思い一つですべてが変わる!

2019年が始まりましたが、どのような一年になるのでしょうか?皆さんの今年の抱負はいかがですか。熱い思いが力強い行動を生み出し、未来を作っていきますから、素晴らしい一年となる思いを抱きたいですね!
さて、マハーヨーギー・ミッションのヨーガ・瞑想クラスも今日から始まりますが、今回、師の直伝クラスや京都のクラスに熱心に参加しながら、ヨーガに励んでいる桜井さんが、クラスを通した気づきと実践、そして決意について寄稿してくださいましたので、ご紹介したいと思います。


ミッションのクラスを受講し始めて2年が経った昨年の3月、アーサナや瞑想の実践を深めていきたいという思いとは逆に、私はそれまでの職場から勤務時間が大幅に増える職場に異動が決まりました。
悩んでいた私にクラスで指導してくださっているシャーンティマイーさんが「思い一つ、社会で求められていることには応えていかなければいけない。」という言葉をかけてくださり、アーサナや瞑想は手段であり目的ではなく、仕事をする時間が前より増えてもヨーガを深めていくことはできること、また、社会で求められている役割を果たしていくことも大切だということを教えていただきました。前向きに今ある状況でやっていくしかないという気持ちに変わっていきました。

新しい人間関係、新しいルール・・・その中でも、
日々淡々とできる限りアーサナや瞑想をする
職場では、頼まれたことやしなければいけないことは余計な感情なしに、すぐに動く
結果には執らわれず終わったことは捨てていく
ふとした瞬間に自分の中の神に意識を向ける

そんなことを心がけながら、土曜日は変わらずシャーンティマイーさんのクラスに参加していました。
それから2カ月が経った6月のクラスで、以前はアーサナをしていても身体という一つの器で呼吸とアーサナの形を作っていくことは別々のものとしか感じられませんでしたが、呼吸とアーサナの形を作っていくことが身体の中で重なったという感覚があり、マットに寝られないくらい身体中が燃えるように熱くなることがありました。この時に、やっとシャーンティマイーさんが繰り返しクラスで言われていた「アーサナはプラーナによって作られる。」ということが、ありありと実感できました。
その時からそれまで以上にプラーナを身体の中で意識できるようになり、少しずつ集中感も増してきたと感じられるようになりました。

これからも、師のお導きの下、シャーンティマイーさんから言われた「アーサナは基本に始まり基本に終わる。丁寧に呼吸を見つめて今の中に生きていく。」という言葉、きっとこの先何十年アーサナをしていっても「吐く息をできるだけ長く丁寧にし吐ききること、それとともに一つ一つの段階を追って完成ポーズにもっていくこと」は変わることなく大切で、それが日常生活では今という瞬間に生きていくことに繋がるんだなと思っています。しっかり心がけこれからも精進していきたいです!

桜井みき


新年のご挨拶

皆さま、明けましておめでとうございます🌅🎍
今日から仕事始めの方も多いかと思いますが、お正月の三が日はいかがお過ごしでしたか?
私は実家の愛媛に帰省して家族や親戚と団らんのひと時を過ごしましたが、空いた時間はヴィヴェーカーナンダの『わが師』を再読していました。


この聖典は、ヴィヴェーカーナンダが師シュリー・ラーマクリシュナについて紹介した講演『わが師』をはじめ、アメリカやイギリス、インドで行なわれたヴィヴェーカーナンダの講演が収録されています。
久しぶりに触れるヴィヴェーカーナンダの力強い言葉に、新年から私の心は痺れました!

さて、皆さんの今年の目標は何でしょうか?
私の今年の目標は「徹底識別」です!

「放棄なしに何一つ成し遂げられることはできない。もしあなたが他者を助けようと思うなら、あなたの小さな自己はなくならなければならない。ヴァイラーギャ(離欲)を持て。立て、目覚めよ、そしてゴールに達するまで止まるな!」——スワミー・ヴィヴェーカーナンダ——

2019年、目標に向かって突き進んでいきたいですね!
本年もブログ「ヨーガを生きる」をどうぞよろしくお願い致します。

ゴーパーラ


イベント報告 & 2018年振り返り

一昨日の12月29日、左京区のZAC BARANにて、アーサナ・瞑想のデモンストレーションを行ないました。
今回の演目のテーマは、ヨーギーの起源であるシヴァ神でした❗️


シヴァ神のルーツは、インド土着のルドラという暴風雨の神だと言われております。
演目は『The Eternal Quest—永遠の探求—』の前半部をベースに、イントロでシヴァ神を想起させる雷雲の音を鳴らし、宇宙万物を司る主であり、またヨーギーの第一人者であるシヴァ神に、アーサナと瞑想のデモンストレーションを通して近づこうと試みました。
ただ私、うっかりして写真撮影を依頼しておらず、その時の様子は写真でお伝えできませんが😓、友人からは「宇宙を感じた!アーサナ、音響、着ていたTシャツ(カーリー・ヤントラ)、すべてがマッチしていた」という嬉しい感想をいただきました。
年末の寒波の中、グルバイやクラス参加者の方々もお越しくださって、とっても嬉しかったです!
本当にありがとうございました😊🙏

それで皆さん、2018年はどんな年だったでしょうか?
私はこの1年を改めて振り返ってみると、主ブッダがその中心にあったと思いました。
今年は、ブッダがテーマであった4月の祝祭をはじめ、師は折に触れてブッダについてたくさんのことを教えてくださいました。
その中でも特に印象に残っていることは、5月の松山特別サットサンガ後の夜でした。
その時に師は、「ブッダはこの世でいちばん偉大な人物」と言われ、私は「なぜそう言えるのでしょうか?」と尋ねると、次のようにおっしゃられました。

「ブッダは聖典の権威に影響されていないから」

私は「それが偉大な理由?」とクエスチョンマークが浮かびましたが、少し考えた後、師がいちばん好きだというシュリー・ラーマクリシュナの次の言葉が思い出されました。

「私はヴェーダも六派哲学も超えている」

そしてその瞬間、師が教えてくださっている次のブッダの言葉とつながったのでした。

「たとえ古い聖典が出てきても、それを鵜呑みにする必要はない。自らで確かめ、実践せよ」

インドの地においてヴェーダをはじめとする聖典は生活やその精神性の支柱であり、最高の権威に位置するもので、「それを超えている」「鵜呑みにする必要はない」とは簡単に言えることではありません。
しかしながら聖典は、人間を悟りという偉大な完成に導く言葉であり、その言葉の意味する内実をどれだけ感じ、肉迫することができるのか、つまり「実践」と「体得」がもっとも大切なことだと私は改めて気付かされ、そして何より、師がブッダやシュリー・ラーマクリシュナが発した言葉の内実を知っていると感じ、驚愕させられたのでした。

聖典の言葉は深遠で、どんな言葉でも奥深い意味や、また修行者を悟りへと導く力が隠されていると感じます。
一昨日の演目で、アーサナを終えて瞑想に座り、『The Eternal Quest』で朗唱されたウパニシャッドの詩を流した際、期せずして次の言葉が私の胸に響いてきました。

「身体の動きを止め、呼吸を制御せよ。御者が馬を操るように、心を制御して、全身全霊で神を瞑想せよ!」

今年も残すところ1日ですが、来年と言わず今日も真剣にヨーガを実践し、もっと、もっと、もっと聖典や師の言葉の息吹を感じたいですね!!!

最後になりましたが今年も1年間、ブログ「ヨーガを生きる」を読んでくださった皆様、まことにありがとうございました‼️
来年はより精進をし、良い形でブログに反映できればと思います。
そして、いつも真理を教え、導いてくださっている師シュリー・マハーヨーギーに感謝致します。
皆様、来年もブログ「ヨーガを生きる」をどうぞよろしくお願い致します😇🙏

ゴーパーラ


神への態度 バクティ・サンがム キールタン

先日の日曜日は今年最後のバクティ・サンガムでした。10月から3ヶ月間歌い込んできたキールタン、「ゴーヴィンダ・ハレ・ゴパーラ」をみんなで歌いました。ゴーヴィンダもゴパーラもクリシュナ神の幼少期のお名前。このキールタンでは、その御名を、何度も何度も繰り返します。愛らしい幼子ゴパーラが、森の中で無邪気に遊び戯れている様子を見て、母親は愛おしい我が子の名前を叫ばずにはいられなくなる。そんな印象がこのキールタンにはあります。

バクティ・ヨーガの中では、バクタ(神を愛するもの)の神への態度が5つ教えられていますが、その5つの中には、ヴァーツァリアという、神を子供と見立て、母親のように愛するという態度があります。まさにこのキールタンは、ヴァーツァリアの態度がぴったりだと思いました。ちなみに、他の態度には、神を平安な気持ちで愛するシャーンタ、召使いの態度のダースィヤー、親友の態度のサキヤ、そして愛人の態度、マドゥーラがあります。

私は、このバクタの態度の話を聞くたび、自分は一体どの態度なのだろうか…という疑問が生まれます。以前そのことをヨギさんにお尋ねしたとき、「それぞれの人の素直な態度というか、ふさわしい態度というのが自ずと生まれてくる」と教えてもらったことがあります。

「ふさわしい態度が自ずと生まれる」

では、生まれるまでは何をしたらいいのでしょうか。そんなことを考えていたとき『ラーマクリシュナの福音』の中である物語を見つけました。

ある娘が幼いときに夫を失って寡婦となった。彼女は自分の夫に会ったことがなかった。他の少女たちの夫を見て、ある日父親に「私の夫はどこにいるのですか?」と尋ねた。父親は「ゴーヴィンダがお前の夫だ、もしお前が呼べば、彼は来るだろう」と答えた。これを聞いて少女は自室に入り、扉をしめてゴーヴィンダに向かって「おお!ゴーヴィンダ、私のところに来てください、なぜ来てくださらないのですか!」と叫んだ。神は少女の哀れな叫びに抵抗することができず、彼女の前に現れた。人は子供のような信仰と子供が母親を見たいと感じるときの強烈な憧れとを持たなければならない。その憧れは、暁の東の空の紅のようなものだ。空が紅くなれば、必ず太陽が昇る。その憧れの直後に人は神を見る

このお話を読み、「ふさわしい態度が自ずと生まれる」までは、この少女のように、ただ純粋に神を求め続けることだと思いました。神への態度が先にあるのではなく、まずは素直さと熱心さが何よりも大切なのだと思います。

12月でいったん歌い納めした「ゴーヴィンダ・ハレ・ゴパーラ」ですが、1月のバクティ・サンガムでは2018年の振り返りをするので、もう一度歌います!ぜひ、ゴーヴィンダ!!ゴパーラ!!!と叫びにきてください。


ヨーガアーサナ・瞑想 デモンストレーションのイベント案内

イベント告知です📢
12月29日(土)19時〜ヨーガアーサナ・瞑想のデモンストレーションを、私一人ですがさせていただきます‼️
場所は、3年前にも出演させていただいた「ZAC BARAN」という京都の老舗ライヴハウスです。

3年前のZAC BARANでのデモンストレーション。

今回の出演にあたって新たなチャレンジを試みており、それは「音響」です!
今まではシタールやタブラの生演奏とともにアーサナ・瞑想のデモンストレーションを行なってきましたが、今回、師の助言をいただき、『The Eternal Quest—永遠の探求—』前半部の詩の朗唱とシタール音をピックアップして編集録音し、それを流しての演出となります。
また、イントロでは「雷雲」の音を流します。
なぜ雷雲なのか?👀☁︎⚡️
ちゃんと意味とコンセプトがあります〜!

年末でお忙しいと思いますが、もしご興味ある方は、ぜひおこしください😃
音の編集録音をしてくださっている丹波在住の兄弟子クリパールさんも当日、音響入りします🎧

ゴーパーラ


12/29 sat   start 19:00 (open 18:00 )
@ZAC BARAN (京都市左京区聖護院山王町18 メタボ岡崎B1)
charge ¥1,000

ミッチー(ピアノ)
POP山モアレcity(バンド)
山本無二(ギター弾き語り)+ナカガワ ユウジ(インド楽器サーランギー)
ゴーパーラ(ヨーガアーサナ・瞑想)


善と悪を超える

ある時のこと、どうしても解り合えない人がいました。その人から物理的に離れたいと思い、師であるヨギさんにご相談すると、仏みたいな人なんてこの世に滅多にいないんだから、と諭されました。

ヨギさんからそう言われて、改めて考えてみれば、善と悪は人それぞれの経験や価値観によって変わってくるような、とてもあやふやなものです。自分の心を見てみると、小さな経験の範囲でその人を評価し、解り合えない、相手が悪いと決めつけていたことに気が付きました。そして、そのことに集中していると、自分のこだわりがパンッと弾けて消え、とても清々しい気分になって、これで完全に物差しが消えたと思いました。

でもまた最近、同じ思いが湧いてきたのです。解り合えないと思っていたその人が、自分に対して苛ついて怒っているように感じて、やっぱりこの人と付き合っていくのは無理なんじゃないかと思いました。

この世界は自分の心のフィルターを通して見ている世界であることは、ずっと教えてもらっているし、すべては神であることを恩寵によって少しは垣間見せて頂いてもきました。だから自分の意思で居場所を変えることは神のご意志に反すると思って今までやってきたのですが、今回のことは、別の環境に身を移してもいいというメッセージなのではないかと考えました。

それからは環境を変えることを思案し続け、神のメッセージ通りに動いているつもりでいたのですが、苦しみは一向に消えません。何か間違っている気がして、落ち着かない日が続きました。あまりにもしんどいので、この問題はひとまず置いて、絶えず神を思うようにしていきました。

すると、私に怒っていたその人が嘘みたいにニコニコするようになりました。あまりの変化に諸行無常を思うとともに、神のメッセージだと思っていたことは、自分の問題から目を背けて都合の良いように解釈していたのだということに気が付きました。

自分の物差しで相変わらず人を評価する習慣がまだある、だから心が動揺する。原因は自分の中にあり、それに心が反応しているだけなのだと、やっと冷静になれました。

自分のもつ原因がなくなれば、どこにいようと誰といようと円満で楽しい時間が過ごせるはず。もういい加減、こんな茶番劇は終わりにしたいです。神への思いをもっと強くして、今ある環境の中で、これからもやっていこうと思います。

amara


屈託のない心、空っぽになる! サットサンガより

12月8日、今年最後の定例サットサンガが行なわれ、師の下に各地から大勢の弟子たちが集いました。 

この日も問答の中では、日々心に留めて実行していくべき大切な教えをたくさんいただきました。

識別力を高め、徹底して執着の原因を明らかにしていくこと。
愛に言葉は不要、やさしさや奉仕という実際の行為にしていくこと。
聖者の思い、完成まで至った情熱を感じ取り、それに倣っていくこと、等。

師の息遣いとともに入ってくる力強く、潔い真理の言葉にインスパイアされ、幾度となく心が揺さぶられました。

そして今回のサットサンガでは、幸運なことに、師の幼少の頃のさまざまなエピソードをお聞きすることができました。師がとっても軽快に、絶妙なユーモアを織り交ぜて話されるのに、私たちは時には大笑いしながら、目を輝かせて聞き入っていました。

印象的だったのは小学生の頃のこと。
8歳の時、師は突如、真我に目覚めるという体験をされましたが、その時は周りの友人も皆同じような経験をしていると思い、誰に話すこともなく、毎日、無邪気に遊ぶことに夢中になり、とっても快適に過ごされていたそうです。

また、その時分は毎晩のように神秘的な体験が起こり、それが後になって、すべては『ヨーガ・スートラ』に説かれている、シッディ(神通力)であったと理解されたそうです(驚くべき話です!)。
師曰く、その体験は映画以上におもしろかったということですが、もちろん師はそのような経験に対して期待を抱いたり、とらわれることは一切なかったそうです。

霊的な体験を得るために、心の状態をどのようにすればよいのかという問いに、師は次のように答えられました。

「小学生の時に心はすごく晴れやかで、軽やかで、何の屈託もない、何の波風もない状態だということを自覚していた。つまり自分の心を知っていたわけです。

心に何の思いもない、記憶も邪魔にならいほど空っぽの状態をつくりなさい。そのような状態が保てたら、体験はすぐに起こると思う。それが条件です」

お話をお聞きした時、自由無碍で、凛とした可愛らしい少年の姿が思い浮かんだのと同時に、今目の前におられる師は、大人の姿形をされているけれど、本当に少年の頃と何ら変わりないのだと思いました。
そして、一点の曇りもない、師の澄み切った心が、私の中にも広がっていくような感覚が一瞬、訪れました。

心の余計な思いは何もかも一掃しよう! そこに真実の実現への道が開かれる!
あぁ、師のようにいつも清々しい、空っぽな心でありたい、と強く思ったサットサンガでした。

マードゥリー


ラーマクリシュナがうたわれたキールタン 至福のお酒

さて、年末のシーズンになり、忘年会などお酒を飲む機会が増えてくる時期ですね。そこで今回は「ラーマクリシュナの福音」に出てくる詩のなかで、お酒にまつわるものをご紹介します。

私は並の酒は飲まない
永遠の至福の酒を飲む
母カーリーの御名を繰り返しながら。
それは私の心を深く酔わせるので
人々は私が酔っ払ったと思う。
まずグルがその酒をつくるための糖蜜をくださる。
わが渇仰の心は、それ酒を変容させる酵母。
知識という作り手が、私のために酒を醸す。
酒ができたとき、私の心はそれを
マントラというびんから飲む。
それを浄めるために母の御名をとなえながら。
この酒を飲め、とラームプラサードは言う、
そうすれば人生の四つの果実はお前のもの

私はお酒を飲むことが割と好きなので、これまでの人生でそれなりにお酒を飲んできたと思いますが、この詩に出会ったとき、私が飲みたかったのは、この「永遠の至福の酒」だ!!!とはっきりと分かりました。そして、私はもう並の酒は飲みたくない!と思ったのでした。

ではその永遠の至福の酒はどうしたら飲めるのか!?それをつくる方法が詩の中に書かれています。まず、グルがその酒をつくるための原料となる糖蜜をくださるのです。糖蜜とはサトウキビの絞りかすで、お酒の原料になるもの、日本酒ならお米のことです。まずはグルの恩寵が必要なのですね。そして、お酒作りに酵母が必要なように神への渇仰の心、信仰心は欠かせないものです。そして作り手として、真理の知識(真知)が醸造してくれるのです。

あーそのようなお酒を心が飲むとき、どれほどに甘美なのでしょうか!!この詩を読むたび、私は永遠にその至福のお酒に酔いしれたいと思うのです。最後に書かれてある四つの果実は、ダルマ(正義)アルタ(富)カーマ(欲望の達成)モクシャ(解脱)のことを指します、憧れは増すばかりです。

さて、収穫が秋のお米を原料に作る日本酒は、冬に仕込むことが多いようです。それは雑菌が少なく温度調整がしやすいためと言われています。ぜひ仕込みやすいこの寒い時期に、みなさんも永遠の至福の酒を仕込んではいかがでしょうか。


ラーマクリシュナの福音 〜目標は神、それがヨガ〜

十二月のある日、シュリー・ラーマクリシュナはお芝居を観るためにスター劇場に行かれた。聖者プララーダのお芝居を見終わられたあと、劇場経営者のギリシュの部屋で信者に向かって神のお話をなさっている。

「心のすべてを神に向けないで、彼を知ることなどできるものか。バーガヴァタはシュカデヴァのことを語っている。彼は歩く時、拳銃をかまえた兵士に見えたという。視線はさまようことがなかった。それはたった一つの目標を持っており、その目標は神だった。これがヨガというものだ。
チャータク鳥は雨水しか飲まない。ガンガーやジャムナーやゴダヴァリ河をはじめとしてすべての河には満々と水が流れており、七つの海には淵まで水がたたえられているのだが、チャータク鳥はそれらにはふれようともしない。雲から落ちてくる水しか飲まないのだ。このようなヨガを開発した人は、神を見ることができる。劇場で観客は、幕が開くまで家庭のことや勤め先のことや学校のことなど、あらゆる種類の会話にふけっているだろう。だが幕が上がるやいなや、すべての会話は止み、人々は一心に芝居を見守る。長いことたって、誰かが一言か二言しゃべるとしても、それは芝居のことだ。大酒飲みが酒を飲むと、酔う楽しみについてしか話さない」

「目標は神だ。これがヨガというものだ」
神だけ見続けておられるシュリー・ラーマクリシュナの言葉には、強力な力が宿っていますね。
私たちはさまざまな理由でヨーガと出会いました。私は子供の頃、テレビでマッチェーンドラ・アーサナ(捻りの形)を見て、身体によさそう、やってみたいと思ったのがきっかけです。時間に余裕ができて、やっとヨーガのクラスに通えるようになりましたが、しだいに「ヨーガって、心のことも教えてくれるんだ」と驚き、さらに「ヨーガって、本当の自分を知ることなんだ」と、だんだんとヨーガの教えの深淵さに惹きつけられていったのでした。
ヨーガの語源はユジュ、心を本当の自分と結びつけるという意味だそうです。本当の自分とは、真理、存在、純粋な意識、アートマン、魂、神とも呼ばれているものです。シュリー・ラーマクリシュナは「目標を定めて、ヨーガの道をまっすぐに進みなさい」と教えてくださっているのだと思いました。
そして私たちは師の導きによって、甘い真理の水をちょっぴり舐めさせていただいたのでしょうか。いろんな水がある中でも真理の水だけがほしいと願っていることに気が付かされました。チャータク鳥とは、どんな鳥なのかなと思っていたのですが、それは私たち、求道者のこと、「求道者は真理の水だけを求めなさい、そうすれば真理を実現することができる、神を見ることができるのだ」とシュリー・ラーマクリシュナは教えてくださっているのだと思いました。

私たちがチャータク鳥のように、どんなに喉がカラカラになって死にそうになっても、真理の水だけを求めて生きていくことができますように。

降ってくる雨水しか飲まないチャータク鳥

ダルミニー


無知の中で百年生きるより、真理の中で一日生きる方がよい

八年前、私は師に同行させていただいたニューヨーク滞在の後半、「瞑想が深まらないのですが、どうしたらいいのでしょうか」と質問し、師は次のことを言われました。

「どう生きていきたいのか?」

先週のアーサナ・瞑想クラスで姉弟子のシャーンティマイーさんから「瞬間、瞬間を生きる」ということが話されました。
「アーサナを形づくる中、ポイント、ポイントを押さえ、呼吸を吐き切ることで、アーサナが完成へと導かれる。それをしっかりと意識してアーサナを行なうことが身口意(形・呼吸・意識)の一致になり、それが瞬間、瞬間を生きるということになる」

ニューヨークで師は「どう生きていきたいのか?」と言われる前、瞑想を深めるために、もう一つの教えをおっしゃっていたことを思い出しました。

「日常の身口意を一致させなさい」

十二月八日はブッダが悟りを啓かれた日です。
「ラージャ・ヨーガの八支分とブッダの八正道は共通している」と師はおっしゃられ、それら一つ一つをニューヨーク滞在時に教えていただきましたが、あれから八年経ち、私は改めて師からいただいた教えの深遠さを感じさせられます。

今、私の思いは「真理に生きる」、それだけです。
しかし、未だ悟れていない。余計な思いや雑念、本能の制御ができていない。
本当の意味で真理に生きる、「無知の中で百年生きるより、真理の中で一日生きる方がよい」と言ったブッダのこの心境を切に願うのなら、もう一度改めて、基礎である八支分のヤマ(禁戒)・ニヤマ(勧戒)、八正道の正見・正思・正語・正業の教えの意味を考え、瞑想して心に刻み込み、日常の身口意を一致させていきたい。
そしてただ一つの的、アートマン(真我)だけを見て!!!

ゴーパーラ