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スワーミー・ブラフマーナンダ 御聖誕日

「マハーラージはシュリー・ラーマクリシュナの霊の息子であり、生きた権化でもあられるのだ。彼からお慈悲と祝福を頂いたら、それは師から直接来たものだと思ってよろしい。このことを固く信ぜよ」
    ーースワーミー・プレーマーナンダ

「これ(捧げ物)をマハーラージに献げることはシュリー・ラーマクリシュナに献げるのとまったく同様の善事である」
    ーースワーミー・ラーマクリシュナナンダ

「神は愛だ。マハーラージは神を悟っておられる。それだから、彼は愛に満ちておられるのだ」
    ーースワーミー・スボダーナンダ

「彼は王者に値する鋭い知性を持っている。彼が望みさえしたなら一国を治めることもできただろう」
    ーーシュリー・ラーマクリシュナ

兄弟弟子から師シュリー・ラーマクリシュナと同じ存在として尊敬され、彼らのラージャ(王)であったマハーラージこと、スワーミー・ブラフマーナンダ。

彼は生まれながらにして純粋な魂であり、師シュリー・ラーマクリシュナと出会い、その神性は瞬く間に開花し、サマーディを体験した。
師亡き後、ブラフマーナンダは苦行に身を投じるが、従者のスボダーナンダは、師の恩寵によってサマーディを体験してもなお厳しい修行を続ける彼を見て、「なぜまだ、乞食のように座って主の恩寵を乞わなければならないのですか」と問う。
ブラフマーナンダは次のように答えた。

「師はわれわれのためにあらゆることをして下さった。しかしなお、私は内に欠けたものを感じるのだ。このことは、われわれがサマーディの状態を自分にとって自然な、そして日常のものとするには、修行をくり返さなければいけない、ということを示している。知っての通りウッダヴァはシュリー・クリシュナの献身的な弟子であり友でもあり、彼の恩寵によって神を悟ったのだ。それでもなお、シュリー・クリシュナは彼をヒマラヤ山中に送り、独居と黙想の生活をさせたではないか」

彼は8年間の修行の末、サマーディを自然のものとし、その後はラーマクリシュナ・ミッションの初代僧院長となり、人類への奉仕にその生涯を捧げた。

1月21日はブラフマーナンダの御聖誕日ーー
その大いなる存在と、修行者としての直向(ルビ:ひたむ)きな姿勢に思いを馳せたい。

ゴーパーラ


2021年 締め括りのご挨拶

今年も残すところあと3日ですね。
寒さも厳しいですが、皆様はこの年末をいかがお過ごしでしょうか?

京都御室 プレーマ・アーシュラマからの景色。薄っすらと雪化粧❄️

2021年は、マハーヨーギー・アーシュラマ開設45周年の記念すべき年でした。
しかしながらこの1年もコロナ禍が続き、サットサンガ(真理の集い)ができない厳しく苦しい状況でした。
そんな中、4月に春の祝祭・11月に師の御聖誕祭がオンラインで開催され、弟子一同、国や地域を越えて師シュリー・マーハーヨーギーの御前に集い、この記念すべき年の祝福と歓びを分かち合うことができました。
スクリーンに映し出された師の不動で柔和なお姿と発せられたお言葉、またそこで語られた弟子たちの力強い真理への誓願がこの1年、私たちのハートの灯火を絶やすことなく燃やし続けた大きな力となりました。

また発刊から24年の機関紙『パラマハンサ』は今年5月に紙媒体からWEBに変わり、スマホがあればどこでも真理の教えにアクセスできるものとなりました。

コロナ禍で気軽に人と会えない状況も重なり、インターネットが私たちの生活のツールとしてさらに普及し、時代の変化をより感じる年でもありました。
しかし時代や状況は変われど、変わらないものーー
それがサナータナ・ダルマ(永遠の真理)であり、アヴァターラ(神の化身)の存在です。
そして、それそのものであるグル(師)の存在は、私たちの生きる希望であり、歓びであります!!
45年の長きに渡り、どんな時もヨーギーとして在り続け、私たちをいつも陰ながら支え導いてくださっている師シュリー・マハーヨーギーに、この場を借りて改めて心より感謝を申し上げます。

そして来年も、私たちはどんな状況下でも決して諦めることなくヨーガを弛まず励んでいきたい次第であります!

最後になりましたが、今年1年ブログをお読みいただいた皆さま、本当にありがとうございました。
今年はなかなか会うことができない遠方のグルバイの声を届けることや、ブログ数を多く発信することを心掛けて行なっていきました。
来年は新しい企画やテーマなどを考えていますので、どうか来年もブログ「ヨーガを生きる」をお読みいただけたら幸いです。
それでは皆さま、どうか良いお年をお迎えください。

ジャイ!!!

ゴーパーラ


成道会

12月8日はお釈迦様が悟りを啓かれた日、成道会(じょうどうえ)です。
生老病死や八正道の教えなど、日頃頼りにされている方も多いのではないかと思います。2500年の時を超えて伝わるお釈迦様の教えの原点がこの日にあるのかと思うと、しみじみと、お釈迦様が悟られて良かったと思いますし、感謝の想いが溢れてきます。
私はヨーガを知り、師匠のヨギさんとお会いするまで、悟りという言葉の意味をよく知りませんでした。しかし、ヨギさんから、悟りとは瞑想の中で体験する心が完全に静まった境地であり、それは確かにあることを教えて頂きました。約2年前にヨギさんと10日間ニューヨークのケーヴで生活を共にする希有な機会を頂きましたが、これ程までに静寂に包まれた方にはお会いしたことがありませんでした。

ニューヨーク修行の時に師匠に選んで頂いた仏陀像。「これを見ながら瞑想したらいいよ」と教えてもらいました。

この2年間ヨギさんの下でヨーガを学び、アーサナと瞑想を繰り返すことで、私の心も少しずつ静まっているのを感じます。そういった経験を通して、私は今、心が完全に静まった状態というのは存在するだろうと考えています。しかし、そのためには、そこに向かう情熱と努力が必要であり、簡単ではありません。
お釈迦様が悟りを啓かれた時、そこに梵天様が現れ、教えを人々に説くことを勧めたそうです。その後亡くなる最後の最後までインド中を旅し、教えを説き続けました。それが世界中に広がり、時代を超えて私達まで伝わってきているのです。
この教えには反対する者もいたのではないかと思います。執着をなくし、煩悩を消し去れという教えは、煩悩のままに生きる者には疎ましいものであったはずです。また他の考え方を持つ者も多くいたでしょう。そのような困難にも負けず、教えを広めるのは決死の覚悟であったと思います。身をなげうってまで真理の教えを伝えて頂き、本当にありがたいことです。

私には共に暮らす家族がおり、ヨーガの実践において、家族との間に摩擦が生じることが多くありました。例えば、生きとし生けるものは皆幸せを求めて生きているのだから、生き物を傷つけるのを少なくしようという意味でアヒムサー(非暴力)の教えが腑に落ち、肉食を減らそうと思いましたが、家族にそれを受け入れてもらうのに長く時間がかかりました。この経験で学んだのは、言葉の説明以上に自分がそれ相応の人間である必要があるということです。非暴力を実践したいと言っているのに、それによって家族を悩ますのは矛盾になってしまいます。このような意味で、お釈迦様が人々に、苦を取り除くために煩悩を消しなさいと説かれた時、質問は当然お釈迦様自身にも及んだはずですが、結局人々はお釈迦様の人柄を見て納得したのではないかと思います。そのお言葉は慈悲に満ちていたのでしょうし、愛に溢れたやさしいお方だったからこそ人々は納得したのではないでしょうか。
それが伺える私も大好きなエピソードがあります。お釈迦様は晩年故郷に向けて旅をしながら、人々に教えを説いていたそうです。その際、途中で泊まった町において、弟子のチュンダから供養された際、食べ物が何かの誤りで腐っており、食中毒にかかりました。そしてそれが直接の原因となって亡くなっています。その際、チュンダのことを気遣い、彼が悩まぬよう、「私はこの供養により、悟りを実現し、涅槃に入ることができたのだからそれは最高の功徳であったと伝えてほしい」と他の弟子に伝えたそうです(中村元著『ブッダ伝』)。食中毒にかかり瀕死の状態であるにも関わらず弟子のことを気にかけておられます。身をもって慈悲の心を示されています。
今日は成道会、お釈迦様が悟られて本当によかったです。

島本 廉


ブラゴパーラvol.8 「中観音堂・羽島円空資料館」編

約2年ぶりのブラゴパーラです。
今回は中観音堂(有宝寺)・羽島円空資料館に行ってきました〜

ここは岐阜ですが、京都から新幹線で40分弱で行くことができ、日帰りで訪れました🚅
なぜ今回この地を訪れたかというと、数年前から私は円空という修行僧に関心を持っていて、この岐阜羽島は円空の生誕地とされているからです(諸説あり)。

「円空って誰👀?」と思う方も多いと思いますので、簡単に紹介させていただきます。

◾️江戸時代前期(1632-1695)の修行僧。
◾️若くして出家し、美濃(岐阜)を拠点に富士山や伊吹山、大峰山など修験道の聖地で修行を重ねる。
◾️12万体の造仏を誓願したと言われ、全国を遊行行脚し、寺社仏閣のみならず、民衆のために仏像造りを行なっていた。
◾️独特の彫りは円空仏(えんくうぶつ)と言われ、北は北海道、南は奈良、西は愛媛までその所在は及ぶ。

私はインターネットで円空仏を偶然発見した時、胸の奥深いところをドンッと叩かれるような衝撃を受けました。
運慶・快慶一派の仏像は精巧かつ立派で本当に素晴らしいのですが、かたやこの円空仏は「これが仏像⁉️」と思ったほど、とても素朴ーー
それ故に土偶や縄文土器のような、人間の原始・根源に訴えかけてくるような感覚を覚えたのです。

道中で出会った円空仏(複製)。

それで2年前の夏、隣県滋賀の三井寺に円空仏があると知り、拝観しました。
小さい円空仏でしたが、それらを背面から観た時、背中がスパッと割れていて、その一太刀の鋭さ・大胆さからは澄み切ったもの感じました。
また、合掌の形が指や腕などを描かずに角度を付けて彫っているだけで表現されているシンプルさにも驚かされました。

三井寺の善女竜王像。円熟期の五十五歳頃の作品のようです。

そして今回、羽島の地では新しく17体の円空仏と出会いました。
ここは三井寺にあったような荒彫りになる前の初期円空仏も安置されていました。
中観音堂のご本尊は十一面観音菩薩です。

この柔和な表情の観音様は手足が美しく繊細に彫られ、像全体がとても滑らか!
若き日の円空が仏様を大切に表そうとする真摯な思いが伝わってくるかのようで、私はとても嬉しい気持ちになりました。

現在、5000体以上の円空仏が全国で発見されています。
12万体の造仏をしたと伝えられる円空の偉業を私ヨーガ行者の観点から申しますと、アーサナ(ヨーガのポーズ・形)を12年間12ポーズ怠らずしても5万ポーズ、24年続けても10万ポーズ。
まだ円空には届きません。。😅

羽島円空資料館の小さな円空仏。 左から神像、金剛童子、稲荷大明神。「修行は厳しいよ〜」と嘲笑っているかのよう(特に金剛童子から)。

円空は仏師でもありますが、やはり根本は修行者です。
修験道を修しており、雨を降らせることもできたそうです。
造仏を中心にその並々ならぬエネルギーや霊的情熱を出世や名声のためではなく、民衆の救済に使った方だと強く感じます。
そして何より、その笑みを浮かべる円空仏からは、人が本来持っている仏性ーー根源の歓びを喚起させてくれます。
どの像も愛らしく、クスッと笑え、神仏をとても身近に感じられるのです。

機会があれば、また円空ゆかりの地を訪れたいと思います😎

中観音堂の鬼子母神と不動明王。カーリー&シヴァ!

そして可愛らしい聖徳太子像👶

ゴーパーラ


いちばん大切なもの

「それ」さえあれば、生きていける。

胸の奥にそれがあると知った時、どんな宝石もいらないと思った。
もうすでに永遠のダイヤモンドが胸に埋め込まれていた。
心がそれを忘れそうになると、私のハートをつかみ、いつも思い出させてくれる存在ーー
そのお方は我がグル!!

Gururadiranadisca guruh paramadaivatam
Guroh paratanam nasti tasmai srigurave namah
Om shanti shanti shanti

グルは始原であり無始(無限)の存在。グルは最高の神格。
グルより優れたものはない。その聖なるグルに礼拝いたします。
オーム、平安あれ、平安あれ、平安あれ。

11月23日のサットグル・ジャヤンティで唱えられるマントラーー

どうかハヌマーンの態度でグルに礼拝できるようにと切に願います。

ゴーパーラ


イーシュヴァラ・プラニダーナ

「イーシュヴァラ・プラニダーナとは、主(始原のグル・真理・悟り)への揺るぎない熱情」

シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ

11月は日本人の主食のお米の収穫と献上の季節であり、そして私たちの主(グル)であるシュリー・マハーヨーギー・パラマハンサの御聖誕月でもあります!

先月私は介護の仕事の一環で、稲刈りと天日干し、脱穀のお手伝いをさせていただきました。脱穀をした小金色のお米の一粒一粒は光り輝いていて、とても感動しました。

私たちの命は食物によって生かされ、その命の源は、古来より「神」と呼び慣わされてきた大いなる存在です。すべての命は神によって光り輝いています。そして真正のグル(師)は、その存在そのものーー

11月23日は新嘗祭の日であり、師の御聖誕日です。この吉祥な日に向けて、大いなる師の存在と導きに感謝を捧げ、真理・悟りへの熱情を大いに高めていきましょう!!

ゴーパーラ


小さな幸せ

私は月に1、2度ほど、介護の仕事で畑仕事をします。
先日は収穫した新生姜をお裾分けいただき、甘酢漬けにしました。
10月に入っても暑い日が続いていたので、調理中に漂う新生姜のフレッシュな香りとその爽やかな味わいによって、とても清涼な気持ちになりました。

野菜の収穫を目にし、それを調理していただくのは大変味わい深く、身体の内側から感謝の気持ちと喜びが自然と湧いてきます。
大袈裟かもしれませんが、満たされた気持ちになります。
以前、料理やヨーガの実践について姉弟子の方とお話した際の「小さな幸せの積み重ねだと思うよ」という言葉が蘇りました。

ヨーガの目的は「サット・チット・アーナンダ(存在・意識・至福)」の真実に目覚めることです。
アーナンダ(至福)は、快楽や所有などの一時の幸せではなく、すでに私たちの中に在る尽きることのない幸せだといわれています。
内側から湧いてくる小さな幸せを感じながら、その本源の至福に目覚めていきたいですね😊

蕎麦畑。幻想的で美しい花々! 

ゴーパーラ


本当の優しさ

先日、先輩グルバイに質問できる機会があり、「本当の優しさ」とは何なのかを伺いました。優しくするって、ニコニコ笑って何でも「いいよ、いいよ」と聞くこと? 利己的な思いを全く無くして接するということ? と小難しく考えてしまっていた私に対し先輩は、「もっと単純に、相手を大事にするということじゃないかな。大事で、愛しいがゆえに優しくする」と答えてくださいました。考えてどうにかしようとしていた私の根本に衝撃を与える言葉でした。さらに続けて、次の師の教えも話してくださいました。

「愛は優しさでしか表現できない」

師は本当に私たちひとりひとりのことを大事に思ってくださっていて、だから私たちがより良くなることだけを考えて、必要な教えを最も良い方法で授けてくださいます。時には穏やかに、時には厳しく。それはすべて師の優しさであり、愛の表れでしかありません。

以前、師は私に「人に優しくすること」という教えを授けてくださいました。(「本当の優しさ」について考えていたきっかけでもあります。)この教えも、私がより良くなるためだけに師が授けてくださったものです。
今回の出来事によって、師にあらためて「あなたの愛を表しなさい」と言われたように感じました。愛を表し、そのように生きる。教えを授けるということも、弟子を想う師の愛なのだと思うと胸がいっぱいになり、その教えを生きることで応えたいという強い意志が湧いてきます。

一斉に花を開いた彼岸花が赤い絨毯のようでした!松山市窪野町の窪寺閑室跡周辺の彼岸花です。ここは一遍上人が修行された場所だと伝わっています。

冒頭の先輩への質問の場(オンライン)には、他にもたくさんのグルバイがいて、私と同じように日常生活やヨーガの実践の中で湧いてきた疑問を質問していました。それに応える先輩の態度や言葉、すべてから、私たち後輩ひとりひとりのことを大事に思ってくださっていることが自然と伝わってきて、まさに、「愛は優しさでしか表現できない」という師の教えを生きている様を見せてくださっているかのようでした。

師や先輩の姿を見ていると、人に優しくするということは、何か特別なことをするわけではなくて、誰に対しても分け隔てなく、ほんの小さな行為にも相手を大事に思う気持ちを込めることなのだと感じます。お手本を示してくださっているその姿に倣い、「本当の優しさ」を体現して生きていきたい。そう決意をあらたにできた出来事でした。

部屋からの見えた優しい色合いの朝焼け。

大森みさと


世界をよく見ること。それは感じること。

私は障がい者の方の生活をサポートする福祉事業所に勤めています。
ご自宅を訪問して生活介助をしたり、外出のお手伝いをする、いわゆるヘルパーが私の仕事です。

仕事場に向かう途中に通った桂川。雲一つない青空!!(10/3)

また、昨年からは現場以外の事務的な仕事もするようになりました。
先日まで続いていた緊急事態宣言下では、障がい者の方が今どんな生活をしていたり、どんな生活を求めているのか、そういった当事者の方々の現状や需要を調べてまとめる業務をしていました。
現代はとても便利な時代です。
例えば、インターネットで「障がい者 一人暮らし」で検索すると、いろんな情報が出てきます。
最近では20代の車椅子の方たちがTikTokやYouTubeで自分たちの一人暮らしの様子や思いを発信していて、楽しく見れる動画が多くありました。
またTV局や厚生労働省もYouTubeチャンネルで障がい者の方やその親御さんを取材した特集を配信していて、これはまたしっかりと編集されていて見応えがありました。
そうやってたくさんの動画や記事を興味深く見ていたのですが、突然私の心に一つの問いがやってきました。

「そこから何を感じるのか?」

その瞬間、私は約9年前、「ヴィヴェーカーナンダのハートになるためにはどうしたらいいですか?」と師に質問し、それに対して師がおっしゃった言葉が思い出されました。

「世界をよく見ること。それは感じること。……
そうして胸の奥からどんな衝動が起こるのか、それに気付いていく作業が必要」

そして私は、たくさんの動画や記事を見る中、「自立」のために努力している方々に気持ちが動いていることに気付かされました。
障がいがあっても生活訓練所に通って社会生活を営む準備を何年もかけてしていたり、作業所で就労して立派に勤めを果たしている方、事故の後遺症があってもリハビリをして自分でできることを最大限行なっている方、また知的障がいのある息子さんの将来を考えて息子さんと離れた生活を葛藤を抱えながらも決断されたご両親、さらにそういった経験を誰かの助けになればという思いで自らYouTube配信をしている方、そんな方達の自立に向かって行動している姿に私の心は動かされていました。

今回、仕事上の小さな気付きでしたが、師の教えが自分の心の深いところでも働いていることを実感し、とても嬉しく思いました。
師は弟子の自立のため、陰ながらいつも助けてくださっているのですね……‼️
感謝を胸に、仕事もサーダナも前進させていきたいです。

「立て!目覚めよ!そしてゴールに達するまで止まるな!」  スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ

ゴーパーラ


自由への道(呼吸の制御)

先日、私は東寺の近くに用事があり、出掛けました。(急を要する用事でした)
ただ目的地を勘違いして、その周辺を彷徨ったのですが💦、歩道橋から見えた東寺の五重塔の景色がとても綺麗だったので、迷ったことも「まぁ、これが見れてよかったか」と思えました。

さて、今回のブログでは「塔」の話も出てきます。
お付き合いいただけたら幸いです😊🗼


人は普通に生きていると、イライラやドキドキ、ムラムラやモヤモヤなどの感情の波が大なり小なり起こってきます。
しかし、そのような感情や心の思いの波に巻き込まれずに、それらを制御して、すでに私たちの中に在る絶対の存在ーー「本当の自分」「神」「自由」ーーその真実に目覚めることをヨーガは目的としています。
ただ私自身、ヨーガを実践していても、時折その波に巻き込まれそうになります。
最近もそのようなことがあり、識別をしたり神を思ったりしていたのですが、上手くいかず、どうしようかと数日間苦しみました。
そんな時ふと「呼吸を吐き切ろう」と思い、お腹から呼吸をぐっーと吐き切った瞬間、その波が嘘のように一瞬で収まりました。

呼吸が止まれば心の静止につながることは理解していましたが、理屈抜きの出来事にとても驚かされ、緊張したり動揺した時は「深呼吸」というのは本当だったんだと実感しました。

その後、呼吸の制御に関心が出てきた私は、ヴィヴェーカーナンダの『ラージャ・ヨーガ』を読み返しました。
呼吸はプラーナ(気)の大きな現れです。プラーナはこの宇宙万象を動かす根源的な力で、私たちの身体のさまざまな活動も、心の働きも、全てプラーナの力によって起こります。
この呼吸とプラーナの密接な関係と制御について、ヴィヴェーカーナンダはとても分かりやすい喩えで説いていますので、紹介させていただきます。

ある時、ある王様に仕える大臣がいました。彼は王の不興を被りました。王は罰として彼を非常に高い塔の頂に閉じ込めるよう命じました。大臣はそこで、死ぬのを待つことになりました。
しかし彼は忠実な妻をもっており、彼女が夜、塔の下に来て夫を呼び、助ける方法を尋ねました。彼は彼女に、次の夜、一本の長いロープと、丈夫な糸と、荷造り用の糸と、絹糸と、一匹のカブト虫と、そして少しばかりのハチ蜜とを持ってこい、と命じました。たいそう不思議に思いながら、善良な妻は夫の命じるままに、これらの品を持って塔の下に来ました。夫は彼女に、カブト虫に絹糸の端をしっかりと結び付け、それのツノに一滴のハチ蜜を塗り付け、それを塔の壁に沿って上を向けて離せ、と命じました。
彼女はこれらすべての指示に従い、カブト虫は長い旅に出発しました。それはハチ蜜の匂いを追ってひたすら登り続け、ついに塔の頂に達しました。大臣はそれを捕え、絹糸の端を手にしました。彼は妻に、糸の別の端を荷造り糸に結び付けるよう命じ、それを引き上げて手にすると、強い糸で、次にロープで同じ動作を繰り返させ、ついにロープの端を手にしました。そのあとは楽なものでした。大臣はロープをつたって下に降り、逃亡しました。
我々のこの身体の中で、呼吸運動は「絹糸」です。それをつかみ、それを制御する方法を学ぶことによって、我々は神経の流れをいう荷造り糸をつかみ、これから我々の思いという丈夫なより糸を、そして最後にプラーナというロープをつかみます。それを制御することによって、我々は自由を得るのです。

呼吸の制御を第一として、神経、心の感情や思い、そしてその原因であるプラーナ(気)を制御する階梯を見事な比喩でヴィヴィーカーナンダは説いています。
またこの物語は、ヨーガの実践において大切な要素が含まれていると私は感じます。
妻の夫に対する忠実さは真理への忠実さを示し、真理の教えを一つずつ確実に行なうことによって心の檻(塔)から自由になるという、まさに王道のヨーガの実践、そして境地を象徴しているように思います。

私は前回のブログ『失われることのない自由』で、「私たちの本性は自由である」ということを書きました。
今回、その自由への道は、呼吸の制御からも繋がっていることを実感しました。
数千年の歴史をもつヨーガは、私たち人類に自由へと導くさまざまなルートや方法を提供してくれていて、その懐の深さには本当に驚かされます。

お彼岸を迎え、明日の9月23日は昼夜の長さがほぼ同じになる秋分で、大気のプラーナが中庸になる日です。
この力を借りて、プラーナの制御の実践をしていきたいですね!!

姉弟子から彼岸花をいただきました。彼岸という言葉はパーラミター(到彼岸)を略したもので、悟りの境地を意味しているそうです。

ゴーパーラ