特別サットサンガー大阪編

こんにちは、シャチーです。本日9月17日(土)はヨーガ・ヴィハーラのクラスに行ってきました。
お部屋に入ると彼岸花(別名:曼珠沙華)が一輪、赤くて繊細な花びらを揺らしています。毎年アーシュラマのお庭で咲く彼岸花、シャーンティマイーさんが秋の香りとともに運んできてくださいました。

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さて、ニューヨークより、師であるヨギさんが戻られてまだ1週間と少しですが、大阪では、ヨギさんにお越しいただいて行なわれる特別サットサンガの準備が進められています。初日の5日夜の会には、すでに20数名の方からご予約をいただいており、そのうちの半数以上がヨギさんにお会いするのが初めての方たち。また久しくお会いできていなかった懐かしい顔ぶれもそろいます。
皆さん、ワクワクドキドキ、やっとこの時が来た!と楽しみにされています!
また何度もヨギさんにお教えをいただいている方たちは、いつか大阪に来ていただきたいと願ってはいたけれど、本当に実現するなんて!と感激もひとしおです。

皆さん、通っているクラスはさまざまですが、学び始めて1〜2年という方も多く、真理の話は、分かるけれど、本当には分からない、言葉は理解できるけれど難しい、そんな思いを抱いている方も少なくありません。それでも何とか理解しようと、クラスに毎週参加することを習慣とし、熱心にアーサナを行ない、ヨーガの話になれば真剣にメモを取る、そんなお姿を拝見してきました。だからこそ、今ヨギさんにお会いできるチャンスをいただけたことに感謝です!

ヨーガではグル(師)の存在は欠かせないといわれます。
グルの言葉の意味合いは、闇を照らす光、闇とは心の中に潜んでいる無知や執着のこと。そしてこの無知や煩悩にただ一度も触れたことのない純粋な存在、真のグルこそ、無知に迷う私たちをまっすぐに真実へと導くのです。

ヨギさんに直接お会いすること、直接お言葉をいただくことはとっても大事なことだと思います。私もそうでしたが、その時には分からなくても、心の奥深くに真理の光が届き、きっと何かを感じることができると思うからです。そうして誰もが、今あるところから少しでも前進し、真の目的を見つける事ができたなら、それはそれは素晴らしいことではないでしょうか。ぜひご参加ください!!!!!!!

10月5日(水) 19時〜21時 中央公会堂 2F 第7・8会議室(続き間)
10月25日(火)11時〜13時 プレーマ・ヨーガサークル

*11月6日(日)には14時より京都アーシュラマでも特別サットサンガが開かれます。
詳しくはホームページをご覧ください。


さまらさの台所 9月

先日の日曜日はさまらさの台所でした。今回紹介したのは麻婆豆腐。さまらさの麻婆豆腐はお肉を使わず豆腐となすを使います。秋なすを使って美味しい食べ応えのある麻婆豆腐ができあがりました。麻婆豆腐といえば、豆腐を入れるだけで作れるレトルト!というイメージがあるようです!自分で作ったことがないという方もいましたが、今回のさまらさに出て、意外と簡単なメニューだったんだと驚いておられました。
今回も京都市北青少年活動センターをお借りし、16人の参加者がありました。

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豆腐はしっかり煮ることで、水っぽさがなくなりぷりぷりとした食感になります。
崩さないように丁寧に火を通すのがポイントです。
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食器も中華用のものがありました!まるで中華料理店のよう。
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はじめにも書きましたが、麻婆豆腐といえばレトルト!というイメージがあるようですが、意外と自分で作れるものです。ヨーガにおいて、そういう驚きはとても大切だと思います。私もさまらさを学ぶ中で、こんなに簡単に美味しいものが作れるんだ!と感動したことは何度もあります。そして、それは、料理だけに留まらず、日常の中にあるちょっとしたことにも通じています。「こんなことできない」とか「これは作るものでなく、買うものだ」とか自分で無意識に決めてしまっていることも、もう少し自由にとらえてみたら、「なーんや意外とできるやん!」なんてこともあるのです。自分で勝手に決めているあらゆることを少しずつ「本当かな?」と探っていくことは、自分の固定観念を崩していける一歩になり、自分自身が少しずつ自由になっていくことになると思います。さまらさを通じてそんなことを感じてもらえたらいいな〜と思った一膳でした。


師 ニューヨークより帰国される

ヨーガは、真実に目覚めるための数千年の古代から伝わる霊的な道です。ヨーガを学ぶには、ヨーガを成就したグルが不可欠です。言葉を超えたグルの導きは、道を歩もうとする私たちにとってはかけがえのないものとなります。サットサンガ(真理の集い)とは師を囲んでの神聖な集まりのことであり、師から直接教えを授かる最も大切な学びの場として位置づけられています。

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私たちの師は六月から九月までの三ヶ月間、ニューヨークに滞在され、ヨーガを学ぶ者たちにその教えを説いてこられました。今回はシカゴにも足を伸ばされ、多忙な日々を過されたようです。先日、その滞在を終えられ、日本に帰国後初めてのサットサンガがありました。
同行した弟子たちのニューヨーク滞在の報告の後、師はニューヨークの弟子たちのサンガの意識が深まってきているとご報告になりました。
サンガとは同じ志をもった修行者や仲間たちの集まりのことです。ヨーガにおいては、真実に目覚めるために努力する者たちが、グルの指導のもとお互いに励まし合い、助け合い、修行を深めていく集まりのことになりますが、師はニューヨークのサンガも、理想の人生を共有し、それぞれが積極的な活動を行なっていくことができるようなったと喜ばれました。

今回、何度目かのサットサンガの参加となるMさんは、師の教えに触れ、また先輩グルバイ(弟子)の純粋な眼差しに心を打たれ、ヨーガの道を邁進していこうと決めたとその決意を語ってくれました。これからヨーガを実践するうえで、世の中とどう折り合いを付けていったらいいのかというMさんの質問に対して、師は、真理というのは永遠でリアリティそのものであるが、世の中というのは常に変化して消滅を繰り返すものである。その中に身をおいて暮らしている私たちは、世の中の事は淡々と義務として行ない、それ以上執着をもたないように対処していくことが大切である。ヨーガに身を捧げていくようになると、逆に世の中の方が自分たちについてくるようになるよと、Mさんの決意を後押しされるように、心強いお答えをくださいました。

こうやってまた一人、同じ志をもつ仲間がサンガに加わりました。ニューヨークのサンガのように、個人個人が積極的に行為できるよう、お互いに研鑽し合い、ますます日本のサンガも充実させていきたいと、思いも新たにしたサットサンガでした。

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階段の上に生けられたヤマゴボウの花

ダルミニー


篠山へ行ってきました!

一昨日9/8(木)、初めて篠山(京都府)へ行ってきました〜!
ヨーガ仲間の田原さんが子育て支援をしているグループが篠山や丹波にあるのですが、なんと「さまらさの台所&サットサンガ(ヨーガの学び)」開催の依頼をいただいたんです〜。
どんな方たちとの出会いがあるのかな〜と、とっても楽しみにして向かいました♪

篠山田園風景

田園風景の続く(写真は黒豆畑)とってものどかな道中。

今日のメインメニューはお野菜の南蛮漬け。お家でお野菜を作っているという方がたくさんおられるということで、食材を持ち寄っていただきました。まさにとれたて、プラーナ(生命力)に満ちたなすやピーマンたちが集結☆

お野菜

色鮮やかなお野菜がいーーーっぱい。 お土産もいただいて帰りました。ありがとうございます!

調理から片付けまでとってもスムースに進んでいきました。さすが主婦の方ばかりですもんね。動きが素晴らしい〜。小さなお子様を抱えながらもサッ、サーッと軽やかでした。

今日は常備菜の切り干しのカレー風味もご紹介したので、戻し汁を南蛮酢の昆布だしに加えました(コクと自然の甘みがプラスされました)。ピーマンの種もいただくのにはちょっとした驚きの声が。「捨てるもの、というのは観念だったのですね」とおっしゃっていました。
出来上がった料理はお野菜だけなのにボリュームがあって満足!とみなさん喜んでくださっていましたね。地元の新鮮なお野菜の味わいは格別! 本当に美味しかったです。

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食事のあとはみんなで円になってヨーガの話をしました。その周りでは小さな子供たちがはしゃいで元気に遊び回っていましたが、話が始まった瞬間に、輪の中の空気が変わるのを感じました。
みなさんの真剣な表情に私は惹き付けられました。

サットサンガ

「感情が制御できずだめだと思ってしまう繰り返しをなんとか乗り越えたい」
「心がいつも忙しく落ち着かない、動き回っている心を静めたい」

「人の評価を気にして生きるのではなく、真実を見つけたい」

今の自分をなんとか変えていたい、もっと学びたい、という熱意のこもった声が次々と続きました。子育てを通して日々自分と向き合っておられるからこそ出てくるものだと思いました。
心はなぜざわめくのか、そして思い通りにならない心の方向性を変えるにはどうしたらいいか、どのような自分になりたいかを見つめることなどが話題になりましたが、皆さんが素直に心を開き、積極的に発言されたことで、真剣だけれど楽しく、笑いあり、うるっと涙もあり、あっという間に時間が過ぎました。

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帰宅後、篠山でまとめ役をしてくださった藤原さんから嬉しいメッセ―ジをいただきました。
「今日は本当にありがとうございました。 またかけがえのない出会いと時間を共有させていただけたこと、とてもとても感謝しています。 ヨーガに出会って、教えていただいたこと、感じたこと……また今日改めて再確認できたことも多くありましたし、実践できていなかったことに気づくこともできました。 早速、自宅に帰ってしたことは、今していることに集中すること、そして、心が反応した時、深呼吸することです。 こうして日々続け、積み重ねていこうと思う力をいただきました。 今後このご縁が続きますように……」

市内から離れた自然豊かな小さな町にもヨーガの光が届いていて、素敵な仲間たちがいることに感激しました〜。次回、またみなさんとお会いできるのを楽しみにしています!

シャチー&マードゥリー

シャチー&マードゥリー

*毎月第4日曜日は東大阪の田原さん宅(いるかさん家)でも「さまらさの台所&サットサンガ」を行なっています。どなたでもご参加できます。お子様連れもご相談ください。


秋の特別クラスin京都 ご案内

みなさん こんにちは

朝、夕はずいぶん涼しくなりましたね、いかがお過ごしですか?
毎日のアーサナで体調管理は、ばっちりのはずですよね。

さて、火曜日の六角クラスと日曜日の下鴨クラスでは、九月から十一月までの三ヶ月間、通常クラスの最終週のみに、ヨーガの学びをメインとした特別クラスを設けました。

火曜日の六角クラスは、確かなものを見つける と題して、人生って何だろう、またどんな自分が理想的かということを見つめていきながら、リアルな生き方とは何かを学んでいきます。

日曜日の下鴨クラスは、瞑想したいけど、どうすればいいのか分からない、瞑想って何だろうと思っている方に向けて、この秋 瞑想にすわる と題して瞑想の基本を学ぶコースとなっています。

この秋、ひと味違った自分に変身したいあなた、ぜひご参加ください。待っています。

 六角スタジオ 特別クラス

日時:9/27,10/25, 11/29
火曜日 19:00〜20:30 (18:45開場)
内容:ヨーガ・アーサナ 30分/瞑想 10分〜/ヨーガ・トークス Q&A 30分〜
料金:2,160円/回

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下鴨 特別瞑想クラス

日時:9/25,10/30, 11/27
日曜日 10:00〜11:30 (9:45開場)
内容:ヨーガ・アーサナ   30分〜/ヨーガ・トークス   Q&A 30分〜/瞑想 15分〜
料金:2,160円/回

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「ブラヨーヘイ」vol.4 四条河原町編(2)

「ブラヨーヘイ」四条河原町編(2)は、タワーレコードです😎🎧タワレコ①
最近はiTunesなどネットでダウンロードして音楽を聴く時代になってきていますが、僕はアナログCD世代なもので、ダウンロードはしたことがありません😣
ただ、レコードやCD、ダウンロード配信にと、時代によって音楽を聴くツールはさまざまですが、それらは「音楽が記憶されたメディア(媒体)」と括ることができると思います。そこで今回は「記憶」についてちょっと取り上げてみたいと思います。

人間が記憶という力をもっていることは、誰もが実感していることだと思います。ただその力、つまり記憶力は人それぞれで、程度の差がありますよね。
僕は以前、ヨーガの先輩弟子である京都大学卒のサナータナさんとハワイ大学教授のヴィショーカさんと記憶力について話す機会がありました。サナータナさんは何かを覚えるときは「記憶の引き出し」のようなものを使っているそうで、その力は生まれながらに備わっていて「自分でもズルいと思う」と話していました。ヴィショーカさんは「記憶力というのは筋力のようなもので、トレーニングしたら身に付く」と述べていました。二人は共感するように記憶力について話していましたが、詰め込むだけの勉強しかしてこなかった僕とは次元が違うなと思いました(一応、龍谷大学卒&修士課程修了)😓
この記憶力があるのとないのとでは学歴や職種などにも少なからず影響し、その人の人生が変わるほどの力だと思ってしまいますよね〜😑

虚空蔵菩薩

虚空蔵菩薩坐像 石徹白大師講 平安時代後期(12世紀)頃の作

歴史上においては、日本で高僧といわれている弘法大師空海が20代前半の頃、記憶力を増長させる修行法を行なっていました。それは「虚空蔵求聞持法」という修行法で、智慧の象徴である虚空蔵菩薩の真言を百万遍唱えたら経典の教えをすべて記憶できるというものでした。空海はこの修行に勤しんだ結果、土佐の室戸岬の洞窟で「谷響きを惜しまず、明星来影す」という神秘体験をします。記憶力増長のために行なっていた修行でしたが、この体験後に空海は、この世の儚さと厭離を感じ、慈悲心が生じるようになったと自らの著書『三教指帰』で語っています。この虚空蔵求聞持法は空海にとって記憶力以上の霊的な変化をもたらしたものだったようですが、天才と呼ばれる空海も記憶力を欲していたことが見て取れるエピソードです。

僕自身、ヨーガをして記憶力が格段に良くなったということはありません。なんせ龍谷大学出身ですから😓ただ何年か前、記憶に関係する瞑想体験がありました。ヴィヴェーカーナンダという聖者に瞑想していると、光のようなものに吸い込まれていき、その途中、何かが見えたので引き返すと、そこには「巨大な壁」がそびえ立っていました。そしてよく見ると、その壁一面には「無数の小箱」が整然と埋まっていました。瞑想から醒めた時、これは「心の記憶構造」ではないかと感じました。つまり、膨大な量の記憶をカテゴライズして所有するという記憶の仕組みではないかと感じたのです。そしてその後、タワーレコードの店内――膨大な量のCDがジャンル別にカテゴリー分けされ、簡単に見つけられる仕組みーーが心に浮かび、タワーレコードが心の記憶構造と類似していると思ったのです👀💡
タワレコ②

約2年前に僕は介護福祉士の国家試験を受けました。その時の勉強法は、以前のようにただやみくもに詰め込むのではなく、ざっくりとですがカテゴリー分けを行ないながら整理して勉強を進めるタワーレコード式勉強法を取り入れてみました。そうすることで勉強がしやすくなり、結果的に試験にも通りました😎✌️といっても、合格率60%の試験でしたが……😅

最後になりますが、師であるヨギさんは記憶について次のように話していました。
「空海は若い頃に虚空蔵求聞持法をしていたということで苦労人だったということが分かる……私は中学生の頃、記憶力が良すぎて何でも覚えてしまうのが嫌だった。それで記憶することをやめようと思った。そう思った瞬間、記憶することをやめれた」
あり得ないような話ですよね……物だけでなく記憶やその力の放棄、また思いと行為の完全なる一致を物語る驚愕のエピソードだといえます……😲‼️

飯尾洋平


アーナンダのさとり

みなさん、こんにちは

今日もまた本願寺出版社の「ブッダ」をお伝えしたいと思います。

悟りを啓かれてから四十年以上もの間、真実のみを語り、人々に教えを説いてこられたブッダでしたが、ヴァイシャーリーで自らの死期を悟り、アーナンダを伴って最後の旅に出たのでした。

小康状態を保っていた病状はクシナガラで一気に悪化した。「アーナンダよ、私のために床を用意してくれ」アーナンダは言いつけられた通りに沙羅双樹のもとに床を設えた。ブッダは頭を北に向け、右脇を下にして横になった。

その頃、クシナガラに住む遍歴行者のスバドラは声を聞いた。

「今夜、修行者ガウタマが亡くなるだろう」急がなければ、とスバドラは思った。「今、この時を逃せば、私はもう二度と真実の教えを聞くことはできないだろう。修行者ガウタマこそ、私に道を説くことができる唯一の修行完成者にちがいないのだから」こうしてブッダのもとに赴いたスバドラは、ブッダから真実の教えを授かり、最後の直弟子となった。

ブッダは力尽きたようにぐったりと横になっていた。すでに大勢の修行僧が噂を聞きつけて、ブッダの周囲に集まり始めていた。未熟な修行僧たちは嘆きや悲しみを声に出し、体で表していたが、熟達した修行僧は感情を抑えて、無常の真理をかみしめながらブッダを見守っていた。アーナンダはブッダとの別れが辛く、悲しく、声を殺して泣いた。

「やめなさい、アーナンダ。悲しむな、嘆くな。お前にはもう話したはずだ。愛しいもの、好きなものとも別れ、離れ、生存の場所を異にしなければならない。およそ生じたもの、作られたもの、存在するものは壊れ去る。その理から逃れるものはない」

そのあとでブッダはそっとアーナンダに耳打ちをした。

「お前は特に婦人に人気がある。よく気を付けて、慎みなさい」

アーナンダはブッダの言葉をしっかりと脳裏に刻み込んだ。長年の修行の間に聞いたブッダの言葉は、ひとつとして逃がすことなく記憶に残っていた。その言葉のどれもが金色の清浄な輝きを放っている。

ブッダ (26) 

しばらくの沈黙のあと、ブッダは集まった修行僧たちに最後の言葉を告げ、完全なる涅槃に入っていった。

修行僧たちよ、すべての営みはうつろい、過ぎ去っていく。ひとときも怠らず、修行に励みなさい。

 

ブッダの葬儀後、長老たちが集まり、今後の教団運営について話し合った。長老として長らく教団を率いてきたシャーリプトラとマウドガリヤーヤナの二人はすでに亡く、マハーカーシャパが長老のまとめ役となっていた。

「ブッダの教えと戒律がどのようなものであったのか、確認しておかなければならない。無用な混乱を避けるためにも」

教えについては、二十五年間ブッダの側にいたアーナンダにその大役が任ぜられた。悟りを啓いていないアーナンダは、その日までに悟りを啓くよう、マハーカーシャパから言い渡されたのだった。

早く悟りを啓かなければ、大事な役目を充分に果たせない。アーナンダは心を静めてブッダの言葉を思い起こす作業に没頭した。しかし結集前夜になってもアーナンダは悟りを得ることができなかった。自分は至らなかった。けれど、明日は自分ができる精一杯のことをしよう、私には力はなくとも、ブッダの言葉には力があるとアーナンダは思った。

床に就こうと目を閉じた瞬間、ブッダの声が聞こえた。

「アーナンダよ、お前は善いことをしてくれた」

心に染みこんでくる懐かしい声だ。ブッダよ、アーナンダはこみ上げてくる涙を抑えてつぶやいた。ブッダは常に暖かく見守ってくださった。自分の至らなさで迷惑をかけたし、心を煩わせるばかりだった。けれど、ブッダは大いなる慈悲で包み込んでくださった。

「お前は善いことをしてくれた」

自分は善いことなどひとつもできていない。それでもなおブッダは、お前は善いことをしてくれたと声をかけてくださるのだ。私はもう迷うのはやめよう。ふっと全身から力が抜け、こわばりが取れた。自由な、軽やかな心持ちになった。翌日、アーナンダは大いなる慈悲に包み込まれている喜びを感じながら、清々しい気分で結集の場に立った。

「私はこのように聞きました。ある時、ブッダは……」

スバドラの逸話からは、本当に最後の最後まで、人々の苦を滅するためだけのために、真実を説いておられるブッダの姿が胸に迫ります。さまざまなカーストの弟子たちを平等に見て導いてこられたブッダ、雨の日も風の日も動じることなく托鉢に出られるブッダ、人々の話を真摯に聞き、誠実に教えを説かれるブッダ、いつも穏やかでにこやかに微笑まれるブッダ、二十五年間、ブッダの側にいたアーナンダでしたが、苦しむ人々のため真実を説かれ続けた、血の通った人間ブッダのお姿、いつも愛深く見守ってくださっていた師のお姿そのものが、アーナンダの心の目をひらかせ、悟りへと向かわせたのだと思いました。ブッダは偉大なヨーギーであったと私たちの師は教えてくださっています。時空を超え、ブッダは今も私たちの側にいて、優しく見守り、助けてくださっている、そんな安心感を胸に覚え、私はこの本を読み終えたのでした。

ダルミニー

 


「ブラヨーヘイ」vol.3 四条河原町編(1)

皆さん、こんにちは。
夏の高校野球も終わり、8月も残りわずかとなりましたが、まだまだ暑い日が続きますね。
そんな残暑の厳しい中ですが、「ブラヨーヘイ」は今回から3回にわたって四条河原町編をお届けしたいと思います。
現代のヨーガ行者は森や山奥ではなく、都会の街がフィールドなんです〜
古代の聖典『ウパニシャッド』では鳥や火などの自然が真理を教える物語がありますが、街もいろんな気付きを与えてくれます🐣🔥

今回の四条河原町編(1)は、京都で一番の中心地、高島屋やOPAが立ち並ぶ四条河原町のスクランブル交差点です。
僕はヨーガを始めて4年が経つ頃、何をしても中途半端な感じで不甲斐ない気持ちでいました。そんな時、久しぶりに四条河原町へ出掛けました。それこそブラッと……四条通りと河原町通りが交わるそのスクランブル交差点で信号を待っていた時、僕はある変化に気付きました。それは、以前とは明らかに見える景色が違っていることでした。大学の頃、毎週遊びに行って見慣れたはずの景色なのに、「あんなところに時計? あんな看板が、あんな店が……」というふうに今まで目にしなかったものが視界に入ってきました。それはこの4年で街の様相が変わったということではなく、自分の視線が上がって👀⤴️、目に映るものが変わっているということでした。つまり、アーサナによって姿勢がよくなり、自然と視線が上がっていたのでした。
アーサナの威力、恐るべし😤&どれだけ今まで猫背🐈で歩いていたのかということに気付かされましたが、この視界の変化は新しい世界が開けたような、驚きにも似た新鮮な感覚でした。
そして僕の下向きだった気持ちも、ヨーガを続けていてよかったと前向きになれたのでした。

四条河原町(1)

Photo by Mr.嶋田

飯尾洋平


「ブラヨーヘイ」vol.2 松山編

お盆も明けましたが、皆さんはどのように過ごされましたか?
僕は実家の愛媛松山に帰省していました🏃
ということで、今回の『ブラヨーヘイ』は愛媛の松山編です〜😎

道後温泉

松山といえば道後温泉が有名ですが、実は「野球王国」といわれるほど、野球が盛んな地域です⚾️
特に松山商業高校は、甲子園で春夏通じて7度の全国制覇をしている名門で、決勝の舞台では高校野球史に残る伝説の試合をしています。
その一つは、1969年夏の大会での三沢戦。延長18回0ー0の末、高校野球史上初の決勝引き分け再試合になり、翌日の試合で松山商業が優勝をしました。
show_img.phpもう一つは、記憶に新しい1996年夏の大会での熊本工業戦。同点の10回裏、松山商業はワンアウト満塁の絶体絶命のピンチで、ライトに飛距離十分の犠牲フライが飛び、誰もが熊本工業のサヨナラ勝ちを確信した瞬間、代わったばかりのライト矢野選手が「これしかない」というバックホームをしてタッチアウト。そして次の延長11回に松山商業が勝ち越して優勝を決めました。この試合は今でも「奇跡のバックホーム」として語り継がれています。

僕は最近、高校野球好きのA君と、ライト矢野選手が当時を振り返ったインタヴュー映像をYouTubeで見る機会がありました。そのインタビューで矢野選手は、「自分でも考えたらゾッとするような、もう2度とできないプレー」と謙虚に話していましたが、あのバックホームの影にあった「毎日の練習」についても語っていました。その練習とは内野、レフト、センターの守備、そして最後にライトの矢野選手のバックホームが決まったら練習が終了するというものでした。矢野選手は自分のバックホームが決まらないと練習が終わらないので、いつも仲間からのプレッシャーを感じながら練習に取り組んでいたそうです。

夢に見た甲子園の決勝の大舞台、矢野選手は試合に出たくてしょうがなかったそうですが、10回裏ワンアウト満塁の時、沢田監督はライトに矢野選手を投入、その代わった途端の一球目、矢野選手のところに犠牲フライが飛び、バックホームでタッチアウト。そして次の回、先頭打者の矢野選手は初球をヒットし、それがチームの優勝へとつながりました。
たった一球で試合の流れを大きく変えた矢野選手のプレーですが、矢野選手自身は「私がしたプレーではあるんですけれど、みんなと共に練習してきた成果が、あの場面で最高のプレーとなって出たのかなと思います」と当時を振り返っていました。                    松山商業高校のグラウンドのベンチには、「千日の鍛錬 一瞬の業」という言葉が記されています。あの「奇跡のバックホーム」は本当に奇跡的ではあったけれど、チームメイトとの三年間の努力の日々があったからこそのプレーだと知り、感動しました😭

矢野選手

バックホームを決め、大喜びでベンチに戻る矢野選手。

※A君と見た動画とは違うものですが、「奇跡のバックホーム」についての特集番組。44分と長いですが、興味がある人は見てください。⇒https://www.youtube.com/watch?v=jCn2Y-2PtZs

正岡子規

道後温泉近くにある正岡子規の銅像

また、A君と見たこのYouTubeには、1969年の対三沢戦の松山商業のスコアラー大野さんのインタヴューもありました。大野さんは野球の歴史などを勉強するにつれ、「正岡子規さんが愛媛県へいち早く野球をもって帰ってくれたことで、愛媛の野球が進歩したのでは――その伝統の強さで優勝できたと今になって思う」と語っていました。実はこの松山、「野球王国」であるとともに「俳句王国」でもあります。その影響には松山出身の正岡子規の存在があります。正岡子規は明治時代に活躍した俳人で、夏目漱石とも親交の深かった人物。この正岡子規は、当時日本に入ってきて間もない野球をこよなく愛し、「打者」「走者」「四球」「直球」「飛球」など今も使われている野球用語は正岡子規が訳したものだそうです😵

ヨーガも四、五千年の伝統をもっているといわれています。聖典『ヨーガ・スートラ』には、「それ、本当なの!?」というヨーガ行者たちが体験した奇跡の数々が記されているのですが、最終境地に至るには「修習」という繰り返しの実践が必須であると教えられています。ヨーガの目的は「心の働きの止滅」――ニルヴィカルパ・サマーディという悟りの境地に至ることです。ヨーガ行者はその「一瞬の業」にすべてを懸け、千日、一万日、一生と修行を重ねます。悟りと聞くとどこか遠く、夢物語のようで奇跡的な感じもしますが、奇跡のバックホームの背景を知って、その成就には毎日の地道な努力が本当に大切であると改めて思いました。

河野さん

最後になりましたが今回、カメラマンとして同行してくださったのは、愛媛のグルバイ(仲間)の河野さんです。河野さんとは松山の特別瞑想クラスやサットサンガなどで何度かお目にかかっていましたが、お話ししたのは初めてでした。河野さんは大学生の頃からキリスト教の教会に通っていたそうで、ある時から足が遠のき、そのような頃に松山ヨーガ・サークルのヨーガに出会ったそうです。河野さんはクラスに行くと毎回、「心が落ち着き、すべてから解放される」とおっしゃっていました。そして何より印象に残ったのは、松山ヨーガ・サークルのグルバイについて話しをするその表情がとても輝いていたことで、ヨーガの仲間のことが本当に好きなんだなと感じました😁

このお盆の帰省は、ヨーガのチームメイトがいる歓びを改めて実感した有意義なものでした〜😇

◎オマケのコーナー◎
お盆休みで帰省していましたが、ヨーガ行者に休みはありません。アーサナ・瞑想後、母とのやり取りで気付いたことを俳句にしてみました✒️

「『煩(うるさ)いね』 言われて気付く 蝉の声」

どうですか、ヨーガの深まりが感じられる一句ではないでしょうか(笑)?

飯尾洋平


愛の苦悩!

世界の主よ! 帰ってきて!
肉体は極度の疲労にあります
どうかこの渇きを癒してください
一晩中叫び続けながら過ごしています
空腹は消滅し、睡眠も訪れなくなった
でもこの罪深き命に死は訪れてくれない
あなたのヴィジョンを与えてください!
そしてこの不幸な人間を幸福にしてください!
ミーラーは別離の激痛の中にいます!
どうか遅れないで!
今すぐ!

ミーラー・バーイー

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バクティ・ヨーガには、分かたれた愛の十態という、最愛の主と別離にあるバクタに現れる10の状態を表すものがあります。段階的に深まっていくバクティの様子がよくわかります。

愛の始まりは、愛する人に会いたいという切望から始まり、その次はどうやって会えるか、会って愛を勝ち取るかと心を悩ます状態がやってきます。そしてますます愛の感情が高まり、すべての仕事は忘れ去られ、愛する人だけが心にある状態になり、常に愛人の姿や仕草などの特徴を思い起こしては愛の渇望が高まる状態がやってきます。しかし、逢えない状態が続くと、心は揺れ動き、非常な苦痛を味わうようになり、うわ言を言い出すようにもなります。そして、愛人への思いに夢中になり、涙を流して狂乱したかのような状態がやってきて、ついには体は病み心の激痛は最大限になってしまいます。この細密画はちょうどそのような状態を表しているのです。やがて、すべての意識が失われて昏睡状態に陥り、最期には、別離が続きおよそいかなる方法でも合一がもたらされない時、愛の充満の中に死が訪れるのです!

ラージャ・ヨーガでは識別を通して心を空っぽにしていきますが、バクティ・ヨーガはただただ、愛によって進み、愛の中に溶け去り、純粋な愛だけが残されるのです!ミーラー・バーイーはまさにその体現者だったのですね!

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