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2025年御聖誕祭!!!

11月23日に「マハーヨーギー・ミッション設立50周年記念 サットグル・シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ御聖誕77周年祭」が執り行なわれました。

今年の御聖誕祭からMYM設立50周年記念イヤーとなる大切な一日が、新しいリーラー・ヨーガ・スタジオで開催されたことも、感慨深いものがあります。スタジオの温かな空間は祝福に満ちた素晴らしい雰囲気で、会場に集えなかったグルバイ(兄弟姉妹弟子)とも心を一つにして師への感謝を捧げる時間になりました。

今年のテーマは「師の存在への感謝—-MYMの原点に触れる」です。今回はマハーヨーギー・アーシュラマ(修道場)開設から約20年間の足跡をじっくりと振り返りました。最初に50周年の幕開けにふさわしい師の映像が紹介され、その中で師はマハーヨーギー・アーシュラマ開設の思いについて次のように話されました。「私の当時の思いは、ヨーガの教師になるためではなく、ヨーギーであることでした」。このお言葉は私たちにとって大事なキーワードとなり、会の最後にもう一度、紹介されることになります。


今回、師がどのようにしてアーシュラマに来られる方々を迎えて来られたか師の貴重な手書きの資料がサルヴァーニーさんによって紹介され、「ヨギさんがどれほど通われている方のことを思ってヨーガの話をする機会を作ってくださったか。今度は私たちが見倣い、行為していく番だと思います」と力強く話されました。会の後半に、師がアーシュラマでアーサナのクラスをされていた時の映像が公開されました。師の真剣な表情に会場から「かっこいい!!!」とため息交じりの声が上がりました。その方がジャヤンティー後に「指導する時のあの鋭く真剣な眼差しに、あなたは真剣かを突きつけられました」とコメントをくださいました。


そして祝祭の締めくくりに、師が残してくださった尊い教えの映像が映し出されました。

「誕生日を祝うとはどういうことなのか、体があることを祝うのか、肉体がなくなってしまえば、もう祝えないのか。つまり死ぬということと生まれるということがどういうことなのか、ぜひ考える機会になってもらったら」と命の意味の本質を教えてくださいました。


会の最後に、司会のミラバイさんが師のお言葉を紹介し、問い掛けました。「最初の師の映像のお言葉には続きがあります。『私が自らにヨーガの教師になるのではなく、ヨーギーであることを欲したように、みんなにも同じことを希望しますし、その上で楽しめるものだと思います』。それでは、私たちはどのようにあることが、「ヨーギーであること」なのでしょうか」。

私たちが師のお言葉の真意をどう理解して、どう行為に繋げていくか、これからの一瞬一瞬が問われるように感じています。師の生き様をしっかり受け継いでいきたいです。本物のヨーギー、ヨーギニーは、たとえ語らなくても、その姿から柔和さが醸し出されるんだと思います。どうか謙虚に学び続け、師に近づけるよう純粋な行為を捧げていけますように。そして、もっともっと多くの方と楽しめますように!!!

※その他、師の映像など詳細はWebパラマハンサにてご紹介します。(12月25日配信予定)

アーナンディー


『Paramahamsa』表紙絵シリーズ⑰

今回は、『パラマハンサ』No.23の表紙絵をご紹介します。
この号は、2000年11月23日に行なわれた師の御聖誕祭の内容が掲載されており、師への感謝を込めてこの絵を描きました。
ヨーガとの出会いによって、生きる意味を見出した多くの仲間がいます。それは本当の幸せに向かう道です。そして、その道を示してくださった私たちの師、ヨギさんの御聖誕日は、私たちにとって、もっとも大切で歓びに満ちた日です。
特に今年は、MYM設立50周年を迎える、始まりの御聖誕祭であり、これだけの年月を休むことなくヨーガを人々に話し続けてきてくださったヨギさんに、改めて感謝を捧げたいと思います。

MYMでは、これからの1年をかけて、ヨーガをさらに知っていただくためにいろいろな会を企画していますので、この機会にぜひ京都まで足をお運びいただけたら嬉しいです。

*   *   *

今年の御聖誕祭まであと少しです。
最後に、『パラマハンサ』No.11に掲載しました御聖誕祭に向けての言葉をご紹介します。

深い想いを秘め、ハートは師の御聖誕に震える。
アートマン ブラフマン プレーマ
常に真我に在り、不変の梵に在り、無量の愛に在る、
最愛のサットグル・シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサの蓮華の足元に、
慎ましく感謝の想いを捧げます。
おお、我は知る、我が深奥の真実の自己があなたであることを。
誰が知ろうこの真実を。
どうか、この真実を覆い隠さず、知らしめてください。この永遠の祝福を。
この聖なる日は、あなたとともに私が生まれた日。
パラマハンサの妙なる風とともに在らんことを。
オーム・タット・サット、オーム!!

シャチー

 


春の祝祭レポート:ヴィヴェーカーナンダに出会った日

4月6日 第8回サナータナ・ダルマ アヴァターラ メーラー 神性示現大祭に参加しました!今年は、インドの聖者スワーミー・ヴィヴェーカーナンダの魂に迫っていく祝祭でした。
春の暖かな日差しがあふれる京都アスニーの会場には、等身大のヴィヴェーカーナンダのパネルが祭壇の横に設置されました。私は「ヴィヴェーカーナンダが会場に来ている!」と感じました。


祝祭はプージャーから始まり、讃歌、祝辞、ショートメッセージ、映像の上映、聖劇などが奉納されました。第一部「師シュリー・ラーマクリシュナの導き」、第二部「衝動と覚悟」、第三部「サナータナ・ダルマの布教、そして後世へ」で進行しました。
台湾やニューヨークの兄弟弟子たちもオンラインで参加し、国を越えて心をひとつにして、皆でヴィヴェーカーナンダの生き様に触れ、その言葉に鼓舞されて、新たな一歩を踏み出せた一日でした。


祝祭の中で私は何度も感動しましたが、今も印象に残っているのは、ヴィヴェーカーナンダが「とても忙しく働き、すべてを人のために捧げていたこと」です。ヴィヴェーカーナンダの西洋での活動をまとめた映像が紹介されました。その中で、彼がアメリカ滞在中に講演を行なった数十カ所の都市を、地図上にマークしたシーンがありました。私はそれを見た時、ヴィヴェーカーナンダは寝る間もないほど忙しかっただろうなと気付きました。アメリカという異国の地で、様々な不自由もある中で、人々に真理を語り続けたこと。その裏には、辛抱強さや優しさがあったと思います。私は、仕事で悩んだとき、彼の講演の一部がまとめられた『カルマ・ヨーガ』にいつも勇気づけられています。この本の中で、「すべてを人のために捧げて働きなさい」と教えられていますが、ヴィヴェーカーナンダご自身が、本当にそのように働かれていたのだなと思いました。深く心を打たれ、この本がますます大切な一冊になりました。
そして何より、印象に残ったのは、祝祭のさまざまな場面で紹介された、ヴィヴェーカーナンダの力強い言葉の数々です。その中でも、ショート・メッセージの方が引用されていた次の言葉は特に私の心に深く響きました。

「弱さの治療薬とは、弱さについて考えることではなく、強さについて考えることだ。人には強さについて教えよ。それは既にわれわれの中にあるのだ。信じること、信じること、自分自身を信じること、神を信じること――これが偉大さの秘訣だ。……自分自身を信じ、自分自身への信仰に立脚して、強くあれ」

(『立ち上がれ目覚めよ – スワーミー・ヴィヴェーカーナンダのメッセージ』 15~16ページ)

この言葉は、私の内側に静かに突き刺さりました。これまで私は、自分に対してどれだけ信頼を持っていたのだろう。ヨーガを学び、「真理を求めている!」と言いながらも、どこかで言い訳を作って諦めていたのではないかと思いました。しかし、同時に、前向きな考えも浮かびました。「日々の行ないを正し、精進することで、自分自身をもっともっと信じることができる。強くなれる。自分自身の中にもきっと真理はあるはずだ!」と強く思えたのです。

祝祭の三部、「サナータナ・ダルマの布教、そして後世へ」の中で、とても力強く祝辞を述べるグルバイの言葉がありました。「今、失敗や成功だとしても、その判断さえも間違っているかもしれません。私が失敗しても、次の人がその失敗を学びとして、それでうまくいけば、それで成功です。一人ではただの失敗や不可能なことでも、みんなで力を合わせれば、目標に到達できる」「スワミジー(ヴィヴェーカーナンダ)からの仕事が今も進行中で、私たちは今も仕事をしています。彼からのバトンを受け取り、走っている最中です」とおっしゃっていました。その姿はまるでヴィヴェーカーナンダのようでした。私も、「まだヨーガを始めたばかりで、人に伝えるなんてできません」と言い訳せず、「自分も学んでいることを還元できるようにしていきたい!」と思いました。

今回の祝祭では、ヴィヴェーカーナンダの言葉に何度も勇気づけられました。なぜ彼はこれほどまでに人々を鼓舞し続けたのだろう、その原動力はどこにあったのだろうかと疑問に感じました。その疑問に対する答えを、司会者の方が教えてくださいました。それは、師シュリー・ラーマクリシュナの恩寵だということです。
恵まれたことに、私達にも尊敬する師シュリー・マハーヨーギーがいます。この春の祝祭を考案されたのは師です。師に教えていただいたヨーガをしっかりと体得し、できる限り多くの方々に伝えていきたいと思います。そのために、これからも精進してまいります。

聖劇では金森さんがヴィヴェーカーナンダを力強く演じられていました。「放棄せよ!放棄せよ!--あなた方は自由である!自由である!自由である!」という言葉は私の中に今も響いています。祝祭後にその金森さんと撮った一枚の写真は、私にとって大切な一生の思い出です。

レン


『ヴィヴェーカーナンダの生涯』イラストシリーズ②

4月6日に開催された春の祝祭は、スワーミー・ヴィヴェーカーナンダの魂に迫っていく内容でした。ヴィヴェーカーナンダの力強い言葉、人類の救済に全てを捧げた生き様は、兄弟弟子や大勢のヴィヴェーカーナンダの元に集った人々を真理へと導きました。そしてその導きと恩寵は、今も私たちにも注がれていることを感じました。ヴィヴェーカーナンダの衝動によって魂が奮起するような、祝福に満ちた会でした。

さて前回から始まった『ヴィヴェーカーナンダの生涯』イラストシリーズ。
大学生になったナレンドラ(後のヴィヴェーカーナンダ)は、ブラフモ・サマージという社会運動及び宗教運動組織に参加していました。しばらくの間その祈祷会や信仰の歌に心の高揚を感じたものの、霊性の実体験を伴っていないことに気がつきました。そして「神を見た人のもとで教えを乞いたい」という抑えがたい欲求を感じ、その切望のもと、1881年11月、師ラーマクリシュナに出会いました。

ラーマクリシュナから見て、身なりや外見に無頓着なナレンドラは、一緒に寺院を訪れた他の若者たちとはまったく違っていました。いくぶん内に向いた目が印象的で、瞑想的な雰囲気を醸し出していました。ナレンドラは師に尋ねました。

「師よ、神をご覧になったことはありますか?」
師は間髪入れずに答えられました。
「ああ、あるとも。私はここでお前を見ているように神を見るのだよ。しかももっとはっきりと見るのだ」
ナレンドラは、初めて神を見たと言いきる人に対面して驚愕しました。

五年間にわたって師と間近に接したナレンドラは、決して盲信に影響されることなく、常にラーマクリシュナの言動を厳しい理性の試験にかけました。近代精神の象徴の如く、知識欲旺盛で、機敏で、知的な純粋さを持つナレンドラは、どんな結論も合理的な証明なくしては受け入れませんでした。しかし、師がナレンドラに理性を捨てるように求めたことは一度もありませんでした。ナレンドラの理性が究極の神秘を解き明かせなかった時には、師が弟子に必要な洞察力を授けられました。こうして師は限りない忍耐と愛、そして慎重さを持ってナレンドラの反抗的精神をなだめ、霊性の修行へと導かれました。

ヴィヴェーカーナンダが肉体を離れる2年前に、弟子に宛てた手紙にこのように書かれています。

「結局私はドッキネッショルのバンヤンの樹の下でラーマクリシュナの素晴らしい言葉に耳を傾けて心を奪われていた少年に過ぎないのです。それが私の本性なのです。善をなすことなどはすべて付け足しです。今再び師の声を、私の魂を感動で震わせたあの懐かしい声を聞くのです」

『スワーミー・ヴィヴェーカーナンダの生涯』より

最愛の師の下で、仲間と修行に励んだかけがえのない日々。美しいドッキネッショル寺院、ガンジス川、バンヤンの樹。後に西洋へ渡り、世界中に真理を広めたヴィヴェーカーナンダの胸の内にはいつもこの情景があり、力の源となっていたのではないかと思います。

サルヴァーニー

 


春の祝祭を終えて

春の祝祭2025昨日開催された春の祝祭「サナータナ・ダルマ アヴァターラー メーラー―神性示現大祭―」は、日本各地より、またオンラインではニューヨーク・台湾の仲間たちも集い、盛会のうちに終えることができました。

数々のメッセージ、聖劇や映像など、すべてのコンテンツを通して、スワーミー・ヴィヴェーカーナンダの息吹、偉大なハートに触れることができました。人類の救済へと立ち上がり、師シュリー・ラーマクリシュナと一体となって世界を駆け巡った彼の精神の迸り、勇敢なる力強い生き様と言葉に、私たちは落雷に打たれたような大きな衝撃、感動を受けました。

彼が成し得たことを思えば、ただただ圧倒されます。しかし、そこで止まってはいけない。この祝祭は私たちの内面と行動を革新させるべく、一人一人に大事な問いを残したのではないでしょうか。

彼の生き様に少しでも倣い、現代、これからの未来に向かって、私たちはどのように具体的な行為として踏み出していくことができるのか――。
高い理想を掲げ、自らの使命に覚醒するために、どれほどまでに悩み葛藤し、渇望できるのか――。

スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ


目覚めよ! 起きよ!

大胆なれ! 真理に立ち向かえ!
真理と一つになれ!

――スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ
(当日のプラサードのカードの言葉より)

当日の報告、感想を改めてこのブログでも掲載します。また詳しい模様は、マハーヨーギー・ミッションの会員サイトWeb版「パラマハンサ」にて配信予定です(4/30)。

 

桜 プレーま

プレーマ・アーシュラマ周辺の桜も満開を迎えました

マハーヨーギー・ミッション 


もうすぐ春の祝祭

4月になりましたね🌱
自然の草花が芽吹き、子鳥たちがさえずり、それらを見たり聴いたりすると、心穏やかになりますね。
先週ですが、道を歩いていると、早咲きの満開の桜が不意に目の前に飛び込んできて、その美しさに圧倒され、感動しました。

鳴滝の桜🌸 3/24

さて、4月6日(日)にマハーヨーギー・ミッション主催の春の祝祭「サナータナ・ダルマ アヴァターラ メーラー ー神聖示現大祭ー」が開催されます。
今回の祝祭は19世紀インドの聖者スワーミー・ヴィヴェーカーナンダの魂に迫っていきます。


先日、ヨーガの仲間との集いがあったのですが、そこで私はヴィヴェーカーナンダに瞑想していることを話しました。
ヴィヴェーカーナンダは貧困で苦しむインドの人々を目の当たりにして、胸が張り裂けるほど強烈な痛みを感じ、その救済のために働いた菩薩のような存在です。
私はヴィヴェーカーナンダのハートを感じたくて瞑想するも、他者の苦しみを感じるとかいうことにはならなく、意に反して、平安や甘美さ、歓びを感じるようになっていました。
帰り際、参加していた先輩が、私の感じたことについて「よかったね〜」と伝えてくれました。
でも私は「小さなものだと思う」と答えると、「そんなことないよ!だってヴィヴェーカーナンダの恩寵やで!!」と言われました。
その言葉にハッとし、本当にそうだと思い、帰り道に自分が感じているものをさらに味わうようにしました。
するとその感じたものが、身体や心の中でバーッと広がっていき、さらなる歓びで満たされました。

聖者や覚者の恩寵というのは、目に見えないけれど、やっぱり在るのだと改めて感じています。
祝祭当日は、ヴィヴェーカーナンダやアヴァターラ(神の化身)の存在に感謝し歓び、私たちの中に在る真理が目覚めて「行動しよう!」と立ち上がる、そのような祝福された日になると信じています😇🙏

嵐山の桜🌸 3/31

ゴーパーラ


『Paramahamsa』表紙絵シリーズ⑭

「桜の花がほころぶ頃に来ていただきたい」
一昨年秋に開講した大阪クラスの弟子たちの強い願いを、ヨギさんはお聞き届けになり、大阪でのサットサンガが開催されました。
それは2002年3月31日のこと。
突き抜けるような青空が広がっていました。

大阪に来てくださった師のお姿を前にして、目に涙を浮かべる大阪の弟子たち。
その姿にヨギさんは満面の笑みで応えてくださいました。
弟子たちは、溢れる喜びと最大の感謝の記しに師に花束を捧げ、そして会場までの道のりを談笑しながらゆっくりと進みます。途中、満開の桜の下では写真撮影も行なわれました。

そうして会場に到着。この日の参加者は30名ほどでした。
師の紹介がなされ、サットサンガの質疑が始まろうとしたまさにその直後のこと、先程まで晴れ渡っていた空から突然大粒の雨が降り出し、屋根を叩く激しい音が会場に響きました。まるでスコールのような激しい雨は、屋根の下に居ることへの安堵と、また清々しさを感じさせ、その小さな驚きが緊張ぎみの皆の心を解き放ちました。

そして「今日はちょうど桜も見れましたし」と楽しげなヨギさんのお言葉に笑いが起こります。

これには理由があり、今回のサットサンガの準備を主軸となって進めていた長石さん(アンビカー)には、満開の桜並木を通ってヨギさんを会場へご案内するという計画がありました。しかし、桜だと思っていた並木が実はケヤキだったと、新しい眼鏡を作って(?)気がついたというのです。え〜〜!!!!!! とは、長石さんがいちばん思われたことでしょう。
ただかろうじて2本の桜の木があったそうで、そのことを先週の京都のサットサンガで報告され、楽しい話題となってあがっていたのでした。

今回のパラマハンサNo.31の表紙絵は、この大阪に来てくださったヨギさんのことを描いてみました。
春色の花束を胸に抱かれ、オレンジ色のジャケットとパンツをスマートに着こなされているヨギさんのお姿は本当に美しく、笑顔が輝いていました。
大阪クラスの弟子たちは、日数はまだ長くはないものの、皆、真剣にヨーガを学び、実践を続けていました。そしてクラスは毎回高い集中感の中で行なわれ、皆のヨーガへの情熱は高まり続けている、そんな頃だったのです。
--この情熱こそが、全ての障害を速やかに取り除く、そして、ヨギさんがいつも弟子たちに求められるものではないでしょうか。
師の慈愛に満ちた眼差しが弟子たちに注がれました。

この日のサットサンガの内容は、基本的な3つの瞑想法の伝授から始まり、師の教えと、シュリー・ラーマクリシュナやヴィヴェーカーナンダの教えとの共通性と特異性に関して、という師のミッションに関わる質問がなされました。その中で、短いながらもシュリー・ラーマクリシュナやスワーミー・ヴィヴェーカーナンダの偉大なる働きについても言及され、濃密な時間となりました。
*このサットサンガの内容は紙面『パラマハンサ』No.31に掲載されているのでぜひお読みいただきたい。

🌸         🌸        🌸

さて、今年の桜の開花はどうでしょうか。
「桜の花が咲く頃に」とヨギさんが企画してくださった、今年の「サナータナ・ダルマ アヴァターラ メーラー」は、もうすぐそこまで来ています。今年の祝祭ではヨギさんが愛されたスワーミー・ヴィヴェーカーナンダがどのようなお姿を見せてくださるのかとても楽しみですね。
願わくば、桜が満開に咲き誇る中、サナータナ・ダルマとアヴァターラへの憧れと敬意を胸に抱き、共に感謝を捧げることができますように。

シャチー


『ヴィヴェーカーナンダの生涯』イラストシリーズ①

今年の春の祝祭は、インドの聖者、スワーミー・ヴィヴェーカーナンダに迫っていく内容になるとのことで、とても楽しみにしています。個人的にもこの機会にヴィヴェーカーナンダにもっと親しみたいと思い、本を読んでいます。今年のブログでは、『ヴィヴェーカーナンダの生涯』から印象に残ったエピソードなどから想像を膨らませてイラストを描いていく予定です。

今回は子供の頃のヴィヴェーカーナンダのいくつかのエピソードをイラストに描きました。可愛く陽気な性格で、エネルギーに溢れていた子供の頃のヴィヴェーカーナンダ。
ペットの牝牛や猿や鳩や孔雀を可愛がっていたそうで、それを聞くと鳥や動物に対する愛情を持ち、命を大切にされていたことを感じます。
またサードゥ(僧)が好きで、サードゥが施しを求めた時には、唯一の持ち物であった新しい腰布を与えてしまうほどでした。
母親から教わったヒンドゥの神々への愛を育み、子供の頃からシヴァの神像の前で瞑想を行なっていました。瞑想の最中にはしばしばこの世に対する意識を失い、ある時は、杖と水椀を携えた澄み切った表情の光り輝く人のヴィジョンが見えました。それはおそらく仏陀のヴィジョンだったと、後に思われたそうです。
この頃は眠りに入ろうとする時に、毎日不思議なヴィジョンを体験しました。目を閉じると、眉間に輝く光の球が色を変えながらゆっくり広がって、最後には全身に白い光を浴びせながら破裂するのです。この光を見つめながら徐々に眠りに落ちていきました。毎日のことなので誰にでも起こる現象だと思っていましたが、友人が、そんなのは見たことがないと言うのを聞いて驚きました。この光は、偉大な霊性の過去と生来の瞑想の習慣を示唆するものでした。

このように子供の頃から神を慕い、神との強い結びつきを感じさせるヴィヴェーカーナンダですが、恐れと迷信には我慢がなりませんでした。ある時ヴィヴェーカーナンダは友人たちと子供の悪戯で、近所にある木に登って花を摘んだりして遊び、その木の持ち主に注意を受けていました。それでも悪戯を止めないので、木の持ち主はこう言いました。「あの木を守っている白い着物の幽霊は、邪魔されると、必ず首をへし折りに来るんだぞ」
それを聞いて友人たちは怖がって木に近づくのを止めました。しかしヴィヴェーカーナンダはいつも通りに木登りを楽しんで、さらに枝を数本折るという悪戯をして、友人たちにこう言いました。
「君たちは何て馬鹿なんだ! ほら、僕の首はまだつながっているじゃないか。あの爺さんの話は真っ赤な嘘だ。自分が本当だと信じない限り、人の言うことを信じるな」

この単純にして大胆な言葉は、ヴィヴェーカーナンダが将来世界に発した次のメッセージを暗示するものでした。
「本で読んだからといって、信じてはならない。誰かが本当だと言ったからといって、鵜呑みにしてはならない。伝統的に崇められている言葉だからといって、信じてはならない。自分で真理を見つけなさい。解明しなさい。それが本当に理解するということだ」

子供の頃から深い洞察力を持ち、真実を見極めようとしていたこと、またそれを大胆に行動に移していたという、ヴィヴェーカーナンダの素晴らしい気質や探究心を知ることができるエピソードで、印象に残りました。

サルヴァーニー

 


人は神になることができる

今年のバクティ・サンガムのシリーズでは、毎月様々なインドの神様を取り上げ、その神様にちなんだキールタンを歌っています。そしてもう一つの柱が、ヨーガを西洋に伝えたインドの聖者、ヴィヴェーカーナンダを取り上げ、彼の純粋な信仰と献身奉仕について学んできました。また彼のグル(師)を讃えた讃歌、「Achandalapratihatarayo」も、年間を通してずっと歌ってきています。

この歌は前半部分はとてもメロディアスで、後半はリズムがあり、また途中には楽器だけの間奏があったり・・・と、様々な表情をもつ歌です。歌詞が難しいこともあり、シリーズが始まった頃は、参加されている皆さまも、ずっと下を向き、歌詞カードを見ながら歌われていた方も多かったのですが、先日1月末のバクティ・サンガムの時には、ずいぶん歌詞とメロディーを覚えられたようで、顔をあげて歌われる方も多くなってきました。継続は力なり! 月一回でも少しずつ歌うことによって、とても安定して歌えるようになってこられていて、本当に素晴らしいなぁ!と感じました。

この歌は、途中で「naradeva」という単語を何度も何度も繰り返していきます。nara が人、deva が神という意味で、「人にして神である者よ!」という意味になります。この曲はキールタンとは違い、全体的に歌詞がどんどん変わっていく歌なのですが、途中から、naradeva という単語を、”これでもか!”というくらいずっと繰り返す部分が何か所かあります。歌の中で歌詞にできる文字量って限られていると思いますが、それでもこれだけの分量を割いて、ヴィヴェーカーナンダはこの言葉をこの歌の中に入れ込みました。

ヴィヴェーカーナンダは、師であるシュリー・ラーマクリシュナに出会い、薫陶を受ける中で、人は神のような存在になり得るということを目の当たりにして、本当に驚嘆し、歓喜したに違いありません。それはどんなに多くの聖典を読んだとしても、どんなに聡明であっても、実際に肉体をもったグルに出会わなけば、きっと知り得なかったことだと思います。

彼が少年のような眼差しで師を見上げ、敬愛し、生涯その御足下にひざまずいたその純粋な思いが、この単純な「naradeva!」という歌詞に凝縮されているように感じて、本当に感動します。バクティ・サンガムに参加されている方も、特にこの「naradeva」の箇所がお好きな方が多いようで、この部分を歌う時は、みんなの熱がこもっているのが伝わってきます。
4月に行なわれるサナータナ・ダルマ アヴァターラ メーラーでも、この歌を歌います。大勢の方とともに歌えることがとても楽しみです。

今回のバクティ・サンガムのシリーズは、次回の実開催2/23(日)(オンラインは3/2)で一旦終了となります。ご興味のある方は、ぜひご参加いただき、一緒に歌っていただければ嬉しいです!

ミラバイ

 


Waheguru :素晴らしい師よ!

11月23日、サットグル・ジャヤンティーが京都アスニーで開かれました。私は初めて準備を手伝う機会をいただきました。とても驚いたのは、会場準備から式の進行まで、細部に至るまで丁寧に準備されていることです。オンライン配信のためのコンピューター係り、カメラやマイクの係り、会場の温度調節係り、案内係り、祭壇の設置係り、通訳など、多くの方が働いておられます。その中で私は、会場でプロジェクターを使って映像を流す先輩弟子のお手伝いの仕事をいただきました。初めての仕事でとても緊張しましたが、心を乱さず、目の前のことに集中するように心がけました。
滞りなく式典が終わり、安堵と感動で胸一杯の中、先輩グルバイと、がっちりと握手しました。これまでに感じたことのない仕事のよろこびがありました。この経験を通して、ジャヤンティーに関わる全員が、師への感謝を胸にその働きを捧げていることを知りました。そこには純粋な信仰があると思いました。

また私は、もう一つの役割として、祝辞の機会をいただきました。準備の期間、これまでの師との出来事を振り返り、その優しさに何度も心打たれました。この感謝の想いをどうしたらうまく伝えられるだろうかと考える中で、気付いたことがあります。それは、頭を絞って上手な文章を書いたとしても、それを伝える本人の心が純粋でなければ感謝を伝えることはできないということです。それに気づいた時、純粋な心で師にありがとうと言えるよう、心をきれいにしておこうと強く思いました。そのために、師から教えて頂いたアーサナや瞑想をしっかりやるようにしました。本番では、胸が一杯で上手に話すことはできませんでしたが、感謝やこれからの修行への想いをしっかり伝えることができたと思っています。

今年のジャヤンティーの最後、師の50代の頃のジャヤンティーの映像を見せていただきました。その中で師は顔を赤くして、照れて笑っておられました。その笑顔が少年のように純粋で、素敵だったのが印象的でした。誰よりも純粋で、優しくて、偉大な師。そういう方にお会いできて本当によかったです。いつか師のような人間になれたらと思います。

師とお会いした頃に参加したサットサンガの記録が書かれている2020年5月のPARAMAHAMSAです。師の素敵な笑顔が表紙になっています。一生の宝物です。

レン