投稿者「飯尾 洋平」のアーカイブ

ブログ新企画『ゴパーラが行く〜あるヨギのお散歩〜』    vol.1 御金神社編

皆さん、こんにちは。
ゴパーラです。
今回から、ブログ新企画『ゴパーラが行く〜あるヨギのお散歩〜』のスタートです。
第1回目は、京都中京区にある「御金神社」に行ってきました〜😎

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眩しいほどに光る、金色の鳥居と献灯。
この御金神社はおかね神社ではなく「みかね神社」といって、刀や農耕器具の鋤・鍬、金銀銅の貨幣などの御金(みかね)を護る神様をお祀りしている国内唯一の神社とのこと。
「ここ、ご利益ありますよ。仕事帰りに毎日お参りして、給料がアップしました」という方がいるなど、22時近くにもかかわらず、多くの人が参拝していました。

この神社、鳥居をくぐるとすぐ右手に、何やら巨大な物体が👀⁉️
何と驚くことにそれは、お金のご利益を祈願した絵馬の固まり、まさにお金の怪物でした〜😅

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人間のお金に対する願いというか願望に唖然……

しかし、このお金のモンスターを目の前にしても不動の男が……
そう、そのお方は今回のゲスト、チャイタニヤさんです‼️

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「2017年1月14日、Mr.嶋田は死にました」とのことです。

「金、女、煩悩ばっかり、必死で追いかけていた。苦しくて、虚しくて、溜息ばかり。涙ポロポロ、心ズタボロ……ボロ、ボロ、サブミラボロ(讃えよ、讃えよ、皆で讃えよ)、オーム・ナマ・シヴァーヤ!」
と昨年、自らの半生をラップしていたザ・バブル世代のチャイタニヤさん。
お金の酸いも甘いも知っている彼が最近、師であるヨギさんや先輩弟子の質素な暮らしと在り方を見て、「お金の使い方を見直している」とのことで、「お金と布施」についてヨギさんに質問していました。
以下が、その時のヨギさんのお教えです。

「心を蝕んでいるものは、カルマであり、また煩悩であり、無知であるという大枠はだいたい理解していると思う。それらの象徴的なものが、お金であったりするわけです。お金に執着があるということは、他(た)の物欲、煩悩、欲望、さまざまなものへの執着がそこに潜んでいるというふうも見えます。だからその象徴的なものであるお金を、聖なるものに喜捨する。『喜捨』――喜んで、喜びをもって布施する。ということは、自らの心の内の不要な物欲、煩悩、そういうものを減らしていく、無くしていく、そういう働きにもなります。それで、仏教なんかでも布施行というのがあったり、六波羅蜜という波羅蜜行というのがあるんですけれども、六つの段階があって、その最初に布施波羅蜜といって『布施をしなさい』ということが教えられます。それは今言ったように、心を浄化する効果がある。やはり物欲の象徴は、金銭欲、執着ということになりますから。その意味でも、布施というのは正しく実行するのが望ましいと思います」

お金への執着はその裏に煩悩や欲望が潜んでいて、そのお金を聖なるものに布施する行ないは心の浄化に繋がる――
チャイタニヤさんは、「お金について見直すことは、生活を見直すことになった」と話し、実際に外食やお酒、無駄な買い物を避けているそうで、師から「何もやめなくてもいい」とのお墨付きをいただいた彼が、自発的にお金をセーブして布施を実践しようとしている姿勢からは、何か強力なエネルギーを感じ、とてもインスパイヤされました。

お金は衣食住の確保や家族を養うためなど生活において必要な物ですが、だからこそ、この人生においてその大切なお金をどのように理解し、どう使うのか――
「お金のベクトルって、人生のベクトルなのでは👀?」
そのようなことを感じたチャイタニヤさんとの交流でした。

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「新しいアーシュラマが……」とつぶやいていました💫

ゴパーラ👶


『あるヨギの自叙伝』を読んで(1)――バガバティ・チャラン・ゴーシュ――

皆さん、こんにちは。

最近、「無所有」に思いを巡らせているゴパーラです。

「むっ、無所有?! ついに家や財産を放棄して、出家するのか?!」と思う方もいるかもしれませんが(いないかもしれませんが)、元よりそんな🏠💰は持っていません。

ヨーガにおいて無所有とは、単に物を持っていないことではなく、心に何の思い煩いもない「無執着」の境地を意味しています。

私の今年の目標である真実の自己「アートマン」に目覚めるためには、その実現を阻んでいる心の煩悩や執着を無くさないといけないので、今はそれらの原因に識別・瞑想しています。

そんな中、一週間ほど前から、パラマハンサ・ヨガナンダの『あるヨギの自叙伝』を読み返しています。

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聖典に限らず、小説や映画などを改めて見返すと、「あれ、こんなところ、あったっけ?」といった具合に、感じ方や印象が違うといったことはありますよね。
特にそれが良い作品であればあるほど読む度に、まるで初めて触れたかのような新鮮な発見とそれに伴った喜びがありますよね。
私はこの『あるヨギの自叙伝』を読むのは3度目ですが、今回もありました、その新鮮な発見と喜びが!
それも読み始めた4ページ目で!!!

そこには、鉄道会社に勤めていたヨガナンダの父バガバティ・チャラン・ゴーシュについて書かれていました。

父は、子供たちが小さかった間は、厳格なしつけを施した。そして自分自身は、文字通り謹厳で質実を旨としていた。例えば、劇場へ行ったことは一度もなく、楽しみといえば、霊的な行か、バガヴァッド・ギーターを読むくらいのものであった。
父の退職後、その鉄道会社にイギリス人の会計検査官がやって来て、検査をして驚いた。「この人は三人分の仕事をしているじゃないか」――
未払いのボーナスが支給されるも、父は大して問題にしていなかったので、忘れて家族にも話さなかった。よほどたってから、私の末の弟ヴィシュヌが、銀行からの通知書にこの多額の預金があるのを見つけ、驚いて父に尋ねると、父は言った。
「物質的な利益に、どうしてそんなに有頂天になれるのだ。心の落ち着きを人生の目標にする者は、自分の持ち物が増えたからといって喜び、減ったからといって悲しんだりするものではない。人間は裸でこの世に生まれ、無一文でこの世を去るのだ」

これぞ、物の有無ではない本当に清々しいまでの無執着の境地、また結果に執らわれず自らの義務を淡々と行なうカルマ・ヨーガのお手本であると、とても感銘を受けました‼️
併せて、劇場などの娯楽に一切興味がなかったという心境も、見倣うべきところです。

「さすがはインド人、宗教が生活に根付いている」と一見思ってしまいますが、ヨガナンダの父バガバティも最初からそうではなかったそうです。
彼は霊的な修行をする以前は、鉄道員の同僚がバラナシにいるグル(霊性の師)に会うために1週間の休暇を願い出た際、「君は狂信者になりたいのかね? 出世しようと思ったら、今の仕事に精を出しなさい」と言っていたほど、霊的なものに偏見がありました。
感覚的には、現代の日本人と何ら変わないですよね(笑)。

ではなぜ、そんな彼が180度、人生観が変わることになったのでしょうか?

それは師ラヒリ・マハサヤと出会ったからです。(続く)

 

ゴパーラ👶


ブラヨーヘイ vol.11(最終回)ハン六編

今回のブラヨーヘイは、京都伊勢丹10Fのハンコ店「ハン六」に行ってきました〜😎

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皆さんは普段、ハンコをどのくらいの頻度で使用されていますか?
僕は介護の仕事をしているのですが、仕事の終わりには必ず記録表と実績表というものにハンコを押すこともあって、毎日のように使用しています。
そのため今回、ハン六さんでは、キャップの取り外しのないキャップレスタイプのシャチハタを購入しました😁

個人差はありますが、日常的に使用しているハンコ。
でも、実はすごく重要なものでもありますよね。
一人暮らしを始める時、親からは「絶対に保証人のハンコは押すな」と言われたことを、今でも覚えています。
誰かの保証人になる時や銀行口座の開設、家の購入、婚姻届けなど、ハンコを使用する時というのは人生の大事な場面が多く、サインとはちょっと重みが違います。

ではなぜ、このようにハンコは人生の重要なシーンで使用されるのでしょうか?

以前ヨギさんは、ヨーガの教えるムドラー(印)に関連して、ハンコについて次のようにおっしゃっていました。

「ハタ・ヨーガというタントラの中での中心的な教えは、ムドラーというものがあります。ムドラーというのは印(ルビ:いん)というふうに訳すことがあります。判子の印です。判子というのは中国とか日本なんかでは、その判子そのものがその人を象徴するわけです。だからそれをもっといえば、その人そのものだというふうにいえるわけです。もうそれぐらいにムドラーというのはその本質、あるいは実体と同じものというふうに理解できます。ヨーガにおいては、特にハタ・ヨーガにおいては二十いくつのムドラーが数えられますけれども、それぞれの形は簡単なのです。アーサナよりもむしろもっと簡単。しかし内面におけるプラーナの制御とかそれから心の集中力とか、そういうものをともなっているので、ムドラーが深まれば即サマーディをもたらすと。サマーディをもたらすということは、ヨーガの究極の境地を表すわけですから、その体験に密接な関係をもっているものとして価値が認められているわけです……その他、無数にムドラーがあります。特に日本では密教系の仏像なんかは、みんないろんな手の形をもっています。それらは全部名前が付いているのです。だから仏像の手の仕草というか形は、すべて何らかのムドラーの名前が付けられているはずです。そのように本質を表すものがムドラーだということです」

ムドラー&ハンコ、恐るべし‼️「ムドラーが深まれば即サマーディをもたらす」「判子はその人そのもの」――なぜ、ハンコが人生の重要な場面で使われるのか、理解できました😁

そして最後に、皆様にご報告があります。
今年に入り、師から「ゴパーラ」という法名をいただきました。
ゴパーラとは、主クリシュナの幼少期の名前です。

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師から見たら、僕はこのような感じなのでしょうか😅?

そのため、突然で申し訳ないのですが、ブラヨーヘイは今回で最終回にせさていただくことに決めました。
読者の方々、また撮影に協力してくださった方々、短い間でしたが、ご拝読いただき、本当にありがとうございました。
次の新しい企画が「ブラゴパーラ」になるか、また全く違うものになるかちょっと分かりませんが、楽しいブログになるように検討中です❗️
今後もどうぞよろしくお願い致します🙏

ゴパーラ👶


謹賀新年

皆様、明けましておめでとうございます🎍🌅
本年もどうぞよろしくお願い致します🙏
2017年最初のブログは、ヨーガ・ヴィハーラの瞑想会の様子をお届けします。
毎週月曜日、ヨーガ・ヴィハーラでは瞑想会が行なわれていますが、昨日の1月2日は月曜日ということで、お正月にもかかわず、ヨーガ・ヴィハーラの住人のヨーガダンダさんのご厚意で瞑想会を開催していただきました。

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私の今年の目標は「自己実現」ですので、私は真実の自己であるアートマンに瞑想しました。
参加者はヨーガダンダさんと私の2人でしたが、お正月ということもあって、普段よりも静かなプラーナが流れ、2時間の瞑想もいつもより早く感じられました。
このように、ヨーガの仲間と集える場所があることに深く感謝し、今年は自己実現という大いなる目標に向かって一日一日、ひいては一瞬一瞬をアートマンに留まれるように努力していきたい所存であります。
そしてその内面の充実が、ブログにも反映されたらと思っています😁
本年もブログ「ヨーガを生きる」をどうぞよろしくお願い致します🐓

飯尾洋平


インドナイト&今年の振り返り!

今年も残すところ1日ですが、皆さん年末はいかがお過ごしでしょうか?
昨日の12月30日、私たちはインドナイトというイベントに出演しました!

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昨年の年末からインド古典音楽の方たちを交えて行なっている『The Eternal Quest』のアーサナ・瞑想のデモンストレーションの再演ですが、「今年も年末にやろう!」ということになり、このイベントが実現しました。
場所は、友人が住むシェアハウス「KNOB」の屋上。
ビニールハウス型になっていて、その屋根の形や照明、見晴らしのいい景色は、インドやネパールの宿を彷彿とさせる不思議な空間!
イベントは、アーサナ・瞑想と『ウパニシャッド』の詩の朗唱、キールタン、インド古典音楽、また当日に急遽参加が決まった前職場の先輩の弾き語りがありました。以下がその時の写真です!

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アップで見ると、集中感が伝わってきますね。森岡さんの視線が凄い!

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志世ちゃんとグルダースさん。神の御名の連呼でまさに、神っていました(笑)!

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グルダースさん夫婦のお子さん真理ちゃんをパシャリ〜😁📷

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インド古典音楽のお三方。流石の演奏でした😇

昨年から再演させていただいている『The Eternal Quest』のアーサナ・瞑想のデモンストレーションですが、私自身、初めの頃はそこで朗誦される『ウパニシャッド』の詩の内容が全く理解できませんでした。
しかし、今年1年間イベントを行なっていく中、その言葉が少しずつですが、心に染み渡っていくような感覚がありました。
その前半部分をご紹介させていただきます。

この宇宙はどこから来たのかーー。
私は誰か?
どこから来て、どこに行くのだろう。
聖者たちは瞑想に没入し、自らの内に永遠なる真の自己、自ら光り輝く唯一の神を見た。
彼は唯一にして第二のものをもたない。彼は宇宙の主であり、一切万物の主である。
真実のところ、あなたは神と一つである。
あなたはこれを知らなければならない。
それ以外に知るべきことは何もない!


話は少し変わりますが、今年1年を振り返ると、本当に多くのことがありました。
新年会でのラップ、NYのグルバイとの交流、御聖誕祭の聖劇など、かなり濃密な1年でした。
ただそんな中でも、いちばんの出来事はやはり、「師の特別サットサンガ」でした。
特に愛媛での3日間の特別サットサンガに参加させていただいたことが、自分の中で大きな転換点だったように感じます。

「真の自己は、この身体でも心でもない、その奥にある永遠の存在」

愛媛の特別サットサンガで師から発せられるお言葉と恩寵によって、この真実が自らの内に芽生えたような感覚がありました。
今年最後の日、この1年を改めて振り返ると、リシ(聖仙)たちによって発せられた『ウパニシャッド』の言葉が感じられるようになったのも、師の存在があったからこそだと実感しました。

私は毎年の年末、師から1年の目標をお聞きしていますが、来年の目標を尋ねると、「そりゃ、自己実現やろ!」ということでした。
そのお言葉をいただいた瞬間、私の内からは歓びが沸き上がりました。
師の導きに心からの感謝を尽くし、来年は「真の自己」を実現できるように、精進していきたい次第であります!

最後になりましたが、ブログ「ヨーガを生きる」をご拝読いただいている皆様、今年1年間お付き合いいただきまして、本当にありがとうございました。
皆様の嬉しい感想やコメントがブログの推進力になっています!

そして今年はラップで1年が始まったので(僕の中ですが…😅)、ラップで締めたいと思います。
では来年もブログ「ヨーガを生きる」を、YO・RO・SHI・KU!!!

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新年会で師に捧げたラップ。成り切っているのか、それともナルシストなのか……ちなみに真ん中はシヴァ神です✋

飯尾洋平


瞑想専科での2カ月の学び

10月20日に京都駅前に開講した瞑想専科も、スタートしてはや2カ月が経ちました〜😃
12月からは、「自分の心が思い通りにならないのはなぜ!?」「不思議!こだわりを手放せば心は軽くなる!」といったテーマで、心と真理について学んでいます。

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私自身、この瞑想専科に参加させていただいて、大袈裟ではなく、いつも新しい気付きがあります‼️
その一つが、「私は誰か?」という「アートマン・ヴィチャーラ(本当の私の探求)」の瞑想です。

真理において本当の私とは、この身体でも心でもなく、その奥にある永遠で絶対の存在だといわれています。
通常は、自分の身体や心を私だと思っていることがほとんどですが、アートマン・ヴィチャーラの瞑想は、時間や状況とともに変化する相対的な身体や心は「本当の私ではない」というふうに、私だと錯覚している自分を「これではない、これではない」と見極め、最終的に心の奥にある本当の私に目覚めていくプロセスを辿ります。

この「私は誰か?」というアートマン・ヴィチャーラの瞑想を少し難しいと感じる方も多いかもしれませんが、講師のサーナンダさんはご自身の体験から、この瞑想について次のように話されました。

「『私は誰か?』というこの問いかけは、心にとって苦しい状況の時に行なうほど、効果を発揮します。例えば疲れている時に、『疲れている私というのは誰か?』と問いかける。すると、一瞬にして疲れは吹き飛びます」

「そんなん、あり得ない!睡眠や休暇を取らないと疲れはなくならない!」と、普通の感覚なら思ってしまいますよね……😅
僕自身、この10月〜11月は御聖誕祭の聖劇の練習を毎日行なっていましたが、芝居の経験はほとんどなく、しかも人生初の主役ということで慣れないことが多い中、「ちょっと疲れているな……」と心がつぶやくことがありました。
その時、サーナンダさんの言葉を思い出し、「疲れている私というのは誰か?」と心に問いかけました。
すると胸の中央が熱くなり、一瞬にして疲れが吹き飛んでいきました😲‼️
その後も心がつぶやく時、この瞑想をすると一瞬にして疲れがなくなる体験が何度かありました。

瞑想専科でサーナンダさんは、「心の思いは雲のよう」とよくおっしゃいます。

先週の瞑想専科後、ある受講者の方が「苦手だと思っていた人に、嫌だという思いをもたずに接すると、とてもよい会話ができました」と感想を話していました。
それを聞いた他の受講者の方が、「本当によかったですね!実際的な効果ですね!」と喜んでおられて、受講された方々のこの2カ月の深まりが垣間見られ、好き嫌いや苦手意識といった心の思いは、本当は雲のようにあってないようなものだと感じました。

明日は今年最後の瞑想専科です。
今までは10分×2ほどの瞑想実習でしたが、明日は30分以上の瞑想にトライします!
お時間ある方、よろしければご参加ください😇🙏

※1/12,1/19, 1/26のみ、以下の会場にて行ないます。
ニュー末広ビル7F 京都駅烏丸中央口より徒歩1分

詳細はホームページをご覧いただけたらと思います。

飯尾洋平


台湾グルバイの滞在記

前回のブラヨーヘイで、3人の台湾グルバイ(仲間)について紹介しました。
彼女たちは京都を訪れる時には隆君と僕が住んでいるシャーンティ・クティーラという庵(いおり)に宿泊します。

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ヨギさんがデザインされ、作ってくださったシャーンティ・クティーラの表札。

今回は2泊3日と短い滞在でしたが、その時の彼女たちの様子を少しお伝えしたいと思います。

庵ではまず、早朝に30分ほど瞑想を行ないます。

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次に掃除をします。

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続いて朝食をとりながら、ヨーガ・トークスをします。
瞑想と掃除をした後は心がすっきりしていて、静かに落ち着いて話せます。
1日目の朝、その話題は「瞑想」についてでした。
台湾で映画の脚本家や小説の作家をされているエセーさんは、シヴァ神に瞑想しているとのことで、「アーサナの後、シヴァ神に瞑想すると、とても集中しやすい」と話していました。
この話を聞いた時僕は、「シヴァ神はヨーガ行者の守護者」とヨギさんがおっしゃっていたことを思い出しました。
台湾でヨーガのクラスをしているリンは、「私は誰か?」という「アートマン・ヴィチャーラ(本当の自分の探求)」の瞑想を行なっていて、その瞑想の中で、過去の経験によってつくられた自分や、変化する世界やそこで味わう幸福は本当のものではないと感じるようになり、それによって心がとても楽になったと目に涙を浮かべながら話していました。
ただ、本当の自分であるアートマンにどのようにアプローチしたらいいか分からないとも話していました。

今回の短い滞在の中、ヨギさんは彼女たちの要望に応えてプライベート・サットサンガを開かれました。
そのサットサンガの中でアートマンについて質問したリンに、ヨギさんは以下のようにお答えになられました。

ヨギ「アートマンの別の呼び名はサット・チット・アーナンダ。サットは存在、チットは意識。なぜならサットを知っている者は自ら自身だから。そしてアーナンダというのは至福と訳される。このサット・チット・アーナンダというのは絶対にして永遠の存在。この肉体は両親から生まれてきて何十年か経ったらなくなります。心もその人生の中でいろんな経験をしながら変化をしてやまないもの。だから身体も心も永遠のものではない。エゴ意識というのは心の一部分なのでこれも永遠ではないから、心を知っている、あるいは心を見ているという純粋な意識が誰もの本質にある。これが本当の自己」
リン「例えば瞑想する時、いろんな思いに気付きましたが、その思いを気付くのは心ですか、アートマンですか」
ヨギ「それはアートマンの意識によって心がそれらを認識している。そのシーンでは心の思いもいつも変化しているし、対象に応じて変化するけれど、アートマンは変わらない、いつも同じ。だから心がいろんなことを経験します――楽しかったり、悲しかったり、嬉しかったり、苦しんだり――でもそれらは常に変化をしているこの宇宙、この世界の晴れの日、曇りの日、雨の日みたいなもの。でもその五官で感じる世界より奥にある本質は、変わらないアートマンだけがある。その真理を学ぶこと、覚者の言葉を学ぶこと。そしてそれに真剣に心の耳を傾けて、そして本当のものを求める気持ちが高まってきたら、それはアートマンに近づいていっていることになる。昨日のジャヤンティーで最初にメッセージを読んだ女性は、保育園でクッキングをしている時に隣の部屋の子供たちの声や様子が感じられて、その子供たちがみんなアートマンだということを直感的に感じたという話だった。そんなふうにアートマン、アートマンと集中している時はなかなかそれをつかむことはできないかもしれないけれど、だけど普段そうやって集中しておくことによって仕事をしている時とか、あるいは何でもない風景の中にそういうものを直感的に感じることが起こります。そして何よりそのアートマンは本当の自分自身だから、それをありありと体験することができる。必ずできる。それには普段から心を軽く、空に、空っぽにしておくことね。アートマンを体験することは目覚めることと例えられる。だから目覚めるタイミングを早くするためには、心に何もないようにしておくこと。もちろんアートマンは神という別名もあります」

――普段からアートマンに集中し、心の思いに執らわれず、常に心を軽くしておくことがアートマンの目覚めにつながるーー
リンは、年に1度か2度しかヨギさんにお会いできない状況にもかかわらず、この世の楽しみへの感心が薄れて本当のものを求める気持ちがますます強くなり、アートマンに近づいているのが感じられ、僕はとても感化させられました。

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下鴨のアーサナ・瞑想クラスにて。左からエセー、ルー、リン。

彼女たちの純粋で直向きな姿は、本当に美しいです。
僕ももっとアートマンへの思いが高まるように精進していきたいと感じた今回の彼女たちの滞在でした。
またお互いに成長して会いましょう、再见(ザイジェン)!!!

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瞑想専科後に撮影。この日はヴィヴィ(薄紫のコートの女性)もいました〜😃

飯尾洋平


「ブラヨーヘイ」vol.10 京都御所編

今回のブラヨーヘイは「京都御所」です〜😎

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家々が軒を連ねて小路が多い京都ですが、京都御所は天皇の住居だったということで、敷地はとても広くて解放感があります。
また自然も多く、いちょうやもみじの紅葉もピークを迎えて、とてもきれいです🍁

そして今回はなんと台湾グルバイ(仲間)のリン、エセー、ルーが撮影に同行してくれました〜‼️

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左からリン、エセー、ルー。京都御所がブリンダーヴァンの森に(笑)

先週の11月23日は私たちの師ヨギさんの御聖誕日でした。
台湾の彼女たちはこの日のために来日し、師への溢れる感謝の思いを祝辞やキールタン(インドの歌)で伝えました。
その御聖誕祭の様子は前回のブログに掲載されています。

それで、今年の御聖誕祭で僕は聖劇に出演させていただいたのですが、人生初の主役にチャレンジしました😆🎬
といっても、ヨーヘイというそのままの名で、しかもかなりひ弱な役柄……聖劇後ヨギさんには「洋平は地(じ)やったな」と言われました……😅
まあ、それはさておき、この聖劇は『アドヴァイタの剣』というタイトルの近未来のお話で、主人公ヨーヘイがバーチャル・リアリティのブッダの仮想世界に行き、そこでマーヤーという悪党に恋人を奪われ、家族を殺されるも、女剣士ブッダと出会い弟子入りし、修行をして最後にアドヴァイタ(唯一無二)の剣を継承され、マーヤーを打ち破るというストーリーです。
このブログでは劇中の修行の1シーンをご紹介させていただきます。

ヨーヘイは女剣士ブッダに弟子入りした時、剣ではなく帚(ほうき)を渡され、掃除を命じられます。

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「掃除ばかりしていても、強くはなれません!」と反発するヨーヘイに、ブッダは次のように教えを説きます。

ブッダ「そう思うか? 激情に任せて剣を振るえば、マーヤーと同じではないか。彼らは常に愛する人を傷つけ、恐怖を抱かせ、欲望を煽ることによってお前を苦しめようとする。しかし、何が起ころうとも、心を静かに保つのだ!無知に支配されるな!」
ヨーヘイ「無知・・・とは何ですか?」
ブッダ「例えて言うなら、この枯葉が落ちないようにと願うことが無知だ。すべては生滅を繰り返しながら変化していく。マーヤーは風に舞う枯葉のように、お前の目を眩(くら)ませるだろう。心を静めて、マーヤーの正体を見破らない限り、討ち滅ぼすことはできない!だから、愚痴が出てこなくなるまで、掃除をしなさい」

ヨーヘイは長い年月に渡って掃除を続けました。
するといつの間にかヨーヘイの心は洗われて空っぽの状態になり、そこで天からの啓示――「師のなさり方を真似なさい。成り切りなさい」――がやってきます。
そしてヨーヘイは掃除をしながら師の剣さばきや日常の仕草を真似ていくのです。

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日本に留学して日本語が理解できるルーはこの1シーンを見て、自分も掃除をしていて同じような心境になったことがあると感想を語ってくれました。
大学を卒業して今年から仕事に就いたルーですが、職場で悩むことが多く、また職場のトイレはきれいではなく、それを見ていつも嫌な気分になっていたそうです。
でもルーはある時、「汚れているなら自分で掃除をしよう」と思い、職場のトイレ掃除を始め、それを続けているとブツブツと愚痴や不平を言っていた心が静かになり、軽くなっていったそうです。

実践からくる体験談で、とても感心させられました。
ヨーガの仲間で数少ない後輩のルーですが、ルーも成長しているなと感じるエピソードでした〜😏(ちょっと先輩面)

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「私たちのアモーレはヨギさん💓」とのことです(笑)

洋平


「ブラヨーヘイ」vol.9 六角堂編

今回のブラヨーヘイは「六角堂」に行ってきました〜😎

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この六角堂は、聖徳太子が587年に創建したと伝えられ、華道家元池坊が住職を務め、いけばな発祥の地としても知られています。

ところで皆さん、京都の地理上の中心地ってどこかご存知ですか?
「う〜ん、御所かな? いや、二条城?」と思うかもしれませんが、実はこの六角堂がその中心地なんです〜😲‼️
僕は京都に住んで15年目ですが、つい最近、師のヨギさんからこのことを教えていただき、知りました〜😁

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六角堂の敷地内にある「へそ石」。六角堂が京都の中心とされたことから、体の中心であるへそになぞらえて「へそ石」と呼ばれています。

それで、この六角堂はその名が表しているように、本堂が六角の形をしています。

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それは六根が清浄になり、角が取れて円満な悟りが成就するようにという願いが込められているそうです。
六根というのは眼・耳・鼻・舌・身・意――人間の五つの感覚器官と心のことですが、じゃあ、それらが浄化されるためには具体的にどういう実践をしていけばいいのかが、修行者としてはポイントになりますよね。

ヨーガの根本聖典『ヨーガ・スートラ』には、感覚器官を制御するプラティヤーハーラ(制感)が説かれています。
以前ヨギさんはこのプラティヤーハーラの実践で大切なこととして、「知足」の教え――真理を悟るために最低限度の物質や環境があれば足りている――それを基本としているとプラティヤーハーラも進めやすくなり、そして「徹底した識別」がプラティヤーハーラの最も大きな要素であると述べられました。
以下がその徹底した識別について説かれた内容です。

「徹底した識別によって感覚器官も行動様式も変化します。生活面における人間関係であれ、さまざまな状況の変化であれ、やはり何かに反応する、動揺してしまうということは、心の中にそれを受け取る要素があるということを意味しています……ヨーガの完成への熱情に一点集中されてくると、その他の世間的な物事に対しての識別が正しくされ、放棄されていきますから、反応する要因が無くなってしまうということになります」

このヨギさんのお言葉から、当たり前のことかもしれませんが、「悟りへの熱情」、それがプラティヤーハーラの実践はもちろんのこと、ヨーガ行者として最も大事な「中心」であると改めて感させられました。

僕は小さい頃からお菓子が大好きだったのですが、疲れたり嫌なことがあったりすると、お菓子を食べることで気を紛らわせることも多く、その行為が悪い習慣性になっていました。
ヨーガを始めた頃はやめたいけれどやめられないという状態、言い換えれば、舌と心が制御されていない不浄な状態でした……😓
そんな時、ヨギさんは次のように話されました。

「昔のヨーガ行者がそんなもの食べたと思うか? 悟るために、木の実や川の水で命をつないでいた。だからお菓子は必要ない」

当時はこの言葉の意味が理解できませんでしたが、今振り返ると、とても分かりやすく知足と識別、そして悟りへの熱情というヨーガの真髄について教えていただいていたんだなと感じました。

飯尾洋平


「ブラヨーヘイ」vol.8 イノダコーヒ編

今回のブラヨーヘイは、イノダコーヒ本店に行ってきました〜😎☕️

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正式名称はイノダコーヒーではなく、「イノダコーヒ」らしいです。

京都の珈琲店といえば、やっぱりイノダですよね。
創業1940年の老舗で、お店の雰囲気もクラシックでよい感じです。
師であるヨギさんもお父様と絨毯の卸しの仕事をされていた頃、仕事終わりにこのイノダで一服されていたそうです。

ヨギさんは毎年ニューヨークに3カ月ほど滞在され、アメリカの弟子たちにヨーガを教えておられますが、僕は6年前、そのニューヨークの滞在に同行させてもらい、約3カ月ヨギさんと共同生活をさせていただきました。
滞在中は毎朝、ヨギさんが淹れてくださるとても美味しい珈琲をいただくのですが、滞在の途中(わりと前半)から話題も尽きて、とても困っていました。
そんな時僕は苦し紛れに、「京都で珈琲といえばイノダがありますよね」と話題を振ると、ヨギさんはとても嬉しそうにイノダコーヒの話をしてくれました。
このイノダの会話が、3カ月の滞在の朝食でいちばんヨギさんが楽しそうに話をしてくださった時でした。

今年もヨギさんは6〜9月の3カ月間、ニューヨークに滞在されましたが、今回同行したのがクリパールさんでした。

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クリパールさん。サングラスは僕のですが、似合っています〜

クリパールさんは僕のちょうど一回り上の子(ねずみ)年の先輩ですが、12歳も年が離れているとは思えないくらい若々しい方です。
珈琲をいただきながら、クリパールさんはニューヨークでの出来事をたくさん話してくれました。
その中で僕がいちばん印象に残ったのは、ヨギさんが選ばれたTシャツの言葉――「FIGHT LIKE HELL(死ぬ気で闘え)」――です。
ヨギさんはクリパールさんが頑張っている姿を見ると、このTシャツの言葉をおっしゃって喜んでいたそうです。

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クリパールさんからニューヨークの話を聞かせてもらい、僕も6年前のことが思い出され、本当に身が引き締まる思いでした。
僕自身、ニューヨークの滞在は自分の不甲斐なさに直面した苦しい日々でしたが、いろんな気付きを与えていただいた貴重な機会でもありました。
「珈琲」もその気付きを与えてくれたことの一つでした。
僕はニューヨークに行く前まで、甘いものが好きで、珈琲が苦手でした。
でもヨギさんが毎日珈琲を淹れてくださるので、がんばって同じようにブラックで飲んでいました。
すると1カ月ほど経った時に突然、珈琲の美味しさが感じられ、それから珈琲が好きになりました。
「味覚って変わるんだな」っと思った瞬間でした。
「自分は甘党」とか、はたまた「自分はダメだ」とか、つい「自分は〜」とレッテルを貼ってしまいがちですが、そんな自分って曖昧なものですよね。
そんな幻想なんて打ち破って、それこそ「FIGHT LIKE HELL」の精神で、本当にリアルなものに目覚めたいですよね〜😁👊‼️

最後になりましたが、クリパールさん、長時間お付き合いいただき、本当にありがとうございました😇🙏

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