ミーラー・バーイーの歌に挑戦!

こんにちは、ミラバイです! 今日は久しぶりにバクティ・サンガムのご報告を致します。

春から京都・大阪で毎月行なっているバクティ・サンガムの今シリーズは、毎回一人ずつ聖者を取り上げ、彼らが愛した神にまつわるキールタンを歌ってきました。今回はインド中世に生きたバクタ(神を愛する人)、ミーラー・バーイーをテーマに、彼女が残したといわれている歌に挑戦しました。

私たちがこれまで歌ってきたキールタンは、神の御名だけを繰り返す簡単なもの。しかし今回の歌は歌詞もどんどん変わり、またメロディーも複雑で、リズムにも変化があります。実はこの歌、私は大好きな曲で、初めてこの曲を聞いた時、彼女の人生は苦難に満ちたものであったけれど、彼女はどんな時も神だけを見つめていたこと、そして神とともに多くの歓びの時間を過ごしたということが強く伝わってきて、歌詞の意味は分からなかったけど、とても感動したことを覚えています。ということで、いつかみんなで歌えたらいいなぁと思っていた曲の一つでもあり、しかもこういったタイプの歌は初めての挑戦だったので、どんな会になるかなぁと、私自身も楽しみでした。さぁ、早速チャレンジしていきます!

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最初はみんな気持ちを込めて歌うどころか、歌詞とにらめっこしながら一所懸命挑戦しておられました。でも、なんのなんの! 驚くほど早く歌が歌えるようになり、聞いていた私の方がとても驚きました。最後はみんなで大合唱になり、笑顔もこぼれ始めてよかったです。

「とても楽しかった」「歌詞に思いを馳せながら歌えました」「ミーラー・バーイーの生きざまや熱が伝わってくるようだった」といった感想もいただきました。また後日、「あの夜、夢の中でクリシュナとラーダーの絵とともに歌のメロディーが聞こえてきて、ずっと心に引っかかっていたものが消えた感触があり、純粋な意識だけが残る体験をしました。素敵なギフトをありがとうございました」という感動も寄せられ、とても嬉しく思いました。バクタ、ミーラー・バーイーのハートに、私たちも少し触れることができたのでしょうか。

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次回は、京都は11月27日(日)、大阪は12月9日(金)に行ないます(詳しくはこちら)。取り上げる聖者は、シュリー・チャイタニア。キールタンを歌いながら民衆の中を練り歩き、「神の御名を唱えるだけで、誰もが神に近づくことができる」と、インドに大きなバクティの波を引き起こした神人です。今シリーズはこれで最後の会となりますので、ぜひご参加くださいね! お待ち致しております。

ミラバイ


カルマの法則

ヨーガは、真実に目覚めるための数千年の古代から伝わる霊的な道です。ヨーガを学ぶには、ヨーガを成就したグルが不可欠です。言葉を超えたグルの導きは、道を歩もうとする私たちにとってはかけがえのないものとなります。サットサンガ(真理の集い)とは師を囲んでの神聖な集まりのことであり、師から直接教えを授かる最も大切な学びの場として位置づけられています。

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 今回はカルマについての質問がありました。
実は誰もが、過去に何度も生まれ変わりを体験しているとヨーガは教えています。これは輪廻転生と呼ばれていて、過去において何かまだやり残したことがあるともう一度生まれてきて、その心残りを新たな人生で実現しようとするものです。原因があってその結果を受け取ること、これをカルマといいます。

質問者「カルマについてお聞きしたいと思います。人生において例えば二つの道があったとして、考え抜いてようやく一つの道を選んだとしても、大いなる目からみれば、どちらを選ぶかはカルマによってすでに決まっているのでしょうか」
師「はい。結果的にみればそう言わざるを得ません。カルマというのは過去において蒔かれた実を刈り取るということになりますから、それがどういうかたちであれ二者選択の中で一方を選ぶということはやっぱりそこに実があるということになるわけですね」
質問者「人生はカルマの通りに進んでいって自由意志による選択の余地はないということでしょうか」
師「通常はありません。カルマが発生しているからこそ生まれてきたわけで、生まれてきたら生きていかなければいけないわけですよね。それはすべてカルマという設計図の通りに進んでいっているというふうに見なされます。カルマというのは心の記憶の中に組み込まれてしまっているわけです。カルマから脱出するためには心自身を破壊するか、もしくは心の中の原因となっているところの無知というものを無くしてしまう、これによってカルマの効力というのは無くなるか、もしくは薄くなるかします」
質問者「カルマを解消していくためにもっとも大切なことは何なのでしょうか」
師「カルマはエゴと心と無知というるつぼの中でできあがっていますから、そのどれかを壊すことによって無くなっていきます」
質問者「壊すために必要なことは何なんでしょうか」
師「ヨーガという真理を学ぶこと、そしてそれに対して精進すること、精進というのはアーサナや瞑想だけではなくて、日常の行為や心の思いを含めた行動全般をエゴのない、無知のない状態で行為するということです。そして積極的に真実を実現するという、悟りの体得ということが求められます。みんなはもうすでにヨーガを学んで精進しているわけだから、もうカルマのことは気にしなくても次第に離れてなくなっているはずですから、それよりむしろもっと真我とか神とか、そういう真実のものに心を寄せるようにしていってください」

師は、真実を知りそれを実現すれば、カルマに翻弄される人生を超えていくことができると教えてくださっています。

この世にあって何が真実なのだろう。それを知るべきです。真実ということは実存としてのリアリティをもっているのかということです。そのリアリティという実存は変化をするものであってはいけないし、無くなってしまうものでもいけない。真実というからにはそれは永遠に存在していなければいけない。それは死ぬこともない。その永遠の存在こそが誰もの本性、本当の自分、同時にこの全宇宙の本体でもある。この宇宙の星の流れや宇宙が生まれては消滅するというのも、それはその中における単なる現象にすぎない。その奥には確実なる存在がそこにあるんです。それだけがあるんです。見せかけの世界はこの世も宇宙もみんな幻のようなもの、本当に知るべきことを知ること、それが宇宙の本質、自らの本質、その起源、それを知ることになります。そしてそれだけが起源であり、そして現在もそれによって維持され、それだけが永遠に存在しているのです。

この世の最大のミステリーは本当の自分を知らないことだと師は教えてくださっています。輪廻転生というカルマの循環の輪の中で、幻のような世界を生きていくのではなく、そのカルマを超えて真実を実現していくこと、それが私たちの生まれてきた本当の目的なのだと師は繰り返し、繰り返し教えてくださっています。真実を求め続けるヨーギーたちは、魂の旅の終わりに一歩ずつ近づいているのだと、そう思うのです。

ダルミニー


さまらさの台所10月

今月のさまらさの台所は里芋いろいろ!!4種類のメニューをご紹介しました。
里芋ご飯、里芋の煮っころがし、里芋サラダ、里芋ナゲット
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まずは里芋の皮むきです。里芋はぬれたままで皮をむくと、ぬめりが出て手が滑ったり、かゆくなったりします。洗ってからしばらく置き、表面を乾かすかペーパータオルで水分を拭き取ってからむくとむきやすくなります。皮のむき方のポイントは、里芋の両サイド(頭とお尻)を少しずつ落とし、次に、里芋を横にして持ち、包丁を持った手と里芋を握った手、両方の親指の側面をくっつけながら、包丁を押すようにして皮をむきます。このようにすると、親指がストッパーの役割をするので、指を切りにくく、むきやすいです。
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里芋のぬめりにはムチンやガラクタンという成分が含まれ、胃腸の働きを活性化させたり、免疫力を高める効果があります。ぬめりを落としてしまってはもったいないのですが、ぬめりがあることで味が染み込みにくくなることがあります。そこで、里芋の煮っころがしや、里芋ご飯の時は少しだけ塩水に浸けてぬめりを落としました。

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左上:鍋に昆布だしと本返しを入れ、皮をむいた里芋を入れて中火にかける。
中上:落としぶたをしながら15分ほどコトコト煮る。
右上:里芋が柔らかくなり、水分が減ってきたら、強火にして水分を飛ばす。
下:出来上がり!!

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その他、里芋のナゲットや里芋サラダなど、調理法が違うと味わいもさまざま。
どれも美味しいと好評でした!

試作を通じて発見したこと!
煮っころがしを作っているとき、時間短縮でさっさと作ってしまえないかと思い、少し強めの火で煮ました。里芋は火が通るのにそんなに時間がかからないため、柔らかく、煮汁も飛び、出来上がったと思い、いただきました。確かに里芋は柔らかくなっているのですが何かが違う……。何かとは、味わいでした。
コトコトとじっくり火を入れていくことで、ゆっくりと(里芋のタイミング)で味が染み込み、里芋自体の美味しさが生かされるのだと思いました。反対に私のタイミングで味を染み込ませようとすると、外側に味がついただけで、味が染み込んだという感じではなかったのです。いつもの生活リズムだと、手際よくさっと料理してしまいたい所ですが、煮物を美味しくするコツは、ゆったりした心持ちで、野菜のタイミングで味を染み込ませることだと思いました。何でもそうですが、やっぱり自分本意では上手くいかず、相手に合わせなあかんねんな〜と思いました。


10/5 大阪・特別サットサンガご報告

ハリ・オーム!マーダヴィーです。

105日、私たちの最愛の師ヨギさんに、大阪は中央公会堂までお越しいただいて特別サットサンガを開催していただきました!!!!!!!!!!!!!!!!!!

大阪でサットサンガを行なっていただくのは、2011年舞道ダンスシアターからの5年ぶり!当日はなんと台風大阪直撃か!?という激震が走りましたが、さすが我が師ヨギさんは晴れ男さんなので、行き帰りとも雨には全くあわなかったです。

さて、今回のサットサンガには、ヨギさんにお会いするのが初めての方(+2回目+お久しぶりの方)がたくさん参加して下さいました。ヨギさんにお会いできるご縁と機会を頂き、それはもうなんという祝福なのでしょう!

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このサットサンガでは、今クラスに熱心に通っておられる方が、サットサンガに向けて自分自身としっかり向き合って、積極的にヨギさんに自分から質問を投げかけられました。慈悲喜捨について、人生の目的、瞑想とその対象、心のあり方、エゴ、死、この世が一切皆苦であるならなぜ生まれてきたのか、愛、アーサナについて、、、内容は多岐に渡りました。

ヨーガの教えを学んでいる中で、教えと自分の心・行為とを照らし合わせて、日常で実践しているからこそ生まれる疑問や葛藤に対して、ヨギさんは具体的な答えと導きを直接的に溢れるほど与えて下さいました。

ヨギさんのお言葉をみんな素直に、無邪気に、純粋に、でもとっても真剣に聞かれていました。だんだんヨギさんに釘付けになって、ヨギさんの教えに、頷いたり、ほーっと驚いたり、笑ったり、涙を流したり・・・ヨギさんのお答えに本当に心から安心された方も多いです。

これから一歩も二歩も百歩も!前に進んでいくための教えと勇気を与えて頂きました!

この2時間のサットサンガが本当に本当に本当に本当に貴重な機会なんだ!ということを、皆さんがはっきりと自覚・認識して参加してくださっていたからこそ、具体的なヨギさんのお言葉はもちろんのこと、ヨギさんの存在そのもの、悟りそのものから発せられる、言葉では到底表現できない!もの(祝福!!!!!!!!!!)を、私たちは心を超えて感じ、たくさん受け取らせていただいたと思います。

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参加された方から感想を頂いていますので、少し紹介させてくださいね。

ーーー初めてヨギさんのお話をダイレクトに聞けて良かったです。一つ一つの言葉が本当に丁寧に出されてきて、心にしみ渡りました。本当にインスパイアされましたし、もっともっとヨーガと瞑想を毎日の中に取り入れて「本当の自分」に立ち返っていきたいと思います。

ーーー最初ヨギさんの存在に圧倒されて、自分がどこにいるのかわからないような感覚になりました。でも、思い切って質問させてもらえて本当に良かったです。瞑想も少しずつかんばっていこうと思います!

ーーー瞑想専科やアーサナクラスで利用している教室にヨギさんがいらっしゃる!より近くに感じることができました。皆さんの質疑応答にすべて答えがあったので、改めて私から質問することもなく、むしろすべてのことを吸収したい気持ちでいっぱいでした。心に栄養をいただいたので、ちょっとでも瞑想を深められるよう精進していきます。

このサットサンガでは、ヨギさんの様々な表情を見せていただいたように思います。

お医者さまをされている男性から、“死の恐怖”についての質問があった際には、ヨギさんは非常に力強くそして誠実に、“死”を正しく理解することについて説明され、このように答えられました。

本当の私というのは、決して死ぬことはない。それは生まれたこともないんです。常に、永遠に存在している。永遠の存在。それは二つとない。・・・肉体を脱いだら(両手を合わせられて)一つなんです。・・・あなた自身が死ぬわけではない。この肉体を脱いで新しい服をもらうように、新しい肉体が用意されているんだよ、と思いながら患者さんに接してください。その人は決して死ぬことはないんです。

また、「自信がなくて、他の人にどう思われているのかよく捉われてしまうので、どうしたら自信を持って、気持ちを強く持つことができますか?」という質問に対しては、ヨギさんはまさに軽快に!

常々開き直ること!!(笑)ね、自分はどう思われてもいいと、そんなん気にしない!という風に常々思って開き直っていること。そうしてヨーガを続けていれば、全部包容してしまうくらいに変化しますよー。

と非常に軽やかに弾ける笑顔で答えられました!そのヨギさんの笑顔を見ただけで、私たちの心にある闇は一瞬にして吹き飛んでいきました!そして、、、

本当に気にしなきゃいけないのは、神の評価ですよ~。人の評価なんてどうでもいいねん!そんな不完全な人間の評価なんて気にすることないやん!気にするべきなのは神の評価です。

なんともチャーミングに気さくに答えられて、その様子に私たちは思わずハートを掴まれ、みんなを瞬時に笑顔に変えてしまうヨギさんなのでした!

「神やグルは弟子が自立することだけを担っている」
我が最愛のグルであるヨギさんから頂いた教えを、ただひたむきに深めていけるよう、これからがまた新たな始まりとして、個々人そしてサンガと共に日々精進していきたいと思います。
ジャイ!ジャイ!!ジャイ!!!グル・デーヴァ!!!!!

ちょっと書いてて、胸がはち切れそうになってきたので、ヨギさんがサットサンガの最後に仰ったお言葉とともに、ご報告を終えたいと思います。

(もうみんな)愛されているんですよ~。本当に、本当に、一番大切な、大切な人からね。神さまという存在から愛されている。それを忘れないでいて下さい。

(マーダヴィーは永遠に忘れないでいたい!いつも神に目覚めていたい!!)
私の最愛の師ヨギさん、本当に本当に本当に本当にありがとうございました!

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宇宙の創造!!
世界への展開!!
あぁそれは歓喜そのもの!!!!
輝く命の躍動!迸る歓び!!
それらすべてを顕現させているのは我が主なる神である!!!!!

というテーマをお花で表現しました。
Mahayogi Yoga Ashrama & Mahayogi Yoga Mission
40周年を
祝して!
ヨギさんへ、
この魂のすべての感謝と永遠の愛を込めて
from Madhavi


「ブラヨーヘイ」vol.7 北野天満宮編

本日の京都は、台風の影響もあって、雨が降ったりやんだりのお天気です☔️☁️
ここ最近、パッとしないお天気が続いていますが、今回の「ブラヨーヘイ」は、北野天満宮に行ってきました〜😎

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といってもすぐ近所なのですが、ここは学問の神様である菅原道真が祀られている由緒ある神社で、この北野天満宮の前を通ると修学旅行生を見ない日はないくらい、多くの学生が参拝して学業成就を祈願している人気の観光スポットです。

ところで、この北野天満宮にはたくさんの「牛」が奉られているのはご存知でしょうか?
参道から本殿に至るまで、本当に多くの牛を目にします。

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ではなぜ、こんなにも牛が奉られているのでしょうか?
牛が菅原道真を助けたというような逸話もあるようですが、実は今接近中の台風🌀、もう少しいうと暴風雨⚡️と深〜い関係があるというのです👀
師であるヨギさんは、北野天満宮について次のように話されたことがありました。

「あの天満宮の祭神(ルビ:さいじん)、奉られている御本体というのは菅原道真という名前の学者さん、賢く偉い人なんです。彼は千年くらい昔に、この京都の天皇がいて大臣がいてという都の中で出世したのね。でも、別の力のある貴族が嫉妬して彼をおとしめた。それで彼は九州の太宰府という所に流されてしまう。その頃から、この京都の都に雷がたくさん落ちて貴族たちが死んだり、大変な騒ぎになって、その流された菅原道真の魂が怒っているに違いないとみんな畏れて、それでお祀りをしたの。こういう伝説が北野天満宮にあるのです。昔は雷とか暴風雨とか天災、天候の厳しい、そういうものがとっても大きな出来事だった。このあたりも、たぶんその頃は畑とか食べ物を作ったりしていたところがいっぱいだったと思う。
シヴァはインドにおいて、そのルーツはルドラーという名前の神様で、それは雷とか暴風雨の神様だった。インドも農耕社会ですよね。牛は大きな力をもって人の仕事を助けてくれていた。だからその暴風雨や雷の神様のシヴァと牛はとっても仲の良い関係だった。だから北野天満宮も菅原道真の怨霊――怖い恐ろしい魂の怒り、恨み――そういうものをなだめる、鎮める。でも実際は、暴風雨とかそういうものに対する恐れとか、それからできるだけ平和な都であってほしいという祈りが天満宮の本質かな。本来、菅原道真という学者、あるいは政治を行なっていた人と牛は直接的関係はないのだけれど、今言ったような話で、その当時の様子から見ると、やっぱり暴風雨とかそういうものと牛との関係は深いわけ。それが北野天満宮にたくさんの牛が奉られている理由でもあるし、インドにおいてはシヴァとナンディーがいつも一緒にいる理由でもある」

菅原道真が北野天満宮に祀られている理由って、天災の恐れからだったなんて……😳
それでいて、日本の神社の北野天満宮とそこに奉られている牛が、インドのシヴァ神とナンディーの関係性と共通しているなんて、とても驚きですよね😵‼️

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ヨーガ・ヴィハーラに飾られてあるシヴァとナンディー

また北野天満宮では、毎年10月初めに「ずいき祭」というお祭りが行なわれています。
祭神である菅原道真を西ノ京にある御旅所へお迎えして、ずいき御輿を奉り、その年の収穫に感謝を捧げる祭事であります。
それで「ずいき御輿」というのは、芋茎のずいきで御輿の屋根を葺(ふ)き,柱などを米・麦・豆・野菜・花などで飾って作られる珍しいお御輿です。
御輿の四面には歴史や伝承、その年の大河ドラマの1シーンがお野菜などを使って表現されるようです。
やはり、この農作物の収穫祭のずいき祭からも、農耕を助けた牛が北野天満宮に多く奉られている理由が見て取れますよね。

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西ノ京の御旅所に駐輦(ちゅうれん)していたずいき御輿。真田の家紋「六文銭」は、とうもろこしの粒で作られていました🌽でも、源義経の鵯越の1シーンと一緒になっていて、ちょっと混乱しました……😅

最後に、牛に関するヨーガの教えを紹介したいと思います。
インドの聖者スワーミー・ヴィヴェーカーナンダは、尊敬していたパヴハリ・バーバーという聖者の言葉で印象に残っていることの一つに、「グルの家には牛の如く暮らしなさい」という言葉をあげています。
これはどういう意味かというと、牛は重い荷物を持って畑仕事をしても愚痴一つ言わない謙虚さ・従順さを象徴しており、そのような態度でグルの家(心)に仕えなさいということで、このことも師のヨギさんから教えていただきました。
つまり牛の心は、「マウナ(沈黙)」の境地ということですよね。
心はあれやこれやうるさいですが、そんな雑念や心のツイッターにはうんざりですよね、もう🐮(おっと、失礼しました……)
牛のような心になりたいと願う、今日この頃です😑🙏

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飯尾洋平


瞑想を深めよう!3回シリーズ最終回(松山)

少し前になりますが、松山ヨーガ・サークルでの瞑想特別クラスも9月17日(土)、18日(日)に最終回を迎えました。ちょっと長くなりますがレポートします。アーナンディーです。

講座は35名(男性8名、女性27名)の方が参加され、最終回にも関わらずチラシをみた方や口コミで初参加の方が7名も来られました。瞑想への関心の高さが伺えます。
さて、今回の講座は「一点集中を極める!」がテーマです。1回目で理想、志について考えました。2回目で生活を調えるという実践を学び、3回目は足元が調ったら理想に向けて没頭していきます。
心は思っているものになります。苦しい、苦しいと思っていたら心はそうなってしまいます。だから常に理想について思うことがとっても大事です」と講師のサーナンダさんが話されヨーガの一点集中と瞑想の目的について分かりやすく教えてくださいました。

「瞑想は心の中に潜っていくようなものだと言われます。いつもは心は海面でチャプチャプしているようなものですが、どうやって潜っていくかというと、集中によって潜っていくのです。海とか川で初めて潜ったときは必死で無駄な動きも多かったと思います。でも慣れてくれば力を抜いてすっと潜っていける。瞑想も同じで初めはじたばたしているけどコツがわかってくるとスッと集中できるようになっていきます。最初から無念無想になれるわけではなく、真理に集中していくことで思いの一つもない寂静の境地になっていくのです。それがヨーガの目的であり、瞑想の目的です」

さらに散漫な心を理想に向けていくことで心の思いを一つにしていくという一点集中の話があり、そのあとで「直観知」の話があり、「瞑想では心は対象の本質を知る、対象に成るということが起こり、例えば、他人の目を気にしてしまうという悩みに徹底して瞑想していけば、他人の目を気にしない心になって帰ってくる」と瞑想には心を変える力があることを力強く話されました。「その源は集中力、思いの強さです。頭の良い悪いも関係ない。ヨーガの知識があるか、ないか、過去がどうとかも関係がない。集中が大事です!」
「その集中力をつけていくために繰り返し実践していくことで瞑想も面白くなっていくし、手ごたえを感じていける」と熱く話されるサーナンダさんの熱意が参加者の皆さんへと伝わり、皆が鼓舞されました!

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今回は30分の瞑想に挑戦しました。

講座後のアンケートをご紹介します。

  • 一点集中、自分の理想を追い求める、自分との闘いなど、心に響くお話しで前向きなエネルギーをいただくことができました。(初参加の方)
  • 今回の瞑想特別クラスは本当に力強い3回でした。今、この瞬間から闘いに勝つための努力をします。今までは負けることばかり考え続ける癖があったと思います。この癖にも負けません!!毎回、覚悟と勇気をいつも授けてくださって本当にありがとうございました。
  • 「平安になりたい、静寂になりたい」と思いヨーガをしている感じです。しかし最近ふと「苦しみがなくなればヨーガをしなくなるのか」と思う時がありました。「動機背景のない行為」からが本当の勝負というお話を聞き、すごく腑に落ちました。自分の理想に近づけるようにアーサナや瞑想を継続していきます!!

講座を受講された皆さんの心の中に自分の心との闘いに勝って理想や志の方に向かわなければならない!と熱い思いが芽生えていたのが印象に残りました。

さて、2日目のサットサンガは17名(男性3名、女性14名)で3回シリーズを継続して参加された皆さんばかりでした。参加者の皆さんのほぼ全員の方が質問され、その内容も瞑想の実践をしている中で、上手くいかない葛藤があり、どうしたら前進していくことができるのかという具体的な質問が多く、サーナンダさんはとても丁寧に答えてくださいました。誰もに当てはまる心の状態を「何度も同じことを聞いて申し訳ない」と言いながらも勇気を出して質問してくださったDさんは、なかなか心が変わらないしアーサナも瞑想も集中できない、今の状況をなんとかしたいと真摯に質問されました。
サーナンダさんは誠実におっしゃいました。
「皆、そんなものです。Dさんだけでなく、皆じぶんがちっとも変わらないことに気づいて悩みます。その、〝どうしたらいいんだろう〟という苦しみが集中の源になります。頭で考えてなんとかなる問題はそれでいい。頭で考えてなんとかならないから、集中が起こるのです。なぜこの問題が繰り返し起こるのか、なぜ苦しむのか、どうしたらいいのか、心をじっと見つめていくのです。すると自分が掴んでいる思いが見えてくる。今の状況が決して悪いわけではなくて、これから本当の瞑想に進んでいくんです。それでいいです」。
Dさん「問題はどうでもいいことなんですか」
サーナンダさん「執らわれている問題は解決していかないといけない。例えば執着しているならなぜ執着しているのか、みつけないといけない。単純にこれは無知だから、エゴだからではなくその正体を掴んだ時にはじめてこれがエゴなんだと分かる。その時、真理の教えと照らし合わせる。手放したほうがいいか、掴んだままがいいか、心に突きつけることになる。1回や2回でできないです。ずっと見続けることによって、集中を持続することによって、心の奥にある精妙な思いが見えてくるのです。その時に、サーナンダさんは何て言ってたっけ?とレジュメを見てしまったりすると集中が弱まってしまうのです。そうではなくて、自分の心が何に苦しんでいるのか必死になって切実に感じ取っていく。真剣にその問題に向き合っていくことで、その正体が捉えられる」
Dさん「切羽詰まった感がないんですか?」
サーナンダさん「切羽詰まった感はあるけど、答えを導き出そうとあれこれ頭を使ってしまっているような気がします。もう十分教えを学んだのだから、誰かに聞くのではなく自分で見つけ出す覚悟を決めればいいと思います。他人に聞いたらぼやけて粗大なところに戻ってしまう。他人はヒントは与えられても、その答え自体は与えられないから。ずっと考えていたらひらめきがやってくるかもしれない。でも答えが得られるかどうかもわからないんです。だから必死になる。自分で答えを見つけるしかないんです。その葛藤は闘いですよ。でも本当に解決したい問題は真剣に向き合っていけば、原因であるエゴや無知に行き着きます。だから、それに向き合って答えが出るまで持続するのがポイントです」

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毎回、真剣だけど軽やかなサットサンガ。

その後も瞑想について、信仰についての真剣な質疑応答が続きました。
サーナンダさんから明確な答えをいただいて安心した方、識別について具体的に何をするのか理解が深まり、同時にまた強い信仰心を育んでいくことの大切さを痛感したという方もおられました。
そして3回シリーズは終わってしまったけど近いうちに、またサーナンダさんに来ていただけると有り難いという多くの声を聞くことができました。
サーナンダさん本当にありがとうございました。
そして、私たちを導いてくださっている京都の師、ヨギさんに心からの感謝を捧げます。

アーナンディー


Manasa Bhajare

9月27日(火)は、大阪市阿倍野区でクラスを開催しているプレーマヨーガサークルで、「バクティサンガム」がありました!プレーマヨーガサークルで「バクティサンガム」が始まったのは今年の2月からで、今回で3回目になりました。最初は、キールタンに触れるのは初めて!という方も多かったのですが、一度でも参加されると皆ミラバイさんに魅了され、すっかりファンになり、今では毎回ミラバイさんが来てくださるのを、心待ちにしています。
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プレーマヨーガサークルに通ってくださっている方は、スタッフも含めてほとんどが主婦です。仕事をしている人も多いので、一日のほとんどの時間は誰かのペースに合わせて仕事をし、自分のために取れる時間はほんのわずかです。また、特に子供が小さいうちは、瞬時に気持ちを切り替える必要のある場面が多々あり、じっくりと腰を落ち着けて何かを考えるということがほとんどないのが実情です。そんな中で、ヨーガを日々実践していくには、一瞬にして神のもとへと駆けていくことができるキールタンがどうしても必要で、実際私のヨーガの実践はキールタン抜きには考えられません。ですから、皆さんにキールタンを知っていただきたい!ミラバイさんに来ていただきたい!ということは、私たちがプレーマヨーガサークルを始めたときからの強い願いで、それを快く引き受けてくださったミラバイさんには感謝の思いでいっぱいなのです。

さて、そんな3回目の「バクティサンガム」で歌ったキールタンは……♪
「Manasa Bhajare」
「Sri Krishna Govinda」
「Narayana」
「Hare Krishna」
そして歌の間に、シュリークリシュナの幼少期の神話やバクティヨーガについて、また私たちの師であるヨギさんのお話をしてくださいました💖
みんな一心にミラバイさんを見つめ、言葉に聞き入り、泣いて笑って夢中でキールタンを歌いました。
それは、一瞬一瞬がすべてキラキラした特別な時間で、みんなの色々な思いもすべて包み込んで神のもとへ束ねられて一つになっていくようでした。

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Manasa Bhajare Guru Saranam Dustara Bhava Sagara Taranam
心よ信じよ グルの庇護を この超えがたい俗世の大海を渡らせるものを

ヨーガを始める以前は、ミラバイさん自身も〝神なんていない〟と思われていたそうで、そのように、私たちは、本来私たち自身の本質である神を忘れてしまうのだそうです。そして、世の中が神を忘れた人たちでいっぱいになったとき、神は、私たちが思い出せるようご自身が人の姿をとって、私たちの前に顕れてくださると話してくださいました。
ある時、ヨギさんがミラバイさんに言われたそうです(正確な言葉ではないかもしれませんが……)。
私たちがたとえ神を忘れてしまったとしても、神のほうでは決して私たちのことを忘れることがないのだと!!

それを聞いた瞬間私の中で、ヨーガに出会うまでの苦しみとヨギさんにお会いできた喜びが弾けて溢れ出してきました。それは今思えば、まるで真っ暗な海をただ一人泳いでいるような、どこへ向かっていいのかさえわからない心細さでした。何のために泳ぐのか、泳がなければいけないのか、このままわからないとしたら苦しくて息が詰まりそうだと思っていた頃、私はやっとヨギさんにお会いすることができました。それは真っ暗な海に差し込んだまっすぐな光で、そこへ向かいさえすればいいのだと、生まれて初めて感じた完全な安心でした。「Manasa Bhajare」を初めて教えていただいたとき、私が感じたことはこれだったんだ!と感動したことを、そして神を忘れることがどれほど苦しいことなのかということを、まざまざと思い出した瞬間でした。その後、これから私が一瞬でも神を忘れることがありませんように!と祈りながらキールタンを歌いました。
ミラバイさん、今回も本当にありがとうございました!

赤阪充代


「ブラヨーヘイ」vol.6 京都駅編

img_1129今回の「ブラヨーヘイ」は京都駅編――『瞑想専科』のお知らせです〜😎📢
来月の10月20日(木)から京都駅のキャンパスプラザで瞑想専科がスタートします。
昨今、ヨーガといえばいろんなポーズをするアーサナが主流になっていますが、本来は瞑想がメインなんです。

「ふ〜ん、そうなん。でも瞑想って、インドやどこかの山に籠ってせなあかんのちゃうの?」

と思う方もいるかもしれませんが、そんなことはないんです。
どこでも、誰でもできるんです😎☝️

今回、瞑想専科で講師をされるのは、サーナンダさんというヨーガを25年以上されている最古参の先輩グルバイです。
サーナンダさんは、今はお子さんが独り立ちし、企業を早期退職してヨーガの講師をされていますが、以前は大企業に勤めながら20年以上ヨーガを黙々と実践されてきた方です。
この瞑想専科に僕は見倣い&助手として参加させていただくことになり、会場選びから企画まで少しですが携わっていますが、その会場選びの途中、空き時間ができたので、サーナンダさんと京都駅近くの銭湯「白山湯」に行ってきました♨️
入浴後、僕たちは瞑想について話をしたのですが、サーナンダさんは次のように話されました。

「瞑想は人それぞれ、集中しやすい、入りやすい対象がある。それはこの男湯の入り口と女湯の入り口があるようなもの。でも最終的にはみんな服を脱いで裸になる、つまり無になる」

まるで19世紀インドの大覚者シュリー・ラーマクリシュナのように、その場にあるものを巧みに喩えにして分かりやすく瞑想の話をしてくれました。
流石ですね〜✨

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入浴後のサーナンダさん♨️

「どんな人でもどんな環境でも、瞑想はできる」ということをサーナンダさんは身をもって教えてくれています。
サーナンダさんはこの瞑想専科を3年のスパンで計画立てており、少しづつヨーガの歩みを実感できるようにプログラムを考えています。
学生、社会人、主婦、定年退職された方、いろんな方に参加していただきたいと思っています。
瞑想を生活に、そして人生に取り入れていきましょう〜😁👊

日時:10月20日(木)〜毎週木曜日 19:00~20:30(18:45開場)90分クラス
会場:キャンパスプラザ京都2F和室
京都駅烏丸中央口より徒歩5分
※1/12,1/19, 1/26のみ、以下の会場にて行ないます。
ニュー末広ビル7F 京都駅烏丸中央口より徒歩1分

詳細はホームページをご覧いただけたらと思います。

飯尾洋平


ヨーガの醍醐味 ギャーナ・ヨーガ

今月10日に発刊された『パラマハンサ』、みなさんは読まれましたか?久しぶりにヨーガの醍醐味シリーズが再会しましたね。ご存知ない方もおられるかもしれませんが、『パラマハンサ』では2008年〜2009年頃にも連載がありました。私がちょうど『パラマハンサ』を購入し始めたのもこの頃です。
ヨーガには、ラージャ・ヨーガ、ギャーナ・ヨーガ、バクティ・ヨーガ、カルマ・ヨーガと4つの特徴的な道がありますが、それぞれ連載がありました。そのころ私はヨーガの教えの理解が乏しく、4つのヨーガの特徴も理解できておらず、教えがこんがらがっているような所がありました。また、ヨーガの教えを具体的に実践するということがどういうことなのかが分かっていませんでした。
ヨーガの醍醐味を読むと、先輩方の体験とともに、どの教えを元にそれを行ったのかが具体的に書かれてあり、教えを実践するということがとても分かりやすかったのです。自分のヨーガの歩みにとても助けになり、毎回楽しみにしていました。なので、連載がスタートしてとても嬉しいのです〜!!執筆者の方、ハードルが上がったかもしれませんが頑張ってください。楽しみにしています!

さて、今回はギャーナ・ヨーガ(前半)でしたね。ギャーナ・ヨーガと言えば「私は誰か」という問いかけ。私たちが通常「私」だと思っているもの、名前とか、体とか心とか、それを含めた全体とか、そういった常に変化するものは本当の私ではないとヨーガは教えます。そして、永遠不滅の本当の私を探求するのがギャーナ・ヨーガです。でも「私は誰か」って、その質問の意味、分かります?私はまったく分かりませんでした。

でも少し前にとても面白い経験があり、「私は誰か」という問いに対してイメージが変わりました。

あるとき、日常の中で心が動揺していることがあり、その原因を考えていました。いったい何に動揺しているのか、どの点が気になっているのか、何に納得がいっていないのか……。じーっとその時の状況や心の思いに集中し、ただ黙って見ていたのです。すると突然、「このように心を見ているのは誰か!!!!?」という問いが自分の中から突然飛び出してきました!そのとき、漠然と自分が自分と思っているものが自分ではない!!!という直感があり、天と地が逆転するほどビックリし、唖然としました。

自分が何者であるのか分かっていないのに、こんなことをして何になるのか???と思った途端、今まで心に引っかかっていた思いはどうでも良くなり、「私は誰なのか」ということだけに支配されました。

その経験があって初めて「私は誰か」という質問の意味と探求する目的と、ギャーナ・ヨーギーへの憧れを感じました。次回のパラマハンサにはギャーナ・ヨーガ(後半)が掲載されますね。楽しみです!!


「ブラヨーヘイ」vol.5 四条河原町編(3)

今回の「ブラヨーヘイ」四条河原町編(3)は、ROUND1でボウリングです〜😎
最近はボウリングの人気も下火でしょうか、「ニューヨークの大きなボウリング場も潰れていた」と、先日アメリカから帰国された師がおっしゃっていました。

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ボウリングの球の輝きに負けていない、僕の頭…😎✨

ところで皆さん、ボウリングでピンを狙う時、どこをめがけて投げますか? ピンをめがけて投げますか?
僕はピンではなく、手前の「印」をめがけて投げます。

img_1060経験上、遠くのピンを狙うとガーターになることが多く、手前にあるこの印を狙うと、自然と真っ直ぐ投げられるんですね。
ボウリングをした人なら誰でもこのポイントは知っていると思いますが、何かと共通していると思いませんか?
そうです、「神への瞑想」なんです‼️
悟りそのものである神は本来、姿形がない唯一にして絶対の存在ですが、その無形の神が姿形をとった存在がシヴァ神やカーリー神だといわれています。
ボウリングで喩えると、手前ある印がシヴァ神やカーリー神ということになります。
つまりヨーガで教える神への瞑想もボウリングと同じで、いきなりつかみにくい無形の存在を瞑想するよりも、イメージしやすい姿形をもった神に瞑想する方が悟りの境地に至り易いというわけなんですね。

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シヴァ神を踏みつけている聖母カーリー。 イメージしやすいかは人それぞれですが、強烈な印象を心に残します😅

「なるほど〜」と納得されている方もいるかもしれませんが、堅苦しい話はそこそこにしておいて、今からはMr.嶋田とのボウリング対決をレポートしたいと思います‼️
20〜30年振り?!のボウリングというMr.嶋田。

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ボールを置きにいって失敗したMr.嶋田(笑)

結果は……

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どっちがユクテスワで、ヨーガナンダなんでしょうかね〜?
まあMr.嶋田は、「すべて今のままでいい」というお墨付きを師からいただいているだけあって、神にお任せ的なことが上手いなと感じました(笑)。

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僕は後で自分のフォームを写真で見て思いましたが、何か格好悪い……😓
ボウリングもそうですが、どうやら僕は神への瞑想だけではだめなようです。
ちゃんとアーサナや識別、無私の働きを徹底しないと、オール・ストライクという悟りの境地は遠いようです(笑)
でも本当にボウリングを上手くなりたいのなら、フォーム修正や心得を教えてくれるボウリング・マスターに倣うのがいちばん良いように、ヨーガもグルの傍で学ぶことが悟りへのいちばんの近道ですよね😎☝️

飯尾洋平