瞑想」カテゴリーアーカイブ

京都・大阪 瞑想1日ワークショップのご案内!

皆さま、こんにちは🌸
4月に入って新学期や新生活をスタートされた方も多いと思いますが、いかがお過ごしでしょうか?
京都の瞑想専科は5月10日から第4期が始まります!
詳しくはこちら⇒http://www.mahayogi.org/classes/meditation_kyoto

瞑想専科が始まってはや1年半が経ちますが、第1期から参加している野口美香さんが瞑想専科に通いながら日常の中で瞑想を続けてきた感想を寄せてくれました!
瞑想を実践している方はもちろん、新しいことを始めたり、慣れない環境で苦戦している方にも、きっと役立つ内容であると思います😁


瞑想専科では、心の機能や性質について、心がまるで一つの臓器でもあるかのように客観的に、また丁寧に教えてくださいます。
私は日常生活の中で嫌な思いをした事柄に再び関わる時、瞬時に「嫌だ」と反応してしまいます。瞑想の成果は日常に現れると教わってきたので、そういう反応が分かると瞑想ができていない証拠として、自分に落胆することが増えていきました。しかしある頃から落胆した後、「そこで落ち込むのは違う」と神の声?が聞こえるような気がして、川の流れが変わるように思考回路が変わりはじめました。
瞑想専科で、こんなお話を聞きました。

①なぜできないかを考える
②自分にはまだできないことを自覚する
③どうすればできるようになるかを考える
④できるようになるまで淡々と実行していく

自分に照らし合わせていくと、悩む時は心のどこかで「自分はできる」とうぬぼれているからで、「悩むのは優劣意識があるから」と教わったその通りだと思えました。できない自分を認めたくないという思いが邪魔をして、なぜできないかの原因を見極められずシリアスになっているだけでした。そうではなく今、できていない現実の自分を受け入れて、どうすればできるようになるのか?努力で解決できそうなら、それをひたすら行なっていくだけと学びました。

瞑想専科で学びながら生活するうちに、瞑想も日常も別に上手くいかなくてもいいと思え、もしずっと上手くいかないとしても、「最後までやり通したい、諦めずにこれを淡々としていく」と思うようになり、それが自分のヨーガへの信仰であり、信念だと思いました。そう思えたことで、瞑想で何かを得ることが目的ではなくなり、焦りの気持ちも消え、ただ毎日行なおうという祈りのような気持ちに変わりつつあります。そして、あれこれ考える心の奥にあるそれらを見ている意識、そちらが本当の自分というところに、自然に導かれているように感じています。
どうしようもない時こそ、押し黙って自分に向き合い、繰り返し瞑想を試みる――これからも瞑想の実践を続けていきたいと思います。

                                        野口美香


京都の瞑想専科は4月21日(土)、また大阪の瞑想専科は4月22日(日)にワークショップが行なわれます。
瞑想にご関心がある方、深めたい方はぜひご参加ください😇

<京都>
● 日時:2018年4月21日(土)14:00〜15:30
● 会場:京都駅近 キャンパスプラザ京都 2階和室(京都市下京区西洞院通塩小路下る東塩小路町939)
● 参加費:1回2,160円
● 内容:瞑想の実習、講座、Q&A
« 詳しくはこちら

<大阪>
● 4/22(日)14:00〜15:30
*次回ワークショップ:6/7(木)19:30〜21:00
● 会場:中之島 中央公会堂(大阪市北区中之島1-1-27)
● 参加費:2,160円
● 内容:座法(座る形)の練習、講座、瞑想体験
« 詳しくはこちら

ゴーパーラ


瞑想特別クラス2回目 in 松山

春ですね〜桜の開花も全国で始まりました。春の祝祭まで後2週間ですね〜サーナンダです。
そして、現在師は台北を訪問されており、22日には1回目のサットサンガが開催されました。今日は2回目のサットサンガが予定されています。報告が楽しみですね!

さて、先週末に、松山瞑想特別クラスに行ってきました。今回のテーマは、身体と呼吸と心の関係でした。

瞑想は、じっと座っているだけで何かいいことが起こるのだろうと、簡単にできそうに思ってしまいますが、実際に座ってみると、雑念がとめどなく湧いてくるか、眠たくなるかのどちらかで、足も痛くなるし、ちっともいいことが起こらず、すぐに諦めてしまいがちです。

では、どう進めていけばいいのでしょうか?ヨーガではまず身体と呼吸を調えていきます。基礎編2回目の瞑想特別クラスでは、しっかりとした瞑想の土台を築くために、座法(アーサナ)の重要性を学びました。背骨を真っ直ぐにして正しく座れば、呼吸が調い、心が速やかに落ち着いてきます。日常の実践につながるように、今回は主要な座法と簡単な呼吸法の実習に時間を割きました。瞑想する際には両方の鼻が通っていることが大事なので、牛のポーズも皆で実習してみました。

2回目のクラスはどうでしたでしょうか。今回、松山ヨーガ・サークルで熱心にヨーガを実践されている若狭さんが、ご自身の瞑想の実践を記事にしてくださいましたので、ご紹介したいと思います。いつも瞑想特別クラスではスタッフとしてサポートしてくださっている若狭さん、3カ月後を楽しみにしています!


瞑想特別クラスに参加して

「自分には瞑想は無理なのではないか」と思っていた時期がありました。
心はとめどなく動き回り、集中もわずかの間だけ。
周りのグルバイ(ヨーガの仲間)がまぶしくて、自分を貶める言葉は次々に浮かびます。

5分でもいい!座る習慣をつけよう。今日出来なくてもいい、明日また行なおう。
お金の悩みの解決の仕方、理想の生き方とは何かなど、サーナンダさんは熱意を持って教えてくれます。

自分のやりやすい方法をさがしたい!
心は徐々に意欲的になっていきました。前向きになっていきました。
「苦しいのは自分が持っているからだけ。ただ手放せばいい!」と気がついた時、心がスーと軽くなりました。もう余分なものはいらない。捨てよう!自由になりたい!と心が叫びます。

入門編、実践編、特別編と続いて今年はもう一度基礎編。
一回目は瞑想のイロハを学ぶ!でした。
教えていただく言葉がスーツと体の中に染み込んでいきます。

識別の瞑想の間違いに気づきました。
それまでは、正しいか間違っているか、好きか嫌いか、やるべきか否かと行なっていました。
正しいのは「感情を見る。じーと見る。ただそれだけ」でした。
ただ見る、ただ見る、と言い聞かせながら行なってみました。
心を静めて待っていると答えが内側からふーっと浮かんできました!!そして問題は霧のように消えていきました!

この体験は自信になりました。やらなければいけないことだった瞑想がやりたいことに変わった瞬間でした。

次回は6月です。宿題が出ています。私は牛のポーズ、呼吸法、瞑想を行なおうと決めています。
まだ3日目ですが3ヶ月が経った頃自分がどう変わっているのか楽しみです。

2018.3.21 松山ヨーガサークル 若狭多美子


この春、瞑想を始めよう! in 松山

先週末2月17日に松山ヨーガ・サークルにて2018年瞑想特別クラス7回シリーズが始まりました。少し暖かく春の気配を感じる気候になり、松山ヨーガ・サークルの前では、目を引く鮮やかなピンク色のチラシを覗き込むように読んでいる人を見かけました。

昨年まで3年間瞑想特別クラスを行なってきましたが、今年からは基礎編「瞑想を始めよう!」に戻り、一から瞑想を学んでいきます。

初回「瞑想のイロハを学ぶ!」では、瞑想していくとどうなるのか、瞑想とは何なのか、どうやって進めていけばいいのかなど、今年一年の土台となることを学び、実習しました。初めて参加する方や、もう一度基礎から学びたいという方など、40名の方が参加されました。

*写真:ヨーガや瞑想の教えをわかりやすく学び、Q&Aで理解を深めていっています。瞑想していくと・・・・

  • 心がとても静かになり、いろんな執われから解放されていきます。
  • 心は澄み渡り、日常が変わります。
  • 不思議なことに、喜びに満たされていきます。
  • 集中力がつき、いろんな物事に動じなくなっていきます。

*写真:瞑想の実習では、静かな気が会場を満たします。

今回、昨年まで3年間熱心に学んで来られた山口さんが、ご自身の実践と経験を寄稿してくださいました。毎日の実践の様子が伺え、とても参考になる内容だと思いましたので、ご紹介させていただきたいと思います。


松山 瞑想特別クラスへの参加は、今年で4年目になります。

3年前、家族や世間への義務を果たしながらヨーガに取り組んでいくことは、困難なことだと感じていたのですが、今回、基礎編の第1回目を受けて、瞑想をしていくとどうなる?の教えに「たしかに!そうなるよなぁ。」と思いました。そうなんです。この3年間「実践していきたい」の感想しかなかったのに⁉︎です。

瞑想特別クラスでは、この3年間、心の仕組み、瞑想の目的や方法、ヨーガの教えを聞き、自らの理想の生き方、そのためにどうすることが必要か考える機会とそれを実践していく勇気や励ましを直接的な言葉ではないのですが頂いてきました。

ヨーガを初めてから瞑想の対象は、「神」と決めています。でも、毎日座ることはできなかったし、時間も短いし、神への瞑想というよりは、心のおしゃべりを聞いて終わるばかりでした。それが変わるきっかけになったのは、私にとっての理想の生き方が明確になって、神への想いを強くしていきたいと神の御名を唱え、神を讃え歌うと決めて、昨年の5月から毎日、キールタン を歌ったことです。場所に応じて、声を出したり、声は出さないで、心の中で歌ったりしています。

最初は、意識的に、心がおしゃべりをはじめたら歌うように癖をつけることからしました。でも、しばらくすると、意識的にしなくても気がついたら歌うようになっていました。最近では、仕事中でも、することがない時は、神の御名と神への想いが身体に流れて、嬉しくてニヤニヤしている自分に驚くことがあります。

日常の中で神を想う時間が増えると、アーサナや瞑想で心がおしゃべりをすることがなく、心の静けさの中で行うことが少しずつ増えてきました。また、アーサナや瞑想を行うことが神を想う時間を増やしてくれる、相乗効果があると感じています。

まだはじまったばかりの実践ですが、この1年、瞑想特別クラスを通してさらに、バクティ・ヨーガを深めていきたいです。

山口正美  *写真は、御聖誕祭でキールタンを奉納する山口さんです。山口さんは松山ヨーガ・サークルでキールタンの会をサブリーダーとして運営されています。


静かなヨーガの生活

ヨーガを続ける上で毎日の実践は不可欠なものです。
欠かさずアーサナをすることだけでなく、日々の過ごし方がヨーガかどうかが大事だなと思います。

共にヨーガを学ぶ仲間をグルバイ(霊的兄妹)といいます。彼等の中には共同で生活している人達も少なくなく、お家にお邪魔する機会もあるのですが、いつも感心するのは極めて無駄がない清らかな暮らしぶりです。
衣食住すべてに知足という教えが貫かれていて、掃除の行き届いたサッパリとした清潔感は住む人そのものを表しています。

彼等の日常は師の生活をそのままに倣って、ヨーガを中心に調えられています。常に沢山の訪問者が出入りし、いわゆるプライベートな時間があるのか?と心配してしまうほどですが、住人はいつも朗らかで明るい笑顔。そして謙虚です。

私もヨーガを始めて七年になりますが、改めて日々の生活が以前と随分変わったなぁと感じます。
グルバイの暮らしぶりに倣って、そして毎日のサーダナに従って、私自身の日常も気がつけばヨーガ中心の日々になっていました。

仕事をする、食事をする、掃除・洗濯をする。日常の暮らしも、作務として取り組めばまた楽し。
そして欠かさず行うクリヤヨーガ。そうすると二十四時間の配分は全てヨーガに沿って進んでいきます。テレビを見る時間も、遊びに行く時間も捻出しないと作れませんが、必要ではなくなりました。
聖典を読んだり、キールタンを聴きながら食後の二時間を過ごし、香を焚き、蝋燭の灯の中アーサナと瞑想をする。
日付が変わるころには、何ものにも変えがたい落ち着いた穏やかな心で眠りにつきます。

日常は、疲れる時、緊張する時、バタバタと落ち着かない時など様々ですが、一日の最後をこうやって静かな生活で過ごせる。強制されたり、指導されたらすぐに反発して投げ出してしまう私が、自ら手に入れた穏やかな習慣。
二十代の頃には想像すらしなかった暮らしを私は今求めています。
それはなんと幸福な毎日でしょう!

人それぞれ状況が違えど、工夫次第でヨーガの時間を増やす事は可能です。忙しい中でもそうなるように努力する事も、生活を調えるという事。これもヨーガの大事な実践だなと感じます。

チャイタニヤ


グルと聖音オーム

今年も残すところ、1日ですね。
皆様、今年はどのような1年でしたか?

2017年のブログ「ヨーガを生きる」は、ヨーガ・ヴィハーラでの瞑想会からスタートしました。
そして先日、今年最後の瞑想会が行なわれました。
そこで私はこの1年、師からいただいた「お言葉」に瞑想しました。

今年いただいた目標である「自己実現」から始まり、「徹底的に識別を行なうこと」、また「ゴーパーラ」という聖名をいただいたことなど、この1年の師のお言葉を振り返っていました。
それは瞑想というよりは、思い返すというような心を使った作業でした。
しかしながら、それを続けていると突然、心が止まりました。
そしてその瞬間、場面が一瞬にして切り替わったかのようにして、「オーム」の音が聞こえてきました。
ヨーガダンダさんが唱えているのかなと思い、目を開けました。
しかしそれは、ヨーガダンダさんが唱えていたのではなく、ヨーガダンダさんから鳴り響き、また暖房や壁、絨毯、すべてから鳴り響いていました。
その時私は、師のお言葉を思い返していたから、オームの音が聞こえてきたのだと直観しました。

「プラナヴァ、即ち聖音オームは、無上の存在(神)であり、始原のグルであるイーシュヴァラを表す。プラナヴァ・サーラはサットグル・シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサの教えの精髄(サーラ)――ヨーガの福音である」

改めてこの1年を振り返ると、毎週の直伝クラスをはじめ、4月の祝祭の開催、5月の松山特別サットサンガ、6月の京都特別サットサンガ、夏のニューヨークご訪問、また2度にわたる台湾ご訪問にと、師であるヨギさんが本当に動いてくださった1年でした。
特に直伝クラスでは、師の一押しでアーサナが深まり、師が近くを通るだけで集中が強められ、まさに師の一挙手一投足、すべてが導きでした。
また松山、京都、ニューヨークのサットサンガでは、どんな状況でも、どんな質問にも全く動じずに、誠実かつ泰然と答えられている師のお姿に、絶対の安心と信頼を感じずにはいられませんでした。
そして何より、そこには必ず「祝福」がもたらされていました。

先月のサットサンガで私は「自己実現の目標まで、あと1カ月しかありません」と言うと、師は次のように答えられました。

「まだ1カ月もある」

今年もまだ1日残っています。
目標達成、諦めません!!!


最後になりましたが、今年もブログ「ヨーガを生きる」をご拝読いただき、まことにありがとうございました。
新年からは、新体制で臨みたいと思っております。
皆様、来年もどうぞよろしくお願い致します😇🙏

 

ゴーパーラ


京都 ヨーガ・瞑想クラス 交流会

京都ヨーガ・瞑想クラスの合同交流会がありました!

プログラムの初めにはアーサナのデモンストレーションがありました。今回はどのクラスでも人気もののゴパーラと土曜日のクラスに通い、最近とても熱心にヨーガと向き合っているMさんがアーサナをしてくれました。気迫に満ちたとても素晴らしいアーサナで、私自身は息を飲むような集中感にとても感動しました。

参加した皆さんも、食い入るようにデモンストレーションを見ておられました。「2人のアーサナを見て、集中間というものはこういうものかと感じた」「自分たちが普段しているアーサナの完成形が分かった」「いいものを見せてもらった」といった感想をいただきました。

その後、さまらさの食事を食べながら、自己紹介を兼ねて、皆さんがヨーガを始めたきっかけや、ヨーガをしてから変わったことなどを話していただきました。

クラスに通うようになって2年になる方が数人おられましたが、皆それぞれに2年前と比べて明らかな変化を感じておられるようでした。

ある方は数年ぶりに会った友人に「人相が良くなった!」と言われたようです。確かに最近の彼女は表情が明るく(昔が暗かったわけではないですが)とても軽やかな印象があります。

毎日アーサナをしていると言われた方は体にしっかりとした軸ができたと言われていました。確かに、最近の彼女からは芯の通った強さを感じます。

またある方は、仕事場でうまくいかなかった同僚と真理を学び瞑想していく中で怒りや不満の感情なく普通に話ができるようになったと言われていました。きっと瞑想によって心が変化し、動揺しなくなっていったからでしょう。

皆さんが日常生活の中で変化を感じながらクラスに通ってくださっていることを知り、とても嬉しかったです。

一方でアーサナの実践にムラがあり、甘いものがやめられない…と話されている方もおられました。それはそこにいる誰もが多かれ少なかれ経験があること、それぞれの体験を話しながら、みんなで自然とアドバイスしあいました。

みなさんの話を聞いていて感じたことは、調子が良い時も、悪い時もあり、状況は色々変わるし、誰もがトントン拍子でうまくいっているわけではないということ。人と比べる必要はなく、それぞれに道があり、コツコツと実践していくことで必ず進歩しているのだということです。
同じヨーガをしている仲間とこのようように話し、励まし、刺激しあえる機会はとても貴重だと思いました。

最後に話をしてくれたSさんは、熱心にクラスに通う中、自分の内に歓びがあることを体感し、自分自身も人に歓びを与えられる存在になりたいと話してくれました。彼女の話している言葉や姿、発しているプラーナ(気)から歓びが溢れ出ているのを感じ、こちらまで歓びが伝わってきました。そんな彼女も、ヨーガをする前は仕事のストレスで体調が調わないことがあったようですが、今ではそのようなことはなくなったと話されました。

改めて、ヨーガって本当にすごい!!一人の人の人生を大きく変化させる、なんとすごい力でしょう!!!!是非またこのような機会が持てたらと思います。


ヨーガの秘訣・北海道編 神は私を待っておられる!

シュリー・マハーヨーギーの弟子には、遠方に住んでいて、容易に師に会えない方もいます。京都に住む弟子たちは、直伝クラスに通ったり、サットサンガなどで、よく師にお会いすることができますし、ブログでもご紹介させていただいているように、昨年からは台湾や松山、京都など各地で特別サットサンガも開催していますが、それでもなかなか会えない人はどのようにヨーガへの思いを高め、日々実践していけばいいのでしょう。

それについて、遠く北海道に住んでおられる三井さんが、ご自身の思いと日々の実践について投稿してくださいました。北海道から京都まで容易く来られませんから、三井さんはブログやパラマハンサに掲載される師のお言葉を何回も読まれているそうです。そして、年に一度ヨギさんに会いに来られた時の三井さんの、実に濃密な師との交流シーンが目に焼き付いている方も多いと思いますが、この記事を読むと、物理的な距離や回数ではないということが実証されているように感じます。


まだヨーガに出会っていない頃、よく見る夢がありました。
夢の中で私は、とっても大事なことをしていないことに気づき、これをちゃんと覚えておいて毎日やらなきゃ!と決意するのですが、目覚めた時には、その大事なことが何だったのか全く思い出せないのです。
私は何か、とても大事なことをしていない・・・・・。
そこで、今までよりも注意深く意識しながら生活してみることにしました。大事なことをしていないはずなのに、日々の生活は何の支障もなく過ぎていきました。そしてまた同じ夢を見るという繰り返し。

私は一体何をしていないのだろう?

ヨギさんの下に導かれ、ヨーガを学び、毎日アーサナと瞑想をするようにな ってから、あの夢を見ることはなくなりました。
毎日続けるに値する確かなものを得て、心はようやく安堵しました。私の魂は、ヨーガを渇望していたのだと思います。
ご飯を食べたり、お風呂に入ったり、歯を磨いたりするのと同じようにアーサナと瞑想も当たり前の習慣になり、何をしていても時間になれば2階の修行部屋へ向かいます。階段を上りながら思うことはただ一つ。

「神は私を待っておられる。もっともっと深い瞑想を捧げよう!」

どんなに離れていても、どんなに会えなくても、心から尊敬できる師と、同じ志を持つ仲間に巡り会えたことは大きな喜びです。
京都に伺い、ヨギさんにお会いした時に伝わってくる神聖なバイブレーションや、慈愛 に溢れた眼差しや、とろけるような笑顔や、ぬくもりのある声は、言葉や文章ではとても伝えられず、実際に味わってみなければ決してわからないことです。
そして、謙虚で穏やかで親切なお弟子さんたちに接すると、頭が下がる思いになります。ヨギさんの教えが深く浸透し、ヨギさんの存在が心にも身体にも染み渡っていると感じます。ヨギさんのお側にいるということは、こういうことかと思わずにはいられません。
ヨギさんのお側でグルバイと一緒にヨーガを学べたらどんなにいいだろうと思う時、頭に浮かぶのはパラマハンサ・ヨガナンダの『あるヨギの自叙伝』の中の一節です。

私はカラ・パトリに、彼の放浪生活について尋ねてみた。
「あなたは冬でも、ほかに着物を着ないのですか」
「着ません。これで充分です」
「あなたは本をお持ちですか」
「いいえ、ひとに物を尋ねられたときは、記憶の中から答えます」
「ほかにはどんなことをなさいますか」
「ガンジス河のほとりを散歩します」
この淡々たる答えを聞いたとき、私の心に、彼の素朴な生活に対するあこがれが強く湧いてきた。私は、アメリカと自分に負わされた重い責任の数々を思い起こした。『いけない!ヨガナンダ』私は一瞬さびしく自分に言いきかせた。『この生涯では、ガンジス河の散歩はお前には許されていないのだ』

この生涯では、ヨギさんのお側でグルバイと一緒にヨーガを学ぶことは私には許されていない・・・・・。
パラマハンサ・ヨガナンダの崇高な使命とは比較にならないとわかっていても、そんなことを考えて寂しくなる時、私を励まし力づけてくれるのは、機関誌『パラマハンサ』に掲載されているサーナンダさんの文章です。

インドの山奥で瞑想行に勤しむヨーギーたちも、社会において多忙な仕事に勤しむ世俗人も、等しく神の思し召しによってその境遇が与えられている。私たちを神の御下に導くための道筋がその境遇にある。
今ある状況は、カルマが要請したものであると同時に、カルマを果たすためにはなくてはならないものであると理解できる。
自分の前にやってくる状況は、すべて神が私たちに与えられる素晴らしい導きなのかもしれない。
肝要なことは、現状に不満を言わず、知足し、淡々とヨーガを実践していくことである。
私たちの真剣なヨーガの実践は必ず神に届き、神はそれを見て慈悲深くもヨーガの道を歩むに必要な熱意と力を与えて下さる。これは真実である。

振り返ってみれば私はずっと、本当のことだけが知りたいと願い、探し求め、これも違う、これも違う・・・と彷徨っていました。もう探し回らなくていいと思うと、深い安心感に包まれます。
お導きくださったヨギさんには、感謝の気持ちでいっぱいです。

サーナンダさんは、「私たちには、戻ることのない長い旅路の覚悟が必要です。」と書いておられます。途中下車することなく最終目的地だけを目指し、風景を楽しみながら長い旅を続けていこうと思っています。

三井


謹賀新年

皆様、明けましておめでとうございます🎍🌅
本年もどうぞよろしくお願い致します🙏
2017年最初のブログは、ヨーガ・ヴィハーラの瞑想会の様子をお届けします。
毎週月曜日、ヨーガ・ヴィハーラでは瞑想会が行なわれていますが、昨日の1月2日は月曜日ということで、お正月にもかかわず、ヨーガ・ヴィハーラの住人のヨーガダンダさんのご厚意で瞑想会を開催していただきました。

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私の今年の目標は「自己実現」ですので、私は真実の自己であるアートマンに瞑想しました。
参加者はヨーガダンダさんと私の2人でしたが、お正月ということもあって、普段よりも静かなプラーナが流れ、2時間の瞑想もいつもより早く感じられました。
このように、ヨーガの仲間と集える場所があることに深く感謝し、今年は自己実現という大いなる目標に向かって一日一日、ひいては一瞬一瞬をアートマンに留まれるように努力していきたい所存であります。
そしてその内面の充実が、ブログにも反映されたらと思っています😁
本年もブログ「ヨーガを生きる」をどうぞよろしくお願い致します🐓

飯尾洋平


ヨーガ・ヴィハーラの瞑想会 曜日と時間について

今年の夏は去年よりはマシかな〜なんて思っていたら……そんなことはないですね。毎日めっちゃ暑いです!

さて、ヨーガ・ヴィハーラの瞑想会の日程について、変更があるのでお伝えします。

月曜日:毎週 18:30〜20:30まで (開場18:15)

土曜日:奇数週(第1、3、5)19:00〜21:00まで (開場18:45)
第5土曜日の開催が追加されました。

・どちらも2時間の瞑想になりますが、座るために軽くアーサナをしてもらっても良いです。(アーサナをメインにするのはご遠慮ください)
・途中でシャヴァ・アーサナをしてもらっても大丈夫。自分のペースで瞑想していただけます。
・途中参加もできます。(瞑想していますので静かに2Fに上がってきてください)
・ドネーション制で行っているので、良ければ階段横にかけてあるオレンジの入れ物に入れてください(値段は決まっていません)

最後にスワミ・ブラフマーナンダの言葉をご紹介します。瞑想には興味があるけれど、2時間なんてとてもじゃないと思っておられる方もいると思いますが、地道な努力によって必ず良い経験をするようですよ。今日から参加できますので、良かったらぜひお越し下さい!!

「最初、瞑想の実践は無味乾燥に思われるものだ。苦い薬を飲むのに似ている。無理矢理にでも神の思いを心に注ぎ込まなければいけない。続けているうちにやがて、心が歓びでいっぱいになるのだ。試験をパスするためには、学生はどんなに苦しい試練を経なければならないことだろう。神を悟るのはそれよりもずっと容易なことなのだよ!静かな心で真剣に彼に呼びかけたまえ」

 

 


瞑想の感触

瞑想をしているとき、「あー懐かしいな〜」という気持ちが湧いてくることがあります。そうなると、身体と心はじわーっと溶けていき、何もない静かな中で心底ほっと安心する感覚があります。安心の中にすっぽりと包まれているとそれは時とともにじわじわと歓びに変わり、歓びが身体の奥底から湧き出てくるのです。

瞑想のあと、このようになる時はどうしていつも「あー懐かしいな〜」という所から始まるのかな?と思っていました。懐かしいと思うということは、過去にそれを感じたことがあるからだと思うのです。心底安心するあの感覚、いったいいつ感じたのでしょうか。大人になってからではないな〜と思い、子供の頃かな?と思い出してみても特に思い当たることはありません。いつも不思議だなと思っていました。

以前、そのことをヨギさんに尋ねたことがありました。

「そのような体験はあたかも身体の中から、中心から泉のようにやってくるものだと思います。そのほっとしたような懐かしさのような心地良さというものが感じたということは、それはもう取りも直さず自分自身の本当のふるさと――それはアートマンの存在そのものですよね。そこから万物が派生したから。本当の故郷をちょっと感じたということになる。だからまたそれを瞑想するときには、それを手がかりとしてもっていくのはかまわない。集中、瞑想は心の力を使ってやりますから、だからそれをもって行なうのはかまわない。でもそれにあまりこだわり過ぎないで、静かにそういう思いに沈潜していったときに忘れてしまったら、それは自動的にまた進んでいくことになりますから、それでいいです」

今でも瞑想に座るとき、その感触が身近に感じられる時はそれを頼りに瞑想することがあります。本当は、瞑想している時だけでなく、いつもいつもずっとあのようにいられたらな……と思ってしまいます。

夕立の後の鴨川、とても蒸し暑いけれど、川の近くは風が気持ちいい。

夕立の後の鴨川、とても蒸し暑いけれど、川の近くは風が気持ちいい。