東京!

サナータナさんとジャヤデーヴィーさんが東京に移住してそろそろ半月!!お二人には頻繁に会っていたのでちょっと寂しいですが「東京の拠点としてのお家はどんなのかな〜? 新しい暮らしは? 東京の仲間は? 東京の活動は?」などなど気になることがたくさん。みなさんも聞きたいのでは?!ということで直接聞いてみましょうか。

「ジャヤデーヴィーさーん!!教えてください!」

はーい。
引越早々ご近所の方に「外国の方ですか?」と聞かれたジャヤデーヴィーです。

桜が満開の季節に東京に引っ越して2週間が経ちました。これから近くの井の頭公園は新緑のころを迎えます。東京での新しいお家の名前は『牟尼草庵(むにそうあん)』グルバイの越川純子さんと鈴木さん、そしてサナータナさんと私の4人暮らしです。

『牟尼草庵』と聞くとなんだか修行者の庵、あばら屋を想像してしまいますが、緑に囲まれた多少メルヘンチックな出窓つきの白いお家です。1階には17.5帖の広~いリビングとキッチン、2階にはそれぞれ4部屋、そして3階にはこれまたありえないほど大きなグルニエ(屋根裏部屋)があります。毎日一家4人、この広すぎるリビングで小さな机を囲んで夕ご飯を食べたりしていますが、この環境と空間を活かしてヨーガのクラスや活動をしていけるようにただいま準備中です。

先週はミラバイの著書『真実を求めてーあるヨーギニーの手記』が出版されましたね。
ミラバイ、おめでとう!
ミラバイの本 東京

 牟尼草庵でも東京の仲間たちが集まり、ささやかな出版のお祝い会をしました。新しく生まれた本と一緒に牟尼草庵の誕生も祝福していただきとても嬉しかったです。

ミラバイの本を手にパチリ

ミラバイの本を手にパチリ

カレー&サモサをいただいた後は、集まった人たちが今の自分自身のことや、ヨーガの実践のこと、いろんな質問や話が飛び出し、自然な流れでサットサンガが始まりました。

ヨーガに邁進している友達が眩しくて、私はずっとその周りをぐるぐる回っているような気がする・・・とおっしゃっていたTさん。私もそんな時があったな~と思い出しました。
でもクラスに行ったり、セーヴァー・クティーラやヨーガ・ヴィハーラ(ヨーガの仲間同士が暮らしているお家)で、先輩の話を聞いたり、その姿を見ているうちに、私もこんな風に生きてみたいなと思うようになった気がします。もちろん、ヨギさんの存在とアーシュラマがあることは言うまでもないのですが、その一歩手前でそこに行けば仲間がいて『サンガ』がある、ということが大切なことに気づかせてくれる機会になったのかもしれません。牟尼草庵がそんな場所になっていけばいいなと思います。

来週からここで瞑想会を予定していて、その後クラスやいろんな講座なども開催していけたらと思っています。そしてゴールデンウィーク明けからは、新宿でヨーガ・瞑想クラスが始まります!
牟尼草庵を拠点としながら、外へも飛び出して行きますよ。また報告をお楽しみに。

今はカーテンがないので、東京のグルバイで制作したサハスラーラを吊るしてます。
東京 サハスラーラ旗

ジャヤデーヴィー

瞑想は誰でもできる!?

松山にて、4月11日に瞑想特別クラス第1回目「瞑想は誰でもできる!」がありました。
瞑想特別クラス

「瞑想は誰でもできるの!?」・・・瞑想をすると心が落ち着くとか、何となくいいイメージはあるものの、外から見ているとただじっと座っているだけだから、何をしているのかはなかなかわかりません。

私自身は中学生の頃、やり方も知らないまま見よう見まねで瞑想を始めたのですが、じっと座っていると心が何ともいえない静まった感じになり、ある時「定まる」という感触を味わって、それが心地よくて座る習慣がつきました。
我流ではなかなかそれ以上深まることもありませんでしたけれど、座っているだけでも心が落ち着いてくるという、坐法(アーサナ)の力を今になって思い起こしました。
そしてその頃、「かっこいいなあ」と思った一つの禅の境地を詠んだ歌に出会いました。

〝四条五条の橋の上、行き交う人をそのままに見て〟

人里離れた静かな環境でだけ心が静まるのでなく、人の往来の多い四条五条の橋の上でも、同じような心の静けさにあるという禅の境地を詠んだ歌だそうです。この歌がずっと印象にあり、京都に住むことになった時にも、ときおり四条大橋を通ると思い出していました。
今回の講座は、それをもっと発展させて、「いつでも、どこでも、誰でもが瞑想をできる!」というコンセプトにしました。チラシのイメージは、それを現代風に表わしたもので、仕事や家事の合間にも瞑想で心を静める習慣をもとうというコンセプトです。その静かな心は、本来の心のあり方だと思うので、それを習慣づけることはとても大切なことだと思います。

とまあ、そういう話をしながら、第1回目の講座は、
 ①瞑想するとどうなるのか?
 ②瞑想は何のためにするのか?
 ③どうやって瞑想するのか?
 ④実際に体験してみる
の内容で、集中の感触を味わうことを目標に、瞑想の基本を学んでいきました。
松山瞑想1

講座には50名近くの方が参加されましたが、瞑想の敷居が高いと思っていたけれど、今回のチラシを見て、まずは気楽に親しんでいけばいいんだと言っていただけたのが、とても嬉しかったです。
講座後のアンケートでは、次のような感想をいただきました。

  • 基本を知ることができてとてもよかった。
  • 瞑想が心を強くすることがよくわかった。
  • 心がざわめく理由がわかって目からうろこだった。
  • 初めての瞑想だったが、心地よかった。宙に浮くような感じで楽しかった。
  • 瞑想は敷居が高いと思い諦めていたけれど、勇気が出た。また座ってみようと思う。
  • さっそく、まず座ってみる、実践してみるということから始めていきたいと思う。
  • 実践が大事、毎日やることに意味があることを学んだ。
  • 内にある喜びを味わいたいと改めて思った。

二日目は、サットサンガを行ない、アーサナや信仰、瞑想、識別、理想など具体的な実修方法についての問答があり、2時間強、質問が途切れることがないくらい、皆さん本当に熱心にヨーガに取り組もうとされている様子が伺えました。

松山サットサンガ

また、新刊『真実を求めて』が出たところなので、参加された方にこの機会に紹介させていただきました〜 \(^o^)/
松山『真実を求めて』
たくさんの方が一日目に購入され、二日目に感想をくださいました。
とても好評で、「ミラバイさんの数々の面白いエピソードで語られる身近な葛藤と乗り越え方が参考になり、ヨーガをどのように実践していけばいいのか、確かなものをどう求めていけばいいのかがよくわかって、自分でも実践していけそうだ、励みになりました」という声が多く聞こえました。本当に読みやすくいい本だと皆さん口を揃えて言ってくださいました。
彼女はこの講座のチラシのモデルでもありますし、瞑想をしたくてヨーガを始めたので、瞑想を深めるにはもってこいの本だと思います。

今回の講座とサットサンガは3回シリーズですので、また5月、6月もあります。
4月はハートへの瞑想について学びましたが、5月は心の動揺の原因の取り除き方、6月は理想への瞑想について学ぶ予定です。
ご関心がある方はぜひお気軽にご参加ください。詳細はこちらまで

サーナンダ


花嫁修業の一日!?

今日は月に一回のさまらさの台所の日、長い雨も上がり、気候も春らしい一日でしたね。今日はブロッコリーのペンネ、スパニッシュオムレツ、大根とにんじんのサラダを紹介しました。身近かな食材を使ったメニューなので、家に帰って手軽にできるととても好評でした。

さまらさペンネ

実はこのメニュー30分で作ることが出来るんですよ!そのコツもお伝えしました。

大切なことは、作る手順から出来上がりを盛りつけるお皿まで、段取りを頭の中に入れてからスタートすること。もう一つは『集中!』です。食事作りは毎日のことなので、ついつい適当に始めてしまったり、何か考え事をしながら作ったり、なかなか調理だけに集中することは難しいときもあります。でもヨーガにとって『集中』はとても大切。アーサナも瞑想も集中力が必要です。ですので、毎日の食事作りの中でしっかり集中していく訓練をしていくと、いつの間にか集中力がつくと思うのです。「集中、集中……」と思っていても、心はふわふわ〜と違うことを考えてしまったり、ぼーっとしてしまったりします。そこで30分という目標を定めると、集中せざるを得なくなると思うのです。実は私、何年もこれをしていました。いつの間にか時間を定めることはなくなりましたが、そのときの習慣は身体に染み付いた気がします。
ただ時間にとらわれすぎて、行為が雑にならないようにしてくださいね〜。せっかく毎日することなので、楽しみながら出来たらいいなぁ〜と思います。

さまらさペンネ2

さてさて、さまらさが終わってからは「生け花教室」。お料理の後はお花!!まるで花嫁修業です。近所に住むヨーガの仲間で集まり、アーシュラマでいつもお花を生けてくださっているシャーンティマイーさんに講師に来ていただきました。

お花3

なんと12人も集まったのですが、一人一人の活け方は何とも個性豊か。それぞれの生け方を見て、シャーンティマイーさんがほんの少し手直ししてくださるのですが、その瞬間、突然お花がいきいきするのです。大切なことはお花の正面をしっかり見て、向き合うこと、そして今日二回目の登場!!「集中!」も大切だと教わりました。やっぱり料理もお花も、そしてあらゆる行為の秘訣には共通点があるんだな〜と感じる一日でした。

今日のSさんのできばえ!

今日のSさんのできばえ!

情熱的なバラを活けたYさんの作品

情熱的なバラを活けたYさんの作品

 

 サティヤー


発売開始!!

昨日、ついにミラバイさんが書いてくれた『真実を求めてーあるヨーギニの手記』が発売されました。夜には、発売を心待ちにしていたグルバイが集まり、出版をお祝いしました

ミラバイの本

ミラバイの本 祝賀会

やっぱり、著者から買いたい !!ということで、一人ずつ並んでお買い上げ。
初めて手に取ってみて、「何てきれいな本!!」と感動しました。
表紙の写真、本の中の写真もとても美しい!
本の大きさといい、字の大きさといい、とても読みやすい!
初心者の方に気軽に読んでいただけるようにと考えてくださったのだと思います。

実は私、昨日の昼頃から嬉しくて嬉しくて、なんだか歓びがあふれています!
一冊の本を作るということがどれだけ大変なことかは、想像すら出来ませんが、一人でコツコツと書き続け、一人で校正し!?何年もかけて書き上げてくれました。それは、1人でも多くの魂がヨーガに出会うことを望んでいるからだと思うのです。そこには、まだ見ぬ人や、既にヨーガはやっていてもまだ迷いの中にいる人、そういった多くの人への愛があると思いました。何より、その愛の源は師であるヨギさんだと思うと……何だかもう!!いても立ってもいられないぐらい嬉しくなるのです。

さー!!ぜひぜひお買い上げして、読んでくださいね。そしていろんな人にお勧めして下さい。
本の感想もお待ちしています!!

 


傑作『真実を求めて』発刊間近!

この度、4月8日お釈迦様のご生誕日に合わせ、MYMから新書籍ー
『真実を求めて あるヨーギニーの手記』を発刊することになりました。

『真実を求めて』カバー

皆さま、ぜひお求めくださいませ!

なぜなら、ここに現代人が、どのように生活の中でヨーガを実践し、歩んでいけばいいかの道筋が示されているからです。
ヨーガのヒントや秘訣が盛りだくさんです。

この書籍は、著者ミラバイが構想・執筆5年の歳月をかけ、苦難の日々を乗り越えて、師の恩寵をいただき出版の運びになりました。
いや〜本当に一冊の本を完成させ、出版するのは大変な道のりです。よくやり遂げたなあと感服しています!

一人でも多くの方がこの本に触れ、彼女の歩みを通してヨーガに関心を深め、ヨーガを歩むヒントや力になることを願います。

そして、この本には、ミラバイが学んできた師の主要な教えも見事に編纂されているのです。これは道を歩む上での何よりの力になると思います。
まさに近年見られない傑作だと思います!

彼女からメッセージをいただいています。

ついに本が出来上がりました!
長くて、でも振り返るとあっという間の道のりでしたが、今はなんだか自分の子供を送り出すような心境でいます。

この本はこれからヨーガを学ばれる方、また、ヨーガを始めて間もない方に読んでいただければと思って作りました。私自身、ヨーガを学び始めて10年ちょっとになりますが、当時はこの世界で生きる意味を見いだすことができず、苦悩の最中にいたことを記憶しています。しかし、そんな中、師の下で必死になってヨーガに取り組み、何度も失敗と成功を繰り返しながら、ヨーガを続けてきました。そうして今思うことは、この命の意味について、また私たち自身の存在がどういうものなのかについての答えが、このヨーガの中に明示されているということ。それを知り、体験していくことによって、私たちの心と人生は、真の歓びに向かって大きく転換していきます。

だから、ぜひより多くの方にヨーガを知っていってほしい! そしてそのために、私の体験談やこの本が、少しでもお役に立つことができればいいなぁと思っています。

ミラバイ拝

声をかけてくだされば、いつでも、どこへでも駆けつけ、ヨーガの話をしたり、キールタンをすると言っていますので、どうか遠慮なく、声をかけてください。 \(^o^)/
頑張れ!ミーラー・バーイー!

ということで、ご自身のはもちろん、ご家族、ご友人の分も!春満開のようにヨーガを広げていきましょう!
4月10日19時からアーシュラマで発売開始です!郵送も受付けます。詳しくはWebサイトで。

サーナンダ


ブロッコリーのペンネの思い出

4月のさまらさの台所で紹介するブロッコリーのペンネ、12日に向けて試作を重ねています。
このメニュー、実はとても思い入れ?思い出があります。各月で発刊しているパラマハンサにはさまらさのコーナーがありますが、初めて私がそのコーナーを担当した時のメニューがブロッコリーのペンネでした。そのころは紙面作りのためにメインの担当者+先輩と二人で組み、旬の食材を使ったレシピを考えていました。どのようにしてブロッコリーのペンネに決まったのかは記憶にないのですが、まずは試作してみようという流れから買い物を私が担当したことを覚えています。
ブロッコリーのペンネと言えば……。私が食べたこと、見たことがあるものは、ブロッコリーをゆがいたものにアンチョビを加えたり、ナッツ類をミキサーにかけたり、生クリームを加えたり、他の野菜を加えたり……さまらさではどうするかは分からないけれど、自分の想定している範囲でとりあえず足りなかったらいけないからといろいろ買った記憶があります。

試作の日、結局使ったのは、ブロッコリー、オリーブオイル、塩、鷹の爪、以上!!

私「これだけしか使わないんですか?けっこういろんなレシピを見ているとナッツとか生クリームとか入っていますよ」

先輩「入れなくても美味しいんじゃない?」

私「ミキサーも用意しましたけど」

先輩「ミキサー使わなくてもできるよ」

私「……」

私の想定していたものとまったく違うものが出来上がりましたが一口食べてビックリ!!めちゃくちゃ美味しかったんです。作り方といい、味といい、人って想定していることが裏切られるとこんなにもビックリするものなのですね。とにかくビックリしている間に試作は終了し、先輩達は帰っていかれました。でもこの経験が、いろんな意味で本当に学びになったのです。

まず、執らわれがないということ、そして余計なものを足さない、あるがままの良さをいかすという姿勢。それは料理を通り越し、生き方の「姿勢」を学んだと思います。

「こういうことが観念の破壊っていうんじゃないの!!」(無意識にでも執らわれている観念に縛られていると不自由なので、それを破壊していくこと)

観念ってこういうちょっとしたことにもあるんやなぁと初めて「観念」というものを感じた瞬間でした。その経験から、さまらさってめっちゃ面白い!!と思うようになり、私にとってとても良いヨーガの実践の場に変わっていきました。

そんなことを思い出しながらの試作でした。12日の台所ではその時の驚きが伝わればいいなぁと思っています。

サティヤー


新年度スタート!

今日は4月1日で、新年度のスタートです!
桜ももう満開ですね〜!
桜2

お久しぶりです、サーナンダです。
ユクティーが前回「出会いとお別れ」を書いてくれましたが、新年度の始まりはまさに「出会いとお別れ」の季節ですね。
MYM(マハーヨーギー・ヨーガ・ミッション)でも、京都から東京にサナータナとジャヤデーヴィーが移住し、ちょっとばかしのお別れがありました。といっても、またシッダ・マールガですぐに会えるのですが、少し寂しさもありますね〜。もちろん東京のヨーガの仲間にとっては、新しい活動が始まりますし、新しい出会いもたくさん始まることでしょうね!楽しみです。お互い、頑張りましょう!   \(^o^)/

さて、今日のお話はユクティーです。
毎度このブログにもたくさんの記事をアップしてくれているユクティーですが、MYM機関誌『パラマハンサ』にもマザー・テレサや聖テレーズの連載記事をずっと執筆してくれました。神の愛とは何か!を彼女自身の実践を通して絶え間なく探求し続けた姿に、本当に勇気と喜びをいただきました!マザー・テレサの魂に間近まで迫ることなど、ユクティーを通してでなければなかっただろうなあと思います。ありがとうございました〜!まだ読まれていない方は是非この機会に読んでみてください。
私はパラマハンサ編集部で彼女の記事を担当してきたので、2年半の間彼女の取り組みをちょっと近くで見てきたのです。それで、先月発行された108号の3月号で最終回となり、そういう意味では彼女の記事ともしばしのお別れなので、少し気付いたことを述べたいと思います。

今から16年ほど前の1999年、ユクティーは師であるヨギさんに「なぜ最も貧しい人は神なのですか?」とマザー・テレサの言葉から質問しています。その時彼女はヨギさんに教えを授かっているのですが、ユクティーの今回の連載のすべてが、そのときの自らの質問への答え、すなわち、ヨギさんの教えの実践と体現になっているということに気づきました。
「一念岩をも通す」という諺(ことわざ)がありますが、彼女の記事はとても力強く、実践的で、生き生きとしていますけれど、それは長年のたゆまない理想の探求と実践によって成し遂げられたものなんだなあと、改めて感じ入りました。
16年という歳月をかけて、彼女は師の教えを探求し、具現し、そしてその教えに生きる道を歩んできたのですね!
そして師は、懸命に生きる彼女を変わらず導き続けてこられたのだと思い、師の存在の有り難さとヨーガの道の厳しさとおおらかさ、そして豊かさと確かさを感じたのでした。
このことが私にとってはとっても印象的な出来事でした。

新年度、また一息ついたら、連載書いてね〜ユクティー \(^o^)/

yukti
編集ミーティングが終わってホッと一息?のユクティーと

サーナンダ


出会いとお別れ

卒業・入学シーズンです。南相馬のこの地域では、小学校を最後にすべての卒業式は終わったようです。私の職場にも、辞めていく人、入ってくる人がいます。辞めていく人の方が圧倒的に多いんですけどね。嬉しいことに、今日新しい看護師さんがうちの病棟に来られました。私は夜勤明けだったので、軽く挨拶程度しかできませんでしたが、ずっと別の仕事をされていたそうで、看護師復帰は7年ぶりだとか。また来月からは、以前私が教育担当していた看護師くんが異動でうちの病棟に戻ってきます。これからまた一緒に成長したいです。

そして去って行く人。私がこの病院に面接に来て、初めて話をした人。面接の時は看護部長でしたが、翌年私が入職した時は部長の座を他の人に譲り、全体の運営や教育に関わっておられました。定年後も人不足のため引き続いて働いておられましたが、キリがないと今月で辞めることを決意されたようでした。実は、この地域には同じくらいの規模の病院がもう一つあり、3年前に面接でここに来た時電車から見えるその病院の雰囲気がとても明るくて爽やかで、逆に私の就職した病院はなんだか薄暗くて「病院の選択を誤った!!」と一瞬後悔したことを思い出します。でも、その後看護部長に会った時、原発の危険や遠くに移り住むこと、独特の地域性など私の中にあった全ての不安が消えていったんですね。穏やかでもの静かな、母親のような優しさがにじみ出てる人。この人の前にいると、自分の心の狭さが浮き彫りになり、恥ずかしくなってしまう。この人の下でなら働ける、あの時そう思わせてくださった人ですから、やっぱりそういう特別な思いがある人との別れは本当に悲しいものなのです。

先日「退職されるんですね」と声をかけると、「そうなの…」と言って、しばらく私を見ておられましたが、「一番大変な時に来てくれて…。先に辞めてごめんね」と申し訳なさそうな顔をして言われました。先に辞めてごめんね???私は最初その言葉の意味がよく分からなかった。どうして「ごめんね」なんだろうと頭の中をぐるぐるとその言葉を巡らせていました。でも、後からじわじわとその人の思いやりが感じられて、別れの寂しさがこみ上げてきました。

あの原発事故の後もここに残った人は、一人、また一人と去って行くのをこんな風に見送っていたんだろうなと思いました。事故があってもここに残った人と、それが原因で去って行った人がいる。それぞれの状況があって、それぞれが選んだ道がある。一部では残った人と去って行った人の間の確執が根強く残り、それが帰って来ることの妨げになっているとも伝えられています。私には実際のところは分からないけれど、ここは都会と違って地域住民同士の間に家族のような密接な関わり合いがある。いつの日か、そんな関係性がまた戻ってくればいいなと思います。

夏には病院のある部署が閉鎖されます。これからさらに大きな変革期を迎えます。私もこの先はどうなるか分からない。年度末のこの時期になると、私がここからそろそろ去って行くんじゃないかと、皆が入れ代わり立ち代わり、それとなく偵察してくるのが分かります。これ、結構可笑しい。ここに来て二年経った今も、関西弁しか話せない私を「すっかり原町(この地域の名前)の子になったね」と言って受け入れてくれる寛大な人たちに囲まれながら、今年も色々な役割を与えていただいて、悔いのないように、しっかりその役割を果たしていきたいと思っています。

少し車で走ったところにある癒しの森。近づくともっと眺めがいいんです。

少し車で走ったところにある癒しの森。近づくともっと眺めがいいんです。

ユクティー


ヨーガの実践 「ヨーガ・アーサナ」

皆さん、こんにちは ダルミニーです。
今日、ご紹介するのは「ヴリクシャ・アーサナ」立木のポーズです。簡単なポーズなのですが、ものすごく集中力がいります。何に集中するのか、真っ直ぐに立ち続けるということ、それだけなのですが、結構難しいですよね。

立木のポーズ
大切な要領は二つあります。それは軸足の親指に重心を置き、視線を前方の一点に固定させるということです。この要領と集中によって、手足を移動する際にも真っ直ぐに立ち続けることができます。やってみてください。

視線はどのアーサナにおいても、とても重要です。船でいうところの舵と同じ働きがあって、身体を曲げたり、反ったり、伸ばしたりしますが、その身体を一定の方向に進ませ、深める役割を果たします。

日常の中でも視線は大切ですよね。私たちは視線の先に何を見ているのでしょうか。自分に正直に真っ直ぐ前を向いて、目標を定めてしっかりと生きていきたいものです。

ヨーガは、私たちが何のために生きているのか、そのことを教えてくれます。アーサナも日常も、真剣に、悔いのないよう、やりきりたいものですね。

またクラスでお会いしましょう。

 ダルミニー


次の瞬間に死んでもいいという生き方3

昨日の夜勤で、ある患者さんの家族に伝えました。「主治医も言った通り状態はとても悪く、意識がなくなってきています。今日、もしかしたら夜中にということもあります。何かあれば連絡します」。バッドニュースって、とかく遠回しに伝えがちですが、あまり伝え方に神経質になるときちんと伝わらず、死が近いことを家族が実感しにくくなってしまう。でも、うちの病棟の患者さん家族は、頻繁に足を運ばれる方も結構おられ、本人の様子から気づかれることも多いのです。今日はいつもと違うと。

本人はというと、ほとんど話すこともできないその人は、スタッフが近づくとものすごい苦痛の表情を浮かべていましたが、意識レベルの低下に伴い、それも見られなくなっていきました。一般の病院で入院している人は、とても忙しい。やれ痰の吸引だ、オムツ交換だ、床ずれの処置だ、点滴の針の差し替えだ、とスタッフが代わる代わるやってきてはそれぞれの業務をこなしていきます。その処置の多くが苦痛を伴います。患者さんはただじっと耐えるだけです。ほとんど処置のない人は別ですが、私が患者さんの表情で最もよく思い浮かべるのは苦痛に満ちた表情です。何もできない自分に対する情けなさ、さまざまな苦痛に耐え続けなければならないやり切れなさ、死ぬ事もできない苦悩が、その表情から感じられます。

理想的な死を迎えることは、どう生きるかということと深く関係しているといわれます。つまり、どう生きたかで満足感に包まれて死ねるかどうかが決まるということです。多くの研究で、その生き方に共通する結果が残されています。その一つは他者のために生きるということです。最期をそのように生き抜くことが出来た時、たとえ死が迫りくる中でも、人は生きがいを持てるといいます。では、上に書いたような患者さんはどうしたらいいのか。その人が生き続けること自体、存在そのものが家族のためになるという考えもあります。確かにそうだと思いますが、本人の苦痛を考えれば、特に入院が長期にわたると残酷な気もします。

聖書やコーランなど、多くの宗教書は死後の生命について述べられ、世界各地の埋葬礼儀も、来生を前提として行われるものがたくさんあると聞きます。死んだ後も自分の霊魂は生き続けると信じることは、その人に希望を与え死への不安が軽減されることに繋がるといわれる。でも、そこで論じられているのは、それを信じるかどうかという問題です。なぜなら、それを証明できる人がいないからです。誰も永遠の生命があるかどうかを知らないからです。たとえそれが真実ではなかったとしても、それを信じることによって希望を持ったまま死んでいけるなら、その人に不利益はないわけです。だから、信じるということに懸けるのです。

私たちのヨーガの先生は、それは真実であり、生きながらにして実現できるのだと言われます。本当の自分は滅びゆく体ではなく、移ろいやすい心でもなく、心の奥にある永遠の存在である、そのことを自分で証明することこそ、私たちが生まれた本当の目的であると。そしてヨーガはそれを実現するための方法を教えてくれます。

もし死に近づいている人が、真実を知る人に出会い、残された時間をその実現に向けてひたすら努力することができるなら、その人の最期はどうなるでしょう。もし達成されないままに命が尽きたとしても、たとえ誰にも看取られずにたった一人で死んでいったとしても、他のどんな生き方を選ぶより満足して死んでいくに違いない。もう、満足かどうかなど問題ではなくなるかもしれない。そして死ぬ間際にこう願うはずです。必ず、また次の生も出会えますようにと。

どんなに苦しい時も真実をひたすら求め、心は晴れ渡る青空のようでいたいと思います

どんなに苦しい時も真実をひたすら求め、心は晴れ渡る青空のようでいたいと思います

 そしてさらにつづく