縁がつむぐ西宮北口ヨーガ・瞑想クラス

 

「きっと ここのヨーガがあることを知ってもらえたら 皆来たいと思うに違いない!」

と、クラスに参加されている方々に太鼓判を押していただきました!

そこでクラスをもっと知っていただきたいと、10月の日曜日、2日間限定のワークショップを行なうことにしました。

1日目は、10月1日、参加者は8名。そのうち初めてヨーガをするという方は半数ほど。アーサナ(ポーズ)は1時間ほどで、見本を見ていただいた後にそれぞれの効果やポイントをお伝えし、その後ポーズをとっていただきました。
アーサナは、ついつい柔軟性を気にしてしまいがちですが、大切なのは正しく形を作ること。それぞれのポイントを押さえて行なうことができれば、(たとえ深くできなくても)必ず正しい場所に内的な集中が起こるのです。
皆さん集中して説明を聞かれ、一所懸命アーサナに取り組んでくださいました。そして瞑想は、座る形、手の置き方から始め、基本の教えをお伝えして2回ほど座りました。その後、皆さんの感想を聞いたり、質問を受け付けてあっという間に過ぎた1時間半。終わった後は、始まる前の緊張した感じがなくなり、皆さんのほっこり、笑顔が印象的でした。

そして帰られてから嬉しいコメントが届きましたよ。
「帰宅してからも普段よりスッキリした感じで気持ちよく過ごせました。少人数で丁寧に指導してもらえるし、ぜひ続けたいと思いました」

今回参加された方の中には、実は以前、中央公会堂クラスに1、2度来てくださったのだけれど、引っ越しのため、継続できなかった方という方が参加してくださいました。「またまた引っ越ししたのを機にヨーガを復活したいと思って検索をすると、なんと(近くの)西北でクラスができている!」とお申し込みくださったのです。
続けていると縁は巡ってくるのだなあ〜と思いました。

次回は10月15日(日)13:30〜15:00 エビータの森にて(西宮北口駅から3分)
ぜひ良いご縁を作りに来てくださいね!


ラーマクリシュナの福音

皆さん、こんにちは
だんだんと肌寒くなってきましたね。いかがお過ごしでしょうか。十月一日から北野天満宮では、京都を代表する秋祭りである「ずいき祭り」が行なわれました。豊作を感謝する「ずいき御輿」が氏子地域を巡行し、五日間にわたって神事が行なわれるのです。昔から私たちは神様に感謝しつつ生きてきたのですね。
さて今日も「ラーマクリシュナの福音」より、その教えをご紹介いたします。  

シュリー・ラーマクリシュナ

満月後の第一日目の日曜日、シュリー・ラーマクリシュナは部屋の小さな寝台の上にお座りになっている。会話はカルカッタのマリック一族の分家の一つが祀っている女神シムハヴァーヒニ(ライオンに乗る者 母なる神)のことになった。
ラーマクリシュナ「この分家は今、不如意な状態にあり、住んでいる家も荒れている。壁や床には苔や鳩の糞による滲みが点在し、セメントやしっくいは崩れかかっている。だが、この一族の他の分家はみな繁盛しているのだよ。この家には繁盛のしるしが見えない。これをどう思うかね?要するに、誰でもが自分の過去のカルマの結果は刈り取らなければならないのだ。人は、過去生から受けついだ傾向の影響とプラーラブダ・カルマの結果は認めなければならない。しかしながら、その荒れ果てた家の中で、私は女神の顔が神々しい光を放っているのを見た。神像に神が宿りたまうことは信じなければならない」

シュリー・ラーマクリシュナはカルマの法則について説かれています。誰もが過去に何度も生まれ変わりを経験しているとヨーガでは教えられますが、その過去において行なった行為の反作用として必ず結果が生じる、その原因の結果を受け取ること、これをカルマの法則といいます。カルマは三種類あるといわれていて、それは矢筒に入った矢に例えられます。すでに放たれた矢、止めることも戻すこともできない、現世に発現しているカルマ、これをプラーラブダ・カルマといいます。そして放たれようとつがえられた矢、現世で新たに作り出されようとしつつあるカルマ、これをアーガミー・カルマといいます。そして矢筒に入ったたくさんの矢は、来世で遂行されるべく待機しているカルマで、これをサンジタ・カルマといいます。

今、私たちは、このプラーラブダ・カルマの影響のもと、生を受けて生きていますが、このカルマの法則を学べば、自分自身の過去からの行為の結果が今の自分の状況をつくっているのだということに気が付かされます。そうすると人と比べてどうのこうのということ自体が本当に無駄な思いなのだと考えざるを得ません。カルマを比べてもしかたがありませんね。誰を恨むこともできませんし、また喜ぶべきことがあるとすれば、それもまた私たちの過去の行為のおかげなのだと思いました。

私たちの師はヨーガを学び、欲望や執着、無知をなくしていくことで、アーガミー・カルマやサンジタ・カルマ、すべてのカルマを超越することができる、そしてそこに自らの真実が存在しているだと教えてくださっています。
シュリー・ラーマクリシュナもまた、カルマの法則に支配されている心のその奥に、真実の存在が光を放っているということを信じなさいと教えてくださっているのだと思いました。

聖者の教えはなんと私たちの心に安らぎと力を与えてくれることでしょう。
「自分自身の真実を信じ、愛し、生きていきなさい」
その言葉を支えに私は今日も生きているのです。

ダルミニー


『あるヨギの自叙伝』を読んで(3)――バドリ・マハサヤ――

「僕はゆうべ、ある集まりで、ヨギが床から1メートル以上も高く宙に浮かぶのを見たよ」
ある日、友達のウペンドラがやってきて、得意そうに言った。
私(ヨーガーナンダ)はにっこり笑って答えた。
「それ、誰だか当ててみようか。アパー・サーキュラー通りのバドリ・マハサヤだろ?」

今回は、空中に浮揚する聖者バドリ・マハサヤをご紹介したいと思います。

「ヨギは、ある種のプラーナヤーマーを行なうと体重が軽くなってしまうんだ。だから空中に浮いたり、蛙のように高く飛び跳ねたりすることができるんだよ。聖者の中には、正式のヨーガの行法を行なわなくても、神に対する信仰心が高まったとき、自然に身体が浮かび上がる人もいるそうだよ」

『あるヨギの自叙伝』の中では、空中浮揚に関してこのように述べられています。
しかしヨーガーナンダは、バドリ・マハサヤの空中浮揚についてはこれ以上触れず、この聖者の「放棄の精神」、そして「神を知覚すること」について書き記しています。
すでに子供の頃に莫大な財産を放棄してヨーガの道に入ったバドリ・マハサヤに、弟子は次のように話します。

「先生が、ご自分で神を求めるために、またわれわれを導いてくださるために、ご自分の財産や世の楽しみをすべて棄ててしまわれたことは、本当に感嘆にたえません」
聖者は穏やかに弟子の間違いを指摘します。
「私は、永遠の至福に満ちた大宇宙を手に入れるために、取るに足らないわずかなルピーとつまらぬ快楽を棄てただけだ。私は何も、自分の欲望を押さえ付けたわけではない。おかげで私は、天の財宝の分け前を楽しんでいる。それがどうして犠牲といえよう」

私は以前、ある方から「自分の人生は、我慢の人生であった」という話を聞くことがありました。
その方は特にそれを自慢げに話していたわけでもありませんでしたが、仕事と家庭のために人生を送ったと言っていました。
後日、私は師に「その人は仕事や家庭の義務を果たしたということで、カルマはなくなったのでしょうか?」と尋ねると、師は次のように答えられました。

「その我慢した何かが、次の生涯に引き継がれる」

何かを我慢した、犠牲にしたという心の思いすべてはカルマとなり、輪廻転生となる――つまり心の思いは、輪廻からの解脱という真実在の神の実現を阻む不要なものだといえます。

では、神の実現に不可欠なものは何なのでしょうか?
やはり、瞑想でしょうか?
バドリ・マハサヤは若き日のヨーガーナンダと瞑想をした際、

「お前はよく瞑想するようだが、アヌバーヴァ(実際に神を知覚すること)は進歩したかね?」

と言い、神よりも瞑想を愛してしまわないようにと教えています。
そして弟子の集いの中でバドリ・マハサヤが、華やかな宮廷生活を棄て修行者の仲間に入ったミラバイの詩を引用していたことを、ヨガナンダは書き記しています。
最後に、そのミラバイの詩を紹介したいと思います。

毎日水浴することによって
もし神を知ることができるならば
私は深海に住む鯨になろう。
木の根や草の実を食べることによって
もし神を知ることができるならば
私は喜んで野を駆ける羊になろう。
数珠を手にすることによって
もし神を見いだせるならば
私は巨大な数珠をもって祈りを捧げよう。
石像の前にひざまずくことによって
もし神を悟れるならば
私は地にひれ伏して石の山を拝もう。
ミルクを飲むことによって
もし神を受け入れることができるならば
子牛や緑児こそ神を知る者であろう。
妻を棄てることによって
もし神がわがものになるならば
多くの人が去勢されることを望んだであろう。
ミラバイは知っている
神を見いだすには
愛こそ唯一不可欠なものであることを。

手段に執らわれず、神への思い、それだけを純粋にしていきたいと切に願います。

 

ゴパーラ


神と魂を結ぶ愛の歌 キールタン

6月から9月まで3ヶ月間バクティ・サンガムでは『Siva Sambho』(シヴァシャンボー)というシヴァ神を讃えるキールタンを歌ってきました。 なかなか好評で、「このキールタンが好きです!」と言われる方が結構いました。歌詞をご紹介します。

Siva Sambho Hara Hara Sambho  
Bhavanasa Kailasa-vilasa 
Parvatipate Pasupatipate 
Gangadhara Siva Gauripate

シヴァよ シャンブよ ハラよ シャンブよ
諸存在を破壊する者よ カイラーシャ山に遊ぶ者よ
パールヴァティーの夫よ パシュパティである主よ
ガンジス川を受け止める者よ シヴァよ ガウリーの夫よ


私はこの歌詞の中で好きなところが2箇所あります。まずはKailasa-vilasa(カイラーシャ ヴィラーシャ) 「カイラーシャ山で遊ぶ者よ」 というところ。カイラーシャ山とはチベットにあるカイラス山のことで、昔からシヴァが住む山と言われ、聖地として崇められています。
今回このキールタンを歌う中、シヴァ神が神話の中の神ではなく、一人のヨーガ行者として私の中で輪郭をもち、それは私のグルであるヨギさんと一体となっていきました。そのきっかけになったのが前回のヨーガダンダさんのブログです。一緒に住んでいるヨーガダンダさんから何度も話を聞く(聞かされる?)ことで、そのように変わっていきました。(ぜひ5つ前のシヴァ神という記事をお読みください)

カイラス山はこの世界の背骨と言われ、この宇宙の中心、そこでシヴァは瞑想しているのではなく遊んでいる!なんとダイナミック!!!遊び方が半端ない!豪快で男らしく、でも繊細で優美で・・・・・それはまさしく私のグルであるヨギさんと一つになりました。

そして、私が一番好きなところ!それはPasupatipate (パシュパティパテ)というところ。Pasuとは世界に縛られた、解脱していない魂たちのこと、それは私たちのことでもあります。patiは主という意味なので、pasuの主という意味になります。

Pasupatipateは解脱していない魂たちの主であるシヴァのことを指していますが、私はそこを「私たちの主!私の主!」という気持ちで讃え歌っています。私の主は偉大で、誰よりもかっこいい!!私の愛おしい主!! 主を讃えることの喜びが歌う中でどんどん広がっていき、その大きさに飲み込まれていきそうになりました。キールタンは神と魂を結ぶ愛の歌と言われます。神の御名を繰り返すことで神を感じ、神に酔い、神と魂を結ぶことができるのだなっと少し感じることができました。今回は参加者みんなでシヴァに酔いしれました。

さて、次回からは新しいキールタンに挑戦します!そちらもぜひお楽しみに。


松山にシヴァ神到来!?

先週の9月16日(土)、9月17日(日)にサーナンダさんが瞑想特別クラスとサットサンガのため、松山ヨーガ・サークルに来てくださいました!ちょうどその週末に大型台風到来という情報がありましたが、有難いことに予定通り無事に開催することができました。

初日の瞑想特別クラスでは「布施について考える」というテーマでお金への執着がなくなったらどうなるか、ヨーギーを見倣う生き方を学びました。私自身が最も印象に残ったサーナンダさんの言葉は「ヨーガの極意は執らわれないことです」という力強い一言です。サーナンダさんは具体的に私たちが何に執らわれているか、どうすればいいのか?を丁寧に説いてくださいました。ヨーギーの生き方の何と清々しいことか!憧れずにいられなくなるような内容でした。

講座後の感想をご紹介します。
「お金に対しての教えでしたが、教えていただき自分のカルマ(因果応報の法則)を取り除けてないこと、欲望の生活を送っているのがたくさん見えました。聖者の生き方からお金に対する無執着を教えていただき、お布施の本来の意味を知り熱い思いが常に自分を奮い立たせることだとわかり魂を感じる会でした。実践していきます」
「生活、生き方を志の実現のために整え、行為していくということを教わり、布施ということに限らず、一瞬一瞬の言葉や思い、選択をどれだけこの意識に向けられているだろうと反省します。もっと情熱をもって真剣にもっと精一杯整え、行動していきたいです」
そして、長年ヨーガを実践している方は「最近、お金をあまり使わなくなったのでなるほどと思いました」という感想もありました。


台風にも関わらず30名以上の方が参加されました。

2日目のサットサンガの中で印象に残った話をご紹介します。

上司との関係に悩むMさんは、上司に認められたいという思いを棄てるにはどうすればいいのか質問しました。
サーナンダさん「輪廻転生と言いますが、昨日が前世、今日が今生、明日が来世と、毎日に例えられます。すると、今日考えたり悩んだりしていることは、だいたい昨日も同じことを考えたり悩んだりしていたと思いますし、たぶん明日も同じことで悩んでいるでしょう。それと同じように、今生で直面している問題や悩みですが、多分前世でも同じ問題で悩んでいたでしょうし、このまま行けば必ず来世でも同じことを繰り返すに違いない、と私は思うのです。そうすると、それは嫌だから今生で何とかしないといけない、それならば今を真剣によりよくしていくしかないと思うのです。

Mさんの場合も、このまま行けばまた来世でも同じようなことを繰り返してしまうでしょう。それは嫌でしょう!それが嫌なら、真剣にヨーガをやっていくしかないです。ヨーガをやっていくことで心が変容します。心が変容すれば必ずそれに接する人の反応が変わります。それによって状況も変わっていきます。具体的に言えば、余計なことを考えず、淡々と仕事に励むこと。そして、ヤマ(禁戒)、二ヤマ(勧戒)で行為を整え、アーサナによって呼吸を調え、聖典の学習や瞑想によって心を調えていけばいいです。そうすれば思いも状況も必ず変わっていきます!

生きていればいろんなことが起こります。子供の頃、嫌なことに出会った時、なぜ出会ったのか原因を一所懸命考えたことがありました。すると、一つの答えが出てきました。それは、生まれてきたからだと思ったのです!様々な原因があるかもしれないけれど、その時そこに自分がいたことにも確実に責任があるのですから!生まれてこなかったらそこにはいなかったし、嫌なことも起こらなかった。しかし、生まれてきた以上、どこでどんな目に遭ったとしても仕方がない、自分にも責任があると思うようになりました。ではなぜ生まれてきたのか?自分とは一体なんなのかが肝心なのです。小手先で逃れようとするのではなく、覚悟を決めて今の状況を受け入れて、そうしてやって行けば、いつか転機がやってくるかもしれません。

実際的には、職場の改善を働きかけたり、自分自身についても改善していけばいいと思います。自分にも改善すべきたくさんのことがあるかもしれない。言葉遣いとか行動とか。そうやって実際的に改善していけばよりよくなっていくと思います」

サーナンダさんの気迫のこもった言葉がその場にいた皆さんに、「人や状況のせいにせず、より良く改善していきたい」という情熱が注がれたかのようでした!
その証拠に今回の講座とサットサンガの後日、クラスに来られる方の話す言葉が別人のように変わっていっているのです。
「すごく落ち込んでいたけど、もう後戻りしたくない!身体のことをくよくよ思い悩むよりも、もっと純粋にヨーガだけに邁進していきたい!」
「人に依存していたことに気が付いたので依存をなくしていきたい」

台風が去った翌日、空気がとっても澄んでいて本当に清々しかったです。先日からこのブログでもシヴァ神のお話しが出ていますが、シヴァ神のルーツは暴風雨の神様。そしてシヴァ神は破壊と再生の神様です。サーナンダさんと一緒にシヴァ神が来てくださって私たちのこだわりを破壊し自由にしてくださったのかというくらいクラスに来られる皆さんの表情が変容したのです。しかし、まだまだこれからです。完全な自由に至るまで力強く前進し今までの癖や傾向を破壊し真理とひとつになって新しい命を生きることができますように。

サーナンダさん、シヴァ神とともに来てくださって本当にありがとうございました!
サーナンダさんのハートはヨギさんでいっぱいです。
最愛の師、ヨギさんに心からの感謝を込めて。

アーナンディー


The Truth Shall Make You Free 〜神聖なるものとの出会い〜

みなさん、こんにちは。
台風来てますね〜。ヨーガダンダさんが紹介してくれていたシヴァ神が大暴れ!です。

さてさて、上の写真は私が通っていた大阪女学院の正門です。(短大側)
私は中学高校と仏教の学校に通って「朝に礼拝、夕に感謝。慈悲やさしくきよらかに、和合なかよくたすけあって、精進つとめにはげみましょう」と6年間毎日朝礼で唱え、お花祭りでは玄関に飾られたお釈迦さまに甘茶をかけ、学年全生徒で正信偈なんかのお経を唱え、せっせと仏教的学校行事に参加してました。お釈迦さまの教えに触れた、学んだという記憶は一切ないんですけどね笑。高校卒業後は一転キリスト教の学校へ。ある意味改宗ですね笑。

短大時代は聖書がすごく好きになって、夢中になって読んでいました。今でも自分の聖書には当時の付箋がいっぱい貼られてます。学校内にあるヘールチャペルには特に礼拝の対象となるシンボルは飾られていなかったのですが、要らない装飾が一切ない質素さの中になんだか静かで神聖な雰囲気があって、礼拝にもよく通っていました。
といっても、その時にイエスさまへの信仰にぱーっと目覚めた!というわけではなかったのですが、この門に書かれた言葉に、なぜだか当時強烈に心が惹かれたんです。その言葉の意味は・・・

The Truth Shall Make You Free
真実はあなたたちを自由にする

その時自分の直観で分かったことは、この言葉自体が真実である、ということです。そして、私たちを自由にさせるという「The Truthー真実ー」というものが、ものすごくキラキラ輝いて見えて、猛烈に憧れたんです。振り返ってみると、理由なく惹かれたこの言葉との出会いが、自分の人生の中で神聖なものとの最初の出会いだったんだな〜、そしてそれがそれからの人生で大きな自分の鍵になっていたんだな〜と気がつきました。神さまはいろんな場面でヒントを与えてくださいます。その後もう10年以上この言葉のことも忘れてたんですけどね。大切なのはそれに気がついて、私たちが神さまを愛し、神さまを求めるようになるかどうか!なのかな?

私が好きな聖書の中の言葉は「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」「隣人を自分のように愛しなさい」そして「神は愛である」ということです。ヨーガを学んでいくにつれて、ヨーガの教えとイエスさまが教えられていることは、本質的に一致していくことがわかってきました。

誰もの本質は真実であるところの、アートマンである。そのアートマンだけを見るようにと、何回も何回も我が師に教えていただいてきました。はじめは、そう言われてもアートマン以外のことしかないやん!!ってしつこく葛藤格闘してきましたけれども、それをそうなんや、そうなんやでって言い聞かせ続けて続けて続けて・・・(「失敗や小さい後退を気にするな。千回でも理想にしがみつくのだ。千回失敗したらさらにもう一度チャレンジせよ」というヴィヴェーカーナンダの言葉を励みにしながら。ヴィヴェーカーナンダが千回失敗したらって言われるなら、私は一千億回失敗したけど、もう一回って諦めず!)そしたら自分の心は降参したんです。矛盾だらけで完全でない自分の心は、やっぱり真実には最終的には勝てないんですね。

何かに捉われて自分を縛り付けていたものは結局は自分の心やったんやなぁって、本当に楽になりました。「真実はあなたたちを自由にする」という言葉へのあの時のなぜだかわからない憧れは、ここに繋がってたのかな〜。今はその真実なる教えによって、自分の心が “自由” の片鱗を大いに味わっているからです。

一つ前の記事で、ダルミニーさんがシュリー・ラーマクリシュナ・パラマハンサについて書いてくれていましたね。インドのカルカッタ郊外にあるラーマクリシュナ・ミッションの僧院ベルル・マト敷地内には、Ramakrishna Museumがあって、シュリー・ラーマクリシュナや彼の直弟子たちに縁あるものなどが展示されています。
私はそこで見た一枚の絵にものすごく衝撃を受けたんです。それは、主イエスが瞑想に座っている絵でした。それまでイエスさまが瞑想をされていたとか考えてもみなかったので、にわかには信じがたく非常に衝撃的だったのですが、その姿は父である “神” の至福に浸りきっているようで、「あなたたちは私を通して父の下に行く」という教えを絵で表すとこういう風になるんだろうなぁと素直に思えてきて、「私と父は一つである」という教えが自然と心にわき起こってくるようでした。
ああ、イエスさまが教えられていることはこうした瞑想の中で悟られたことなのかもしれないとなんだかすごくしっくりきて、イエスさまの教えとヨーガというものが一直線に繋がったように感じました。ちなみに、その絵ではないですが、私が好きなイエスさまの絵はこれです

そんなこんなで(突然ですが!?)私が担当させていただいている大阪の瞑想専科では、ブッダが教えられた瞑想の道に沿って学びを進めています。詳しくはこちらをご覧くださいネ。
9月24日(日)14時〜、瞑想一日体験会を開催しますので、この機会にぜひ瞑想を体験してみてください。ただ今ご予約受付中です!

また、大阪とは別に、京都では瞑想1日ワークショップが同じ24日にありますので、京都の方はぜひこちらにご参加くださいませ〜!

マーダヴィー


ラーマクリシュナの福音

みなさん、こんにちは
早いものでもう9月ですね。先日、クラスの交流会がありましたが、同じ志をもつ仲間たちが集まり、いろいろな話をすることがお互いの励みとなり、活力となって、ヨーガを楽しく学んでいく機会になりました。今はアーサナや瞑想の実践がしやすい季節でもありますので、さらに深めていきたいものですね。

さて今日は「ラーマクリシュナの福音」より、その教えをご紹介します。

ある日の日曜日、今日も大勢の信者たちがシュリー・ラーマクリシュナの自室に集まっています。彼らの中に一人の新米者、コンナバムから来たサーダカ(修行者)がいた。彼は五十歳を越しているようにみえ、学識について非常なうぬぼれを抱いているように見えた。修行者は顎を天井に向け、身体を直立させて坐っていた。
修行者「師よ、何が道ですか」
ラーマクリシュナ「グルの言葉への信頼だ。人は一歩一歩、グルの指示に従って進むことによって神に達するのだ。糸をたぐっていって目標に達するようなものだ」
修行者「神を見ることはできるのですか」
ラーマクリシュナ「彼は、俗事に没頭している心では知ることはできない。兎の毛ほどでも、『女と金』への執着があったら神に達することはできない。だが、彼は浄らかな心と浄らかな知性、執着の影すらない心と知性によって知ることはできる。純粋な心と純粋な知性と、純粋なアートマンとは全く同一のものだ」
修行者「ですが、聖典に、『言葉と心は、彼の前からむなしく戻る』と書いてあります。彼は言葉と心によっては知り得ないのです」
ラーマクリシュナ「おお、おだまり!人は霊性の修行を実践しないかぎり、聖典の意味を理解することはできないのだ。口先で『大麻』と言ったとて何になろう。パンディットたちはぺらぺらと聖典を引用する。だが、それはなんになるか。大麻を肌にこすりつけても酔いはしない、それを飲まなければだめなのだ。『牛乳にはバターが含まれている』と繰り返すだけで何の役に立つか。牛乳をこごらせ、かき混ぜるのだ。そこで初めてバターが得られる」

シュリー・ラーマクリシュナは聖典を頭の理解だけで終わらせず、実践を通してからその意味を理解するようにと諭されています。私たちの師もまた「ヨーガは実践」と実践の大切さを繰り返し教えてくださっています。師の教え、ヨーガの教えを身をもって体得しなければ、それは知っていることにはならない、実践して初めて日常の行為の中に、ヨーガの深まりの証として現れてくるのだと教えてくださっています。私たちは師の教えを生涯かけて実践し、各々がいかに真実だけのために生きていけるのかを問われているのだと思いました。師の教えに誠実に生きること、それがヨーガの成就につながっていくのだと思いました。

ダルミニー


京都 ヨーガ・瞑想クラス 交流会

京都ヨーガ・瞑想クラスの合同交流会がありました!

プログラムの初めにはアーサナのデモンストレーションがありました。今回はどのクラスでも人気もののゴパーラと土曜日のクラスに通い、最近とても熱心にヨーガと向き合っているMさんがアーサナをしてくれました。気迫に満ちたとても素晴らしいアーサナで、私自身は息を飲むような集中感にとても感動しました。

参加した皆さんも、食い入るようにデモンストレーションを見ておられました。「2人のアーサナを見て、集中間というものはこういうものかと感じた」「自分たちが普段しているアーサナの完成形が分かった」「いいものを見せてもらった」といった感想をいただきました。

その後、さまらさの食事を食べながら、自己紹介を兼ねて、皆さんがヨーガを始めたきっかけや、ヨーガをしてから変わったことなどを話していただきました。

クラスに通うようになって2年になる方が数人おられましたが、皆それぞれに2年前と比べて明らかな変化を感じておられるようでした。

ある方は数年ぶりに会った友人に「人相が良くなった!」と言われたようです。確かに最近の彼女は表情が明るく(昔が暗かったわけではないですが)とても軽やかな印象があります。

毎日アーサナをしていると言われた方は体にしっかりとした軸ができたと言われていました。確かに、最近の彼女からは芯の通った強さを感じます。

またある方は、仕事場でうまくいかなかった同僚と真理を学び瞑想していく中で怒りや不満の感情なく普通に話ができるようになったと言われていました。きっと瞑想によって心が変化し、動揺しなくなっていったからでしょう。

皆さんが日常生活の中で変化を感じながらクラスに通ってくださっていることを知り、とても嬉しかったです。

一方でアーサナの実践にムラがあり、甘いものがやめられない…と話されている方もおられました。それはそこにいる誰もが多かれ少なかれ経験があること、それぞれの体験を話しながら、みんなで自然とアドバイスしあいました。

みなさんの話を聞いていて感じたことは、調子が良い時も、悪い時もあり、状況は色々変わるし、誰もがトントン拍子でうまくいっているわけではないということ。人と比べる必要はなく、それぞれに道があり、コツコツと実践していくことで必ず進歩しているのだということです。
同じヨーガをしている仲間とこのようように話し、励まし、刺激しあえる機会はとても貴重だと思いました。

最後に話をしてくれたSさんは、熱心にクラスに通う中、自分の内に歓びがあることを体感し、自分自身も人に歓びを与えられる存在になりたいと話してくれました。彼女の話している言葉や姿、発しているプラーナ(気)から歓びが溢れ出ているのを感じ、こちらまで歓びが伝わってきました。そんな彼女も、ヨーガをする前は仕事のストレスで体調が調わないことがあったようですが、今ではそのようなことはなくなったと話されました。

改めて、ヨーガって本当にすごい!!一人の人の人生を大きく変化させる、なんとすごい力でしょう!!!!是非またこのような機会が持てたらと思います。


シヴァ神 

この夏、バクティ・サンガムでは、ジメジメとした空気を一掃し、ヒマラヤ山脈の澄み渡る青空を思わせるような爽やかな曲――SHIVA SHAMBHOを歌ってまいりました。
さて、シヴァ神を皆さんご存じでしょうか?

瞑想の姿勢で座り、うっすらと開いた瞳の奥には至福の大海が映っているようです。青い肌を持ち、首には毒蛇を巻きつけ、縮れた髪の毛を伸ばしている・・・・・・どこかしら不思議な印象をお持ちの方もいらっしゃるかもしれません。

数千年昔、人々にとって雷や暴風雨は、人知を超えた偉大なる力でした。特に農耕民族にとってそれらは、田畑に災害をもたらすものであり、一方で雨の恵みを与えてくれるものでもありました。破壊と再生を司る偉大なる力は、ルドラ-神として神格化されます。そのルドラ-神にヨーガ行者の姿が合わさって、現在私たちが知るシヴァ神という神が形作られていったそうです。

またシヴァ神は、ヨーガを最初に教えたグル(師匠)であると聖典は伝えています。 

SHIVA SHAMBHOの歌詞の中に、gangadhara(ガンジス河を受け止める者)というシヴァ神の別名が出てきますが、それにまつわる神話が残されています。天上界を流れていたガンジス河が、ある時地上に降下することになり、地上に洪水が起こることを心配した天界の神々たちが、何とかシヴァ神にお願いし、シヴァ神は大水を頭で受け止め、その流れの一端がガンジス河となったということです。それでシヴァ神の頭頂部にはガンジス河が吹き出している様子が描かれているんですね。

 ガンジス河が氾濫しないことで、人々に恩恵が与えられ、つつがなく生活ができているのと同じように、私たちの生活も、目に見えない力に支えられ、微妙なバランスを保ちながら成り立っています。

私たちが住んでいる地球は太陽の周りを廻っていますが、その距離が少しでもずれてしまったら、もう地球は太陽の周りを廻らなくなり、どこかへ飛んで行ってしまいます。次の日から私たちが見上げる空には太陽は昇らなくなり、すると食物も育たなくなります。

また私たちは自分で意識していないにもかかわらず、勝手に心臓は動いて、呼吸をし、酸素を取り込み二酸化炭素を排出するということを行なっています。この一連の働きが失われたなら、身体を維持することすらできません。

目には見えないし、意識もできませんが、この大宇宙、小宇宙、全てを支え、私たちを存在たらしめている神なる存在が在る――。そんな神と一体となり、悟りを啓いたヨーガ行者が、数千年昔にカイラス山の奥深くにいらっしゃったのではないかと、最近思うようになりました。

そのヨーガ行者は、日照りが続き、人々が不作に喘いでいる時には、雨を降らすこともできたでしょう。またヨーガを教え諭すことで、心の苦悩や、人生の難問から人々を救い出していたことでしょう。

私たちと同じ肉体を持ち、地上を歩き、時に瞑想し、時にヨーガを教えられた。

数千年の時を経て、そのヨーガ行者にまつわるエピソードは神話となり、そのお姿はシンボル化され、青い肌や、さまざまな特徴を身に着けるようになったのではないかと思います。

シヴァもクリシュナも、実際に私たちと同じような肉体を持たれた神の化身であったのだと、私は思うようになりました。

 と、こんな偉そうなことを書いている私も、九州の実家に帰ったときは、「お前は感謝の気持ちが足らん!」と未だに父によく叱られます。十数年前にも、同じように叱られたことがあって、師に「感謝とは何か」と尋ねたことがありました。

その時に、師は、何かをもらったからとか、得をしたから感謝するというのではなく、私たちの存在を支える目に見えない力、また見えるものの中に現れた力、その偉大なる恵みに頭を下げることが感謝の原点であると教えていただきました。そうして次の言葉で締めくくられたのです。

万物の背後にあって偉大なる力となり偉大なる意識となって働いている一者がある。それによって太陽は昇り、月は輝き、万物は呼吸する。その偉大なるものが、この我が胸の内にもあるに違いない・・・・・・。こういうふうに感謝という些細な日常の気持ちからもアートマンへの道、ブラフマンへの道が通じている

シヴァ神、あるいはグルは、この万物の背後にある一者への入り口であると感じています。そうして、その偉大なる一者に思いを馳せていくことが、私にとってはこのエゴを小さくし、自然と頭を垂れることができる唯一の方法だと感じています。

今月のバクティ・サンガムでのシヴァ神のキールタンSHIVA SHAMBHOを歌いますので、ぜひご参加くださいね。

 ヨーガダンダ


台北 ヨーガ滞在記

「君の飛行機は、今まさに飛び立とうとしているあれだ!」

ニューヨークの1カ月の滞在を終えた私は、台北乗り継ぎで日本に帰国する予定でした。
しかし、なんとトランジットの台北で飛行機に乗り遅れたのでした😱
それも搭乗ゲートの前にいたにもかかわらず……
ゲートの待合いの人たちが一向に動こうとしなかったため、飛行機が遅れているのだろうと勝手に思ってしまったのがビッグ・ミステイク!
その人たちは別便を待っており、彼らが並び始めたので私も並んで職員にチケットを見せた時には、もう手遅れでした😭✋✈️
航空会社のスタッフがチケットを交換できるか確認してくれましたが、「チケットの変更はできません。空港内で高額なチケットを購入するか、空港内のWi-Fiを使って今日のフライトをネット購入するか、または空港から出て台湾に滞在してチケットを購入する3つの手段があります」という返答……
私は台湾に何度か行かれたことのあるミラバイさんに電話をして相談し、翌日のフライトとゲストハウスの予約をネットで取って台北市内に1泊することにしました。
しかしながら、不幸中の幸いと言えばいいのか、この台北はヨーガの仲間が住んでいるところだったので、日本語ができるプリヤーと連絡を取り、夕方に彼女たちと会うことができる運びとなりました。

ゲストハウスに着いてしばし休憩をした後、台北の地下鉄MRTを利用し、18時に待ち合わせ場所のレストランへ。
突然の来訪にもかかわらず、仕事終わりや忙しい仕事の合間を縫って、プラサーディニー、プリヤー、ラーダー、アヤノの台北に住むグルバイがみんな集まってくれました😭

向かって左がプリヤー、右がラーダー。手前にある菜葉は「空心菜」というもので、茎が空洞になっているそうです。

本場の台湾料理をいただいた後、プラサーディニーとプリヤーが住む台湾ヨーガ・サンガの拠点にお邪魔させていただきました。
美味しいコーヒーとマンゴーをいただき、静かなその空間の中、自然とヨーガ・トークスへ。
台湾の瞑想会では「識別の瞑想」について学んでいるということもあって、彼女たちはその深まりを求めていました。
識別に関して私自身は、「真理を学ぶ」ことと「どう生きていきたいのか?」ということを自らに真剣に問うことがその推進力になると感じると述べ、また今回のニューヨークで師ヨギさんから、「識別ができるかどうかは心がサットヴァ性(透明性の快活な状態)かどうか。サットヴァな心になるには、余計な思いが湧いてこないように日常の仕事やミッション・ワークスを隙なく行なうこと」という教えをいただいたことなどを話しました。
そのようなことを話す中、「ヨーガ以外のことにはもう関心がない。でも、どこかヨーガへの情熱が足りないと感じる」と切実に話すラーダーを見て私は、「識別も大事だけど、ラーダーの場合はヨギさんと会えば大丈夫だと感じる」と言うと、彼女は「私もそう思う!」と答えました。
またラーダーは「台湾のクラスを少しでも京都のその雰囲気に近づけたい」、プリヤーは「台湾語でヨギさんやヨーガの話ができる仲間がいることを本当に嬉しく思う」と二人とも台湾のサンガへの思いを目に涙を浮かべながら話していました。
彼女たちと交流するといつも感じることがあります。それは、

「純粋さ」

この台北での出来事を振り返った時、彼女たちのように師や真理だけを思う純粋さこそが、サットヴァな心であると気付かされました。

まるで夢を見ているかのような、つかの間の幸せなひとときでした😌
台北グルバイの皆様、本当にお世話になりました‼️
真的谢谢🙏🙏🙏
再见吧😁

左からラーダー、プラサーディニー、プリヤー、アヤノ🌺

ゴパーラ