていたようです。なので、ヨギさんご本人にお会いして、そのギャップに驚いたそうです。笑)

二回目のサットサンガでは、参加者たちは早めに着席して静かに座っており、ヨギさんの到来を待っていました。それで、静かで穏やかな雰囲気でサットサンガが始まりました。いくつかの問答の後、一人の女性が質問をしました。ヨギさんの優しい眼差しを浴びながら、彼女は涙ぐみながら長年もっていた恐怖を語りました。その女性の勇敢な告白に励まされて、その後、他の質問者は勇気をもってそれまで秘めていた苦悩を打ち明けました。この世の中にどれほどの人々が苦痛を抱きながら、闇の中でもがいているのでしょうか。ヨギさんはこの上ない愛と慈悲をもって何でも受け入れて、優しく私たちを慰めてくださいます:私というものの本質は尊い、永遠の、不滅の存在です。どんな状況にあっても自分を軽蔑する必要はない。ヨーガへの学びや実践をし続ければ、誰もが本当の歓びと自由に到達できます。それは難しいことではない。なぜかというと、それはすでに心の奥にあるから:ヨギさんから優しいお言葉をいただき、みんなの心の中に重く、硬くなってしまっていたものが、まるで太陽に照らされたように融けて水になって、涸れた心が潤されました。あぁ、この世界はどれほど真理の言葉を熱望していたでしょう! みんなはどれほどヨギさんのご来臨を待っていたでしょう!と、私はそう思ってしまいました。

三回目のサットサンガはまた全く違った雰囲気でした。途中、雨がしとしとと降り始めて世界を洗い浄め、私たちの心も浄化されたようです。なぜかは分かりませんが、外からは雨音が聞こえ、室内にはヨギさんの魅力的なハスキーボイスが響いて、その空間はだんだんロマンチックな雰囲気が醸し出されていきました。一人の参加者が問いました:もし弟子がグルから離れたところにいるなら、どのようにして学び続ければいいのですか? 最初、ヨギさんはブッダの生前の教えを告げられ、そしてグルと弟子との関係を説明されました。最後には、何と次の一言を添えられました:できる限りこの身体をみんなに見えるようにします(笑):うわー! その瞬間、みんなの心は奪われ、すっかりヨギさんの魅力に陶酔してしまいました! 心を盗む人と心を盗まれた人たちの間で交わされる甘美なムードというのは、まさにクリシュナとゴーピーたちの美しい愛の物語ではありませんか!

 

四回目のサットサンガは日曜日に行なわれ、その日はちょうど母の日で、それにとてもふさわしく素晴らしい問答が起こりました。一人の参加者のお母さんも一緒に参加しました。会が始まると、彼女は前触れもなく、いきなり娘の最近のヨーガへの思い入れと信念について認めることができないということ、また同時に、母親として娘の将来を案じ、彼女にはもっとより良い人生を送ってほしいと、彼女への愛を示しました。挑むほどの強い態度に臨んでも、ヨギさんは全く揺るぎなく、力強く、毅然とした態度で説かれました:この世の幸福はすぐ消えていくものです。むしろ物質的な幸福をもてばもつほど、もっと大きな苦しみを抱えるでしょう。ヨーガは中庸の道です。偏ったものではありません。ヨーガは、周りの人に優しい態度で接すべき、目の前に来た物事を自分のベストを尽くすべきであり、永遠で変わらない本当の幸せを求めるべきだと教えています。それは一番理想的な生き方ではないでしょうか:ちょうどその時、太陽の光が窓から差し込んで、ヨギさんを照らしました。ヨギさんは光のように輝いて、同時にパワフルな口調で真理を説き明かされ、その言葉がみんなの心にぱっと突き当たりました。そのような大胆で不動の態度、パワフルであり、共に計り知れない優しさを示されたヨギさんのお姿は、どれほどかっこよかったことでしょう!!(付記:この後、そのお母さんは娘に、自分がヨーガのことを全く誤解していたこと、そしてこれからヨーガを学んでいきたいと言ったそうです。なんと不思議なシュリー・マハーヨーギー・パワー!)

 

サットサンガの後、ヨギさんから大きな力をいただいた、もっと勇気を出して自信をもってヨーガの道を歩み続けられると、多くの参加者が言いました。

田を作る前には、田植えの準備をしなければいけないといわれます。それは、雑草や石を除いて土を耕してから、植物を栽培し始められるということです。これまでプラサーディニーが台湾でやってきたことは、まるで整地の作業のようで、少しずつ人がその作業に加わり始め、やっと田植えの準備が整ってきました。そして、今回ヨギさんは台湾に訪問され、みんなの心の中に真理の種を蒔いてくださいました。いつその種が芽生えるのか? 芽生えてどのように成長できるのか? これからは台湾にいる私たちが、与えていただいたその大きな祝福をもって、その作業にも自分の実践にも努め続けなければなりません。

 

参加者たちとスタッフたちに本当に感謝しています。そしてこの滞在の間、ミラバイさんがさまざまなことをサポートしてくださり、感謝の気持ちでいっぱいです。

最後に、ヨギさんに最も大きな謝意と敬意を捧げたいです。ヨギさんがここにいてくださるので、私たちは歓びの中に集うことができました。どうかまた貴方が、再び台湾をご訪問してくださいますように!

プリヤー

シュリー・マハーヨーギーご訪問に際し、尽力してくれた台湾スタッフのみんな。前列向かって左から二人目がプリヤー、その隣中央が、プラサーディニー。

 

 

 


理髪師と貴公子

久しぶりに本願寺出版社の「ブッダ」より、その教えをご紹介しています。

理髪師ウパーリが最後の王子の髪を剃り落とすと、七人の王子たちは互いに笑顔を見せ合い、身につけていた宝石の指輪や腕飾りを外し、きらびやかな衣服を脱いで修行者の衣を着た。

 

アーナンダやデーヴァダッタ、アニルッダら、シャカ族の王子たちは髪を剃り落とした後、出家の許しを得るために両親に挨拶をしに引き上げていった。王子たちが去った後、出家を望んでいた理髪師ウパーリは自分の髪を剃り、修行者の衣をつけて、ブッダと弟子たちが滞在している場所を目指した。

「ブッダよ、私は理髪師をしております。王族ではありませんが、どうか、私を出家させてください」
「ウパーリよ。お前が理髪師であろうと王子であろうと、このサンガではなんの意味ももたない。真摯に道を求め修行に励むものであれば、私は喜んでサンガに迎えよう」
ウパーリは長老シャーリプトラに導かれ、出家の手続きを経て正式にサンガの一員となった。 

ほどなくして、シャカ族の七人の王子たちが両親の許しを得てブッダのもとにやってきた。
「お前たちは新参者だ。サンガの先輩たちに作法通りに挨拶をしなさい。それができなければサンガに加わることは許されない」
ブッダにこう言われ、七人の王子たちが次々に挨拶をしていくと、最後にさっきまで理髪師をしていたウパーリが修行僧となって目の前にいる。王子たちは困惑し顔を見合わせた。
「どうした?なにか不都合でもあるのか」
長老が声をかけると、七人の王子たちは首を横に振った。
「なにもございません」
王子たちはウパーリに丁寧に頭を下げ挨拶をした。理髪師と軽んじていた男に礼をするのは屈辱だったが、それに耐えなければ出家はできない。
「見事だ。シャカ族の修行僧は高慢の心に打ち克った」
ブッダはいつになく弾んだ声を上げた。
こうしてシャカ族の王子だった七人の修行僧はブッダのサンガの末席に加えられた。

「ヨーガの福音」の中で、師はブッダの教えについて説かれています。

彼の教えの特徴の一つは「小さな虫も人間もすべては仏性を有した尊い存在であり、一切万物は平等である」というものです。その当時のインドはブラーフマナ(カーストの最高位である僧職階級)が力を握っていた。彼は「ブラーフマナもシュードラ(カーストの最下位の奴隷階級)も違いはない。人は皆、平等である」と最初に言った人です。

インドにはカースト制度という厳しい身分制度があります。その中で生まれ育った王子たちが、奴隷の身分の者に頭を下げるということは、その心に非常な衝撃が起こったことだろうと思いました。それまで常識だと思っていた心の観念は一瞬にして壊され、「人は皆、平等である」という真実を受け入れたのだと思いました。
ヨーガを実践し、師から真実の教えを授かると、心は何かにはっと気付き、目から鱗が落ちるような出来事がたびたび起こります。そのたびに心はこだわりや固有の観念を少しずつ手放していって、真実に目覚めようといるのだと思いました。ブッダのお弟子さんたちも同じようにそうであったに違いないと、彼らのことをとても身近に感じ、そして真実の教えを行為するということが本当に大切なことなのだと知りました。

ダルミニー


春 旬の食材を食す

今月は3回さまらさの台所があります。先日2回目のさまらさの台所がヨーガ・ヴィハーラで開催されました。今月のメニューはブロッコリーのペンネ、新玉ねぎと新じゃがいものスパニッシュオムレツ、大根とにんじんのサラダ、りんごの飾り切りです。

使ったの野菜はこの5つ。さて、ここで問題です!
これらの野菜の旬は春ですが、この野菜の中で秋か冬にも旬を迎える野菜はどれでしょうか!?

これ、ほとんどの方は「大根」と言われていました。でも正解は…………
全部!5つとも秋と冬に旬があるのです。では、春のものと秋冬のものとはどこが違うのでしょうか。

それは、野菜に含まれる水分量です。新玉ねぎなんてあきらかですよね、茶色い皮の玉ねぎは、収穫された後、一ヶ月程乾燥させてから出荷されたもの。一方新玉ねぎは採れてすぐに出荷されたものなので水分量が多く、生で食べられます。冬のイメージが強い大根も、春大根はとても水分が多く、切るとじわりと水分がしみ出してきます。冬大根は煮物に向いていますが、春大根はやはり生で食べるのが向いているようです。その他、じゃがいももにんじんもブロッコリーも冬のものより柔らかく、ゆがく時間、炒める時間も短くなります。

冬になると私たちの身体は寒さのため代謝機能が低下します。また、汗をかくことが少ないため水分摂取量が少なくなり、身体の中に老廃物が溜まりやすくなるのです。春野菜は水分を多く含んでいるので、冬の間に体内に溜まっている老廃物を自然と排出してくれる働きを持っています。
旬の食材は、その時期に生きる私たちが必要としてるものを自然と蓄えています。私たちはそんな野菜の命(エネルギー)をいただくことで、その季節を元気に過ごすことができるのです。

毎日の生活の中で、いつの間にか習慣化された食生活があるかもしれません。でも時には季節や自然に目を向けて、その時期に生きる自分の身体や心の状態を感じてみてください。今、この瞬間を生きる私たちには、今、旬の食材が合っているのです。旬の野菜をいただくことで、身体も心も軽快にいきいきと生活していけると思います。

3回目のさまらさの台所は来週の木曜日(5/25)、ウイングス京都で19時〜21時で開催します。まだ空きがありますのでよろしければご参加ください。


ヨーガはライフワーク

シュリー・マハーヨーギーは昨日台湾からご帰国されました!初めての師の台湾ご訪問でしたが、実にたくさんの道を求める台湾の人々が真実の師に巡り会えたことに歓喜し、師の存在と教えに魅了され、ヨーガの道に一歩足を踏み出そうとしているようです!彼の地に新しいたくさんの仲間が増えることを、心から嬉しく思いますし、これからが本当に楽しみですね!師との吉祥な縁によってヨーガが一層台湾に根付いていくことでしょう!すぐにブログでもご紹介できればと思います。

そして、師は今週末は松山での特別サットサンガに向かわれます。松山ヨーガ・サークルにて、5月20日(土)14:00〜16:00、5月21日(日)14:00〜16:00の2回行なわれます。とても貴重な機会ですので、皆さん、ぜひご参加ください!

さて、その松山に17年前に師と共に初めて訪問した際、師から「ヨーガはライフワークです」と言われたことを鮮明に覚えています。実はその時はよくわからなかったのですが、最近はその意味を実感します。今日はそのことについて書いてみたいと思います。

ライフワークとは、生涯をかけて成し遂げる仕事という意味です。畢生(ひっせい)の事業です。師はヨーガを成そうとすることは大事業だと言われます。

この社会のどんな事業も人の心が欲して成し遂げられ、人々に影響を与えますが、その心そのものを浄化し、人間を完成させるヨーガは、時を越えて多くの人々に恩恵をもたらす大事業になるということです。ブッダが成し遂げられたことは2500年経った今なお人々に恩恵をもたらし続けています。

それに気づいたのは、ナーグ・マハーシャヤというシュリー・ラーマクリシュナの直弟子の生涯を記した伝記『謙虚な心』を読んでいる時でした。ナーグ・マハーシャヤの生涯は、神への信仰とはどういうものなのか、そして謙虚さとはどういうことなのかを、人々に伝えるために捧げられたものだと思いました。神への純粋な信仰に生き切ったナーグ・マハーシャヤの生涯は、不滅の力をもって、私たちに真理を伝える力を持っています。その力は衰えることなく、未来に渡って道を求める多くの人間の魂を呼び起こし、心を変容させる力を持ちます。


ナーグ・マハーシャヤ

誰でもが、神への信仰や謙虚さを語ることはできるし、パートタイム的に行動することもできるけれど、その本当の意味は、生涯をかけて生きることで初めて伝えられることなのだと思いました。思いや言葉、行動の全てが100%それになって初めて、存在そのものが純粋な信仰となり、謙虚さそのものとなり得るのでしょう。それは生涯を捧げることによってしか成し遂げられないことなのだと思いました。それまではどれほど言葉巧みに語ろうと、単なる戯言に過ぎないのかもしれません。

ナーグ・マハーシャヤの生涯は、どこまでも神の僕であり、謙虚さが人の姿をとって顕れた存在だったのです。何の説明がなくとも、人は彼に会っただけでそれを感じざるを得なかったのです。

聖者と呼ばれる方々の生涯は、まさに真理の中に、神の中に生きた生涯であり、その尊い足跡は、永遠に輝き続けるのだろうと思います。ヨーガとはそのようなものであり、ライフワークとして、生涯をかけてやり遂げる理想と志を持つことがとても大切なことだと思いました。

サーナンダ


ヨーガの道

ヨーガは、真実に目覚めるための数千年の古代から伝わる霊的な道です。ヨーガを学ぶには、ヨーガを成就したグルが不可欠です。言葉を超えたグルの導きは、道を歩もうとする私たちにとってはかけがえのないものとなります。サットサンガ(真理の集い)とは師を囲んでの神聖な集まりのことであり、師から直接教えを授かる最も大切な学びの場として位置づけられています。

先日行なわれたサットサンガの内容をお伝えしています。

質問者「ヨーガは、瞑想に坐ることができる身体をつくるために行なうと伺ったのですが、何のために瞑想をして、何を目指しているのかということを教えてください」

師「全く今のご質問が、それこそ何千年も昔から国とか民族に関わらず沸き起こる大きな問題なんですね。その答えを探求していった歴史の中で、やはりインドにおいてその探求が非常に深く大きくなされていきました。誰もが生まれ落ちて人生というものを過していく、しかしやがて死んでいくわけですよね。いったいその中で本当の幸せというのは何なんだろう。快適に裕福に暮らせることが幸せなのだろうか、例えそういう境遇に恵まれたとしても、いつ死んでしまうか分からないし、それだったら幸福だと思っていたのも一瞬にして不幸になるわけでしょう。いったい幸せというのは何なのだろう。ましてやそれの経験者たる主人公、自分ね、自分というのはいったい何なのだろう。神というのはあるのだろうか、ないのだろうか。この宇宙の秘密は何なのだろう。
そういう謎というか問題を掘り下げて答えを出していった結果、本当の自分というものは苦楽を味わうものではなくて不滅の存在である。そして自分だけではなく万物、宇宙すべての本質はそれ、同じであるということが発見されました。その境地、その悟りといってもいいけれども、その真実の境地のことをヨーガといったんです」

本当の幸せとは何なのだろう。自分はいったい何のために生まれてきたのだろう。自分はこの世界で何をするべきなのか。自分はなぜここにいるのか。人は誰しも一度は必ずこういう疑問に悩まされることがあるだろうと思います。やがて大人になり、世の中は浮き沈みがあって当たり前、喜怒哀楽もあって人生のうちと、次第にこの疑問が薄れていったり、諦めに代わったり、また忙しさに紛れて忘れてしまったりしてしまうのだと思います。でも、どうしても自分の生きていること、していること、それが不思議でたまらない、なにかがおかしい、それがなぜなのか知りたくてたまらない、本当のことが知りたい、そういう人たちがヨーガに辿りつくのだと思いました。

師「そしてそれを実現するための教えとか方法、そういうものもヨーガというふうに称されるようになって、身体が弱ければその探求も続かないから、身体も健康で強くしなけりゃいけない。そのためにはアーサナによって肉体を調えて、そして心というのは常に動揺するから心も調えなければならない。そのときには呼吸というものも同時に乱れるから呼吸を調えて、そして心を制御していく。つまり心というのは欲望とか煩悩とかいうものによって振り回されることになる。いい経験もするかもしれないけれども苦しい経験もいっぱいある。そういう心の浮き沈みというものに動じないように心も制御していかなければならない。そういう一連の修行というか勉強というものもヨーガというふうに称されるようになりました。だからその真実の実現という目的をヨーガという名称で表し、また同時にそこに至る道もヨーガというふうに称されることになりました。これが何千年、何千年というのは四、五千年ということですけれども、にも渡るヨーガの歴史なのです。
このヨーガがインド以外の国に知られるようになってまだ百年たっていないんです。特にこの数十年の間に欧米とか日本、世界中に広まって、ヨーガのほんの一部分である健康だけを目的としたアーサナというものが流行しているので、それをヨーガだと思っている人がいるかもしれないんですけれども、それは誤解なんですね。それはほんの一部分のことに過ぎない。だから瞑想というのは、ヨーガの全体の体系の中にアーサナと同じように位置付けられている大事な部分なんです。特に心を制御していくというところにおいてね。これがヨーガの全体像です」

世の中で少々の自由や幸福を得たとしても、それらは刻々と変化して一瞬のうちに不自由になり、不幸になってしまう、そうではない相対的な状況を離れたところにあるものが、本当の自由、本当の幸せ、本当の真実であると師は教えてくださっています。そのためにも心のことや、真実、真理というものを学んでいくようにと教えてくださいました。

学校では教えてくれない真実、サットサンガで繰り返し師から真実の教えを聞き、そして真実のみを行為される師の日常から真実を学ぶことによって、私たちはヨーガの道を迷わず歩み続けることができるのだと思いました。

ダルミニー


アーサナを始める時期

今日「みなさん毎日アーサナされていますか?」とクラスで聞いたとき、みなさん、視線をそらされ、苦笑いされていました……。あら!?それはどういうことですかね?では、そんなみなさんに朗報です!

「ヨーガの修行は春かまたは秋に始めるべし。この季節にはヨーガは苦労なしに成功するといわれている」(ゲーランダ・サンヒター5−15)

春や秋は気候が穏やかでアーサナを始めるのに苦労がいりません。(夏は暑くて血管が膨張し、冬は寒くて体が硬く、やりにくいことがあります)
また、春や秋から始めることで過酷な季節を乗り切る準備ができます。

毎日するのは難しいこともありますが、特に私は疲れている日は必ずするようにしています。
なぜなら、翌朝、起きた時の感覚が全然違うからです。疲れがたまってくると、寝るだけでは疲れが取れず、布団から出るのがしんどい時はありませんか?私も疲れている日は、今すぐに布団に入って寝たいと思うこともあります。でも、そんな時こそアーサナを2つ〜3つ(気分が乗れば4つ5つ)とするようにしています。そうすると、先ほども書きましたが、起きた時、完全に体は回復し、疲れが取れているのです。

もう1ついいことがあります。寝たいというのは生理現象ですので、その気持ちをストップして、別のことをするにはかなり意志の力がいります。でもそれをしていくことで自分の心をコントロールする力を付けることができます。それは日常の中でとても役に立ちます。

疲れていてもちゃんとアーサナした!と思うと、気持ちもすっきり、爽快感があり、思いを残していないのでぐっすり寝られるのだと思います。

さて、良いことずくめのアーサナですので、ぜひこの時期から始めてみてください。
ちなみに私は、最近アドヴァンスのアーサナに挑戦中です。まだ全然できませんが、なぜか最近朝の5時にぱっちりと目が開いてしまいます 😯 恐るべし!アーサナ!!!