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『マハーヨーギーの真理のことば』予約開始!

お知らせ第四弾です!
11/23発刊予定『マハーヨーギーの真理のことば』の事前予約を開始しました〜!!!

«お申し込みはこちらから!

先日、全目次を公開したところ、皆さんから大・大・大反響を頂いています!!!
目次だけでも10ページ、500項目以上あるので、それだけでも読むのにけっこう時間がかかると思うのですが、すご過ぎる!内容とボリュームに、感動+圧倒された方が多かったようです。

 まだご覧になっていない方はぜひぜひ、チェックしてみてくださいね。

«目次はこちら

現在本の進行状況は、まさにNow Printing!
もうすぐ皆さんにお届けできると思うと、本当に嬉しいです。
楽しみにしていてくださいね。

生き方や自分の理想を模索している人、困難な状況や苦悩に直面している人、確かなもの、本当の答えを探している人、瞑想やヨーガを学びたいという人、神を求めている人、真我の探求をしている人・・・一人でも多くの方に、師シュリー・マハーヨーギーが語られた真理の言葉が届きますように。


待望の新刊 11月23日発刊!
マハーヨーギーの真理のことば

師シュリー・マハーヨーギーが語られた全記録から厳選・抜粋されたヨーガの集大成。全16章にわたり、ヨーガの全てが網羅されたボリューム豊かな内容となっています。

サットグル・シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ著
A5版 536ページ
8,800円(税込)

マハーヨーギー・ミッション 


『マハーヨーギーの真理のことば』お知らせ第三弾

11月になりましたね。
今月23日(祝・水)には、師シュリー・マハーヨーギーのご聖誕日を迎えます!!!
今年のご聖誕祭では、『マハーヨーギーの真理のことば』、そしてついに台湾でも出版されることとなった『ヨーガの福音』、この2冊の新刊がお披露目となる予定です!!!
師の存在と導きに心から感謝を捧げる大切な日と、師の教えが形となって多くの方に届けることができるという、とっても喜ばしい嬉しい出来事が重なります!

出版のほうは本当に、いよいよ!という段階に入ってきました。
無事に印刷会社への入稿が終わり、色校正が上がってきて、最終確認&修正・調整をしている最中です。
とってもいい本に仕上がりそうで、ワクワクしています〜。
本の中身はもちろんですが、師が手がけてくださった装丁デザインも、どうぞ楽しみにしていてくださいね。

さて、前回のお知らせでは全16章の章と節立てを紹介させていただきました
こんなに凄いボリュームなの?!と驚かれた方も多いと思います。

今回は・・・・・

ジャジャーン!!! 
各章のすべての見出しを公開しました!

その数なんと500以上になります!

«こちらのページをご覧ください。

あまりに膨大で、ブログでは全部を掲載するのは難しいので、ここでは第一章「生きる秘訣」の見出しのみをご紹介しますね。
生きる上で何を軸としていったらいいのか、仕事や家族に対する捉え方、さまざまな人間関係の問題を解決して他者に優しく誠実に接する秘訣、執らわれのない、ぶれない強い心になることなど……特にこの章は、誰もが日常で感じる苦悩や疑問に対する普遍的な真理が説かれています。
質問者に寄り添い、シンプルに、明快に語られる師の言葉は心に響きます。
ヨーガのことを全く知らない方でも、きっと多くの気付きを得られるのではないでしょうか。

第一章 生きる秘訣

第一節 何のために生きるのか
運命を切り開く
自由と幸福
永遠の幸せ
心のフィルターを透明にする
幸福と不幸は表裏一体
安心できる礎を求める
人生の二つの目的
人生について考える—存在の自覚
何のために生きるのか
自らの生き方に責任を持つ

第二節 仕事の秘訣
仕事の選び方
人は仕事のためにあるのではない
仕事とリアリティ
職場ではなく自分を変える
本質を見つめる
今、目の前のことをより良く
淡々と仕事をする

第三節 人間関係の秘訣
自分の荷物をまず片付ける
人との衝突回避のヒント
他者を傷つけた時
本体だけを見る
カルマに取り合わない
差別なく接する
鉱物に差別感を持たない
他人の評価に執着しない
自分の基準で量らない
善悪の基準
慈悲喜捨の教え
解決法は自分の中にある
子供を持つこと
人として芯となるもの
親と子のあり方
最高の親孝行

第四節 愛のかたち
無償の愛を学ぶ
愛を思わないのが本当の愛
愛を行為する
愛と尊敬
身近な人への奉仕
可愛い子には旅をさせる
愛の本質
愛の真理

第五節 真の自由と強さ
執着を手放す
空っぽになれば楽しめる!
楽しみの秘訣
子供の遊び—自由
卑屈と謙虚
自分を決めつけない
愚痴は心を汚す
病は気から
過去から自由になる
今を大事に生きる
除去すべきは未来の苦
逃げずに立ち向かう
恐怖心の克服
孤独を識別する
孤独感の原因
心を強くする
嘘も方便
素直・勇気・実行
自分を大切に
将来の不安を取り除く
幽霊は心が創り出す
聖人は街に住み、俗人は山に隠れる
天国と地獄

*予約については追ってご案内させていただきます。


11月23日発刊予定!!
マハーヨーギーの真理のことば

サットグル・シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ著
A5版 536ページ
8,800円(税込)

マハーヨーギー・ミッション 


『マハーヨーギーの真理のことば』 お知らせ第二弾

先日の『マハーヨーギーの真理のことば』出版予定の発表後、多くの方から喜びと期待の声が寄せられています〜!
今日は、気になる本の中身について、もう少しお伝えしたいと思います。

全16章で構成されている、すべての章と節立てを一挙に掲載させていただきます!!!
これだけでも、もの凄いボリュームと濃密な内容であることを感じていただけるかと思いますが、実はそれぞれの節に数多くの項目(見出し)があり、目次だけでも10ページもあるんです!

序章
第一節 シュリー・マハーヨーギー
第二節 サットサンガ
第三節 本書の構成と学び方

第一章 生きる秘訣
第一節 何のために生きるのか
第二節 仕事の秘訣
第三節 人間関係の秘訣
第四節 愛のかたち
第五節 真の自由と強さ

第二章 真理・真実在
第一節 生と死の理(ことわり)
第二節 ブッダの教え
第三節 アートマンの真理
第四節 悟り

第三章 心と世界の理
第一節 カルマと輪廻転生
第二節 カルマと苦の原因
第三節 心の性質と働き

第四章 ヨーガの道
第一節 ヨーガの道
第二節 発心と入門
第三節 成就への歩み

第五章 身口意を調えるヤマ・ニヤマの教え 
第一節 ヤマ・ニヤマとは
第二節 ヤマの教え
第三節 ニヤマの教え

第六章 アーサナの実践
第一節 プラーナを制御する
第二節 アーサナの目的
第三節 実践の心得
第四節 アーサナの醍醐味

第七章 食の大切さ
第一節 ヨーギーの食事
第二節 食事と心の関係
第三節 食の心構え

第八章 実践の秘訣
第一節 自然の理を学ぶ
第二節 日常の実践
第三節 無執着と放棄の実践
第四節 忍耐と精進
第五節 理想への情熱

第九章 大宇宙と小宇宙の神秘
第一節 プラーナの制御とクンダリニー
第二節 タントラとシャクティ
第三節 神秘の宇宙

第十章 奉仕と献身の道
第一節 利他的行為の実践
第二節 自己犠牲と慈悲の行為
第三節 ヨーギーの行為

第十一章 真の愛
第一節 バクティ
第二節 神に近づく
第三節 甘美な愛
第四節 愛の極致
第五節 信仰と芸術

第十二章 信仰
第一節 純粋な信仰
第二節 信仰を育む
第三節 神への開け放し

第十三章 瞑想――基本編
第一節 瞑想の基礎
第二節 瞑想の実践
第三節 識別の方法

第十四章 瞑想――実践編
第一節 識別瞑想の実践
第二節 死の瞑想
第三節 真我への瞑想
第四節 聖者・神への瞑想

第十五章 宗教と社会
第一節 ヨーガと宗教
第二節 ヨーガと社会

第十六章 聖なる存在
第一節 ヨーギーとしての在り方
第二節 覚者
第三節 グル

前半は、誰もが生きていく上で直面するだろう、様々な問題に対する秘訣や指針となる教えが編集されています。そして、その上でヨーガの目指すもの、またそれを実現するために学ぶべき世界と心の仕組み、ヨーガの道についての教え、具体的な日常の実践が纏められています。
後半は、ヨーガを一層深めていくために、クンダリニー・ヨーガ(神的エネルギー、女神とシヴァ神の合一)、カルマ・ヨーガ(無私の行為)、バクティ・ヨーガ(神への信愛)、そして瞑想、識別、更にはヨーガの成就者とグル(師)について学べるように構成されています。

まずは前半でしっかりと基礎を学び、後半に進んでいただけたらと思いますが、それぞれの人の答えを求める項目から、また関心があるところから、読み進められるようにもなっています。
皆さま、どうぞお楽しみに〜!!!

師が長年にわたり、世界各地で真理を解き明かしてこられた全ての記録から厳選された教えが、ここに著されています!
この書は、これからヨーガを学ぶ人、そしてすでに熱心に実践している人、また未来に縁をもって道を歩む人にとって、かけがえのない導きと祝福となることでしょう!

マハーヨーギーの真理のことば

初期の頃の校正紙 師にも何度も目を通して頂きました。

11月発売予定!!
マハーヨーギーの真理のことば

サットグル・シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ著
A5版 536ページ
8,800円(税込)

マハーヨーギー・ミッション 


待望の新刊 11月発売予定!!

今日は、とっても!とっても!嬉しいお知らせがあります!
師が説かれた真理の教えをまとめた新しい本が、まもなく出来上がります〜!
師にも編集、装丁デザインなどご尽力いただき、長年かけて取り組んできたのですが、この度、ようやく出版の目処が立ちました。
タイトルはーー『マハーヨーギーの真理のことば』です!!!

師はこれまで45年以上に渡って、世界各地で多くの道を求める人々、人生のさまざまな問題に苦悩する人々を永遠・普遍の真理へと導いてこられました。今回発刊する本は、その間残された1997年〜2019年の貴重な記録の中から厳選・抜粋されたものになります。

ヨーガを学んでいる方はもちろん、まだ知らないという方でも、基本から理解と実践を深め、読み進めていくことができます。
全536ページと、あのヨーガのロングセラーといわれる(ご存知の方も多いと思いますが)『あるヨギの自叙伝』(パラマハンサ・ヨガナンダ著)と同じくらいのサイズ感になる予定で、ヨーガの教えがくまなく網羅された、とっても濃密な、ボリューム豊かな内容になっています。探し求めている答えがすべてここにある!と思える本だと思います。

内容については今後、追ってご案内させていただきます。
どうぞ楽しみにしていてください!

 


マハーヨーギーの真理のことば

サットグル・シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ著
A5版 536ページ
8,800円(税込)

師シュリー・マハーヨーギーが語られた全記録から編纂されたヨーガの集大成、全16章。
インスパイアーに満ちた師の真実の言葉は、人として生きる真の意味を喚起させ、霊性の道を歩むかけがえのない祝福と導きとなるだろう。


マハーヨーギー・ミッション 


ヨーガによって辛い記憶から解放される

”サンスカーラ——心の潜在残存印象

サンスカーラを消していくのは真実の智慧だけです。だから実存だけに集中していってください。
サンスカーラは何かに依存しています。心の記憶とプラーナ、そして条件です。条件というのは煩悩、無知のことです。瞑想における真実の智慧は、心の記憶にゼロというサンスカーラを残していきます。
例えば心の記憶というフィルムにたくさんの映像(サンスカーラの記憶)があるとするでしょう。真実の智慧はその映像を消していきます。だからサンスカーラに集中する必要はありません——煩悩と無知から出たものですから。そして積極的な真理への瞑想が深まっていけば、心の中で識別が行なわれます——真理と無知の間で。サンスカーラは無知に依存するものですから、それで消えていくのです。あとは実践です。”

『ヨーガの福音』より

経験は、喜びや悲しみなどの感情と共に記憶として残ります。特に印象が強い記憶は繰り返し思い起こされ、その時の感情を何度も味わうことがあります。

私は、思い起こす度に苦しくなっていた記憶に全く影響を受けなくなった経験があります。
一つは、小、中学生の頃にいじめられていた記憶です。
当時は毎日不安で、特に辛い出来事が起きる度に絶望感に支配されていました。大人になってからも、突然記憶が蘇り辛くなったり、その頃過ごしていた場所に行くと足がすくんだり、いじめた側の人たちを見かけると息苦しくなって体が震えたりしました。
当時暮らしていた地域を離れてからはそうしたことは減りましたが、何かの拍子に思い出しては苦しくなるのを繰り返していました。
ヨーガを始めて、サンスカーラについての教えを知った時、心の記憶にゼロというサンスカーラを残せたら辛い記憶も綺麗さっぱりなくなるんだ、と淡い希望のようなものを感じました。瞑想は難しかったので、まずはアーサナを続けてみようと思い、少しずつでも毎日やるようにしました。
それから2、3年経った頃、当時暮らしていた地域に行ったところ、懐かしさだけを感じました。思い出す度に味わっていた苦しみがなくなっていたのです。おそらく、アーサナの実践によってプラーナ(気)が清浄なものへと調えられ、心身が満たされたことで、記憶に執着する力が働かなくなっていたのではないかと思います。

もう一つは、家族との間で起きた出来事の記憶です。
物心ついてからずっと囚われていて、そのことを考えると動揺するため、向き合う勇気が持てないまま月日が流れていました。しかし昨年、あることを機に何をしていてもそのことが頭から離れない状態になってしまい、向き合う覚悟を決めて識別に挑みました。
向きあうことは思っていた以上に辛くて何度も挫けそうになりましたが、原因は必ず自分の中にある、と、そこに辿り着きたい一心でもがきました。
しばらく経ったある夜。疲れ切った状態で識別瞑想していると、急に思いが噴き出してきました。次から次へと記憶に強く結び付いていた感情が溢れ出し、かつてないほどの負のエネルギーに引き摺られそうになりましたが、抗わずにただそれを見つめることに徹しました。息ができないような苦しさの中、自ずと意識が師へと集中していきました。いつの間にか湧き出ていた感情はすっかりなくなり、心は静かになりました。目を開けると師のお写真がすっと視界に入り込んできて、この上なく平安な気持ちに満たされました。
その後、その頃の出来事や感情を意識して思い出しても、動揺することがなくなりました。記憶として存在はしているけれど、ただ映像を眺めているような感覚になりました。
識別瞑想に挑んでみたものの、あまりに苦しく師にすがるしかないような状態に追い詰められ、自然に師の存在に集中する状態になり、師の純粋さに染められたことで、記憶に絡みついていた感情が消え去ったのだと思います。

「心の記憶にゼロというサンスカーラを残していく」
この「ゼロ」ってすごいなあと興味を持ったのが始まりでしたが、この2つの経験から、ヨーガの実践によって本当にそうなることを実感しました。

ヨーガによって、苦しみの原因を根こそぎ取り除くことができる。
これほど確かで心強いことは他にはないと思います。

鮮やかなオレンジ色のほおずき。毎年8月になると職場である治療院に飾ります。
オレンジ色はサンニャーシン(出家者)が身に付ける糞掃衣(ふんぞうえ)の色として、放棄の象徴とされています。

ハルシャニー


心躍る新緑〜松山特別サットサンガ 振り返り

新緑が輝き始める季節になると体と心が自動的に松山特別サットサンガを連想し、喜びと感謝に満たされます。6年前のちょうどこの季節、2016年5月21日に私たちの敬愛する師は愛媛を訪れ、松山・今治で3日連続で特別サットサンガを開催してくださいました。
(当時の記事はこちら⇨1日目2日目3日目
松山のスタッフはゴールデンウイーク中、ほぼ毎日集まり、家族以上に長く一緒にいて無我夢中で準備をしました。真剣さの中にも常に喜びがあり、スタッフの絆がさらに強くなりました。真のヨーガを一人でも多くの方と分かち合いたいと願い、師を松山にお呼びしたくて地道な活動が始まって11年越しで特別サットサンガが叶いました。


そのサットサンガで印象に残っている質疑応答の一部を要約してご紹介します。
質問者が「以前、本質を見ることが問題の解決になると教えていただいたのに、つかめない。本質を見られるようになるには今の自分の心をしっかり見て、何が本当なのかを徹底的に理解していくことでしょうか。その他にはありますか」と問い、師は次のようにおっしゃいました。

他にはありません。自分自身の本質、あるいはこの世界、宇宙の本質と時々いいますが、この本質が意味するところは真実のもの。真実のものということは、永遠に不滅の存在のことをいっています。昔から、この体の中にあっては魂と呼んでいたり、またこの宇宙にあっては神と呼んでいた存在、それらは架空のものではないのです。実にありありとした、まぎれもない存在としてリアリティをもった唯一のものです。それに比べれば、この体や心は生まれてきて変化をしながら、やがてなくなります。心も幼少の頃から成人し、やがて年老いて、そのさまざまな状況の中で考えたり感じたり、いろんなことを、いろんな働きをしますけれども、それらはその状況に応じて働いている、そういうものです。いわば、この世界の中で生きていく上での道具のようなもの。それが体と心の役割なのです。
ただ間違いが生じて、心の中にあるエゴイズムというエゴ意識ですね、これをあたかも自分だと思ってしまう。そうすると他者との距離が生まれ、そこに差別が生まれ、隔たりが生まれて、またさまざまな問題が生じてしまう。これが人生におけるすべての問題の原因にもなっています。言い換えれば心が心自身を知ること、本当の心のあり方を知ること、本当の主人は心ではなく、その奥に在る純粋な意識、魂、あるいは神の存在、そういうことが体験できたら、すべての過ちはなくなります。
(中略)
このことを学び、そして今まで間違っていたエゴが主人であったならばそれをただ正しめるという、本来の心そのものの役割に回帰させる、そして本当の自分を知ること、これが本質という言葉の意味するところなのです。

すべてを優しく包み込むような師の慈愛に満ちた口調が会場に静かに響き渡り、言葉を超えた細やかな振動が私たちの心を真実へと向かわせました。言葉の意味を頭で理解するのではなく、真実を体感する。これこそがサットサンガの醍醐味です!
「リアリティをもった唯一のもの」への憧れはますます高まり、師に励まされた一人一人は今も弛まず力強くヨーガを邁進しています!
コロナ禍で師にお会いすることはできませんが、常に真理に心をぴたっと貼り付けて、師に再会したとき、師に喜んでいただける自分でありたいです。毎日が心を清らかにする準備だ!と熱意をもって軽やかに精進していきたいです。

アーナンディー


真実という宝

松山のヨーガ・サーラ・スタジオに通う太宰さん。昨年より松山のスタジオだけではなく、MYMのオンラインクラスを最大限に活用され、誰ヨガ、瞑想専科バクティ・ヨーガ編、バクティ・サンガムなどにも熱心に参加されています。実は最近、太宰さんに大きな心境の変化があったとのこと。今回はそんな太宰さんにインタビューをしてみました。

 ――――――――――――

Q: 最近はよく日常でキールタンを歌われているそうですね。歌われていてどうですか?

太宰さん: (笑顔で)キールタンはすごいですね! 元気になる。楽しい! 今は日常生活において、掃除、洗濯、食事の用意の時もとにかくずっとキールタンを歌っていて、それが自然となっています。嫌なことがあってもキールタンを歌うようにしたら、自然と笑顔になるんです。とにかくキールタンが好きになって、めちゃくちゃ楽しいです!

 

Q: 何かきっかけがあったのですか?

太宰さん: 昨年、瞑想専科バクティ・ヨーガ編に参加しました。そこで、「信じることができればそれでいい。これ以上のものはない」というラーマクリシュナの教えが紹介されたんです。それを聞いて理解はできるけど、では自分はどうしたらいいのかなって思って。講座では実践方法や体験談も紹介されていたので、私にもできるかなと思って、二つのことを実践しようと思いました。一つは、キールタンができるかなと思いました。

Q: そうなんですね、あと一つは何を実践されているのですか?

太宰さん: 信じるということはどういうことかと思った時に、真剣さが一番だけど、信じることに対しても(自分には)謙虚さがない。そう思って、とにかく(瞑想に)座る、ということを決めました。「純粋で素直な信仰心をお与えください」ってお願いするだけなんですけど、まずそこからと思っています。最初からはできませんでしたが、回を重ねて講座の終わり近くになって、もっと真剣に頑張ろう!本当に変わりたい!変わらなければいけない!と強く思いました。

 

Q: 実践を続けてこられた中で、何か気付きや変化などはありましたか?

太宰さん: 以前、ヨギさんが松山に来られた時のサットサンガで、いろんなことに執らわれている悩みを相談した時に、「目の前に宝物があるのに、もったいない!」と言われたことがあるんです。それで、目の前の宝がどういう意味なのか分かりませんとお聞きしたら、「至福という――壊れない幸福のことを至福といいますが――そういう歓びに満ちた状態、それがその宝の山の正体なんです。それはどこに在るのかといえば、自分の中に、胸の中に在るんです」と言ってくださったんです。ただ、言葉上は理解していたんですが、本当の意味では理解できていなくて。

それで、瞑想専科の最後の方なんですが、座っていた時にやっとその宝の意味を理解できて、あぁ、これと同じことをヨギさんは教えてくださっていたのかなと思いました。宝というのは、真実であったり、真理のことです。瞑想専科で学んだ神への愛ということと自分はマッチして、同じことなのかなと捉えました。私はこれまで非実在のことでいっぱいで、たくさんの時間を費やしてきて、本当にもったいなかったなぁと思いました。
まだまだ、これまで積み重なってきたものがふつふつと出てきたりするんですが、今は「もったいないからやめよう。ここに真理があるんだ!」というふうに言い聞かせて、そのように思いを変えていくというようにしています。
やっと、スタートに立てたかなと思っています・・・こんなこと話したら、いいようにばっかり言っているように思うんですけど笑。

Q: それは本当に良かったですね! 今後の目標はありますか?

太宰さん: 今、していることを頑張って実践して、体得して、心が穏やかになりたいです。そして神を感じて、神で(身も心も)パンパンになりたいです! そして、次にヨギさんにお会いする時には、「目の前の宝、頑張ってつかんでいます!」というふうに言えるようになりたいです。

――――――――――――

 インタビューの間も、真剣でありながらも、終始とても楽しそうな笑顔を見せてくださった太宰さん。本当に心が軽やかになられた様子と実践の大切さが伝わってきました。

目の前にある宝を、私たちもつかんでいくことができますように!

MYM京都 


本当の自分は何があっても変わらない

国立市にある谷保天満宮の梅。梅の花が咲き始めると、いよいよ春が近づいてくる感じがします。
 

〝…私というのは何者であるのか。そう、私というのは変わらないのです。身体の状態がどうであ れ、世界のありさまがどうであれ、また心がどういうふうに反応しようが、それらを全て、ただ知っている、見ている——そういう意識のことです。もちろんそれは自我意識ではありません。自我意識というのは自己と他を区別する自己中心的な意識のことをいいます。それは心の領域のものです。心を造り上げている一つの大きな柱です。本当の私というのはそれをも知っている、さらにその奥にある意識のことです。
本当に不思議なメカニズムですけれども、誰もが私という自分を意識しているに違いないのですから、自分が自分を知らないということはないはずです。でも今言ったような、心と真我の意識との区別——別ものであるという——これがはっきりと識別されれば、一切の迷いや悩みは解消していきます。学ぶべきことはそれです。そしてそのための具体的な方法が瞑想であり、またそれを調えるために呼吸や身体を調節していくわけです〟

『悟り』より抜粋
 

私は見ている意識のことを初めて知った時、なんて面白い考え方なんだろうと興味を持ちました。 理解するのに時間はかかりましたが、ヨーガを学び実践するにつれてそれは確かにあるのだと感じられるようになりました。
次第に、その見ている意識が本当の自分であり誰もの中にあるということを思うと、どの命も尊くて愛おしいと感じるようになりました。

これは私がヨーガを実践しているから感じられるようになったのか? ヨーガを知らない人たちには感じられないことなのか?

ふと気になるようになったある日のこと。高齢の患者さんと話していると、ご自分と同世代の方々のことをおばあさんと言っているけれど、ご自身のことはおばあさんと思っていないような口振りで、自分のことは年齢に関係なくただの自分として認識しているのかな、と感じました。
それからしばらく経ったある日、子育て中の患者さんが、「自分はずっと自分のことを知っているから、子供を産んだり歳を取ったりしていてもずっと同じような気がする」と話されました。
この2人の方の中にも「ただ見ている意識=何があっても変わらない本当の自分」が確かに存在しているという、証のようなものを感じました。
それがあると知らなくても感じているのなら、何かのきっかけでもっとはっきりと感じられるようになる可能性が誰にでもあるはず。

今世の中では、他者との違いを見て区別や差別をする傾向が強まっているように感じます。それぞれの信念を貫き通すために他者を傷付ける言動に及んでしまうケースも少なくありません。
1人でも多くの人が「何があっても変わらない本当の自分」を体感し、自分以外の誰もがそうであると感じられたら、思い込みや偏見のないまっさらな目で見て、囚われのない心を持って互いを愛おしむことができるのではないか。

身体の状態がどうであれ、世界のありさまがどうであれ、また心がどういうふうに反応しようが、 何にも影響されない変わらない自分がいる。 この真実があるということが今を生きる人にとって救いなのではないかと思います。

 いつまでも見続けていたくなるほど美しい『悟り』の表紙。

ハルシャニー


オーム・ナマ・シヴァーヤ

「オーム・ナマ・シヴァーヤ」というシヴァ神を称えるマントラに取り組んでいます。
最近、マントラを唱えていると神様に触れたような感覚や目の前の景色に神様のプラーナ(気)を感じる瞬間が、時おり訪れるようになりました。

2019年10月のサットサンガより(京都アスニー)

2年前、サットサンガでヨギさんに神様を信仰することについて質問した時に、

オーム・ナマ・シヴァーヤをやっていったらいい。

と言っていただきました。
当時の私は集中力も忍耐力も全然なくて(今もないけど当時よりはあります)、マントラの実践なんてとてもできないように感じました。
朝にシヴァ神の祭壇の前でマントラを唱え、その後朝の支度を始めるとマントラを忘れてしまって次の日の朝まで思い出さない、ということが繰り返しありました。
それでも少しずつですが、生活の中の隙間の時間や単純作業をしている時に、マントラを思い出すようになりました。

マントラの感覚に変化を感じ始めたのと同じ頃に、1つの悩みが消えました。
仕事中など、目の前の相手の中に神様を見ることを心がけていますが、以前は苦手なタイプの人に対してはそれが全くできなくて、そんな自分を情けなく感じていました。
マントラの感覚の変化とともに、苦手と感じている人の中にも愛しい神様がいることを微(かす)かにですが感じ取れるようになりました。
そして以前は逐一(ちくいち)引っかかっていたその方の言動に対して、あまり何も感じなくなりました。
特に忙しい時や体調がしんどい時などには今も反応していますが、以前よりも忍耐強く接しようと心がける気力が湧いてくるようになりました。

ヨギさんは私が自分の力を全く信頼していなかった時に、私の中にある本来の力だけを見てマントラを授けてくださったのだと思います。
真実の愛、という言葉にずっと憧れていましたが、ヨギさんのお言葉、行為、1つ1つが真実の愛を見せて下さいます。弟子の仕事はグルを見習うこと、だそうです。
もっともっとマントラを深めていって、ヨーガに励み、いつかは自分自身が真実の愛を実現したいと強く願います。

ナタラージャ(シヴァ神)

船勢洋子


海と波

他県への移動が難しい状況になって、はやいもので一年。どんな一年を過ごされていましたか。私は、力んで空回りしたり、時には迷走することもありましたが、その度に様々な形で師に導かれて、ヨーガを続けられたように思います。そんな中で、師の教えがつまった『ヨーガの福音』が私の希望となって、道を照らし、なくてはならないもののひとつになりました。

至高の真実は名も無く形もなく、ただ存在である。
 それだけが真実在であり、真我であり、神と呼ぶものである。
 その一つなるものが一切万物として顕現しているのだ。
                   シュリー・マハーヨーギー

 この教えのように、すべてのものの中にある神を感じたい!それが、ありありと存在することを見たい!しかし、日常の中でそれを行うには、とても難しいことだと感じていました。
ある時期、仕事先が遠方のことが多く、そこへ向かう乗合の車の中で『ヨーガの福音』を開き、開いたところに書かれている教えを読み、それを感じながら、考えながら現地までの時間を過ごすことが日課になっていました。

それは海と波のようなものです。
 心はいろいろな波の形に巻き込まれてしまう−−−だから心は違いを見てしまう。
 でも本当は一つの海しかない。
 至高の真実には形もない、名前もない、ただ存在するだけ−−−
 それだけが「実在」であり、それは生まれも死にもしない。
 それが私たちの真我であり、神とよばれている。
 その至高の意識が一切万物として顕現しているのだ。
                  シュリー・マハーヨーギー

松山 双海海岸

 ある日、海岸線を走る車の中から、ぼんやり海をながめていると、突然、「それは海と波のようなものです」という教えの真意が体感となってやってきました。日常の中のすべてにおいて、私が見ていたのは波だったということが明確にわかったのです。「えー!!あれも、これも!!ぜんぶ波だったんかい!!」思わず、ツッコミを入れるほど、自分が波を見て、あーでもない、こうでもないと真面目に巻き込まれ、批評していた姿が滑稽で、一気に波への興味が冷めていくのがわかりました。その一方で、海の存在を同時に感じたのでした。「なんて静かで穏やかなのだろう」身を委ねると、一瞬で心が満たされ喜びが溢れる、波とは異なるその体感は、師にお会いした後、「また会いたいなぁ」と自然に思ってしまう、それに似ていて、いい意味で中毒性がありました。それ以来、日常の中で起こる出来事や自分の心の動きを感じると、「それは波だよ。あるのは、海だよ。」というと自然に体感した海へとシフトされ、識別がなされました。そして仕事の合間には、自ら海に飛びこんでいます。

 この体験は、ひとつのきっかけに過ぎません。大切なことは、いつでも、どんな時でも、聖典を読んだり、大好きな覚者や聖者の写真を見たり、オームやマントラ、神の御名を唱えて、心を神聖なものに向けておくことだと感じています。まだまだ、みんなで集うことは難しそうですが、感染対策とあわせて、波に巻き込まれない対策も徹底して楽しんでこの難局を乗り越えていきましょう!

オーム・タット・サット・オーム!!

山口正美